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投稿小説〜短編〜

うまれ石のたまごたち

作者: 玉木 久芳



 河原に転がる小石たちは、ころりとしたまるい形に月明かりを浴びて、まるでいくつものたまごが転がっているようだった。

 ランプも持たず、月明かりだけを頼りに。メイはそのたまごを拾っては捨て、拾っては捨てをくり返していた。

 草木も眠る夜更けの森に響くのは、雨の音にも似た涼やかな滝の音。風が吹けば木々が揺れて、メイのことを噂でもするかのようにざわめいていた。

「どうしよう、見つからないよ……」

 呟いて、メイは割れた爪からにじむ血をなめた。

 村はずれの森にある、背の低い滝。その滝つぼから続く川べりには、川の流れに翻弄され角をなくしていったまるい石が敷きつめられていた。月明かりを受けてつやつやと輝く、黒い石のたまごたちは、太陽の光を受けるとすこしだけ赤く見えるこの山でしかとれない珍しい石だった。

 村の大人が、危ないから近づくなという滝つぼに、メイは毎晩家を抜け出してこっそりと通っていた。

 毎日まいにち通っているというのに。もう一月もすぎようとしているのに。メイはいまだに、目当てのものを見つけられずにいた。

「このままじゃ、私……」

 宵闇と同じ藍色の瞳に、今にも溢れだしそうな涙をためながら、メイは歪む視界の中で石を拾っていた。

「――誰か、いるのか?」

 ふいに声が聞こえて、メイは石を拾う手を止めた。

 見回りの大人が来たとすぐにわかった。川べりを歩くじゃりじゃりとした足音は早く、ランプの光はあっという間にメイの青ざめた表情を照らした。

「……メイ?」

 上着のフードをかぶろうとするのをさえぎられて、顔を覗き込まれる。間近に寄せられたランプの光は、月明かりをかき消すほどに力強くメイの顔を照らした。

「なにしてるんだ、こんな時間に」

 その困惑した声色で、メイはその大人がよくよく知る人だとわかった。

「セキ……」

「夜中に滝に来ちゃだめだって、知ってるだろ。滝つぼに落ちたらどうするんだ」

 帰るぞ、と腕をひっぱられて、メイはいやだとかぶりをふる。強情に抵抗するメイに大人――セキはとてもいらだったようだけど、けれどすぐになにかを察したのか、手の力を抜いた。

「メイ。お前もしかして、うまれ石をなくしたんじゃないか?」

 その指摘に、メイはただ、唇をかむしかなかった。

 知られてしまった。よりによって、セキに。

 自分の化身である、うまれ石をなくしてしまったことを。

 ――私はもう、お嫁に行けなくなってしまった。

 メイはかつてうまれ石のあった、ふくらみかけの胸の間を強く握り締めた。


     ○


 メイのうまれた村では、みんな首から『うまれ石』をさげていた。

 この村でうまれた赤ん坊はみな、手に小さな石を握って生まれてきた。小鳥の卵のようにまるい小さな石は、母のお腹の中にいたころからずっと一緒にいた自分の守護石として、肌身離さず身につけるのがこの村のならわしだった。

 だからメイも、毎日首から自分のうまれ石をさげて大切にしていた。

 そしてその石を、なくしてしまっていた。

「メイが最近石を隠してるなとは思ってたけど、そっか、なくしたのか」

 村へと帰る道をランプで照らしながら、セキはまるでピクニックに行くような陽気さで話していた。

 隣を歩くメイが背負う重い空気を、少しでも軽くしようとしているのが、空回りする乾いた笑い声が物語る。それに申し訳なさを感じて、メイはしょんぼりと下げていた頭をあげた。

 メイより三つ上で、先日十六歳になったばかりのセキは、ここ数ヶ月でぐんと背が伸びていた。首からさげたうまれ石は、村のみながそうしているように、麻糸で編んだ網状の首飾りの中に包まれて胸元で揺れていた。

「いつ、なくしたんだ?」

「一ヶ月くらい、前。毎日紐が切れてないか確認してたのに、気づいたら網も破れてないのに、石だけが消えてたの」

 メイの首ではいま、空になった麻糸だけが虚しく服の中で揺れている。重みをなくしたそれは、服の動きで麻糸が絡まりいたずらに首もとをくすぐるだけだった。

「どんなに探しても、見つからなくて。お母さんたちも私が石隠してるの不審に思ってるみたいで、せめてかわりの石を見つけようと思って……」

「それで滝に通ってたのか。一人で近づくなってあれだけ言われてるはずなのに」

「だって、石がなかったら、私……」

 木々の向こうに見えはじめた村の家々に気づいて、メイは桜色の唇を強く噛みしめる。亜麻色の髪がその表情を覆って、セキはランプとともに顔を覗き込んだ。

「お願い、セキ。このこと、誰にも言わないで!」

 はじけるように顔をあげたメイは、息がかかるほど間近にあったセキの顔に驚き、後ずさる拍子に足をとられて転んでしまった。

「痛っ……」

 こんな大事なときに、転ぶなんて。メイは顔が熱くなるのを感じて、尻もちをついたまま動けなくなる。

「パンツ見えるぞ」

「!」

 あわててスカートの裾を直すと、セキがいたずらっ子のように笑う。そしてランプを地面に置いて、メイに向かって両手を伸ばした。

「誰にも言わないよ」

 まるで抱き上げるかのように、彼はメイを立ち上がらせてくれた。

 いくら年が違うとはいえ、メイが小柄だとはいえ、こうも軽々と抱き上げられてしまうとは。屈託なく笑う彼の表情こそ昔と変わらないけど、その身体は日に日に大人になっているのだとメイは身をもって感じた。

「早くかわりの石を見つけよう。俺も手伝うから、もう、夜に一人で滝に行くなよ」

 スカートについた泥をはらってくれながら、セキはメイの頭を撫でる。まるで猫でも愛でるかのように、彼はメイの頭をよく撫でる。それにかすかに胸の痛みを感じながら、メイはこくりとうなずいた。

「……ありがとう」

 胸の痛みを抱えたまま、彼の顔を見上げることができなくて。メイはセキの胸元で揺れる黒色のうまれ石を見つめていた。

「明日から、森の入り口で待ち合わせしよう。ランプでメイの部屋に合図するから、こっそり出て来るんだぞ」

「わかった」

「じゃあ、今日はまっすぐ家に帰れよ」

 背中を押されて、メイはたどたどしい足取りで歩き始めた。ちらと振り返っても、セキは手をふってメイを見送っている。まだ滝の見回りが残っているのだろうと、メイは手をふりかえして足早に明かりの消えた自分の家へと急いだ。メイの家は村の端、森の入り口の近くにあった。

「……さいあくだ」

 駆け足になりながら、メイは呟いた。

 よりによって、セキに知られてしまった。

「私、もう、セキと結婚できない……」

 この村の夫婦は、結婚するとき、指輪ではなくお互いの生まれ石を交換する。だからこそメイは、うまれ石を探そうと必死だった。

 セキと石を交換する夢を守るために。

「にせもののうまれ石となんか、セキは交換してくれないよ……」

 まだ身体に残るセキの力強い腕のぬくもりを感じながら、メイはこぼれそうになる涙を何度もぬぐった。



 それから毎晩、メイはセキとともに滝へと通っていた。

 肩から大きな鞄を下げたセキは、メイの姿を見つけるとランプを持ったまま手をあげた。

「見つからないでこれたか? メイ」

「大丈夫。うちの親は寝るの早いから」

 森の入り口に来たセキが、ランプの明かりを手鏡に反射させてメイの部屋に合図を送ってくれる。それを確認してから、メイは家を出ていた。

 大人になるまで、子供は一人で滝に近づいてはいけない。それが村のきまりだった。滝つぼに近づいて、足を滑らせ落ちることを防ぐためのものだった。

 大人になれば、自由に滝に行くことができる。セキのように滝の見回りという仕事を与えられることもある。村では何歳になれば大人というきまりがないため、メイはセキがいつ大人になったのかまったくわからなかった。

 村にいても聞こえてくる滝の音は、近づけば近づくほど大きくなる。けれど激しさはなく、滝つぼへの落ち方もどこか優雅さを感じるものがあった。高さがなく、滝つぼにも切り立った岩はない。まるで花に水をやるように、静かに流れる滝だった。

「俺は滝つぼのほう探すから、メイは川べりのほうを探せよ」

「うん、わかった」

 滝の流れを受ける岩にするどさはなく、つるりと磨かれてすべりやすい。大人でもよく転んで滝つぼに落ち、川に流されてしまうことがあるのだという。普段はゆるやかな流れの川も、雨が降れば水かさが増して流れが速くなり危険だった。

 川に一番近い木にランプをくくりつけ、メイとセキはそれぞれ明かりの届く範囲で石を探した。月明かりだけをたよりに探していたころに比べれば、石の色がはっきりわかってとても探しやすかった。

「……やっぱり、メイの色の石を探すのは難しいな」

 けれどはやり、簡単ではなかった。

 川底の石をすくって探すセキは、時おり川から出ては冷えた手足をこすりあたためていた。その胸元で揺れるうまれ石は、彼の瞳と同じ、世闇をも吸い込んでしまいそうなほどの漆黒をしていた。

 母のお腹から出てくるとき、子供が必ず手に握りしめているうまれ石。それはほとんどが黒い色をしていた。血を煮詰め固めたような、やや赤みが混じった石の者もいる。それはこの滝で採れる石ととてもよく似ていた。

 山の頂にある赤黒い鉱石が、川の流れにのって村の滝に落ちてくる。それを使ったアクセサリーは、村の貴重な収入源になっていた。幼いころから母の作るブローチを見ていたメイは、その石にも様々な色があることを知っていた。

 けれどメイの石と同じ色のものは、いままで見たことがなかった。

「メイの石は、血みたいな色だからな」

 自分のうまれ石を手にとり、セキは曲がった背筋を伸ばすように月を仰いだ。

 メイのうまれ石は、鮮やかな紅をしていた。

 村でも真っ赤なうまれ石を持つのはメイだけで、みなが口々に褒めてくれる紅いうまれ石はメイの自慢で、けれど珍しい色なだけあり、その石のかわりを探すことはとても難しかった。

「早く見つけないと、みんな、変に思いはじめてるの」

「村でも有名だからな、メイの石は」

 紐が切れそうだから、雨で汚れたら嫌だからと言い訳をしてきたけれど、それも底を尽きかけていた。村の仲間の証でもあるようなうまれ石をなくしたと知られたら、村にいられなくなってしまうかもしれない。

「……すこし、休憩するか」

 冷え切った指先に息を吐きかけながら、セキは重たそうな鞄の中身を教えてくれた。

「今日は母さんが紅茶持たせてくれたんだ。冷えるだろうからって」

 セキは滝の見張りをすることが多いようで、夜がとても冷えることを知っていた。だから夜食や飲み物を用意することを覚えたようで、小枝を集めてたき火の準備をし始めるのも手馴れていた。ランプを火種に使い、大きめの石を椅子のかわりにしてメイを座らせてくれる。どの動きにも無駄が一切なかった。

「寒いんだろ? 顔色悪いぞ」

 山のふもとにある村は、季節にかかわらず昼夜の温度差が激しい。滝の近くはとくに、夜になると冷え込んだ。

「最近、お腹痛くて……」

「じゃあこれ飲めよ。あったまるぞ」

 鞄の中に入っていたポットから、セキはコップ代わりの蓋に紅茶を注いでくれる。湯気が立ち上ってゆらめくその紅茶は、ミルクがたっぷり入って今まさしく頭上で輝く満月のような色をしていた。

「ありがとう」

 一口飲めば、身体にしみこむ甘さにほっと安らぐ。小枝を足しながら火が弱くならないよう気を配るセキの姿は、見回りの夜を何度も明かしているであろうことを物語っていた。

「私、毎晩通ってたのに、どうしてセキに見つからなかったのかな?」

「それは前まで他の人が見張り当番だったからだよ。どうせサボってたんだろうな。なにか事故があってからじゃ遅いのに……」

 ぱちぱちと小枝のはぜる音を聞きながら、セキは炎を見つめている。赤々とした炎に照らされ、鏡のようにうつしたその瞳までが燃えているようだった。

「ま、メイが他の人に見つからなくてよかったよ。俺ならメイにいくらでも協力できるし、守ってやれるしな」

 自分のうまれ石を指でいじりながら、セキは得意げに笑う。その笑みはメイのために無理に作ったものではなく、彼がいつも見せる自然な表情だった。

「セキは、いつから大人になってたの?」

「三年前くらいかな。ちょうどいまのメイくらいだ」

「そんなに前からだったの? 私全然気づかなかった」

「俺だって、大人になったっていわれても実感ないし。ただ滝の見回りさせられてるだけだ」

 冷えた指先を焚き火で暖めながら、セキは不満げに唇を尖らせる。その横顔に、メイはずっと気になっていたことを口にした。

「大人って、何歳からなれるの?」

「それは内緒」

 唇に指をあて、セキは意地悪に微笑む。

「子供たちには教えちゃいけないんだ。メイの父さんも母さんも教えてくれないだろ? それが村のきまりなんだよ」

「きまりきまりって、いつもそればっかり」

 今度はメイが唇をとがらせる番だった。そんな様子を見て、セキは肩をすくめる。

「紅茶、飲み終わったら俺にカップちょうだい。ひとつしかついてないからさ」

「あ、ごめん」

 セキの母は、セキ一人で飲むことしか考えていない。カップがひとつしかないのは当たり前のことだった。メイはあわてて紅茶を飲み干そうとするのだけど、ポットの保温効果が高いことに猫舌であることも加わって、紅茶をなかなか飲むことができなかった。

「いいよ、一口ちょうだい」

 そんな様子を見て、セキはカップに手を伸ばす。そしてメイの手ごと自分に引き寄せ、紅茶を飲んだ。

 自分が今まさに飲んでいたカップに、セキが口をつけた。「あったまるな」とほころぶその顔を見て、メイは顔に血がのぼっていくのを感じた。

「……どうした? 暑いか?」

「ううん、大丈夫」

 顔をのぞきこまれて、メイは首をふる。胸の鼓動が早鐘を打っているのが聞こえてしまいそうで、できるだけ彼から身体を離した。

「紅茶ごちそうさま。私、石探すね」

「まだ休んだばっかりだろ」

「いいの。早く見つけたいし!」

 立ち上がってスカートについた砂を払いながら、メイは川べりへと急ぐ。セキのそばから離れたかったけど、焚き火の明かりで照らされたところはとても明るくて、結局すぐそばで石を拾っていた。

 冷たい夜風が、いまは熱くなった頬に心地よい。木々のざわめきにあわせて呼吸をして、すこしでも心を落ち着けようと胸に手をあてる。

 いつもならそこにあるはずの石が、ない。そのことにあらためて気づかされて、メイは高まっていた胸の鼓動が鎮まっていくのを感じた。

 もしかわりの石を見つけたところで、セキとは交換することができない。

 彼はメイを見つけたのが自分で良かったと思っている。けれどメイが一番知られたくなかったのは、セキだった。

 面倒見のよい性格のセキは、いつもメイのことを可愛がってくれていた。きっとメイのことなど猫か妹としか思っていないのだろうけど、メイは幼いころからずっと、セキのことが好きだった。

「メイ、あんまり根つめるなよ。ちゃんと温まらないと風邪引くぞ?」

「だって、早く見つけたいもん」

「メイの石見つけるのは時間かかるって。明日になったらまた滝から新しい石流れてくるしさ、その中にまぎれてるかもしれないぞ?」

「だって……」

 もし、このまま石が見つからなかったら。もし、村にいられなくなってしまったら。

 そう思うと、メイは恐怖でふるえた。

「寒いんだろ? 夜明けから雨が降るみたいだし、今日はもう帰ろう」

 そのふるえを寒さと勘違いしたのか、セキが自分の上着をかけてくれる。肩を抱かれ、間近に覗き込んでくるセキの顔に、メイは再び胸が痛くなるとともに涙があふれた。

「セキは、石をなくしたことがないからわからないんだ」

「メイ?」

 メイを落ち着かせるために、わざと明るく振舞ってくれている。それがわかっているはずなのに、そののんびりとした口調のセキに、メイは苛立ちをおさえることができなかった。

「石がなくなったら、私……」

 目のふちいっぱいにためた涙が、頬を次々伝っていく。突然泣き出したメイに驚きながらも、彼は服の袖で涙をぬぐってくれた。

「私、セキのお嫁さんになれない」

 あたためるように抱いてくれた腕をふりほどき、メイはその場から逃げ出していた。


     ○○


 夜明けから降り出した雨は、三日がすぎてもやむことがなかった。

 まるで空から滝が流れるかのような、どしゃぶりの雨が昼夜問わず降り続いている。川の水かさが増えて、どうどうと勢いの増した滝の音が村まで響いていた。

 雨が降ると、川の水かさが増して危ない。それがわかっていたから、メイは夜になって滝に近づくことができなかった。

 セキからの合図も、ない。もしかしたら、彼はもう来ないのかもしれない。そう思いながらも、メイはずっと、窓辺に座りセキからの光を待ち続けていた。

 ――セキのお嫁さんになれない。

 突然そう言われて、彼はさぞ驚いたことだろうと思う。石をなくしてしまったことをメイが知ってしまった以上、彼は決してメイとは石を交換してくれないだろう。石をなくした秘密は守り通してくれるだろうけど、他の誰かに嫁ぐメイを祝福するセキの姿が目に浮かんだ。

 空になった首飾りの紐を、メイは強く握りしめる。そして雨のカーテンのむこうから聞こえてきた声に耳をかたむけた。

「――セキがまだ戻らないらしいぞ」

 それは大人たちの声だった。

「滝でなにかあったのかもしれない! 雨で水かさも増してるはずだ!」

 その騒ぎに気づいたのか、メイの両親も起き出したらしい。寝室からかすかな話し声が聞こえて、メイは急いで身支度をした。

 両親が寝室を出るより早く。メイは傘もささずに家をとびだしていた。



 あっというまに服が雨を吸い、肌に張り付いて動きづらい。スカートの裾を縛って脚をむき出しに走りながら、メイは叫んだ。

「――セキ!」

 流れの強い川べりぎりぎりに立ち、彼は明かりもなしに川底の石をさらっていた。

「……メイ?」

 声に気づいたのか、セキが顔をあげる。彼の眼前で流れる川は、速い流れで今にも足元の砂利を飲み込もうとしていた。

「危ないよ! なんでこんな日にまで!」

 こけつまろびつ走り、セキの腕をとったメイは、その冷え切った身体を力いっぱい川から引き離した。

 勢いあまって、転びそうになるメイをセキが抱きとめてくれる。その指先の冷たさに、メイは彼が長い時間雨にうたれていたであろうことを知った。

「メイがきたってことは、俺が帰らないの、ばれたんだな?」

「たぶんもうすぐ、大人たちが来ると思う。セキが戻らないって騒ぎになってたから」

「メイがここにいるの見つかったら大変だな。急いで石を探そう」

 メイを抱きかかえた手を離し、セキは再び川底の石を拾い始める。降りしきる雨で視界も定まらない、月明かりひとつささない真っ暗な森の中では、いくら探しても石の色ですらわからないようだった。

「もしかして、雨の日も毎日、探してくれてたの……?」

「メイが風邪ひいたら大変だし、見回りの時間を有効活用しようとしただけだよ。でもやっぱ、なかなか見つからないな」

 すっかり血の気の引いてしまった彼の顔は、唇が紫色をしていた。それに反してうまれ石は、雨に濡れてそのつややかな漆黒の輝きをよりいっそう増し、胸元で揺れている。

「――私、セキが好き」

 そのうまれ石の揺れに導かれるように。メイの口は、自然と動いていた。

「……メイ?」

 うつむいてた顔をあげ、彼はメイを見上げる。雨雲のすき間から顔を出した月明かりが、その蒼白な顔に降りそそぎ、瞳が石に負けじとつやめいた。

「私、セキが好き」

 もう一度。自分の舌の上で転がしてから、はっきりと口にする。

「セキは、うまれ石をなくしたお嫁さんじゃ、だめだよね……」

 そしてメイは彼から離れ、月明かりの降りそそぐ川へと入った。

 流れが速く、手探りでしかわからないはずの川底が、光を受けて輝き始めている。今しかチャンスはないと、メイは石を拾った。

「ばか、メイ!」

 川の流れに足をとられそうになって、ぐらついた身体をセキが支えてくれる。下手すれば自分まで流されかねない危険な川に、彼は何の迷いもなく入っていた。

「どうして、セキはこんなになってまで探してくれるの?」

「メイの石を探すのは、難しいだろうなって前から思ってたからさ」

「前から?」

「俺のときはすごい楽だったんだけどな」

 どういうこと? そう問おうとしたメイの目に、月明かりに照らされいっそう輝く石が目に入った。

 その石に手を伸ばそうと身をかがめたとき。メイの足は流れに耐えきれず、石にすべってすくわれてしまった。

「――メイ!」

 すんでのところで抱きかかえられるも、川の流れに耐えられるような姿勢ではない。二人もろとも川に流されそうになって、セキはもんどりうつように川べりへと倒れこんだ。

 衝撃が少なかったのは、彼がかばってくれたから。足は川につかった状態のまま、靴が脱げて流されていくのを感じながら、メイはその広い胸に抱かれていた。

 冷たい雨にうたれ続ける身体に、お互いのかすかに残るぬくもりがあたたかい。小さなうめき声をもらしながら起き上がったセキは、自らの腕の下にいるメイの無事を確認してから、ほっと息をついた。

「ばか」

 そして、メイの唇に自らの唇を重ね、

「うまれ石は、なくしていいんだよ」

 メイの身体を抱き起こした。

「……え?」

「みんなそうやって、大人になるんだから」

 いまにもこぼれてしまいそうなほど、大きく見開かれたメイの目をのぞきこみ、彼は乱れた髪を直してくれる。そして胸の前で握りしめたメイの手を、その大きな手のひらで包み込んだ。

「俺たちが大人になるとき。うまれ石は胸の中に吸い込まれて、身体の中で孵るんだ」

「……孵る?」

「石は大人になるための卵なんだ。大人になるまでは、俺たちのことを守ってくれる。そして時が来て、俺たちがちゃんと自分のことを自分で守れるようになったら、身体の中にもぐりこんで卵が孵るんだ」

 メイのぬくもりを吸って、セキの手が少しずつあたたまってくる。肌と肌をあわせるのが一番あたたかいという、その言葉の意味を、メイは身をもって感じた。

「卵が孵ったら……どうなるの?」

「それは、男と女では違うから……」

「胸がふくらんだり、声が低くなったり?」

「それよりももっと大事なこと」

「大事?」

 首をかしげるメイの額に、セキは苦笑をもらしながら口付けをした。そしてもう一度抱きしめ「……あ」と呟きをもらした。

 セキの視線に気づいて、メイは自分のスカートを見る。ちょうどお尻のあたりに、赤黒いしみができていることに気づいて、あわてて裾で隠した。太ももを伝った熱いなにかに、恥ずかしさがこみあげてくる。

 そのしみが何なのか、よくわからない。けれどセキに見られたくないものだと思った。

「卵が孵ると、身体が大人になるんだって、教えてもらった。この村では、うまれ石のこととか、身体に起こることとか、教えないきまりらしいんだ。メイの父さんも母さんも、俺の親も、こういうことがあったんだって」

 しみを隠すために座り込み、メイは恥ずかしさのあまり、真っ赤に潤んだ瞳で睨むように彼を見上げた。

「なんで、教えてくれないんだろう?」

「消えたうまれ石のかわりの石を探すのが、大人になるための儀式だからさ。俺だってメイくらいの年のときに、石をなくしたと思って冷や汗かいてここで探したんだぞ」

 そのころの自分を思い出したのか、頬にさっと赤みが戻る。それをごまかすように、彼は咳払いをした。

「早く、かわりの石を探そう。このことは、石が見つかってからじゃないと話しちゃいけないんだから」

 こぶしを包んでいた手が離れて、メイもつられて手を開いてしまう。その手からこぼれた石は、小さな音をたてて砂利の上に落ちた。

 それは探し求めた、紅い色をした石だった。

「……あった」

 月明かり降りそそぐ川の中で、よりいっそう輝いていた石を、メイは本能的につかんでいたのだった。

 メイの手のひらの上に転がる石を見て、セキが目をしばたく。そして二人で顔を見合わせて、思わず吹きだしてしまった。

 かつて持っていたうまれ石に比べれば、すこしくすんでいるかもしれない。けれど月明かりに照らされつるりと輝く姿は、メイのもとから消えたうまれ石にとてもよく似ていた。

「この石はもう、勝手に消えたりしないからな」

 首からかけていた麻糸から、自分の石を外し、セキはそれに新しいメイの石を入れる。

「俺の石と交換するまで、なくすんじゃないぞ」

 結婚式での花婿のように。セキは大事そうに、その石をメイの首にかけてくれた。


               END


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