91.6話 『大人』と『子ども』
『ヘイト』に私の気持ちをぶつけてから時間がたち、三月に突入した。
気温はまだ低いけど、徐々に冬が終わりそうな兆しが見え始め、つられて客足もまた少しずつ伸びていた。
それに、ミューカスさんが仕掛けてきていたいだろう嫌がらせも、あの日からピタリと止んでいる。やっぱり、『ヘイト』が何かしらの無茶をしたみたい。
お店としては助かるけど、私としてはやっぱり『危険なこと』はやめて欲しい。
そんな気持ちに突き動かされ、あの日から私は、今まで以上に『ヘイト』をよく見るようになった。
口ではああ言ってたけど、『ヘイト』のことだからまた何かあれば、『屁理屈』をコネて無茶をするに違いない。
そんな確信があったから、私に隠れて『危険なこと』をしないよう、監視する意味合いが強かった。
「ヘイト、なんか最近、体調悪かったりする?」
だからだろう。
ほとんど変わらない、わずかな『ヘイト』の異変に気づけたのは。
最初は、ん? って思う程度の引っかかりでしかなかった。
お客さんが宿泊する部屋で、布団にかぶせたシーツについた皺の癖が変わった、っていうくらいの微妙な違和感。
明確にこれ、っていえることはないんだけど、どうにも落ち着かない感じがしたんだ。
一度気づけば、違和感は疑問となり、疑問は不審に変わる。
そして、今日もまた、その兆候を見つけることができた。
今はお昼時だから、お客さんもたくさんいる。私はもちろん、『ヘイト』もお母さんも忙しそうに走り回ってる最中だ。
だからこそ、私は前触れもなく、『ヘイト』に声をかけた。
「いや? いきなりどうした?」
唐突な私の問いかけに、しかし『ヘイト』は意味が分からない、という顔と声を返してきた。
前までなら、『ヘイト』の反応を疑いもせず、私の勘違いだったんだって自分を納得させてたんだろう。
でも、一瞬だけ、『ヘイト』の指先が不自然に動いたのを見逃さなかった。
やっぱり。
私の中の不審は、これで確信に変わった。
「……ううん。ヘイトがそういうなら、いいんだけど」
かといって、今はそれを追求する時間じゃない。それに、今もお客さんがたくさんいる満席状態で、のんびりお話なんてできるはずがない。
だからあえて、私が『ヘイト』の変化に気づいていると思わせるような言葉を残した。
自分の仕事に戻ってからは、自然を装って『ヘイト』の様子を観察する。私がかけた『揺さぶり』に、どんな反応を示すのかを確認するためだ。
結果、ほんのわずかだけど、仕事中の『ヘイト』の動きが止まる時があった。表情や態度は全く変わらなかったけど、目の前のことじゃない『何か』を考えているようにも見える。
じっと観察して気づいたけど、『屁理屈』を組み立てるのと同じくらい『真意』を隠すのが上手な『ヘイト』は、絶対にわかりやすく動揺したりしない。
これまでもそれとなく、『ヘイト』に感じる違和感の正体を会話から引き出そうとしたけど、やっぱり『普通』と変わらなかった。
その代わり、『ヘイト』は『見られていない』と思っているところで、とっても些細なサインを出す。
行動の中にある一瞬の『間』だったり、不意に痙攣みたいに動く『指先』だったり、短く切るような不自然な『呼吸』だったり。
誰もが見逃してしまいそうな部分で、『ヘイト』は『普通』とは違う行動をとっていた。
たぶん、私たちに何かを隠そうとしている、んだと思う。
面接の内容から、『ヘイト』が自分のことを秘密にしたがっている雰囲気は察していたけど、それとはまた違う気がする。
隠すというより、悩んでる?
まるで、答えが出ない問題についてずっと考えて、迷っているような?
根拠はないけど、そう思った。
「条件が満たされました。スキル《人心掌握LV1》を取得します。なお、『接待』は《人心掌握》に結合されました」
すると、スキルの取得を知らせる声が、頭の中で響いてきた。
これっていつも突然だから、毎回ビクッ! としちゃう。
というか、《人心掌握》って。こんな名前からして凄そうなスキルを、なんで私が取得できたんだろうか?
「……ん?」
それと同時、今度は『ヘイト』の動きが明らかに止まった。
もしかして、ずっと見てることに気づかれたのかな?
うわ、どうしよう! 言い訳とか咄嗟に思いつかない!
「これは……」
「ヘイト?」
最初はそう思ってドキドキしてたんだけど、どうにも様子がおかしい。
たまらず声をかけた私を無視して、なぜか目を閉じ俯いてしまった。
「…………ちっ」
そして、『ヘイト』は一秒も経たない内に眉間に皺を寄せ、強い舌打ちを鳴らした。
怒気がかろうじてわかるくらいの無表情に近いのに、私は『ヘイト』を怒らせた新年会の時よりも、怖く感じた。
かける言葉を失ってしまった、すぐ後。
ガンガンガンガン!!
「えっ? えっ!?」
屋内にいても響き渡るほどの、大きくて耳障りな鐘の音が連続して駆けめぐった。
「何だ、このうるせぇ音は!?」
「この音、まさか緊急事態で鳴らされる鐘の音……?」
びっくりしたのは私だけじゃなかった。お父さんは厨房から顔を出して辺りを見回し、お母さんは立ち止まって不安そうな顔をしている。
お昼を楽しんでいたお客さんである冒険者の人たちも、お母さんみたいに戸惑いを隠せない。
「い、いったい何が……」
明らかな異常事態を察して、何か知っていそうだった『ヘイト』に近づこうとした、その時。
「ガアアアアアアアアアアッ!!」
『ひっ……!?!?』
さっきの鐘の音なんか気にならないくらいの、おぞましい咆哮が耳に突き刺さってきた。
なに……?
何が起こっているの?
すでに頭の中は大混乱で、言葉にならない不安でいっぱいだった。
「あっ、ヘイト!?」
誰もが動けなくなった中で、すぐに行動に移したのは『ヘイト』だった。
正体不明の不気味な声を聞いた瞬間、弾かれたように玄関の扉を強引に開け放ち、外へと飛び出していく。ますます心細くなった私は、ほとんど反射的に『ヘイト』の後を追いかけていた。
そして、無言で空を見上げていた『ヘイト』の視線を追って、それを見た。
「…………ひっ!?!?」
まず目に飛び込んできたのは、鳥よりも大きく羽毛のない翼と、コウモリのように血管の浮き出た不気味な皮膜。
腕と一体となった翼の根本には、緑色の鱗を鎧のように纏った胴体があり。翼と交差した首と尾は細長く、なのに頼りなさなど微塵もない巨大さだとわかる。
何より、一瞬で通り過ぎた、それの顔が……、
おじいちゃんとおばあちゃんを殺した魔物のことを、鮮明に、強烈に、嫌というほど、私に想起させてきたんだ。
「ガアアアアアアアアアアッ!!」
レイトノルフ上空を陣取り支配した化け物は、私たちを見下ろしながら力強く吼えた。
まるで、イガルト王国の王都をめちゃくちゃにした、化け物たちみたいに…………。
「あ、あぁぁ……っ」
蘇る。
恐怖が。
涙が。
絶望が。
ようやく、忘れられると、思ったのに…………、
全部、ぜんぶっ、あのときに、もどっていく……っ!!
「ちっ、戻るぞ!」
どこか遠いところから『ヘイト』の声が聞こえて、腕が引っ張られた気がした。
でも、動けない。
身体が固まって、動いてくれない。
「っ、頑固オヤジ! 手伝え!!」
焦ったような『ヘイト』の声を、どこか他人事のように感じながら、さっきよりも強い力で引っ張られた。
瞬間、化け物の声が、少しだけ、遠くなる。
でも、見た。
化け物は、もうすぐそこにいる。
建物の中にいたって、気休めにもならない。
……殺される。
逃げないと、殺される、っ!
『あの日』と同じように……っ!!
みんな……、
みんな…………っ!!!!
「頑固オヤジ! ママさんにも寄り添ってやれ!」
目の前が真っ暗になり、意識が全部『過去』に囚われそうになった時。
『ヘイト』の声が、聞こえた。
「決まってんだろ。お前らは店の中にいろよ。これは命令だ」
顔を上げると、『ヘイト』は怖い雰囲気を醸し出す無表情のまま、玄関の扉に手をかけようとしていた。
まさか、一人で外へ!?
「っ! ダメッ!!」
「シエナっ!!」
気がつくと、恐怖で竦んで動けなかった身体が、弾かれたように飛び出していた。後ろからお父さんが制止する声が聞こえたけど、気にしていられない。
無我夢中で床を蹴り、私たちに背を向けていた『ヘイト』の体に、思いっきりしがみついた。
「行っちゃダメ! あんなのと戦うなんて無謀だよ! あの時、私に言ったよね!? 無茶しないって! 自分のことを大切にするって! 勝手にいなくならないって! そう言ってたよね!?
だったら、約束したことくらい、守ってよ!! そもそもっ! あんなの相手じゃ、建物の中にいたくらいじゃ、意味ないじゃない! 私たちも、冒険者の人たちみたいに逃げようよ!!」
それまでの会話は聞こえてなかったけど、『ヘイト』の言動ですぐにわかった。
あの化け物と、戦おうとしてるって。
その姿が、私たちを案じ、生かそうとしたおじいちゃんとおばあちゃんの『最期』に、どうしても重なってしまう。
ここで『ヘイト』を行かせたら、また、大切な人を失ってしまう。
私は、必死に懇願した。
「俺にはお前らに言ってなかった『スキル』がある。それを使えば、俺に敵う奴はいねぇ。ドラゴンだろうがなんだろうが、鼻歌交じりに殺してやれるし、お前らを確実に守ってやれる」
でも、『ヘイト』の意志は変えられなかった。
化け物程度ならば勝てると、約束を破るつもりはないと、今から逃げても無駄だと、すべて反発されてしまった。
「だから、……俺を信じろ」
それでも、引き留める言葉を探している時に、『ヘイト』は笑った。
いつも感情を変えなくて、お客さんを相手にする時だけに見せる作り笑いじゃない、初めて見る『ヘイト』の笑み。
大胆不敵で、頼もしくて、自信に満ちていて、さっきの言葉が『屁理屈』じゃないってことを何よりも教えてくれる、そんな笑み。
……あぁ、
そんな顔を、されちゃったら、
『ヘイト』を否定することなんて、できない…………。
「……本当?」
「ああ」
「本当に本当?」
「俺が嘘を吐いたこと、あったか?」
「…………さっきも、私との約束、屁理屈で誤魔化そうとしたくせに」
「屁理屈じゃねぇよ。事実を言ってただけだ」
説得しても無駄だとわかっても、やっぱり危ないことをして欲しくなくて、少しでも行かせまいと時間を稼ごうとする自分がいる。
それに、私が怖いのは、『想い人』を失うことだけじゃなかった。
「じゃあ、私も連れてって!」
「はぁ?」
それは、ほとんど無意識に出てきた言葉だった。
当然『ヘイト』は、意味が分からないと表情や声音で難色を示す。
「たとえ! ヘイトが私たちに嘘を吐いてて、戦う力なんてなかったとしても!」
口にした私も驚きだったが、一度表に出た『思い』は止まらなかった。
「このままヘイトを行かせて、ヘイトだけを一人ぼっちにさせたまま死んじゃうことになったら! そんなの、寂しすぎるし、可哀想すぎるよ!!」
だって、意識しないで出てきた言葉は。
「今までの言葉が全部、ヘイトのはったりでもいい! みんな助からなくて、私たちが死んじゃってもいい! 本当は私たちを見捨てて逃げるための大嘘だったとしても、一向に構わない!」
私の中にくすぶってきた、嘘偽らざる『真意』。
「それに、ヘイトが強いとか、魔物を簡単に倒せるとか、私たちを守ってくれるとか、そんなことはどうだっていいの!!」
『ヘイト』と出会って、一緒の時間を過ごして、恋をして。
「私が、私が本当にして欲しいのはっ!!」
ずっと『ヘイト』を見てきたからこそ気づいた、目を逸らせなくて、忘れられなくて、消えなかった、心からの『恐怖』。
「もうこれ以上、自分から独りになろうとしないで!!」
『他人』を拒絶する『想い人』が、まるで『死のうとしている』ようにしか見えない、ということ。
もしかしたら、これが最後の言葉になっちゃうかもしれないと、思ったから。
今まで聞けなかった、私の一番の『恐怖』を、『ヘイト』にぶつけた。
「それがどうした?」って、肯定されるのが怖くて。
「お前の勘違いだろ?」って、誤魔化されるのが嫌で。
「お前には関係ない」って、突き放されるのが不安で。
何より、私が傷つきたくなくて言えなかった、私の『幼さ』が、どうしても許せなくなって。
『ヘイト』に、思いっきり、ぶつけたんだ。
だって。
『嫌われてもいい優しさ』を私に教えてくれた『想い人』の横に。
『嫌われるのを怖がる臆病者』なんて、相応しくないから。
だから、私は……、
『大人』のようになるために、
『大人』の近くに居続けるために、
『子ども』を捨てて、『大人』に立つって決めたんだ!
「……お願い。一緒に、いさせて? 私は、最後まで、ヘイトの味方だから。独りになんて、させないから。私を、つれてって……」
「…………」
だけど、やっぱり最後までは、うまくいかなくて。
私を独りにしないで欲しい、っていう『子ども』が表に出てきてしまう。
足手纏いなのはわかってる。
拒絶されるのだって目に見えている。
それでも、最後になるかもしれない時間は、一緒にいたかった。
それくらい、好きになった、人だから。
「…………わかったよ」
そうしたら。
『ヘイト』は、今までそうだったみたいに。
「ただし、一緒に行動する時は絶対に俺の指示には従うこと。これだけは守ると誓え」
最後の最後で、私の一番欲しい言葉を、くれた。
「……うんっ!!」
少し、吹っ切れたような顔に見えた『ヘイト』に、私は力強く頷いた。
非常事態は変わらないのに、ゆるんでいく頬を止められない。
だって、何だか私が『ヘイト』に認められたみたいで。
『子ども』じゃないって、言ってくれたみたいで。
嬉しくなった。
この『真意』は。
『屁理屈』なんかじゃ、隠せそうもない。
「すぐに戻る。行くぞ、看板娘」
「わかった!」
その後、お父さんとお母さんからも許しをもらい、私たちは戦場となっているはずのレイトノルフへ飛び出していった。
「帰ってきたら、たっぷり仕込みをやらせてやるからな!」
「ちょっとくらい遅れても、大丈夫だからね~?」
二人の見送りの言葉に、『ヘイト』が転びそうになっていたところは、見なかったことにしよう。
「まずは冒険者協会に行く。もしかしたら、なんか動きがあったかもしれねぇからな。極力でいい、俺から離れんなよ」
「うん!」
『ヘイト』が開け放った扉を閉め、先に走り出していた背中を追う。
ステータス差のおかげですぐに追いつき、同時にやはり不安に思う。
こう言っては何だけど、私のステータスは一般人とほとんど変わらない。戦闘を生業にする冒険者とか、元冒険者だったお父さんと比べても、はるかにか弱い存在だ。
そんな私なんかよりも、『ヘイト』のステータスは低い。『普通』のステータスの男の子が相手だったら、先に走っている状態からこうも簡単に追いつけることなんてできない。
つまり、『ヘイト』が教えてくれたステータスは、そう間違いじゃなかったってこと。『ヘイト』の身体能力は、一般人よりもずっと低いことは事実なんだ。
そんな、ハンデと呼ぶには過酷な枷をつけられていても、この『悪夢』を覆せる『スキル』なんて、本当に存在するんだろうか?
(……ん?)
『ヘイト』のいう『力』について考えていると、不意に『ヘイト』は地面に転がっていた建物の残骸を拾った。
すでに化け物が暴れたせいか、町のところどころは崩壊しており、通りに破壊された木材が散らばっている。『ヘイト』が拾ったのは、その一部だ。
「ガアアアアアッ!!」
「っ……!」
『きゃあああああっ!?!?』
『ヘイト』の行動に不思議に思う暇もなく、またしても上がる化け物の鳴き声。私は『ヘイト』と一緒だから何とか我慢できるけど、他の人たちは混乱したように悲鳴を上げている。
「うわあああああっ!?」
「助けてくれぇ!!」
「逃げろ! 逃げろぉ!!」
それも、『ヘイト』の後ろをついて行くにつれ、町の人の『恐怖』がどんどん色濃くなっていく。
大通りに出てからは、すれ違う人みんな、『あの日』の王都で逃げ惑う人と同じ顔をしていた。
必死の形相で、迫る脅威から遠ざかるためだけに、ただひたすら逃げていく。
『あの日』、お父さんやお母さんや私も、この人たちの中にいたんだ。
今は化け物を倒そうとする『ヘイト』と一緒で、足の向ける先は逆になっている。
だからこそ、『過去の私たち』を客観的に見ることになり、『あの日』の『恐怖』や『絶望』が、強く、激しく、瞬く間に、私の全身に蘇ってくる。
油断すれば、私の体も彼らと同じ流れに従い、すぐにでもこの場から逃げ出そうとしていた。
でも、そうしないでいられるのは、私には『ヘイト』がいるから。
『ヘイト』が『私を守る』って、言ってくれたから。
どんなに怖くて、恐ろしくて、逃げ出したくても。
きっと、『ヘイト』が『守ってくれる』って、信じてるから。
私は、『過去』と、向き合える。
「あっ! ヘイト、あれっ!!」
自らのトラウマを振り払いながら『ヘイト』について行った先、私は思わず声を上げて指さしていた。
あまり近寄ったことのなかった冒険者協会の建物は、もうすでにボロボロになっていたからだ。
よく見ると、壊れた残骸の中で女性が一人立ち竦んでいて、空を仰ぎ見ている。
反射的に女性の視線を追うと、そこには化け物が息を思いっきり吸い込み、今にも何かしそうな様子なのが分かった。
全身を鋭い悪寒が走り抜ける。
このままじゃ、私たちも……っ!!
「させっかよぉ!!」
明確な『死』の気配に包まれた私だったが、『ヘイト』がすべて振り払ってくれた。
正直、何をしたのかはよくわからなかった。
でも、事実だけを語るとするならば。
『ヘイト』は途中で拾った家の残骸を、『ヘイト』じゃあり得ない距離まで投げ飛ばして。
でもそれは、化け物がいない見当違いな方向に投げられていて。
化け物はそのまま、『何か』を吐き出すように咆哮を上げて。
途中で『別の何か』にぶつかって、消えた。
「…………ぇ?」
「な、なに、あれ?」
戦いに詳しくない私には、何が起こっているのか全くわからない。
化け物が放った『何か』は見づらく、風景が歪んでいるからかろうじてわかる。それが、『別の何か』に当たって途中でぱったりと途切れていた。
歪みは広がろうと勢いを増すけど、『別の何か』を越えることは出来ていない。私には理解できないせめぎ合いが起こっているのだけは、確かだった。
「っぐ! ……らあっ!」
「ガアッ……」
目の前の光景に呆然としていると、『ヘイト』が苦しそうな声を上げ、同時に化け物も根負けしたように吐き出し続けた『何か』を止めた。
ここでようやく、『ヘイト』が私たちを守るために何かしていたのだと、気づいた。
「た、たすかった、の?」
状況から何も変わっていないことを知りつつ、それでも呟いたのは生きている実感を確かめるためだったんだろう。
「……いや、まだだ!」
でも、まだ化け物はレイトノルフにいて、都市崩壊の危機は去っていない。
誰かが空を指さし叫ぶと、今度は私たちへ『何か』をした化け物とは別の化け物たちも、一斉に息を吸い込み始めた。
再び、私たちの胸に絶望の火が広がる。
さっきは『ヘイト』が何とかしてくれたから助かったが、今度は化け物四体が広範囲に町を襲おうとしている。
しかも、さっき『ヘイト』は一体の相手だけでも精一杯な声を上げていた。それなのに、対処しなきゃならない相手が一気に四倍になって、それも距離が離れすぎている。
いくら『ヘイト』でも、今度こそ、ダメかもしれない。
「広がれ!」
『ガアアアアアアアアアッ!!』
「うわあああああっ!? …………あ?」
「きゃあああああっ!! …………え?」
そう思った私の弱音は、またしても不可解な出来事によって否定された。
化け物たちの口から放たれた『何か』は、さっきの光景を再現したように途中で消えていった。
タイミング良く放たれた三体分の『何か』は、恐らく『ヘイト』のかけ声と同時に生まれた『別の何か』に阻まれ、私たちへ届くことはない。
二度目になる光景を前に私たちは言葉を失い、初めて見ただろうレイトノルフの人たちは呆然とするばかり。
「…………ぐうぅ!!」
するとまた、『ヘイト』から苦しそうな声が聞こえてきた。
それも、さっきよりも漏れた声音が強い。町一つを守るために必要な負担だ。化け物一体分のそれと比べれば、負荷が大きいことは何となく察することが出来る。
でも、ここで起きている出来事を少しも理解していない私には、何も出来ない。
この戦場の中において、私は絶対的な部外者でしかなかった。
「ガアアアアアッ!!」
少し遅れて化け物の咆哮が響き、はっとなって頭上を振り仰ぐ。
さっきは冒険者協会を狙っていた化け物が、今度はこちらを向いていた。
もしかして、自分の攻撃を妨害したのが、『ヘイト』だって気づいた?
「づっ……!!」
すぐにそのことを『ヘイト』に伝えようとしたけど、同時に苦痛に堪える声が聞こえてきて、出かけた言葉が飲み込まれてしまった。
せめて、危ないってことだけでも伝えないと。
かなり焦って近づこうとした私だったが、よく見ると『ヘイト』は、笑っていた。
「ガ、アッ!?」
直後、頭上の化け物が戸惑ったように声質を変えた。
「ガアアッ!?!?」
だけでなく、声と同時に首の向きを大きく変更した化け物は、口から吐き出していた『何か』をそちらへ放出した。
『ヘイト』の代わりに『何か』を受けたのは、比較的近くにいた別の化け物。突然のことで避けることも出来なかった化け物は、あっさりと足に『何か』を食らって苦しみだした。
「ガアアアアアッ!!」
「ガ、ガアアアッ!?」
当然のように怒り出す化け物と、自分からやっておきながら困惑している化け物。
これだけ見ると、魔物も人間らしいところがあるんだな、と場違いなことを考えてしまう。
そして、戸惑っている化け物は態度とは裏腹に、翼を大きくはためかせて自分が怪我をさせた化け物へと飛んで行ってしまった。
「ガアアアッ!! ッ!? ガ、ガアアアッ!?」
「ガアアアアッ!?」
『ガアアアアアアアアアッ!?!?』
すると、怪我をした化け物も混乱している化け物と同じように方向を変え、別の化け物たちへと飛んでいってしまう。
そして、化け物同士がそのまま空中でぶつかり、仲間割れのような行動を見せたかと思うと、次の瞬間に仲良く一緒に空高くへ飛んで行ってしまった。
この間、十分も経っていない。
……もう、何が何だかわからない。
「……現実が理解を超えすぎてて、わけわかんないんだけど…………」
「そりゃあよかった。無知が既知になったんだ。また一つ、賢くなったな」
今の素直な気持ちが声に出ると、ものすごく適当な『ヘイト』の言葉が聞こえてきて、ようやく我に返る。
視線を空から『ヘイト』へ戻すと、すでにどこかへ向かおうと私に背を向けて歩き出していたところだった。
「あ! ちょっと待って!」
置いて行かれないように後を追い、化け物の姿で心細くなっていたのか、無意識に『ヘイト』に触れようと手を伸ばした時。
「今の俺に触るな」
「えっ?」
まるで後ろに目があるかのようなタイミングで、『ヘイト』は低い声で私の接触を拒んだ。
初めて向けられた明確な拒絶に躊躇い、すぐに手の動きが止まる。
余計なことを言って嫌われてしまった? と一瞬思ったけど、特別不快にさせるようなことは言っていないし、していないはずだ。
それに、言い方がどこか、『大変なことになるから』触るな、っていう感じがした。
心細さで『ヘイト』に触れたい欲求は収まらなかったけど、意味のないことを『ヘイト』が言うはずがないと思い直し、ぐっと我慢した。
「おいアンタ」
「…………え?」
それから『ヘイト』がしたのは、戦況の確認だった。
潰された冒険者協会で生き残っていた職員さんに話を聞き、これからどうすればいいのかを考えたかったらしい。
「せ、せきにんしゃぁ~っ!! でてこぉ~いぃ!!」
でも、その途中で招かれざる人物が乱入してくる。ミューカスさんだ。
『トスエル』でやられた色々は忘れたくても忘れられない。顔を合わせて絡まれるのが嫌で、私は『ヘイト』を盾にするようにミューカスさんの視界から逃げた。
「ひぃ! ふひぃ!! わ、わたしがやとった、ぼうけんしゃの、ご、ごえいどもが、いなくなったんだぁ!! たいきんをわたして、はたらかせてやったというのに、はなしがちがうではないかぁ!!」
全力疾走してきたからか、息が切れ切れで何を言っているのかわかりづらかったけど、相変わらず上から目線の自己中な性格に、『ヘイト』の陰で嫌悪感を隠せない。
私は危うくこんな男の妻になるところだったのかと、恋愛感情を抜きにして『ヘイト』と出会えた幸運に改めて感謝したくらいだ。
そんなミューカスさんに、『ヘイト』はすっごい冷たい態度を取っていた。『ヘイト』からしても邪魔な登場だったらしく、『トスエル』から追い出した時以上に口が悪かった。
「ええい、きさまぁ!! きいているのかぁ!?」
最終的には存在を無視し、用事がある冒険者協会の職員さんの方へと近づいていった。私も『ヘイト』の動きにあわせて移動し、ミューカスさんから逃げる。
すると、無視を決め込んだ『ヘイト』に怒ったミューカスさんが、『ヘイト』に近づいてきた。
そして、『ヘイト』が私に『触れるな』と忠告した意味を知る。
「へ? は? ひ、ひやああああああああああっ!?!?」
『ひっ!?』
ミューカスさんが『ヘイト』の胸ぐらをつかもうと右手を伸ばし、『ヘイト』の体に触れた瞬間。
ミューカスさんの手が、消えたのだ。
最初、『ヘイト』の体に手が沈んだのかと思ったくらい、自然に。『ヘイト』に触れた腕は、その分だけ元から存在していなかったかのように、削られてしまった。
あまりに非現実でありながら、しかしはっきりと人の断面を直視してしまったことで、喉から悲鳴が出そうになる。
同時に、『ヘイト』はああなることをわかっていたから、不用意に触れようとした私を叱ったんだと理解した。
その後も、『ヘイト』はミューカスさんに酷かった。
腕を失った痛みで絶叫するミューカスさんの動きを、言葉だけで強制的に変えさせていた。具体的には、叫んでいたのを黙らせ、意味があるのかないのか壊れた家の建材を食べさせていた。
人にやらせる行為ではなかったけど、ミューカスさんが元々レイトノルフの住人に酷いことをしてきた人だと考えると、全く助けたいと思えない。人柄って大事だと、この時身に沁みて思った。
これが、『ヘイト』の言っていた、『スキル』の力、なんだろう。
だとしたら、化け物相手に倒せると断言したのも、納得できてしまう。
ミューカスさんの乱入が片づくと、『ヘイト』は改めて職員さんと向かい合い、話をしていた。でも、わかったことは少なくて、すぐに職員さんの言葉は止まる。
どうやら、あの化け物はまだまだたくさんいて、今もこの町を標的に移動してきているらしい。
横で聞いていて青ざめたが、『ヘイト』はぜんぜん動じておらず、むしろ確認事項のように職員さんの話を聞いていた。
化け物が四体だけじゃなかった、ってこともわかっていたんだろうか? だとしたら、『ヘイト』の『スキル』って、一体何なんだろう?
秘密主義な『ヘイト』が教えてくれないことはわかっているけど、正直、あまりの得体の知れなさに不気味さを感じてしまう。
『ヘイト』の人となりを知らなかったら、私も周りで一連の流れを見ていた人たちみたいに、『ヘイト』を怖がっていたんだろうか?
そう考えて、私は『ヘイト』が秘密主義になった理由がわかった気がした。
『ヘイト』の『スキル』は、誰がどう見ても『普通じゃない』力。
すっごく強力で、だけど性質が全くわからない、気味の悪い力だ。
そんなものを考えなしに使ってしまえば、周囲に怖がられることは目に見えているし、実際に町の人たちを怯えさせている。
だから、『ヘイト』は全部隠してたんだ。自分とは関係のない『他人』を怖がらせないように。
それも、『ヘイト』が表に出すことのない、優しさの一つかもしれない。
「看板娘」
「っ! は、はいっ!」
そんなことを考えていると、不意に『ヘイト』から声をかけられた。完全に別のことを考えていたから、驚いて声も姿勢も変な力が入っちゃった。
「今度こそ、お前は残れ。ここにいるか店に戻るかは自由だが、残りの魔物は町の外で迎え討つ」
「そんなっ!」
「危ない、とか言うなよ? むしろ、離れた場所でやりあわなきゃ、この町への被害が甚大になる。戦うには邪魔なんだよ。お前も、この町も」
「…………っ!!」
「心配せずとも、俺は死なねぇし、独りで死ぬつもりもねぇよ。だが、お前を連れてくる時に言っただろ? 『一緒に行動する時は絶対に俺の指示には従うこと』。お前も了承したことだ。忘れたとは言わさねぇ」
「…………」
「返事は?」
「……………………わかった」
しかし、次に言い渡されたのは私への帰還命令だった。『ヘイト』にこれ以上つれていくのは危険だと判断されたらしい。
それに対して、私はやっぱり『ヘイト』の傍にいたい気持ちを抑えきれず、ついつい反抗的な態度を取ってしまう。
理屈としては、『ヘイト』の言い分が正しいことは十二分に理解していた。
私が戦いに邪魔なことも、『ヘイト』が本当はすごく強かったことも、『ヘイト』についてくる条件に指示に従うことを了承したことも、全部わかっている。
でも、納得いかない。
ずっと『ヘイト』と一緒だって言った、私の思いや覚悟が軽んじられたような気がして、素直に従うことを拒んだ。
結局、『ヘイト』の主張は全部正しいことだから、むくれて顔を出した私の『子ども』は、すぐに引っ込めなきゃいけなかったんだけど。
「『トスエル』で待ってるから。そこまでは、送っていって」
「わかった」
それでも、私は『ヘイト』との時間を一秒でも長くしようと、『トスエル』までの見送りをお願いした。時間がないと思っていたのか、『ヘイト』は嫌がるでもなく即答してくれる。
……やっぱり、私はまだ『子ども』なんだな。
こうした些細なことでも、『大人』の隣までの距離が遠いって気づいて、落ち込みそうになる。
「時間が惜しい。行くぞ」
「うん」
「待ってください!!」
そうして駆け出そうとしたところで、冒険者協会の職員さんが私たちを呼び止めた。
何事かと振り返り話を聞くと、どうやら職員さんは『ヘイト』を冒険者だと勘違いしたらしく、この場に残るように命令してきた。
しかも、いかにももっともらしいことを言っていたが、態度や内容を考えると自分が助かりたいだけなのが見え見えで、『ヘイト』の『スキル』を利用しようとする気しか見えなかった。
「言いたいことはそれだけか?」
そんな職員に腹が立って、一言文句を言ってやろうと口を開きかけた、そのタイミングで。
『ヘイト』は口を開き、勘違いしていた職員さんに引導を渡した。
「俺はただの『一般人』だ。『ステータスの低さ』故に冒険者協会に見捨てられ、町ん中をかけずり回ってようやく仕事を見つけた、『冒険者であることが恥ずかしい』と心底から思ってる、ただの『勤労意欲にあふれる若者』だよ。
昼間っから酒呑んで馬鹿騒ぎする『落伍者』や、他人が倒した魔物でランクを上げるハイエナのような『ろくでなしども』と一緒にされちゃ、『こっちが恥ずかしくて町中を歩けねぇ』よ。寝言は寝てから言え、受付嬢さん」
「ぁ…………!!」
途中、何かに気づいたように職員さんは目を見開き、『ヘイト』を凝視しだした。
私にはわからなかったけど職員さんに通じたのなら、どうやら二人は初対面じゃなかったらしい。
「だから、間違っても俺を冒険者と一緒にすんじゃねぇ。町に魔物が攻め込んできたってのに、都市防衛っつうテメェの義務を放棄して、自分勝手に逃げ出す『社会不適合者』どもと俺が同列に扱われんのは、非常に不愉快だ。
そもそも、いざって時にクソの役にも立たない出来損ないどもの尻拭いを、『二度と』冒険者協会の『敷居もまたげねぇ』上、門前払いで『永久追放処分』を受けた人間に任せるつもりか? 厚顔無恥も甚だしい」
「そ、れは……」
この町の冒険者の人をすっごく貶していて、『ヘイト』自身『永久追放』とされていることから、どうやら『ヘイト』はこの町の冒険者協会で問題を起こしたらしい。
この人は、その時『ヘイト』を担当した職員の人、ってことなんだろう。
「それに、アンタは自分が言ったことも忘れちまったのか?」
「…………なんのこと、ですか?」
「アンタ、『冒険者を敬遠する人間をその道に引きずり込むのは、本意じゃない』んだろ? 『冒険者協会に悪感情を抱いている人間を無理に登録しようとも思わない』し、『冒険者協会の仕事は、慈善事業じゃねぇ』んだったよな?
全く持って、その通りだ。アンタの意見は、俺も全面的に肯定する。何も間違ったことを言っちゃいねぇ。アンタのプロ根性には脱帽だ。だからこそ、俺もその崇高な考えを尊重してぇと思ってる。つまりは、そういうこった」
「…………」
そ、それにしても、さっきから『ヘイト』の皮肉が酷い。
たぶん、『ヘイト』は『永久追放』された時のやり取りを引っ張り出して、あえて職員さんにぶつけてるんだろう。見る見る顔を青ざめさせていく職員さんが、何だかかわいそうに思えてきた。
「『沈黙は金、雄弁は銀』、か。まさにその通りだったよ。この結果は、確かに『自業自得』だ。俺にとっても、アンタにとっても、な」
最後に、職員さんへきっちりとどめを刺した『ヘイト』は、職員さんを振り返ることもせず走り出した。私もまた、『ヘイト』の背中を追う。
……『ヘイト』とは、なるべく喧嘩にならないようにしよう。
ボロボロに打ち負かされた職員さんを見て、『ヘイト』と口喧嘩になった時を想像しても私が勝てる姿が全く見えず、内心でこっそり自分に言い聞かせた。
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名前:シエナ
LV:15
種族:イガルト人
適正職業:接客業
状態:健常
生命力:120/120
魔力:80/80
筋力:16
耐久力:10
知力:10
俊敏:13
運:55
保有スキル
《人心掌握LV1》
『完全記憶LV10』『演算LV10』
「運送LV2」「斧技LV1」
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