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キツネのマフラー

作者:k.go
 こんこんと雪が降りしきるある日の朝。
 もうすでに日は昇り始めたというのに森の中に動物たちの姿は無く、しんと静まり返っていた。
 ときどき物音がする事があるとすれば、森の木々が葉に乗せた雪を、めんどくさそうに払い落す音ぐらいだった。
 思い思いに枝葉を伸ばす大きな広葉樹や針葉樹達。
 その中でひときわ大きな大木に、小さな窓が取り付けられていた。
 昼前になると雪が止まり、窓の隙間から太陽の日が中に明かりを届けると、ガタガタと窓が揺れ始めた。
 そして、バタンと勢いよく窓が開け放たれると、中からひょっこりと子ギツネが顔を出した。
「お母さんお母さん、見て見て!すっごく雪が積もってるよ!」
 黄色いふさふさな尾っぽをブンブンと振り回して、笑いながら言った。
 中にいたお母さんギツネは、編み物をする手を止め、椅子に座ったまま外を見た。
「ほんと、一日で真っ白ね。
 コンちゃんは雪は好き?」
「うん、寒いのは苦手だけど、大好き!」
「じゃあセーターを着れば、雪がもっと好きになれるわね。」
「うん!できたの?僕のセーター?」
 子ギツネは勢いよく振り向くと、バランスをくずして乗っていた椅子から転げ落ちた。
 お母さんギツネはギュッと目を閉じ、ドスンという音を聞くと、やれやれとため息をついた。
「大丈夫?」
「うん、平気…」
 子ギツネは小さな手で頭をすりすりと撫でて、えへへと笑った。
「じゃあこっちに来て後ろを向いて。
 着る前にサイズが合ってるか見てみるから。」
 母さんギツネはちょいちょいと手招きしながら、優しく子ギツネに話しかけた。
「うん。」
 子ギツネはタタッとお母さんキツネに駆け寄ると、背中を向けて、
「ねえねえ、この前より大きくなった?」
 と、ぐぐっと背中を押し出して言った。
「ふふっ、そんなに力を入れても大きくなんてならないわよ。
 ちゃんと力を抜いて座ってね。」
 お母さんキツネの言葉に、子ギツネはむーっとほほを膨らませた後、にかっと笑って座りなおした。
 お母さんキツネはやれやれと笑うと、セーターを子ギツネの背中に合わせ、
「さすが父さんの子ね。この分だとすぐに母さんを抜いてしまいそう。」
 と、にこやかに笑った。
「ホント?」
 子ギツネは満面の笑みで振り返ると、部屋の中を走り回って喜んだ。
 お母さんキツネは優しくその様子を見守っていたが、壁に掛かった綿のマフラーが目に入ると、涙腺を潤ませた。
 それに気付いた子ギツネは、
「お母さん?どうしたの?」
 と言って、お母さんキツネの膝に手を置き、顔を心配そうに覗き込んだ。
 お母さんキツネは、すっと涙を拭きながら、
「ううん、お父さんの事を思い出しただけなの。」
 と、少し声を震わせながら指で溜まった涙を拭いた。
 子ギツネはオロオロとした後、泣くお母さんキツネに顔をすりつけて、
「大丈夫、僕はいなくなったりしないから。」
 と、目を閉じて言った。
 お母さんキツネはその言葉を聞くと、子ギツネをぎゅっと抱きしめ、声を殺して泣いた。
 子ギツネは何も言わず、なされるがままにお母さんキツネに顔をうずめていた。
 どれくらい経ったのか、日の光が積もった雪を少し溶かし始めた頃、やっと落ち着いたお母さんキツネは、腕の力を緩め、
「ごめんね。もう大丈夫だから。」
 と、涙を拭いた。
「手伝えることならなんでも言ってね。
 僕、できる事ならなんでもするから。」
 子ギツネはたのもしく胸を叩いて言った。
 お母さんキツネは目尻を下げて、
「じゃあ羊のメリノさんのとこへ行って、マフラー用の毛糸をもらってきてちょうだい。
 このセーターでウチにある毛糸がなくなっちゃったから。」
 と言って、出来たてのセーターを子ギツネに着せた。
 子ギツネはクルリとまわって、出来たてのセーターをお母さんキツネに見せると、
「あったかーい。じゃあ行ってくるね。お母さん。」
 と、元気に言って家から風のように飛び出した。
 一人になったお母さんキツネはふうっとため息をつくと、薄汚れた綿のマフラーを手にとって、じっと見つめた。
「あなた、あの子はすごく優しい子になったわ。まるであなたのように。」
 と言って、マフラーを強く抱きしめた。
 窓からそっと家の中の様子を見ていた子ギツネは首を振ると、静かに羊の家へと走って行った。


「でね、ぼくが居なくなったらいっつも悲しそうにお父さんのマフラーを抱きしめるの。
 きっとお父さんはひどい人だったんだ。」
 羊の家で羊毛を毛糸球につむいでもらっている間、子ギツネは羊のメリノに愚痴をこぼしていた。
 メリノは糸車をカタカタ回しながら
「そんな事はないよ」
 と、優しく言った。
 子ギツネは前後ろ逆さまに座った椅子をガタガタ揺らしながら、
「じゃあなんで居なくなっちゃったの?
 お母さんはいつか帰ってくるとしか言わないし、あんまり聞いたら泣き出しそうな顔をするんだ。
 僕は父さんのことほとんど覚えてないし。」
 そう言って背もたれに首をだらんと垂らした。
「ぼくとお母さんはきっと父さんに捨てられたんだ。」
 子ギツネは身体をゆっくりと揺らしながら黙り込んでしまった。
 メリノはかけていたメガネを外すと、近くにあった本で軽く子ギツネの頭をコツンと叩いて、
「よく覚えていないなら、なおさら悪くいうものじゃないの。」
 と、優しく叱った。
「だって、だって、誰もなにも教えてくれないし…」
 子ギツネの目は涙でいっぱいだった。
「ぼくだってお父さん欲しかった。
 お母さんを悲しませる様なお父さんじゃなくて、優しいお父さんがよかった。」
 口をへの字に曲げてうつむいた子ギツネの頬を伝って、大粒の涙がこぼれ落ちた。
 それを見たメリノは、ふうっとため息をつくと、
馬鹿ばかね、知らない方が苦しいに決まってるじゃない。」
 と、静かに独り言をつぶやいて、子ギツネをちゃんと座らせた。
「いい?あなたのお父さんはとても優しいキツネだったの。
 誰がなんと言おうとその事に嘘偽りはないわ。
 これから話すのはあなたのお母さんに黙っててと言われた事。」
 いつもの優しい目ではなく、凛としたしっかりした目だった。
 子ギツネはまっすぐメリノの目を見ながらも、少し震えていた。
「やっぱりやめておいた方がいい?
 あなたが聞くにはもう少し…」
「教えて!ぼくは父さんのことが知りたい。
 ぼく、お母さんの助けになりたいんだ。」
 子ギツネはまっすぐメリノを見つめて言った。
 メリノには、その姿は子ギツネのお父さんの姿を重なって見えた。
(自分のためでなく母親のためにこんなに必死になって…オサキさん、やっぱりあなたの子だわ。)
 メリノは暖炉で暖められたミルクをコップに移すと、子ギツネに渡した。
「この話を聞いたら、あなたは私を許してくれないかもしれないね。」
 メリノはイスに座って深呼吸した。
「あなたのお父さんは私を守るためにいなくなってしまったんだよ。」


 秋も終わりに近付き、紅葉も色あせ始めた頃、私は一人、山を歩いていた。
 私は冬が始まる前に、どうしても大好物の山葡萄を食べたくて、離れた山にひとりで遠出をしていたの。
 出発したのは日がまだ東に片寄っているうちだったのに、目的地についた時にはすでに日が陰り始めていた。
 流石に一人で来たのは少し無謀だったかと思ったけど、木に実った葡萄を見ると、心が踊って恐怖心なんて何処かへ吹き飛んでしまった。
 だけど、すぐ私はに愕然としてしまった。
 なぜなら下の方のブドウは全て誰かに食べられたあとで、一つとして私の手の届く所になっていなかったのだから。
 それでも、私は諦めきることができず、葡萄を求めてさらに山奥まで入って行ったわ。
 今にして思えばとてもくだらない意地ね。
 一時間ほど探し回り、さすがに諦めて帰ろうかとしたとき、何処からかガサゴソという音が聞こえてきたの。
 流石に身の危険を感じて、とっさに隠れようとしたその瞬間、木の枝がバキバキと折れる音がして、たくさんのブドウと一緒に上からなにかが落ちて来たの。
 事もあろうに私の真上にね。
 その衝撃で私は目を回してしまったわ。
 どれ位たったのか、気がついたときには辺りが暗くなっていて、鋭い牙の獣が私の顔を覗き込んでいたわ。
 私は、もうだめだ!と思って、最後を覚悟しながら、ぎゅっと目を閉じた。
 すると、
「驚かしてすいません。大丈夫ですか?」
 と、その獣が紳士的な声で聞いてきたの。
 恐る恐る目を開けると、綿のマフラーをしたキツネが心配そうに覗き込んでいたわ。
 訳がわからずにほうけている私に、キツネは、
「助けていただいてありがとうございます。
 あなたのフカフカな毛のおかげで私は怪我をすること無く、無事に助かりました。
 なにかお礼をと思ったのですが、今はこれしか無いので。」
 キツネはそう言って頭を下げると、丸々としたおいしそうな葡萄を差し出した。
 私は困惑したわ。
 今まで会ったことも見たこともなかったけど、噂ではキツネは私達を妖術で騙し、食べてしまうと聞いていたのだから。
 しかし、目の前にいるそのキツネの目に濁りはなく、私を襲う気配もない。
「どうして?」
 私は口を開いた。
「いや、あなたのおかげで怪我もしなかったわけですし、命の恩人にブドウなどでは足りないのは承知の上なのですが……」
「そうじゃ無くて、なんで私を食べないの!私が気を失っているうちに食べればいいじゃない!」
 私はキッと睨みつけた。
 普通は一目散に逃げるものなのに、気が動転して、挑発のようなことを口走るとなんて我ながら呆れるわ。
 声を荒げて言う私をキツネは驚いた顔で見ていたけど、しまったという顔をした私の顔を見て、キツネはまた紳士的に微笑んだ。
「これは失礼しました。
 お詫びと言ってはなんですが、辺りも暗くなりましたので安全な所までお送りさせていただいてもよろしいですか?」
 と言って、片手を胸にあてて、また頭を下げた。
 私はキツネの不可解な行動に呆気にとられてしまった。
 罠ではないか?紳士的な態度で騙されるのでは?と考えたけど、結局選択肢などなかった。
 一人で帰るには暗くなりすぎていたうえに、キツネより恐ろしいオオカミの遠吠えがた聞こえたのだから。
「…もしもウソをついたりしたら許さないから。」
きもに命じておきます。」
 可愛げもない私の言葉にも機嫌を損ねること無く、あなたのお父さんはできる限り安全な道を選んで家の前まで送ってくれたわ。
 別れ際、私は礼をして帰ろうとしたキツネを呼び止め、家の中に入り、
「今日のボディガード代。
 その綿よりはいい素材でしょ。」
 と、窓から顔を出して毛糸玉を渡すとすぐに窓に鍵をかけ、崩れるように椅子に腰掛けた。
「なんなのよあいつは。意味がわからない。」
 しばらくは何もする気が起こらず、ぶつぶつと独り言を言うと、急にお腹が減り始めた。
 机の上に放り出されたブドウを、何気なく一粒取って口に含むと、今まで食べた中でもとびきり甘い味に驚いた。
 私は瞬く間にブドウをひと房食べきると、毛糸を渡す私にお辞儀をしたキツネの顔が浮かんだ。
「変なやつ」
 口では愚痴をいいつつも、なにか温かいお風呂に入っているような満たされたような気持ちがしていた。


「初めて会った時の私は可愛げもなにもあったものじゃなかったわ。
 紳士的なあなたのお父さんを危険な動物と決めつけ、本当の姿を見ようとしなかった。」
 メリノは紅茶をすっと口にし、はいた息でメガネを曇らせた。
「どうしてお父さんはたくさんのブドウと一緒に落ちて来たの?」
 子ギツネは不思議そうに尋ねた。
「あなたのお母さんにプレゼントしたかったらしいわ。
 お腹の中の子供にもってね。」
「それってもしかして…」
「そう、あなたよ。」
 メリノはにっこりと微笑んだ。
「二人にプレゼントするために、高い所に出来たおいしそうなブドウを取るのに夢中になって、気がついたらバランスが保てないほどのブドウを抱えていたらしいわ。
 その話を聞いたら、警戒していた自分がバカらしくて。」
 楽しそうに話すメリノは、思わずクスクス笑だした。
 一緒にクスクス笑う子ギツネだったが、少し複雑な表情になった。
 初めて聞く父の話。
 少なくとも父さんは、メリノさんに危害を加えるようなこともせず、家族のことをとても大切に思っている。
 ならなんでいなくなったのだろう?
 生きているならなんで帰って来ないのだろう。
 もしかしてもう…。
 小さい子ギツネはうつむきながら、コップのなかのミルクを見つめた。
 その様子を見ていたメリノは、温かいミルクを子ギツネのコップに足してあげた。
「確かあの日の一ヶ月後にあなたのお父さんにも暖かいミルクをご馳走したのよ。」
「一か月後に?」
「そうよ。」
 またメリノはクスクス笑だした。
「ある日の朝にドアをコンコンってノックをする音が聞こえて外に出るとね、あなたのお父さんが震えながらドアの前にいたの。
 秋も完全に終わっていたから明け方は息が白くなるほど寒かったわ。
 私は驚いて、こんな朝早くにどうしたのって聞いたらね。
 毛糸玉をもっとくれないかって言うのよ。」
 楽しそうに言うメリノと対象的に、子狐の顔色は曇っていった。
「まさか脅されたりとかしたの?」
 不安そうに子ギツネが尋ねると、メリノは首を振った。
「いいえ、最初は私も脅されるのかとも思ったけど、そのまえにあなたのお父さんは寒さでガチガチ震えながら気絶しちゃったわ。」
 子狐はドキドキしながら話を聞いていた。
「ほっておこうとも思ったんだけど、無礼をな態度をして自己嫌悪気味だった私は、あなたのお父さんに謝る意味でも、とにかく中に入ってもらって話を聞いてみたの。
 するとね、あなたのお母さんが毛糸玉を大層気に入ったらしくて、もっと喜んで欲しいから毛糸玉となにか交換して欲しいって。
 雪で辺りの景色の変わってしまった中、私の家を探してずっと森をうろうろしていたらしいわ。」
 子ギツネは肩の力が急に抜けてガクッと前のめりになった。
「お父さんって変な人だったの?」
 思わず苦笑いをしながら聞いてみた。
「何が普通かは人によるけど、私からしたら相当変な人だったわね。」
 メリノはまだクスクス笑っていた。
「で、メリノさんは何と交換するって言ったの?」
「それはね、、」


「友達ですか?」
 私はコクンうなずいた。
「たまにお茶したり、散歩したりする友達になるっていうのはどう?」
 と、満面の笑みでいった。
「長い間木の家に一人で生活していたので、ちょっとした話し相手が欲しかったの。
 一度に一つ毛糸玉をお土産にあげる。
 今はいっぱいあるから3つくらいでいいかしら?
 でも毛糸玉を毎日あげてたら私も丸坊主になっちゃうから、毎日来ちゃだめよ?」
「はぁ。」
 あなたのお父さんはポカンとした顔で話を聞いていた。
 後で聞いた話では、門前払いにあうことを想定して来ていたらしいわ。
 でも実際は、凍えて気絶した自分を中に運んでもらい、温かいミルクをもらって、毛糸と交換するものは別に要らないという私に、キツネなのにキツネにつままれた気分だったらしいわ。
「あの…」
 あなたのお父さんは戸惑いながら口を開いた。
「怖くはないんですか?
 自分で言うのもなんですが、私達があなた方からいいように思われてないのは知っています。
 なぜ私に優しくしてくださるんですか?」
「それはこっちのセリフ。あの日にあなたは何故私を襲わなかったの?」
 私はキツネの鼻を指差した。
「それは…」
 あなたのお父さんは言葉に詰まった。
「嬉しかったの。
 あの時あなたがなにを考えてたかわからないけど、とにかくあなたの紳士的な態度はとても嬉しかったのよ。
 それに、、」
「それに?」
「家族思いの人に悪い人はいないのよ。
 私が信用するのにそれ以上はいらないわ。」
 と、そんな話をしているうちに、気がつけば昼を過ぎていた。
「そろそろ帰らないと奥さんが待ってるでしょう。
 お父さんが何日もいないと、奥さんも心配するわ。
 毛糸玉とあったかい飲み物を用意してるからまた来てね。
 楽しみにしてるわ。」
「どうも、ありがとうございます。」
 そういって礼をすると、あなたのお父さんは嬉しそうに毛糸玉を持って風のように走って行った。
 その日から私とあなたの家族の付き合いが始まったの。
 初めの内は話をしているだけだったけど、信頼関係を築くのにそう時間を必要としなかったわ。
 私一人では行けないところに連れて行ってもらったり、あなたの家に行って抱っこさせてもらったり、一人で過ごしていた時に比べてとても充実した時間を過ごせたわ。
 あの日が来るまではね…

「何があったの?」
「あの日はあなたが生まれて一年後の冬の事なんだけどね。
 ああ、思い出すだけで胸が張り裂けそうになるわ。」
 そういうと、メリノは数回深呼吸をした。
 そして、ウンと小さくうなずいて、決心した。
「あの年のあなたの誕生日は、朝から狂ったように大雪が降る寒い日だったわ。」

 私はあの日、あなたのお父さんにもらったブドウで染めた、きれいな紫色の毛玉を持ってあなたの家にお祝いに行ったの。
 あなたのお父さんとお母さんは快く迎えてくれたわ。
「お誕生日おめでとう。
 ずいぶんと大きくなったわね。
 一年なんてあっという間ね。」
「ありがとうメリノさん。
 この子ったらすぐに外に出たがって大変なの。
 きっとパパに似ちゃったのね。」
「おてんばだった昔のお前にそっくりだと俺は思うけどな。」
「あらしつれいね。」
「あはははは…」
 その日はとても楽しくて、瞬く間に時間が過ぎて行ったわ。
 そして、すっかり日が暮れてしまった頃、私は帰る支度を始めた。
「何なら今日は泊まっていってくださってもいいんですよ。」
「気持ちだけで十分よ。後は家族水入らずで楽しんで。
 今日は招待してくれてありがとう。
 来年ボーヤがまた大きくなるのが楽しみね。」
「いつもすごくいい毛糸を頂いてホントに助かってます。
 またいつでもいらしてください。
 あなた、メリノさんを送って差し上げて。」
「わかってる。チビの事頼んだぞ。」
 あなたのお父さんはそう言うと、首にマフラーを巻いて先に外に出た。
「メリノさん。あの人をとっちゃだめよ。」
 冗談っぽくあなたのお母さんは私に言った。
 私はふふっと笑うと、
「あなたのプレゼントした綿のマフラーをしている限り、私の入る隙間なんてないわ。」
 そう言ってウインクをして、外に出た。
「メリノさん、行きましょうか。」
 あなたのお父さんは雪の積もった暗い道を歩き始め、私もそれに続いた。
 あの時、私が泊まっていけばあんなことにはならなかった。
 そう思えて仕方ないの。
 でも、その事件は起こった…

 ガサガサ…
 私が一人では通らない、少し薄暗い道を通っていた時、不意に森の中で草が揺れる音が聞こえた。
「なにかしら…」
 不安げに音のする方を見つめると、あなたのお父さんは、
「少し見てきますので、ここでじっとしていてください。
 すぐに戻ります。」
 そう言って、森の中に入って行ったわ。
 姿が見えなくなって、完全に一人になったとき、不意に後ろでガサガサという音が聞こえて、バッと振り返ったの。
 姿は見えないけど、小さなグルルルルという唸り声が聞こえると同時に、ガサガサという草をかき分ける音が茂みから聞こえてきた。
 私は怖くなって逃げたくなったけど、そいつらが森の茂みの中から姿を現したとき、絶望したわ。
 森の中から五匹のオオカミが、舌なめずりしながら私の事を見ていたのだから。
 私は力なくその場に座り込むと、すぐにオオカミが私の事を取り囲んだ。
「今夜はごちそうだ。」
「羊の肉だ。」
「腹減った。」
「誰から食べる?」
「どこから食べる?」
 オオカミは私の回りをグルグル回りながら、話していた。
「助けて…お願い。」
 私は涙をぽろぽろこぼしながら命乞いしたわ。
 でも、オオカミたちは聞こえてないように話を続けていた。
「邪魔ものもいなくなった。」
「どうせあんな奴なんかこわくもないけど。」
「あいつ俺らに気付いてた。」
「怖気づいて逃げた。」
「お前捨てられた。」
 私はそれを聞いて真っ白になった。
 不安感が絶望に変わっていくのがわかった。
 そして、体が動かし方すら忘れてしまった。
「うそよ。そんな…」
「ならなんで帰ってこない?」
「音がすれば普通無視するか逃げる。」
「守るなら傍から離れない。」
「ここら辺オオカミが多いの誰でも知ってる。」
「なのに離れた。」
 口々にオオカミが言った。
 そう言えば前にここを通った時にここには時々オオカミが出るから離れないようにって言われたことがあった。
 本当彼は私の事を囮にして逃げた…?
「捨てられた。」
「だまされた。」
「キツネを信じたから。」
「お前哀れ。」
「お前…」
 ドンッ!
 最後のオオカミが言い終わる前に、オオカミに向かって私は体当たりをした。
「なにをする!」
「体当たりした!」
「ゆるせない!」
「ゆるさない!」
「食ってやる!」
「黙りなさい!」
 私は大声で叫んだ。
 オオカミは驚き目を丸くした。
「私の事はどうでもいい!でも、彼の事を馬鹿にすることは私が許さない!」
 私は涙で前が見えなかった。
 口では彼を馬鹿にされたことを怒っていたけど、本当は裏切られたことを信じたくなくて、叫んだだけだった。
「喰う。」
「もう食ってやる。」
「殺してやる。」
「もう我慢できない。」
「グルルルル。」
 オオーン…!
 恐ろしい声を出しながら、オオカミたちが飛びかかり、瞬く間に私の事を押し倒すと、喉元に息がかかるのがわかった。
 最後を覚悟したそのとき、急に私を押し倒していたオオカミがギャンと叫び近くの木に叩きつけられた。
 グオオオオォォ!!
 オオカミの甲高い雄たけびとは違う、お腹の底に響くような野太い、唸り声が聞こえた。
 涙でよく見えないけれど、黄色い大きな塊がオオカミたちの前に立ちはだかっていた。
 急いで涙を拭いて目を開けると、クマほどの大きさがある、九尾の化けギツネが目の前にいた。
 終わった…
 オオカミに食べられるのも化け物に食べられるのも、もうどうでもいい。
 私は助からないと思った、そのとき、九尾の首に綿のマフラーが巻かれていることに気がついた。
「もしかしてオサキさんですか?」
 恐る恐る聞くと、小さく化けギツネはうなずいた。
「遅れてしまってすいません。」
「どうしてすぐに戻ってきてくれなかったんですか!
 もう少しで食べられる所だったんですよ!」
 私は化け物の姿になったあなたのお父さんにしがみついて叫んだ。
「すいません、回りにいるのが思いのほか多かったので、とっつかまえて釘をさしておこうと思ったのですが、うまく逃げられまして。
 それに…」
「それに?」
「あなたに恐れられたくなかったので、こんな姿で現れたくなかったんです。」
 恐ろしい姿で言ったあなたのお父さんの目は、とても悲しそうだった。
 私はブンブンと顔を横に振った。
「どんな姿でもいまさら恩人を恐れる訳ないでしょ。私は…」
 オオォォーン!
 近くの気に叩きつけられたオオカミが立ち上がり、耳をつんざくような高い声で遠吠えをした。
 森の中でオオカミの声が響き渡った。
 いろんな方向からオオカミの遠吠えが聞こえ、辺りに緊張の意図が張り詰めた。
「お前邪魔!」
「いつもいつも!」
「化け物でも関係ない!」
「お前はもう俺らのボスじゃない!」
「オオカミをなめるな!」
 この場所を中心に、森のいたるところにオオカミの気配が近づいてくるのが分かった。
 脅える私をあなたのお父さんは九つの尻尾で優しく捕まえると、大きな自分の背中に乗せた。
「人里の近くまで逃げます!」
 そういうと、ものすごい勢いで走りだした。
 次々と飛びかかってくるオオカミの群れを蹴散らしながら。
「どうして人里なんかに?」
「ここらへんの人里には猟師が多いんですよ。
 だらか人里にはオオカミも滅多に近寄ることもない。」
「でもあなたは…」
 九尾はさらに速度を上げ、話さなくなった。
 回りにはオオカミの群れが恐ろしい顔で追いかけてきていた。
 確かにあなたのお父さんは大きくて、すごく強かった。
 でも、オオカミの群れと戦いながら走る姿は、少しずつ疲弊していくのが目に見えて分かった。
「オサキさん、もう…」
 あなたのお父さんは速度を落とすと、人里の近くの岩場の前で止まった。
 走るのをやめたあなたのお父さんの足は、オオカミの牙や爪で傷つき震えていた。
「はい、ここまでです…」
 そう言うと、急に尻尾で私の事を捕まえて、岩場に空いた小さな洞窟に私を押しこむと、横に生えた大きな木に体当たりをした。
 その衝撃で木はゆさゆさと揺れると、ドドドッと大きな音を立てながら葉に付いていた雪を下に落として、小さな洞窟の入り口を完全に覆い隠してしまった。
「何があっても声を殺してじっとしていてください。
 明日には雪が解けて出られるでしょう。」
「どうしてここまでしてくれるんですか?」
「ただの意地ですよ。
 かっこ悪いオヤジにはなりたくなかっただけです。」
「でも…」
「見つけた!」
 オオカミが茂みから続々と現れ、すぐに囲まれてしまった。
「絶対に帰るからってあいつに伝えてください。
 おねがいします。」
 そう言うと、オサキさんは大きく息を吸って、グオオオオォォ!と大きな唸り声を上げた。
 オオカミ達も負けじとオオーンと遠吠えを上げると、一斉に飛びかかった。
 私は冷たいことなど気にもせず雪に耳を押し当て、外の様子を必死にうかがっていた。
 そして、長い闘いの末に、あなたのお父さんは力を使いはたし、元の姿になって倒れてしまった。
「俺たちの勝ちだ。」
「お前の負けだ。」
「岩場に羊隠したのも知ってる。」
「裏切り者のお前は何も守れない。」
「これで終わり。」
 オオカミ達が勝ち誇ったようにあなたのお父さんににじり寄った。
 そのとき、

 ズドン!!

 大きな爆発音が辺りにこだました。
 オオカミが音の方向を見ると、大量のたいまつの明かりが辺りを照らしていた。
「くそ!猟師か!」
「お前そのためにここに来たのか!」
「お前猟師を呼ぶために吠えたのか!」
「くそ!逃げるぞ!」
「逃げろ!」
 そう言って、オオカミ達はりなって森の中に消えた。
 しばらくは銃声が聞こえたが、次第にその音もしなくなった。
 そして、ひとつ、ふたつと松明が村の方へ向かって帰り始めた頃、倒れているあなたのお父さんの方へ向かって、足音がザクザクと忍び寄ってきた。
 雪のせいでよく聞こえなかったけど、あれは人間の声だった。
 私はとても恐ろしくなった。
 人は獣の皮を剥いで毛皮にすると聞いていたから。
「おねがい!待って!」
 私は人間の足音が近づく音が怖くて仕方なかった。
 あなたのお父さんが殺されてしまう。
 必死に雪を押しのけ、ひづめが削れて無くなるかと思うほど、雪を掘って掘って掘り続けた。
 でも、木から落ちて地面に叩きつけられ、押し固められた雪は硬く、少し掘れたと思っても、また新たな雪がその穴をふさいでしまった。
 私の血で白い雪が赤くなっても掘り続けた。
 あきらめることなんてできなかった。
「誰か!お願い…あの人を連れていかないで…」


 どうかあの人を殺さないで…


 暖炉の火がパキパキと音を立て、コトンと、割れる音がした。
「結局、溶けた雪を押しのけて何とか外に出ることができたのは、次の日の昼頃だったわ。
 でも、あなたのお父さんの姿はもうなかったの。
 あったのは無数のオオカミの足跡と人の足跡、それに血で汚れたあなたのお父さんのマフラーだけだった…。」
 子ギツネは眉間にしわを寄せ、複雑そうな顔をしていた。
「お母さんは、なんで本当の事を教えてくれなかったの?
 僕、本当の事を教えてくれないから、勝手に悪い人だと思い込んでた。」
「…。」
「僕、そんなお父さんにひどい事ずっと、ずっと…。」
 子ギツネは目に涙をいっぱいにため、グッと息を詰まらせた。
 メリノはそんな子ギツネをそっと抱きしめ、「ごめんね。」というと、子ギツネは大粒の涙をこぼして大声で泣いた。
 メリノも、ごめんね、ごめんねと、何度も繰り返し、泣いた。
 子ギツネのお父さんに助けられたあの日以来枯れてしまっていた涙を、とめどなく流した。

 夕方になったころ、子ギツネはメリノと一緒に紡いだ毛糸玉を手に、家に向かって歩いていた。
 その時、メリノは子ギツネのお母さんに聞いて知っていることを全て話した。
 子ギツネのお父さんが尾裂き《おさき》の異名を持つ九尾の妖狐だったこと。
 その妖術で森を治めていた森のヌシだったこと。
 そして、子ギツネが生まれたことで、そういう関係を断ち切ったこと。
 オオカミ達がそれを快く思っていなかったこと。
「あなたのお父さんは、いろんな危険が及ばないようにひっそりと暮らしたかったんだって言ってたらしいわ。
 あなたのために。」
「ねえ、どうしてお母さんはお父さんが死んじゃった事を僕に隠してたのかな…。」
 子ギツネはメリノに聞いた。
「あなたを悲しませたくなかったんだと思うわ。
 あなたが小さかったから。
 それにね。私もまだ信じてるの。」
「信じてるって何を?」
「それは…」
 メリノは急に立ち止まると、雪に残る足跡を見て息をのんだ。
 あの日の記憶が蘇り、血の気が引いていくのが分かった。
 人間の、猟師の足跡がキツネの家に続いていたのだ。
「どうしたの?」
「静かに!」
 バクバクと心臓が鼓動を打った。
 まさか子ギツネのお母さんまでも猟師の手に…
 メリノと子ギツネは静かに家に近づくと窓からそっと中を覗き込んだ。

「うそ…」
「お父さん…」
 そこには子ギツネのお父さんの姿があった。
「すまなかった。良い猟師に助けられたんだが、思ったより傷の治りが遅くてね。
 結局その人に送り届けてももらったし、頼りない旦那ですまない。」
 お母さんギツネは首を横に振ると、お父さんキツネにしがみついて泣いていた。
 メリノは窓から離れると
「よかったわね。」
 と、子ギツネに言った。
「うん。」
 子ギツネはうなずくと、窓枠から手を離して、メリノの横にちょこんと座った。
「どうしたの?お父さんに会いに行かないの?」
 メリノも子ギツネの横にちょんと座って尋ねると、子ギツネはうれしそうに、
「僕はずっとお母さんと一緒だったから。
 お父さんとお母さんがふたりの時間も欲しいかなって。
 ぼく大人でしょ?」
 と、尻尾を振りながら言った。
 メリノはふふっと笑うと、
「そうね。でもそこじゃ風邪をひいちゃうわ。」
 そういってメリノは子ギツネをひょいと持ち上げると、膝の上に乗せた。
「わ、あったかーい。」
 メリノの毛に包まれながら子ギツネは気持ちよさそうに言った。
「メリノさん。」
「なに?」
「お父さんの本当のこと教えてくれてありがとう。」
 やんでいた雪がまた空から降り始めた。
 止まっていた時間が動き始めたのを教えてくれるかのように…













お読みいただきありがとうございました。
小説に関して勉強したわけではないので、つたない部分が多々あるとは思いますが、出来るだけ努力して書いてみたので、少しでもいいなと思っていただけると、非常にうれしく思います。

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