91.8話 契約の『約束』
冒険者協会から『トスエル』まで戻ってきた私たちは、『ヘイト』の指示通りここでお別れすることになった。
「今度こそ、待ってろよ?」
「そっちこそ、ちゃんと帰ってきてよね!」
「わかってるよ」
大丈夫だとは思うけど、勝手にいなくなっちゃわないように念を押して『ヘイト』へ言葉を送る。
まるで買い物のついでを頼まれたような軽さで頷き、『ヘイト』はすぐに残りの化け物たちを何とかするために行ってしまった。
「ヘイト……」
ずっと、『ヘイト』の姿が見えなくなるまで玄関から見送り、やっぱり置いていかれた寂しさで顔をしかめてしまう。
でも、いつまでもそうしているわけにはいかない。
私はお母さんたちにレイトノルフの状況と『ヘイト』について伝えるため、『トスエル』の中へと戻っていった。
「戻ってきたのか、シエナ!? 一人か? ヘイトのバカはどうした?」
「お帰りなさい、シエナちゃん。怪我は? ちゃんとしてきたの?」
「ただいま、お父さん。お母さん。あと、お母さんは言葉がおかしいことにまず気づこうか」
帰って早々、色々と言いたいことはあったけど、とりあえず無傷の娘に残念そうな母親に苦言を呈する。
怪我してない? じゃなくて怪我してきた? って聞くの、おかしくない?
「え~、だってシエナちゃんがかすり傷を一つでも負ってくれてたら、それを証拠にヘイト君の責任にしてあれこれ条件を付けられたのよ? もったいないじゃない」
「ミルダ……、シエナたちが出て行く前のそれ、冗談じゃなかったのか?」
「冗談なわけないじゃない。口約束とはいえ、あれは個人間で結ばれた立派な『契約』なのよ? 少しでも隙があるのなら、たとえ自分の命が危ない状況でも、助かった後に有利に進められるようにしないと損でしょう?
特に、普段からガードの固いヘイト君ならなおさらよ。少しでも弱みを作って、主導権を握らなきゃ。まあ、ヘイト君がシエナちゃんに大怪我をさせるような子じゃないってことも、約束をきちんと守る子だってこともわかってたから仕掛けたんだけどね」
お、お母さんがたくましい……。私も人のことをいえないけど、『ヘイト』の教育を受けてから考え方が『ヘイト』にずいぶん似てきた気がする。
『仮にも商人の端くれなら、利用できるのなら自分の親も子どももトラウマも利用しろ!』って言ってたっけ。
後は何だっけ、『相手と良好な関係を築くのなら、百のほめ言葉よりも一の弱みを作れ』、だったよね。
さっきの冒険者協会の職員さんとのやり取りを見る限り、良好な関係というより優位な関係を築くための格言な気はするけど、まあ間違ってはいないか。
前からお母さんは頭が良かったけど、『ヘイト』の教えを得てからはより狡猾さが増した気がする。何か、手に負えなくなった感じが強くて困る。
文句を言いたいわけじゃないけど、『ヘイト』はこの責任をきちんととってくれるのだろうか?
「そ、それはともかく、ヘイトのバカはどうした?」
「あ、うん。実はね」
お母さんの言葉に若干引いていたお父さんの話題変換に乗っかり、私は今までのことをかいつまんで説明する。
町の状況や、レイトノルフを襲っている魔物のこと、そして『ヘイト』の言っていた正体不明の『スキル』まで、とにかくわかる範囲で二人にも伝えた。
「だったら、ひとまずは安心していい、ってことか?」
「みたいねぇ。ヘイト君、私たちの思った以上に凄い子だったのねぇ」
すると、二人ともやけにあっさりと納得して、結構呑気なことを口走った。
「いや、あの、凄いの一言で済ませちゃえる問題なのかな、これ?」
「え? 凄いでしょ? それとも、シエナちゃんは凄くないと思うの?」
「凄いと思うけど、なんて言うか、その、怖くないのかな、って……」
何を、誰を、とは言えなかったけど、私は心に芽生えた不安を見せるように、お母さんに聞いていた。
私には、『ヘイト』の使っていた『スキル』が何か、わからなかった。
そして、正直な気持ちを吐き出すと、その『スキル』のことが、怖いと思う。
だって、『ヘイト』の言うことを信じるのであれば、『ヘイト』は『ドラゴンを簡単に倒すことが出来る力』をいつでも使うことが出来る。
それが、いつか私たちに向けられることがあるかもしれないと考えるのは、自然なことだ。
もちろん、私は『ヘイト』がそんな人間じゃないって思っているし、そんなことしないって思ってる。
でも、『スキル』は『スキル』でしかなくて、もしかしたら『ヘイト』の意図しないことになることだって、あるかもしれない。
そう考えると、近くに『得体の知れない何かがある』ってことを、怖くないのかなって、思ってしまう。
「う~ん、別に怖いとは思わないわよ? 確かに、私たちはシエナちゃんと違ってその力を直接見たわけじゃないから、実感がわかないだけかもしれないけど、それでも心配とかはないわね」
「どうして?」
あっけらかんと、簡単に言ってのけたお母さんに尋ねると、返ってきたのは私にとっては予想外で、よく考えたら当たり前のことだった。
「だって、その『スキル』を使ってるのって、ヘイト君でしょ? そりゃあ、見ず知らずの冒険者の人が、その『スキル』を使って乱暴を働いている、とかだったら怖いわよ?
でも実際は、魔物が襲ってきている今みたいな、『その力が必要なここぞという時』にだけ使ってくれる、『優しい子』が持っているんでしょう? だったら、怖いことなんてないじゃない」
…………あ。
お母さんのこの言葉に、私がとんでもない思い違いをしていたことに、気づいた。
「あの子は確かに、普段の言葉遣いはとても悪いけど、たぶん心はこの町にいる誰よりも綺麗で優しい子よ。じゃないと、それだけの力を持っていながら『普通』に町にとけ込んで生活するなんて、『普通の人』なら出来ないわ。
もしも『普通』の冒険者がその『スキル』を持っていたら、レイトノルフはその人の暴力に支配され、言いなりになっていたでしょうね。強大な力は簡単に人を狂わせ、不幸にさせる。それは自分にも当てはまり、いずれ自ら破滅の道を選ぶことになる」
相当不安がっていたのか、お母さんは椅子にゆっくりと腰掛け、私も椅子に座るよう促してから、話を続けた。
私は黙って耳を傾け、自分の気持ちを整理しながら、心を落ち着かせていく。
「ヘイト君の授業を一緒に受けたから、シエナちゃんも覚えているでしょう? 『力』で重要なのは、『大きさ』じゃなくて『使い方』だ、って。あの時のヘイト君はお金や人脈や権力の意味で使ってたけど、『スキル』でも同じことよ。
自分のためだけにしか『使い方』を選べない人じゃなくて、他人のためになるような『使い方』を選べる『優しい子』は間違えないし、間違ったとしてもそれに気づくことが出来る。そんな子の力が、怖いなんてちっとも思わないわ」
こんな簡単なことにも、すぐに気づかないなんて。
指摘されれば何てことのないことだったのに、目の前で見た『スキル』が凄まじすぎて、目が曇ってしまっていたんだろう。
「それに、純粋な『力』が怖いと思うのなら、私はティタネスさんの妻にはならなかったでしょうね。だって、シエナちゃんはあんまり実感がないかもしれないけど、ティタネスさんは元『黒鬼』級の冒険者よ?
純粋な『力』だったら、今だって私の何倍も強いし、魔物と戦う『スキル』だって持っている。ティタネスさんがその気なら、私の両親を暴力で黙らせて、私を無理矢理自分の物にすることも出来たはずよ」
「俺がミルダや親父さんたちにそんなことするか!!」
「うふふ、知ってるわよ。あなたも見かけや力によらず、とっても優しくてかわいい人だもの。最初は確かに冒険者の人は怖いかも、なんて思っていたけど、今はこの人に心から愛されて、そして心の底から愛する事が出来て、本当に幸せだと思っているわ」
急にお父さんとお母さんがいちゃいちゃしだしたけど、私は口を挟むことなんてしない。
だって、私が心配していたことの答えを、お母さんは自分に照らし合わせて、教えてくれているんだから。
「ね? 確かに、一見すると見てくれが怖くて不安になるかもしれないけど、本当に大事なのは『目に見えるもの』じゃないの。本当に見てあげなきゃいけないのは、その人の『力』じゃなくて『心の在り方』だと、私は思うな」
「……俺って、そんなに見た目が怖いか?」
お母さんは優しい眼差しで私の目を見ながら、ぎゅっと手を握ってくれた。お父さんが自分の顔を見ようと厨房に引っ込んでいくのを横目に、私は改めて自分がまだまだ『子ども』なんだということを痛感する。
私は『ヘイト』の持つ『スキル』が怖くなって、不安になった。だから、わけがわからなくて、すごく強力だってことしかわからない『スキル』を振るう『ヘイト』のことも、少しだけ、怖いって、思ってしまった。
でも、お母さんの言う通り、それは間違いだ。
確かに、『スキル』は『ヘイト』の一部なのは事実だけど、それだけが『ヘイト』の全部じゃない。
『スキル』を私たちのために振るってくれている、『ヘイト』の『心の在り方』、『優しさ』の方を見るべきなんだ。
「その点、シエナちゃんが好きになった男の子は『普通な子』じゃなくて、とっても『優しくて強い子』。心配する必要なんてないわ。だって、シエナちゃんは『人』を見る目がなくても、『男』を見る目はお母さん譲りだもの。自信を持ちなさい」
茶目っ気たっぷりにウインクして見せ、私を励まそうとしてくれるお母さんに、自然と頬が綻んでいくのがわかる。お母さんが言うんだから、きっとそうに違いない。
思えば、『ヘイト』はそんな『スキル』があるのに、それを一番活かせるはずの『冒険者の道』とあっさり決別していた。化け物でさえどうにかしてしまえる『スキル』があれば、今よりもっと裕福な生活を送れるはずなのに。
それだけじゃない。『冒険者』を諦めてからも、『スキル』を無闇に誇示することなく、お金稼ぎのための職探しを『普通』に行っていた。町中を歩き回って、頭を下げて、断られても諦めずに、別のお店に行って、何度も繰り返して。
そんなこと、『普通の人』じゃ絶対に出来ない。『スキル』を使えば簡単に他人を言いなりに出来るなら、誰だってそうしている。
だって、それが一番『楽』だから。生きていくのに精一杯な状況で、他人の不利益のために我慢するなんて、下手をすれば自分の命を落としかねない。
だったら、使えるものなら何だって使うし、その手段が簡単にできるのならばなおさらだ。そう考えるのが『普通の人間』なんだ。
だけど、『ヘイト』は同じ状況でも、迷わず『我慢』を選べる人だ。『他人』を傷つけて『楽』が出来る簡単な方法じゃなくて、自分がどれだけ苦しくても『他人』を極力傷つけない方法を探して『我慢』が出来る。
そんなバカみたいに『優しい』、それでいて自分を決して曲げないくらい『強い』。
それが『ヘイト』の『心の在り方』なんだろう。
なのに、私は『ヘイト』の一面でしかない『スキル』の怖さに惑わされて、『ヘイト』の一番大事なところを見てあげられなかった。
そんな大切なことに、お母さんは気づかせてくれたんだ。
「それにここだけの話、もしも私にティタネスさんがいなかったら、本気で好きになってたかもしれないくらい、ヘイト君はとっても魅力的な男の子だもの。そういう意味で不安になっちゃうことは、私も否定できないかな?」
「そっ!? そんなの絶対ダメだよ!?」
「うふふ。だったら、ヘイト君を取られちゃわないように、きちんとつなぎ止めておかなくちゃね。それくらい、ヘイト君が素敵な男の子なのは間違いないんだから。うかうかしていると、私みたいにヘイト君の魅力に気づいた女の子に、取られちゃうわよ?」
お母さんの突然の告白にすっごい焦っちゃったけど、冷静に考えれば大げさなことでも何でもない。
『ヘイト』は見た目とか身分とかじゃなく、『心の在り方』が格好いい男の子だ。初対面だと攻撃的な言動から誤解されがちだとは思うけど、中には『ヘイト』の本質に気づく女の子はきっと現れるはず。
そうなった時、もし、『ヘイト』が私以外の女の子を選んだりしたら。
……うっ、想像しただけで、ちょっと泣きそう。
「ど、どうしよう、お母さん!? 私、どうしたらいいと思う!?」
「さぁねぇ。こればっかりは私もヘイト君じゃないし、答えられないわ。もうちょっとヘイト君の女の子のタイプとか、女の子との交際経験とか、もっと色々聞いておけばよかったわねぇ。情報なしじゃ、本当にお手上げだもの」
「そんなぁ!!」
小さくバンザイをして白旗を揚げたお母さんに、私の中で生じた焦りは余計に強くなっていく。
落ち着かなくて椅子から立ち上がり、同じ場所を何度も往復しながら考える。
言われてみれば、好みの女の子みたいな今必要な情報に限らず、私たちって『ヘイト』のことをほとんど何も知らないのよね。
『イセア人』って言ってたけど、身分がないって言ってたよね? 身分もお金を稼ぐ手段もなかったのに、両方を解決できる『冒険者』を諦めちゃったし、そもそもレイトノルフまでのお金とかをどうやって工面したかも気になる。
後、東の国に向かってるって聞いたけど、そもそもどうして東に行きたいのか目的もわからない。東の国に行けば『ヘイト』の問題が解決するのか、それともイガルト王国を早く出たい事情があるのかな?
そもそも東って、何があったっけ? えっと、確か、『クカルブ人』っていう、肌が真っ黒な人たちが暮らす『ラヨール王国』があったよね? とっても働き者が多くて、礼儀正しくて、いろんな文化に寛容な国、だったはず。
他には、『クカルブ人』はみんな『イガルト人』よりも発育がいい、って言ってたっけ。ステータスが純粋人種同士で比較すると一番上がりやすくて、男の人はほとんどが筋肉質、女の人はみんなスタイル抜群だって言ってたような…………っ!?
まさか、『ヘイト』の好きな女の子って、『クカルブ人』みたいな子!? 背が高くて、おっぱいが大きくて、腰がきゅってくびれてて、お尻も太股もむっちりしているような、そんな『大人な女』がタイプなの!?
東に行きたいのだって、もしかしてお嫁さん捜しに各地を旅しているとかだったり!? 自分のことをほとんど話さなかったのも、身分がないって言ったのも、『身分にとらわれない女の子』が、『ヘイト』のお嫁さん候補で重要な要素になってるとかだったら!?
あ、あり得る。だって、『ヘイト』の知識量を考えたら、元が『普通の平民』であるはずないもん。最低でもあれだけの知識を身につけられる学校に通っていたはずだから、有力な商人の後継とか、もしかしたら大貴族のご子息の可能性もあるわ。
貴族様だった場合、ある程度の行動の自由を与えられていることから、跡目争いとは無縁だろう現当主の三男以降の実子か継子になるのかな? 家を出ても問題にならないことを考慮して、正妻とは別の妾が産んだ継子、あるいは当主が使用人に手を出して産まれた不義の子だった、って可能性が高いかも。
それなら基本的に生計を自分で確立していかなきゃならないし、働いた経験がほぼないのにレイトノルフまで旅費があったのも、ご実家から支度金を渡されていたと考えれば辻褄は合う。
強力な『スキル』を保有していたのだって、貴族様なら生まれも育ちも平民とは違うだろうし、特殊な『スキル』を取得する可能性も高い。簡単に使わなかったのも、『スキル』の使用で実家を悟られることを恐れたからと考えることも出来る。
『スキル』は先天性と後天性の二種類存在する。前者の取得は完全に運任せらしいけど、後者はスキル適正の上で生育環境や努力が大きな要因になる。
特に貴族様の場合、血統や教育方針、領地の環境などといった要因で、取得しやすい家系特有の『スキル』っていうのがあるらしい。『ヘイト』が今回使ったのが、その家系特有の『スキル』だったとしたら、大っぴらに使うと実家に迷惑がかかるのかも。
『ヘイト』が『イセア人』の貴族様だったとしたら、本来の帰属は『イセア人』が住む西の大国『ディヴィラグノール連合国』のはずだし、『イガルト王国』であまり大きな騒ぎを起こすと、国際問題に発展する可能性があるのは確か。
う~、考えれば考えるほど、『ヘイト』の正体が貴族様だってことが正しいように思えてならない。もしかしたら『ヘイト』も偽名で、本名は別にあるのかもしれない。世を忍ぶ仮の名前、みたいな?
だとしたら、私がしているのって、身分違いの禁断の恋!? 実家からは疎まれた継子とはいえ、体に流れているのは確かに貴族の血。たとえ二人の思いが通じ合ったとしても、私のような平民と結ばれることを当主様たちが許してくれるはずもない。
それでも、『ヘイト』は私の手を取って、「俺が好きなのは、シエナ。お前だけだ」って言ってくれて、そっと背中に手を回し、ゆっくりと唇を…………、
っ、きゃあああああ~!! ステキ~!!
「条件が満たされました。スキル《高速演算LV1》を取得します。なお、『演算』は《高速演算》に結合されました」
「条件が満たされました。スキル《記憶支配LV1》を取得します。なお、『完全記憶』は《記憶支配》に結合されました」
……はっ!! 妄想に浸ってる場合じゃなかった!!
私が考えなきゃいけないのは、『ヘイト』が何者かなんてことじゃなくて、『ヘイト』が他の女の子になびかないような、具体的な方法なんだから。
いわば、『ヘイト』に教えてもらった『経営戦略』みたいなもの。そのためには、まず目標実現のために有益そうな情報を整理して、その中でも必要な情報だけを取捨選択し、私が取るべき行動プランを組み上げていかないと。
……なんだかさっきまでと比べると妙に頭がすっきりするし、思いだそうとすれば『ヘイト』との会話も全部思い出せそうだし、何かできそうな気がする!
よぉ~し、そうと決まったら早速……、
「帰ったぞー」
なんて考えていたところで、私は長いこと耽っていた思考の世界から現実の世界に戻ってきた。
「あ、ヘイトッ!!」
何か考えるよりも先に、体の方が動いていた。
離れていてもずっと頭から離れなかった、男の子。まるで買い物から帰ってきたかのような態度が、どうしようもなく安心して笑顔がこぼれる。
視界がちょっとにじんでるけど、これは『ヘイト』が誰かに取られちゃうことを想像して出た涙だろう。今は邪魔だなぁ。
「ヘイト君っ!」
「ヘイトだとぉ!?」
一拍遅れてお母さんとお父さんが声を上げた。お父さんは何故か包丁を持っていたけど、もしかしたらそれで自分の顔を見ていたのかもしれない。鏡の代わりになりそうなものが、毎日研いでいる包丁しかなかったのかな?
「お、っと」
「っ!! おかえりっ!!」
それはさておき、私は嬉しさを抑えきれずに駆け寄ると、躊躇なく『ヘイト』に抱きついた。
『ヘイト』のステータスを考えたらそのまま倒れていてもおかしくなかったけど、どうやってか『ヘイト』は私の体をしっかり受け止めてくれた。
「どうだ? 約束通り、ドラゴンはぶっ殺してきたし、帰ってきたぞ?」
「……ぷっ、何それ? そんなの、わざわざ言わなくてもわかってるよ」
そのまま『ヘイト』の腕の中で顔を見上げると、そんな言葉が降ってきたから思わず笑っちゃった。
だって、私は今の今まで化け物がこの町にいたことを忘れていた。それくらい、『ヘイト』がきっと何とかしてくれるはずだって、疑いもしていなかったんだろう。
「あん?」
「だって、ヘイトのこと、信じてたから」
だから。
私の目の前にいる男の子が、別の女の子に取られちゃうかも、なんて。
本当に心配しなきゃいけないこととは、全く別のことを心配できていたんだと思う。
それくらい、私は『ヘイト』のことを信じていた。
(えっ……!?)
すると、私の言葉がおかしかったのか、急に『ヘイト』が笑った。
ほんのわずか、口角が上がるだけの、よく見ないとわからない微笑。
だけど、至近距離から見つめ合っていた私には、よく見えて。
初めて見た『ヘイト』の自然体な微笑みは、息が詰まりそうになるほど、かわいかった。
「あらあらまあまあ!」
「おいテメェコラ! いつまでシエナに抱きついてんだ離れろ!!」
ぼーっと『ヘイト』の顔を見上げていると、背後からお母さんとお父さんの声が聞こえてきた。
「はいはい、悪ぅござんしたね」
するとすぐに『ヘイト』は表情をいつもの真顔に戻し、密着していた私の体から離れた。
「確認するが、あれから何か変わったことはあったか?」
どれくらいそうしていたのか、私にはわからないけど、なんだか夢の中だったような、ふわふわした感じがしていた。
そうしたこともあり、咄嗟に『ヘイト』の言葉に返答することが出来なかった。
「え、えと、私たちは、怪我とかはないよ? あれからずっと、ヘイトの言いつけ通り、家の中でじっとしてたし」
「そうか。ま、これでドラゴンどもはいなくなった。これで心配することは何もねぇよ」
慌てて事実だけを伝えると、『ヘイト』は気にした様子もなく安全を確約してくれた。
怪我もなく『ヘイト』が帰ってきた時点でそれはわかっていたけど、私たちを安心させるために伝えてくれたんだろう。
「そうね。ヘイト君は約束通り、私たちを守ってくれた。どうやったのかは、少しだけシエナちゃんから聞いたわ。でも、ちょっとくらいシエナちゃんに怪我をさせてもよかったのよ?」
「お母さんっ!!」
「ふん! まあ、テメェにしてはよくやった方だな。だが、まだまだこの店を継ぐには早ぇぞ。せめてウチの料理の一つくらい覚えてからじゃねぇと、認めねぇからな!」
「お父さんも!!」
すると、お母さんとお父さんがさっきまでの会話を思い起こさせるようなことを口走るものだから、私は慌てて釘を刺す。
確かに私は『ヘイト』のことが好きだけど、まだ思いを伝えてないんだから余計なことはしないで! って警告のつもりで二人を睨む。
「もう! 変なことばっかり言ってないで、仕事するよ!」
そして、これ以上この話題を掘り下げられないためにも、仕事を口実に動き出す。
この町を襲っていた脅威が去ったのなら、次に行われるのは町の復興作業になるだろう。内容は瓦礫の撤去とか、壊された建物の修復とか、主に力仕事が多くなるはずだ。
そうなると、動くのは主に男手。特に冒険者の人は積極的に駆り出されるだろう。そして、一日作業で疲れた冒険者の人たちは、『トスエル』のような飲食店で英気を養おうと考える人が多くなる。
私たちはそんな働き手の人たちを、食事でサポートすることが復興の一助になるはずだ。ついでに私たちの売り上げにも貢献してくれて、生活も助かる。これがお互いにとってベストの形だね。
「そんなに怒らなくてもいいんじゃない?」
「おら! テメェも突っ立ってねぇで、仕事しろ仕事!」
まあ、そんなことはいちいち説明するまでもなく、『ヘイト』に商売の知識をたたき込まれたお母さんたちもわかっている。
私の言葉にすぐさま反応し、玄関にいたままの『ヘイト』へ声をかけたのも、自然の流れだった。
「……? ヘイト? どうしたの?」
でも、『ヘイト』はいつまで経っても動こうとしない。
どこか困ったような笑みを浮かべて、その場に立ち尽くしたままだ。
「どうしたの、っていわれてもなぁ……」
私だけじゃなく、お母さんたちも『ヘイト』へ視線を送る中。
「唐突で悪いが、俺、今からすぐに、この町を出ることにしたから、仕事を手伝うことは出来ねぇんだよ」
『ヘイト』は、何の脈絡もなく、私たちに別れを告げた。
『…………え?』
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
あまりにも突然で、心構えができてなくて、考えたくもなかった、ことだったから。
「いま、なんて……?」
もしかしたら、私の聞き間違いだったかもしれない。
そんな淡い期待も込めて、もう一度、『ヘイト』の言葉を待った。
私自身、答えはもうわかっているからか、声は震えたままだった。
「これからすぐ、この町を発つ。今まで世話になったな」
町を、出る?
それも、今からすぐ?
「なんでっ!?」
やっぱり聞き間違いなんかじゃなくて、どうしても信じられなくて、『ヘイト』に詰め寄って『真意』を問いただす。
すると、返ってきたのは、私の力じゃ覆しようがない『現実』だった。
『ヘイト』が、実はイガルト王国から指名手配を受けそうになっているほど、危ない身の上であったこと。
それなのに、私たちを守るために化け物を倒してしまったことで、追っ手がレイトノルフにやってくるかもしれないこと。
それだけじゃなく、大量の化け物を一人で倒してしまったがために、凄い『スキル』を持った『ヘイト』が色んな人から狙われる可能性が高いこと。
『ヘイト』の予想はほぼ確実に当たると思っており、それらの問題がこの町に押し寄せてくるのは時間の問題で。町を脱出するには、化け物襲来の混乱が抜けきらない状態である今しかないこと。
そして、『ヘイト』はそれらの事情に私たちを巻き込みたくないと思ったからこそ、出て行く決心をしたということ。
『ヘイト』が矢継ぎ早に説明した話は、どれも荒唐無稽で、ともすればいつもの『屁理屈』なんじゃないかって、思った。……いや、思いたかった。
でも、これが『屁理屈』なんかじゃないことは、すぐにわかる。
だって、ずっと『ヘイト』は真剣な表情で、本当に時間がないと思わせるほど早口で、何より『屁理屈』を吐くような雰囲気なんて見せていなかった。
そもそも、『ヘイト』が『屁理屈』を吐くなら、こんなすぐに信じられない作り話みたいな内容じゃなくて、もっと私たちが受け入れやすい説明にするはず。
『ヘイト』の人柄を知っていて、『ヘイト』が口にした空想のような話だからこそ、逆に強烈なリアリティとなって、私に『冗談である可能性』を否定してくる。
それでも、『ヘイト』と離ればなれになるのが嫌で、つい『子ども』っぽい抵抗で引き留めようとしたけど、私が思いつくような問題を『ヘイト』が解決できないわけもなく、そのことごとくを崩される。
最後は『ヘイト』の優しさにつけ込んで、『私たち』の未来までもを引き合いに出したのに、すでに『ヘイト』の手によって全てを解決されてしまっていた後だった。
『トスエル』の経営難は、『経営者』がいなかったから。今までは『ヘイト』が代理として担っていたけど、今度からは教えを引き継いだ私にその役割を任すと、言ったんだ。
いつかこうなることも見越して、私たちに勉強を教えてくれていたとしたら、『ヘイト』はどれほどの未来を計算していたのかと、驚きを通り越して呆れてしまう。
私たちの別れは唐突だったのに、まるで仕組まれていたかのように周到に、反論の余地が残されていなかった。
「そ、れは……、でも、私、ヘイトみたいに、うまくやれる自信、ないし……」
それでも私は、最後まで抵抗をやめなかった。
口ではそういったけど、たぶん、今の私なら、『経営者』をすることは可能だ。
『ヘイト』に教えてもらったことを守れば、少なくとも前の『トスエル』のようにはしないと断言できる。
それでも、自信がないと口にしたのは、単なる私の『子どもの駄々』。
もしかしたら、優しい『ヘイト』はこう言えば、残ってくれるんじゃないかって、思ったんだ。
「それでもいいじゃねぇか」
だけど、それも無駄な足掻きでしかなかった。
「俺みたいにやる必要なんてねぇんだよ。お前にはお前のやり方がある。お前なりに上手くやっていけばいいんだ」
本当に『ヘイト』は、憎たらしいほど、出会った時から、変わらずに。
「それでも自分に自信が持てないなら、こう考えてみればいい。『『トスエル』を立て直した『俺』が教えた『知識』だから大丈夫』ってな。
お前がどれくらい『自分自身』を信用できねぇのかは知らねぇが、少なくとも『俺』は『信じている』んだろ? なら、『経営者』として必要な自信の根拠に『俺』を使え。それなら、少しは不安も薄れるんじゃねぇか?」
最後の最後は決まっていつも、私を気遣う優しさで溢れた言葉をくれて。
何気なく口にしているからこそ、『ヘイト』の真摯な思いなんだって気づかされて、私は何も、言い返せなくなってしまう。
こうなったら、私にはもう、『ヘイト』の意志を変えさせることなんて、出来ない。
わがままを言う『子ども』をあやすように、優しく頭を撫でてくれるけど、それが余計に別れは避けられないのだと理解させられて、辛くなる。
「……どうしても、行っちゃうんだね…………」
「ああ」
『ヘイト』とのお別れを受け入れなくちゃならないと悟り、『ヘイト』の顔を見れなくてうつむいてしまう。
理屈では無理矢理納得させられたけど、やっぱり感情は納得できなくて、声が震えてしまう。
覚悟が出来ていない時に告げられた別れの悲しみと、『ヘイト』が抱える問題に関わることさえ出来ない自分への情けなさや悔しさ。
それが全部混じって、涙となって流れようとした時。
『ヘイト』への一つの答えが、私の中に浮かんできた。
「わかった。なら、もうヘイトを止めない」
「そうか」
「でも、後ちょっとだけ、待ってて」
そう言い残し、私は一度自室へ戻って一枚の紙と炭筆を持ち、少しだけ文字を追加してから『ヘイト』へ差し出した。
「これにサインして欲しいの」
「サイン?」
それは、『ヘイト』に『トスエル』の借金を肩代わりしてもらってから私が書いた、『借用証書』。
いつか渡そうと思って書いていた、大切な『契約』の証。
「餞別にしちゃかなり仰々しいが、何だこりゃ?」
訝しげな『ヘイト』は受け取ってくれたものの、不審を隠さずに『借用証書』へ目を通した。
「見ての通り、『借用証書』だよ。ヘイトには『トスエル』の借金を返してもらったけど、本来あのお金は私たちが弁済すべきお金。それを、『ただの従業員』だったヘイトに返済してもらったままにして、行かせるわけにはいかないの」
「なんだ、そんなこと気にしてたのか?」
「気にするよ。だって、金貨が20枚だよ? 『トスエル』の経営規模じゃ、どれだけかかるかわからないほどの大金を、『そんなこと』で流していいはずないじゃない。
それに『商売は信用が命』なんでしょ? 与えた借りは必ず回収し、受けた借りは必ず返す。それが商売人として必要最低限な『信用』だって、ヘイトが教えてくれたことだよ?」
これは『屁理屈』じゃない。
どんな理屈であれ、『ただの従業員』だった『ヘイト』にお金を出させたままにしておくなんて、私個人としても、『トスエル』の『経営者』としても許されない。
「別にそんなもん必要ねぇだろ? 商会同士の貸し借りじゃあるまいし、大げさな……」
「ヘイトには必要なくても私には必要なの!!」
でも、それはあくまで建前の話。
本当の『真意』は、『経営者』なんて関係ない、『ヘイト』に恋した『子ども』のわがままだ。
「だって、このままヘイトが行っちゃったら、もう『トスエル』には戻ってこないかもしれないでしょ!? こんな形でヘイトとお別れしなきゃならないなんて、いきなりすぎて私は納得なんて出来ないよ!!」
非難するように、『ヘイト』が悪いって伝わるように、怒っていることがしっかりと伝わるように、『ヘイト』を思いっきり睨みつける。
すると、『ヘイト』もわずかに怯んだように背中が少し仰け反った。
「でも、ヘイトを引き留めることが悪いことだって気づいたから!! 私が何を言っても、ヘイトはどこかに行っちゃうってわかったから!! 私じゃ、ヘイトを助けることが出来ないんだって、思い知ったから!! 私には、見送ることしかできない!!」
同時に畳みかけるようにして、私の偽らざる『真意』を『ヘイト』へぶちまけた。
別れたくない。別れなきゃいけない。
助けてあげたい。助けてあげられない。
またもう一度会いたい。会えるかどうかなんてわからない。
「でも、代わりにこれにサインして、『約束』して欲しいの!!」
だから。
「いつか、ここで結んだ『借用証書』を果たしに、私たちのところに戻ってくるって!! これが、一生の別れなんかじゃないんだって!! 私たちがもらった分の、たくさんの『ありがとう』を伝えるチャンスをくれるって!!」
単なる『お金を返す約束』でしかなかった『借用証書』を、また絶対に会わなきゃいけない『屁理屈』として利用する。
「『契約』して!!」
無力な私には、それしか思いつかなかったし、できなかった。
それに、この『契約』は私が言い出した一方的なもの。本来『ヘイト』が受ける必要性は、全くない。
だけでなく、いつまで続くかわからない逃亡生活を続けながら、私が勝手に決めてしまった期限までに『トスエル』へ戻ってこなければいけなくなる。
それは、国家と敵対しているらしい『ヘイト』にとっては、とても難しいこと。『ヘイト』自身に降りかかるリスクを考えれば、二度とこの国に戻らない方がいいに決まっている。
断られる可能性が高いことは、わかっていた。
「…………」
たぶん、これが今生の別れになるだろうって思いが強くて、どうしても涙が抑えられない。
それでも、『ヘイト』から直接答えを聞くまで、目線だけは逸らさなかった。
「…………わかったよ」
すると、少しの間『借用証書』を見下ろしていた『ヘイト』は、呆れたようなため息をこぼして、『契約』に同意してくれた。
「本当っ!?」
「嘘吐いてどうする? ほら、さっさとそれ貸せ」
提案した自分でも信じられなくて聞き返しちゃったけど、苦笑しながらも炭筆で署名してくれる『ヘイト』に嬉しさがこみ上げてきた。
やっぱり『ヘイト』は、最後の最後は私の欲しい言葉をくれる。
そんな、ぶっきらぼうだけど、すっごく優しい『ヘイト』が、大好きだ!
「っつうか、もっとマシな契約書は書けなかったのか? これじゃあどら息子が寄越した契約書と大差ねぇぞ?」
「だ、だって、お母さんとも相談して作ったけど、私たち契約書の作り方なんて知らないし、身近な見本がミューカスさんの契約書しかなかったんだもん。本当はこれは下書きで、もっとちゃんとしたのを作ってから、ヘイトに書いてもらおうと思ってたのに」
「商売に必要な一通りの知識は教えただろうが。もちろん、契約書についても教えたはずだぞ? 今回の件に懲りたら、これからも勉強するこった。俺がいねぇからってサボんなよ?」
「ヘイトの基準で考えないでよ! ヘイトのスピードについて行くのって、すっごく大変なんだからね!?」
「署名しちまった後で今更だけど、契約内容は本当にこれで大丈夫なのか? どら息子の契約書とは違って利率はきちんと設定してるが、『不足分は金額に相当する物を差し出す』っつう項目はそのままだし、何より返済期限が『一年以内』じゃねぇか。
マジで期限内に払えんのか、これ?」
「だ、大丈夫だよ、……たぶん」
「考えなしかバカ野郎。もっと余裕を持った返済計画を立てろっつの」
「バカとは何よ!? そんなに心配されなくても、返済のアテくらいあるから大丈夫だもん!!」
ただし、署名と血判をしてくれた後にダメ出しがすっごい飛び出してきたけどね……。
勉強の時なんかは特に、『ヘイト』って容赦なかったからなぁ。
ほぼミューカスさんの『借用証書』を模しただけの『契約書』じゃ、『ヘイト』にとっては赤点だったらしい。
でも、これは『これ』でいいんだ。
「なら、期待して待ってるぜ? 期限日になって泣きを見ても知らねぇからな?」
なんだかんだと言いまくった後、『ヘイト』は『借用証書』を私に突き返して、小さく笑って言った。
『ヘイト』の旅は、話を聞くだけでも危険なものになる。そんな状況じゃ『借用証書』をいつまでも持っていられるとは限らない。だから、私が持っていた方が安全だと思ったんだろう。
少し挑発気味な表情と声音に、私も負けじと同じような笑みを浮かべて対抗し、『借用証書』を受け取った。
「そっちこそ。一年後になってから驚かないでよね?」
もう『契約』は結ばれたんだから。
次に会った時に、「やっぱなし」は通用しないんだからね?
「今までいろいろと、世話になった。またな」
「うん。またね」
『さよなら』じゃなくて、『また』。
『ヘイト』はあえて、そう言った。
『契約』は絶対に守るって、『ヘイト』なりの意思表示なんだろう。
口約束なんかにしない、って気持ちが伝わってきて、ますます嬉しくなった。
それからお母さんとお父さんにも声をかけ、『ヘイト』はすぐに店の外へ飛び出していった。
足音がだんだん遠くなり、すぐに聞こえなくなってしまう。
こうして、『ヘイト』は私たちの前から、いなくなった。
「いっちゃったわね、ヘイト君」
「うん……」
「よかったのか、シエナ? あのまま行かせちまって」
「いいの。『また』、会えるから」
私は『ヘイト』から手渡された『借用証書』を胸に抱き、涙を拭う。
『借用証書』がある限り、『ヘイト』とはいつか再会できるんだ。
それに、『借用証書』は再会を約束するためだけの物じゃない。
「でも、本当によかったの? 旅先で別の女の子と付き合っちゃうかもしれないし、さっきまでシエナちゃんも心配してたじゃない?」
「大丈夫。今さっき、その心配はなくなったから」
『?』
お母さんの別の意味で『ヘイト』を心配する声に、私は心から晴れ晴れとした気持ちで断言した。
二人とも不思議そうな顔をして首を傾げ、私の『真意』を測りかねているみたい。
まあ、二人は私と『ヘイト』が結んだ『借用証書』の中身を詳しく知らないから、わからないのも無理はない。
だから、お母さんたちにはこっそり『種明かし』をしてあげた。
「ヘイトとの会話だけど、覚えてる? この『借用証書』はミューカスさんが作った『契約書』を参考に作った、って言ってたでしょ? それで、内容の中に『不足分は金額に相当する物を差し出す』って文言があるんだ」
「ええ。私も少し手伝ったから、それは知ってるけど…………っ!? まさかシエナちゃん!?」
「は? それがどうしたんだ?」
あ、お母さんは気づいたみたい。さすがに、お母さんだったらこれだけ説明すればわかっちゃうか。
でも、お父さんの頭上には未だ『?』が飛び交ったままだ。仲間外れはかわいそうだし、仕方ないから全部説明してあげよう。
「実はこれ、『借用証書』を作る時に『わざと残した』一文なんだ」
「わざと? もしかして、金が足りなかった時の保険って意味か?」
「ううん、違うよ? そもそも私、『ヘイトにお金を返すつもりなんてない』もの」
「……はぁっ!?」
口にしてみたらあまりにもあんまりな台詞に自分でも苦笑していると、お父さんは大きく顎を開けて固まってしまった。
当然の反応かもしれないけど、私の『真意』を言葉にするなら、もっともわかりやすい説明なんだから仕方がない。
「じゃ、じゃあ何で『借用証書』作ってたんだよ!?」
「初めは、ヘイトとの再会を約束させるなんて意味合いじゃなくて、本当にお金の貸し借りを精算したかったから作ったんだよ? お父さんの言う通り、この一文だって単なる『保険』のつもりで書いてたんだし。
お父さんには相談してなかったけど、『トスエル』の経営権を含めた身の回りの物を、足りなかった分の返済に回せるようにと思って、お母さんとも残した方がいいって決めたんだ」
「だとしたら、何がどうなって金を返す気がないなんて考えになったんだよ!?」
「この一文、もっといい使い方があるでしょ? たとえば、『ミューカスさんが私たちに要求した物』みたいな、ね?」
「なっ!?」
そこまで説明して、ようやくお父さんも私の『真意』に気づいたらしい。
「つまりお前、ヘイトに金貨20枚の代わりとして、『自分』を差し出すっていいたいのか!?」
そう。
つまりこの『借用証書』は、『ヘイト』ともう一度会うため『だけ』のものじゃなくて。
『ヘイト』に私をもらってもらうための『婚約証書』でもあるんだ。
これなら、『ヘイト』がいくら女の子に言い寄られてたって私を『奥さん』にしてもらえるのはほぼ確実なんだし、万が一結婚してしまっていても正妻の座は時系列的に私が座ることになるだろう。他に女がいるのは気に入らないけど、『一番』は私なんだから、まだ妥協できる。
『女』としての見方だけじゃなく、『経営者』としての目からしても、この『契約』はメリットがある。『トスエル』からすれば、『金貨20枚』という巨額の経済損失を、考えられる限り最小限の労力でゼロにすることができるんだ。
まさに、一度で何度も美味しい、最善の手だと胸を張って言える。
「だ、だが本当に大丈夫なのか? 『不足分は金額に相当する物を差し出す』って、一応ヘイトの主観で決まるんだろ? シエナじゃ『金貨20枚』に足りねぇっつって拒否されたらどうするんだ?」
「それはないよ。だって、実際にミューカスさんとのやり取りで、ヘイトは自腹を切って『金貨20枚』を渡して、私を助けてくれたんだよ?
つまりそれって、ヘイトの価値観じゃ『私には少なくとも金貨20枚分の価値はある』って認識していいはず。だから、金額に足りないって主張されることはまずないよ」
「だとしても、そんな話は聞いてないからこの『借用証書』は無効だ! 何て言い出したらどうするつもりだ? 確か、イガルト王国の『契約』は『双方の同意』を得ちゃいない『契約』は無効にできるんだろ?」
「それもないんじゃないかな? 確かに、お父さんが言うような主張をすれば、ヘイトは私の主張する『借用証書』の効力を拒否することができるかもしれない。でも、そうしたら今度は私が『契約違反』で処罰される可能性が高くなるでしょ?
何せ、結果としてヘイトを騙して『契約』を結んだことになるんだし、そもそも『借り主』は最初からお金を払う気がなかったんだから、イガルト王国の法律に則れば、私は完全に『詐欺罪』に問われることになる。
他国よりも『契約』を重要視するイガルト王国において『詐欺罪』はかなりの重罪。よくて奴隷堕ち、最悪の場合死刑に処される可能性がある。そんな知識を教えてくれたのはヘイトだったから、もちろんそのことはヘイトだって知っているはず。
その上で、ヘイトが私を見殺しにしてまで『私』の受け取りを拒否し、告発する可能性は低いと思う。
だって、ヘイトって経営が傾いていた『トスエル』や私たちを助けるために、ずっとがんばってくれたくらい『優しい』でしょ? ドラゴンが襲ってきた今回だって、私たちを守ろうと必死になって動いてくれたし、最後は折れてくれるんじゃないかな。
未来の話だから確実じゃないし、希望的観測も含まれているけど、大丈夫だと思ってるよ。そうでなくても、一度ヘイトに助けてもらった人生だから、私の命運をヘイトに決めてもらうんだったら、どんな結果になっても覚悟はできてるしね」
「危なすぎるだろうが! だったらどうして『一年以内』なんて期限にしたんだ!? もしヘイトが拒否してもいいように、『金貨20枚』を用意できる期間に設定すればよかっただろうが!?」
「何言ってるのよ!? あんまり時間が経ちすぎると、借金は何とかなっても今度は私が行き遅れちゃうじゃない! ただでさえこの年齢でも周りから色々せっつかれるのに、『金貨20枚』を稼ぐくらい何年も独り身のままだったら、結婚そのものができなくなっちゃうでしょ!!
それに、あんまり時間が経ちすぎるとヘイトが私との『契約』を忘れちゃうかもしれないし、下手をしたら私のことを忘れてるかもしれないでしょ? だから、咄嗟に決めた『一年』でも結構ギリギリだと思って設定したんだよ? 主に私の賞味期限的に!」
そこまで説明すると、今度こそ開いた口がふさがらないのか、お父さんは言葉を失って立ち尽くしてしまった。
私だって色々考えた末の決断なんだから、親とはいえあまり口出しされるのは愉快なことじゃない。むしろ、あの短い間にこれだけの『屁理屈』で固めた妙案を思いついた、私の発想力をほめて欲しい。
……鈍いお父さんじゃ無理か。さっきから私がヘイトにフられる前提で話していたし。特に突っ込まなかったけど、正直さっきからずっとイライラしている。もう少し応援する気持ちを見せてくれてもいいのに。
「とにかく! 今さら騒いでも、もう私とヘイトの間で署名は交わされたんだから、この『借用証書』が法的に有効な『契約』なのは覆しようのない事実なの! 後はヘイトが決めることだから、お父さんは関係ないでしょ!」
あまり賛成してくれる様子のないお父さんに嫌気がさし、私はべぇー! と舌を出してぷいっ! っと顔を背けた。
そして、『ヘイト』との絆が確かに残っていることを確認するために、『借用証書』を改めて広げ、『ヘイト』の案外綺麗な自筆の署名を見つめた。
(騙しちゃって、ごめんね。でも、私だって『商人の端くれ』として、目的のために自分のトラウマも利用したし、『ヘイト』と良好な関係を築くために『ヘイト』の『弱み』になりそうな条件を作った。
私はちゃんと、心から『信じて』いる『ヘイト』が教えてくれた『知識』を使って、『私なりに』上手くやったつもりだよ。だから、またもう一度会う時がきたら、『ヘイト』も『契約』の答えを聞かせてね?)
『想い人』をずっと見てきて、どうやらほんのちょっぴり『大人』の『意地悪さ』が移っていたらしい。
でも、私の今年の目標は、『大人になる』こと。『大人』の隣にいるんだったら、これくらいの『狡さ』は必要だよね?
ずっと近くで『大人』のやり方を学んできて、これからも『大人』を目標にがんばって、『大人の女』に成長してみせる。
だから、それまで私との『契約』を覚えてないと、許さないんだから!
「あらあら、いつの間にかとってもたくましくなってたのねぇ、シエナちゃん。それにしても、恋愛に関してはティタネスさんに似たのねぇ。あんなに情熱的なアプローチを仕掛けるなんて、毎日のように愛を叫んでくれたティタネスさんにそっくり」
「……そうか? 俺はミルダにそっくりだと思うがな。特に、一目見ただけじゃわからない愛情表現なんて、瓜二つだぞ。当時はミルダからずっと邪険に扱われて、心が折れかけてたなぁ。あれが照れ隠しだって知ったの、結婚してからだったんだぞ……」
私の後ろ姿からお母さんとお父さんが昔を懐かしんでいるとも知らず、私は旅立っていった『想い人』に笑みを送った。
気づかないまま再会を果たし、『借用証書』のもう一つの意味に驚くだろう、一年後の姿を想像して。
『ヘイト』が『私』をもらってくれるその時を待ち続けるのだった。
……いつから看板娘ちゃんを『メインヒロイン純情派』だと勘違いしていた?
残念だったな! 最終的な仕上がりは『小悪魔ヒロイン謀略派』なんだよ!
いたっ!? あ、すんませっ! 石は、石は勘弁して下さいぃ~っ!!
~~しばらくお待ちください~~
え~、というわけで、看板娘ちゃんが見事、三章のオチをかましてくれました。時間がかかりましたけど、初期構想通りに話を進められてよかったです。
感想欄に『看板娘ちゃん=メインヒロイン』というご意見がちらほらと見受けられる度に、「あ、やべ、初期のキャラ位置間違えたか?」と何度も思いました。
言い訳をさせていただけるのなら、この展開はほぼほぼヘイト君が原因です。『大人』の解釈をヘイト君にゆだねてしまった結果、看板娘ちゃんは汚れてしまったのです。この作品の悪い部分は、大体ヘイト君が悪いです。作者が断言します。
ですがまぁ、これも一種のギャップ萌えですよね! 作者だけはそう信じましょう、うん!
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名前:シエナ
LV:15
種族:イガルト人
適正職業:接客業
状態:健常
生命力:120/120
魔力:80/80
筋力:16
耐久力:10
知力:10
俊敏:13
運:55
保有スキル
《人心掌握LV1》《高速演算LV1》《記憶支配LV1》
「運送LV2」「斧技LV1」
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