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Trans Trip! 作者:小紋
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幕間 9‐(3.5).臍を固める

「俺とソルが夫婦って、ありえないよねー」

 オリーブ色の美しい瞳を弓型に笑ませながらのその一言が、幅広のナイフとなって目の前の男に勢い良く突き刺さったなんて、この美貌の“友人”は気付きもしないのだろう。
 そう考えたソーリスは、先ほど配られた聖餐せいさんに嬉しそうに齧り付くヤマトを横目に、大きく溜息をつきそうになったのを堪えた。……溜息を堪えるまでは成功したが、頭上の耳がぺたりと畳まれるのを阻止することはできなかった。耳は顔より正直だ。
 ソーリスは首を振る。意識して耳を立たせた。そうだ、これから一仕事あるというのに、うっかり立ち直れなくなるわけにはいかないのだ。





◇ ◇ ◇





 特別打ち合わせがあったわけではないが、エナとパーシヴァルはよくタイミングを読んでくれたと、ソーリスは思う。
 ヤマトを励ます、というのが、この行楽の目的だ。ヤマトは近頃、目に見えて元気を無くしている。二人きりになることができれば、ソーリスはその理由を問う予定だった。それが今日ソーリスが担った役割だ。
 道中、どう切り出すかをシミュレートしながら、ソーリスは歩いていた。しかし裏庭に進入して早々に、その思考はあるものに遮られる。

 ある一人の男が、二人のいる方向、大聖堂と裏庭を繋ぐ出入り口へと向かって歩いてきたのだ。その時点では少し離れているにもかかわらず、ソーリスは男から一種異様な気配を感じた。
 顔色が悪く、よろよろと足取りが覚束ない。表情もぼんやりとしたものであり、平常ではないということが見て取れる。だが、ただそれだけであれば体調が悪いだけの人間だ。そんな人間におかしな気配など感じるはずもない。
 その男が近づくにつれて、ソーリスは警戒を強くする。彼は後ろを歩くヤマトをさりげなく庇いながら進んだ。
 蒼白な顔をした男のもっとも異常な点、それは匂いだった。嗅覚に直接作用するというよりは、第六感的な直感へと訴えかける異常な匂い。普通の人間からは発されない何かだ。ソーリスはそれを感じ取っていた。

 すれ違う数瞬、緊張感が高まる。
 だがソーリスの心配は杞憂に終わった。顔色の悪い男はたいしたアクションも見せずに、覚束ない足取りのまま大聖堂へと入っていってしまった。

(……なんだ、嫌な予感したけど……気のせいかな)

 ソーリスは後ろを振り向いて、去っていく背中に視線を送る。どうあれ、ただ嫌な予感を受けたというだけでこちらから因縁をつけるわけにもいかなかった。
 守るべき対象であるヤマトが傍にいるから少々神経質になっているのかもしれない。そう考え、ソーリスは男を思考から追い出す。

 気分を切り替え、噴水広場へ踏み出すと、室内とは違う低い気温が肌を直撃した。自分たちの他には誰もいないようであることを確認したソーリスは、噴水に駆け寄って水面を覗き込むヤマトの背を微笑ましく見つめる。
 木枯らしがひとつ吹いたことでその冷たさに鳥肌を立てながら、ソーリスはひとつ頷き気合いを入れた。さあ、これからが問題だ。

「ねー、ヤマト」

 何気ない風を装って、ソーリスは切り出す。そこからは、だいぶ骨だった。
 そもそもソーリスにとって、同性の友人の悩みを聞きだすなんてことは初めての経験だった。女の子の扱いならわかるのに、と頭の中で苦々しく独白する。相手が女子であれば、抱き寄せて優しく囁けばいいのだ。
 しかしいくら苦虫を噛み潰しても、ヤマトの性別が変わることはない。

「……最近、元気なかったから心配してんだけど」

 スマートさのかけらもない、ぎこちなく泥臭いやり取り。ソーリスの男友達たちは皆あれこれ悩むような性質ではないことが裏目に出た。圧倒的な経験値不足だ。もう少し繊細な人間と関係を密にしておくべきだった、なんて今更どうにもならないことを考える。
 頭の中で文句ばかり言っていても仕方がない。なんにせよ、とにかくヤマトが消沈している理由を知るために努力するしかないのだ。聞き募るだけという泥臭い方法しか思いつかないのであれば、その方法を取るのも致し方ない。

「言いたくない?」
「……うん」

 自分で聞いておいて、ソーリスは頭を殴られたような衝撃を受けた。

(え、俺悩み事言いたくないレベルの人間? うわ……すげーショック)

 夫婦とかありえない、と言われた時の鬱々が復活するかと思った。しかし、項垂れる一瞬前に慌てたようなヤマトがソーリスの目の前に躍り出る。そのまま慌てた様子で、弁解が始まった。

「あ、あ、ち、違くて。ほんとに些細なことで気分が落ち込んでるだけだからさ。ソルに気にしてもらうほどのことでもないの」

 この様子を見るだに、拒否をされているのではないようだった。ヤマトの中にあるのは、遠慮だ。嫌がられたわけではないということに、ソーリスは安心した。
 ほんの少し立ち直ったソーリスは、真っ直ぐな視線をヤマトへ向ける。今少しだけヘコまされた分、意地のようなものが生まれていた。彼が元気を無くしている理由を絶対聞き出してやる、と決意を新たにする。

「俺は、話してほしいんだけど」

 言い募れば、ヤマトが呻く。そこにさらに言葉を重ねた。

「……俺って、そんなに頼りがい、ない?」
「そんなことない! 俺、頼りにしてるよソルのこと」

 普段頼ってくれないのはさておき、その言葉だけでソーリスは満足しそうになってしまった。嬉しい自分はだいぶチョロい。そう感じる。
 だがしかし、ここで追究の手を緩めるわけにはいかない。

「落ち込んでること、相談もしてくれないのに?」

 友人であれば全てを話さなければいけないというわけではない。だが、遠慮しているだけなのであればそれは無用だということをソーリスは伝えたかった。
 沈黙が落ちる。
 しばらく逡巡するような様子を見せたヤマトが、ほんとに些細なことだからね、という前置きを置いて喋り出した。

「あ、のね……いろいろ考えてたらさ、家が懐かしくなっちゃって。ホームシックみたいな」
「ホームシック?」

 ソーリスにとってそれは、予想外の言葉だった。生家を嫌っている彼にとっては、覚えようのない感情。祖国に対して郷愁の念を覚えることはあれど、家に帰りたいと思うことはなかった。ソーリスにとっての家は、コロナエ・ヴィテのギルドハウスだ。

「帰りたいの?」
「……というか、寂しいって感じ。家族に会いたいなって」

 ソーリスは瞠目した。どう返すべきか、答えを選ぶのに時間がかかる。そもそも情報が少なすぎるのだ。
 彼についてわかっていることと言えば、どこかの田舎の出身だということくらい。しかし田舎から出てきて保護任務の対象者になっているくらいだから、彼の故郷や近親者が今現在どのような状態にあるのかはわからない。しかもその任務の依頼者は神王だ。そういったことも含めて、そもそもヤマト自身について謎が多いのだった。

(……俺、ヤマトのこと何にも知らねーのな)

 知らないことを聞いていいのかすら、知らないのだ。自らの持つカードの少なさ、そして情けなさに自嘲したソーリスは沈黙する。
 静寂が続いたことをどう受け取ったのか、ヤマトは寂しそうに笑った。

「ね? 些細すぎて言われても困るでしょ。それにどうせ、もう家族とは会えな、い、から」

 会えない、震えたその言葉に、ソーリスはヤマトと家族との間の隔絶を読み取った。死別か、それに相当する何か。軽々しい立ち入りを阻む色。
 そこで言葉を切ったヤマトが、ソーリスに背を向ける。その背中を見たソーリスは、無力感を感じた。元々そう大きくはない背中が、さらに小さく見える。締め付けられるような胸の痛みを覚えた。

 寂しそうなその背中を見ていられなかった。気がついた時には、ソーリスはヤマトを抱きこもうと体を動かしていた。

「ごめん、俺……聞きたいって言ったのに何もできないじゃんね」

 腕の中にあるのは男の体だ。女子のように華奢さはない。柔らかさもない。しかしヤマトの肩口に背後から顔を埋めたソーリスは、言い知れない庇護欲を感じていた。それと同時に、何もできない自分を罵倒する気持ちが生まれる。
 ソーリスが二極化した複雑な心境を抱えていると、沈黙したままのヤマトがふるりと体を揺らした。

「ヤマト?」
「ご、ごめん。離して」

 やんわりと腕を外され、そのまま体を離される。ソーリスの腕に触れたヤマトの手は、震えていた。
 遠慮からか、矜持を保つためか、理由はわからないが虚勢を張るヤマトに、ソーリスはたまらない気持ちになる。

(そんな、弱々しい声して何言ってんだよ……!)

 泣きついてくればいい、と思った。だが彼はそうすることはないだろう。ヤマトは振り返らない。気持ちを治めるまで顔を見せないつもりだろうか。
 気持ちを隠してやりすごすなんてそんなのはあまりにも悲しい。自分に対してそうしようとしているヤマトに、憤りを覚えた。ソーリスは憤りをそのままぶつけるように、ヤマトの体を反転させる。

「あ」

 振り返ったヤマトの瞳には、大粒の涙。動いたせいで輝く滴が揺れ、そのまま落下する。それに一瞬視線を奪われたソーリスだったが、続く言葉に目を見張った。

「ごめん……っ」

 謝罪の言葉に、一瞬で頭が沸騰した。何故謝るのか。ソーリスはそれを、拒絶だと思った。謝罪は拒絶だ。落涙の理由に立ち入らせないための、絶対的拒絶。

(そんなの許せるか。拒むな……拒むんじゃねーっての……っ!)

 泣き顔を隠す意図でか顔を覆おうとするヤマト。それも拒絶か。だったら阻む。

「ソ……」

 手を取って、正面から力の限り抱き寄せる。
 拒絶はねじ伏せる。拒絶されてやる道理なんぞない。頭の隅の冷静な自分が、随分自分勝手だと嘲笑う。だがそれをまともに受け取る余裕はソーリスにはなかった。
 ヤマトがぐいぐいと胸を押し返す。強い力に一旦は押し負けたが、少し力が抜けた隙をついてもう一度抱き締めた。

「うわぷっ」

 半ば悲鳴のような声を上げ、それでヤマトは諦めたようだった。力を抜いて、体を預けてきた。
 お互いの体温を感じながら二人して押し黙る。そのまましばらく、沈黙が続いた。

 そして、頭の沸騰に火照った顔が大気に冷やされる頃には、……ソーリスは冷や汗を流し始めていた。

(……どうしよう)

 庇護欲だの拒絶に対する憤りだの、強すぎる感情に一気に襲われ過ぎて自制ができなかった。このシーンで抱き締めるのは不自然だろ男同士の友人同士。と、今更過ぎる意見が頭の隅の冷静な自分から発される。今言うな。

(あれーさっきまでの男らしい俺どこいったのかな)

 どうしよう一色に塗りつぶされた頭が大いに情けない。冷静になって改めて気づくことも生まれ始めた。
 それは主に、ヤマトの高めの体温だとか、香水は付けていない彼自身の体臭だとか、ささやかな身動ぎだとか……感じ続けていたら少しばかりソーリスに不都合な変化をもたらしそうなものが主で。

(……なんで男なのにこんなにいい匂いするんだよ、ヤマト……)

 思い切り吸い込みたいのを必死で自制する。一刻も速く離れるべきだと脳が警告してきた。しかしどうするべきか。いきなり離れるのも不自然だ。
 とりあえず、ソーリスは平静を装いつつ会話を試みることにした。

「ヤマト、ごめん」
「何、が?」
「泣かせた」

 泣きついてくればいい、とは思ったから、本気で謝ってるわけではない。これは話のきっかけだ。
 だが、ヤマトはソーリスに予想外の反応を返した。

「あ、これ違う」
「……違う?」

 違うとは、どういうことだ。ソーリスが抱き締めているせいで、ヤマトの表情は見えない。

「………………いや、違くない。ごめん。でもソルのせいじゃない。だから、とりあえず、離して」

 ソーリスにはヤマトの意図が掴めなかった。言っている意味がわからず、困惑する。意思が通じ合わないまま体を離すことは気が進まなかったのだが、腕を突っ張られたことで離さざるを得なくなった。
 そうして向き合い、数分ぶりにソーリスの目に映ったヤマトの表情は、幾分かすっきりしたもののように見えた。

「ソル、ありがと。びっくりしたけど、元気でたよ」

 にこりと笑顔を向けられ、ソーリスは逡巡した。その笑顔は拒絶か、そうではないのか。先ほどまで泣いていたヤマトがもう微笑んでいるのは、無理をしているんじゃないかと勘繰る。
 もしそうであればまた抱きこんでやろうかともソーリスは思ったが、最近では見ることの少なかった晴れやかな表情と、冷えた頭のおかげで話を進めることに頭がいく。

「……ほんとに?」

 一応疑っておくことは忘れない。
 訝しげな表情をするソーリスに、ヤマトは晴れやかな笑顔を崩さないまま語りだした。

「うん。っていうか、いつものことなんだよこういうの。気にしてもらうようなことでもないよ」
「泣いたのに?」
「あはは……お恥ずかしい」

 照れたようにヤマトは笑う。

「情緒不安定ってやつかなあ……。たまに波が来るんだよね」

 誤魔化しかどうか、ソーリスにはわからない。だが表情が劇的に変わったことは確かだった。

「気、使ってもらってばっかりでごめんね。表面には出してないつもりだったんだけど、もしかしなくてもばっちりわかっちゃってた?」
「皆気づいてたよ。この前ギルド長室でこっそり会議とかあったけど、知ってた?」
「会議!?」

 ソーリスは、まるで世間に聞く家族会議のような有様になったそれを思い出した。
 ヤマトが元気を無くしていることにはギルド員皆が気付いていた。本人は隠しているつもりだったのでどう扱ったものかと頭を悩ませていたところで、ジェネラルが皆を集めたのだ。
 パーシヴァルが「あいつは兄貴信者だから、兄貴が元気づけりゃ一発なんじゃねえの」と発言したのに対して、ジェネラルが「俺ばっかりじゃ駄目なんだよ」と困ったように微笑んでいたのが、ソーリスにとっては印象的だった。ジェネラルはおそらく、ヤマトの心の拠り所がジェネラル一人だけになってしまうことを避けたかったのだろう。

「マジでか……うひゃー恥ずかしい。迂闊に元気なくせないなあ」
「情緒不安定ねぇ……」

 顔を赤くして微笑むヤマトに、疑わしげな眼を向ける。しつこいかもしれないけど、一応だ。これだけしつこくしておけば、この先また気分が落ち込んだ時もこちらを頼ってきやすいかもしれない。そう考え、敢えての執拗な追究だった。

「うん、不定期だけどなんかがスイッチになって無駄にテンション下がる時があってさー。適当に気分転換してるうちに自然に治っちゃうから、気にしないで。そんなん誰にでもあるでしょ?」
「本当にもう大丈夫なわけ?」

 前述の保険半分、本気で疑う気持ち半分。ソーリスはじとりとした視線をヤマトに向ける。
 だが、次なる言葉を受けたソーリスは、盛大に顔を赤らめることとなった。

「うん、大丈夫。ソルが抱き締めてくれたし……えはは」

(なんか、こう……あらためて言われると、はずかしくね!?)

 近年稀に見る勢いで、頬に血が集まる。ポーカーフェイスを作る余裕もなかった。片手を頬に押し当てたソーリスは、恥ずかし紛れに大声でまくしたてた。

「わーっ!! 言うなよ! 流せよ! い、今更だけどなんか俺すげー恥ずかしいことした気がする!」

 ヤマトはソーリスの珍しい反応に驚いたらしかったが、すぐに相好を崩した。

(この、ニヤニヤしやがって! かわいいなあくそ!)

 ソーリスはニヤニヤしながら覗き込んでくる想い人に、悪態になりきらない悪態を心の中でこぼす。桜色をした美しい唇の上がった口角が愛しいやら腹立たしいやら。
 最初はそんな複雑な気持ちを持て余していたソーリスだったが、あることを思いついて少しヤマトをからかうことにした。

「……じゃあさ、また落ち込んだら俺んとこ来てよ。気分上昇するまで抱き締めててあげるから。御希望なら添い寝も可。キスは一回5000ブランから」

 ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべての色を含んだ冗談に、赤面を返すヤマト。下品なのは平気なくせに、変なところで初心だ。
 白皙の頬を真っ赤に染めたままのヤマトが反論した。

「キス高いよ!」
「俺のテク甘く見んなよ?」
「テク披露するようなキスなの?! うわっ、ソルそれすげー破廉恥だよ。冗談だとしても男にそういうこと言わない方がいいよ」

 少しずつずれていく論点に、ソーリスは笑いをこらえる。

「なんだよー」
「女の子に言ってあげなよそういうのは。ソルかっこいいから誰でも落とせるよ」
「友情を大切にする俺の心遣い無駄にすんなよー」

 会話が終わってどちらともなく噴き出し、笑った。
 ソーリスはくすくす笑うヤマトを眺める。綺麗な笑顔に、抱き締めた時にも感じた庇護欲がことさら強まるのを感じた。その感情は得も言われぬ奔流となってソーリスの内を占有する。

「ヤマトは俺が守るからねー」
「えー何々いきなり」

 冗談のように伝えられたその言葉は、ソーリスの心からの決意他ならなかった。
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