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350ml

作者:きよこ
この作品は弥生祐さま主催「5分企画」の「5分大祭」参加作品です。
5分企画、5分大祭で検索すると、素敵な作品が5分で読めますので、ぜひ読んでみてください!
――実弥さんは、父親の愛情を求めていただけだと、僕は思います。

 ありふれた言葉に、私は呆れ返ってしまった。教師というやつは、ドラマみたいなセリフをしっかり用意して、さも悲しそうに言ってのけるのだ。
 あほらし、と心の中で悪態をつきながら、私だって一世一代の名演技を披露した。
 お父さんがいなくて寂しかった。お母さんは仕事で忙しいし、誰も私にかまってくれない。だから、つい。ごめんなさい。
 そう訴えたら母も「そんな風に思っていたなんて」とか、嘘くさい涙を流した。
 西日の差し込む教室での、短いやり取りだった。



「先生はさあ」
 屋上の手すりをつかみ、私の後ろで煙草をふかす教師を睨む。高い柵に巻かれた有刺鉄線が太陽の光を受けて尖った光を放っていた。

「私が父親を失って傷ついてるって、本気で思ってんの」
「さあ。僕は君じゃないから、わからないね」

 さっきまでの神妙さはどこへやら。すっかりいつものやる気の無さを取り戻し、だるそうに座り込んでいる。

――せめて同年代の子と健全に付き合ってくれていたら……。 

 母の言う『健全に』の基準がどうにもわからなくて、何度も眉をしかめた。
 私の友達のほとんどが、同年代の男にキスマークつけられて喜んでるのを知ったら、母の馬鹿な考えも変わるんだろうか。
 健全なお付き合いに、年齢なんて関係ない。

 三十八歳の既婚者と付き合ったのはつい三ヶ月前のこと。バイト先の社員で、私が告った。がんがん攻めて落としたのだ。
 それが、謎の人物から母と担任に電話が来て、バレた。
 そいつは退学までは望んでないようで、彼と別れバイトを辞めれば、すべて見なかったことにしようと提案してきた。
 二人はそれを受け入れ、進路相談という名目で私を呼び出した。そうして開かれた三者面談は私が泣きまねしただけで、あっさりと終了した。
 事実は闇に葬り去られた。私の境遇とか、大学受験とかを考えての措置らしい。
 あいつの奥さんがチクってきたんだろうって思ってるけど。それで許されるのだろうか。
 大人の駆け引きは、めんどくさい。

「君はどうなの? なんで三十八才の既婚者と付き合ったの?」
「……さあ。なりゆき?」

 三者面談のあと、母は仕事に戻ると言ってとっとと帰っていった。取り残された私は、どうにもやりきれず、屋上への階段を上がった。ついてくる先生に対し何も思わなかったのは、それが日常茶飯事だからだ。
 過去に自殺者を出したこの場所に、しょっちゅうやって来るのは私だけ。他の教師達との関わりをめんどくさがるこいつの行き場所もまた、ここしかない。
 職員室は禁煙でさあ、どこもかしこも喫煙者に冷たくて嫌になるよ、とかぼやきながら、いつもこいつは私の後ろで煙草を吸っている。
 たいして年の変わらないこの教師の怠慢ぶりに、私が親近感を抱いているのは、絶対の秘密。

「父親がいないって、恋愛にまで影響与えるもんなの? 大体、どうして父は私と母を置いて死んだと思う? 私と母のことを考えられなかったのかな。幸せじゃなかったのかな」

 父は、私が物心つく前に自殺した。電車に飛び込んで死んだという。
 だから、父の記憶は無い。感慨も無い。皆が持っているものを持っていないという劣等感や寂しさはあっても、元から無いものに情は持てない。

「幸せの価値は等しくないからね」

 何かの実験でもするかのように、飲みかけのペットボトルをかざしている。夕焼けを透かすペットボトルが、太陽光線を波紋のように広げてみせた。

「僕はね、人の幸せはペットボトルの中身と同じだと思っているんだよ」

 ゆらゆらと、光が揺れる。

「この350mlを少ないと思うのも、多いと思うのも、中身が好ましいと思うのも、嫌いだと思うのもその人次第だからね。君のお父さんにとっては、このペットボトルの中身が思う物では無かったんだろう」

 そんな理由で人は死んでしまうのだろうか。幸せの価値なんて、どうやって決めるんだろう。

「君は自分のことを不幸だと思っているのかい?」
「先生はどうなの? このペットボトルで満足するの?」
「僕は全部飲み干しても幸せだと思うし、一口でも飲めてよかったと思うし、もっと飲みたいとも思うよ。コーラも好きだし、お茶も好きだ」

 なにそれ。ただの好きもんじゃん。

「そう思った方が、幸せだろう?」

 なんて簡単な人なんだ。
 ……簡単だけど、潔い。無精ひげの生えただらしないこの男が格好良く思えるのは、きっと夕焼けマジックだ。

「私、あの男のこと、たいして好きじゃなかった」
「そうなの?」
「そう思った方が、気楽。あの男も本気じゃなかったんだよ」
「本気で君を好きなら、君が卒業するまで手を出さないだろうしね」

 フォローの言葉とか、慰めの言葉は無いのかよ。

「俺だったら、君が卒業するまで待つね」

 なにそれ、と笑いながらも、少しだけ本気にしそうになって、慌てて夕日を睨んだ。
 涙が出そうになる。太陽の熱が、目に宿る。

「先生、私ね」

――寂しいんだよ。とても。

「なに?」

 父親がいない寂しさじゃない。
 先生の言うペットボトルがわからないんだ。持っているっていう実感が無いから、無性に寂しいんだよ。

「先生、それ、ちょうだい」

 ペットボトルを指差すと、先生は「僕の飲みかけだよ」と苦笑しながら、手渡してくれた。プラスチックの容器を強く握る。蛙の鳴き声みたいな情けない音がベコベコと空に響いた。
 ゴクリと飲み込む。

「間接キスだな。お母さんにまた怒られる」

 バカなことを言う教師を思いっきり叩く。わざと痛がる先生の白いシャツは、いつの間にか夜の闇色に染まりつつあった。
 喉から食道を通り胃の中に流れ込むお茶は、ほんのりと温かく、柔らかい味がした。
 ペットボトルをまた強く握りしめる。
 350ml。目の前で笑うこの男のように、そのすべてを愛おしく思いたい。
 その方がきっと、幸せだから。幸せを見つけたいから。

「先生、ありがと」
「え?」
「なんでもなーい」

 ぴょんとジャンプして走り、屋内に戻るドアを押し開けた。
 ドア越しの空は、紫色の中に一番星を輝かせ、深海のような雲を漂わせる。

「先生、ありがと」

 もう一度つぶやく。
 いつか気付くまで。それまでは、ただひたすら。
 生きるしかない。父のようには、ならない。
    
読んでくださりありがとうございました!

途中、先生の人称が違う箇所がひとつありますが、誤字ではありません。わざとです。

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