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背中

作者:R
5分大祭に参加させていただきました。【5分大祭】で検索しますと他の作者さまの素晴らしい作品を拝見できますので、そちらもよろしくお願いいたします。
 丸くなったその背中に、昔の勇ましさを感じなくなってしまったのは何時からだろう。気づけば父は六十を過ぎていた。

 私の父は漫画に描かれたどこぞの親父の様に、厳格で頑固な人だった。幼少の頃は父と同じ食卓で食事をしたこともなく、小さいながらにいつも父の顔色を伺っていた。眉毛がぴくりと上がろうものならば、体中に緊張が走り、いつ怒声をあげられるのかとびくびくと怯えていた。けれど、あの時の父の姿はもうない。

 私の結婚が決まった時、父は何も言わなかった。成人してからは上京し、父と顔を会わすのも年に一度あるかないかとなっていたからだ。母はとてもマイペースな人で、父を置いてはよく一人、東京へと遊びに来ていたので一足先に彼を紹介していた。その為、結婚すると報告した時もさほど驚く事はなかったのだ。
「お父さん」
 式を来週に控え、私は里帰りをしていた。四月だと言うのにまだ桜も咲かず、夜は冷え込み体の体温を奪っていく。それなのに父はベランダを開け、半身を外に出しながら朧月の下、晩酌をしている。
「お父さんてば」
 私の声を聞かずといつまでも外の景色を眺める父に痺れを切らし、私も水割りにした焼酎を片手に父の隣に腰を下ろした。
 いつからだろう。父の顔をちゃんと見ていなかったのは。白髪は増え少し弛んだ頬の肉が、随分と歳を老いたのだと気付かされる。腫れぼったい瞼に隠れた瞳の奥は、どこか遠くをただ見つめていた。
「アズミ」
 視線を交わらす事なく、父が私を呼ぶ。昔のようなピリピリとした物言いではなく、一音、一音ゆっくりと丁寧に。
「はい」
 何処か懐かしい空気が流れた。父に名を呼ばれて緊張のせいか、背筋がしゃんと伸びる。昔よく、父に呼ばれると反射的に身を縮めた。目を合わすことすらも出来ずにただ目を瞑り、どうしたらいいのか分からずいたのだ。今は違う。いつの間にか父を真っ直ぐ見る事が出来るようになっていた。
「アズミが生まれた日を今も思い出すよ」 お酒のせいか少し赤くなった顔を、ひんやりとした夜風に気持ちよさそうにあてながら、父は話始めた。
「雪が降っていた日で、朝方病院からの電話で飛び起きたんだ」
 それは意外だった。家庭を顧みず一日中働いていた父が、私が生まれた日の事を覚えていたなんて。
 母から私が生まれた時の事を教えて貰ったことは何度かあったけれど、こうして父の口から直接聞くのは初めてだった。
「今の時代のように携帯があったわけでもないだろ? そうだったな。あれは五時過ぎた頃か」
 二十七年前の冬の朝を、父はどのように迎えていたのか、私は知る由もなかった。母はいつも父を不器用な人だから、と笑いそれでも父と一緒にいれて幸せだと言った。母の言う幸せが理解できず、どうして? と尋ねると、家族をこれ以上に想ってくれる人なんていないと言う。それがいまいちピンとこないのだ。
「初めての子供で、女の子か男の子かどちらが生まれてくるのかもわからんくてな」
 どちらが生まれても困らないように二人で名前を考えた事、贅沢だけれど女の子が良かったと、初めて耳にする事ばかりだった。
「何を用意したらいいか分からず手ぶらで病院へ向かって、お母さんを怒らせてしまったんだ」
「お腹がすいてすいてお母さんもう死んじゃうかと思ったんだから」
 グラスに入れる氷を運んできた母が、口を尖らせながら父を小突いた。寒いからと渡されたブランケットを膝にかけ、父の次の言葉を待った。
「初めてアズミを抱き上げた時、自分のそれまでの中で、いや今まで生きてきた中で一番幸せだと思ったよ」
 そう言うと、照れくさそうに飲み過ぎたと頭を掻きながら、父は更にぐいっと一杯飲み込んだ。
「お父さん、わたし……」
 この歳になるまで、父からの私への愛情は何処にあるのだろうといつも不安を抱えていた。どれを思い出しても片時も傍にいたのは母の方で、アルバムのページを捲って見ても父が写っていたのは数える程度だったのだ。
「アズミ」
 言葉に詰まった私の頭を少し皺のよった手のひらが優しく撫でた。男性のごつごつとした感触よりも、祖父母のよぼよぼとした感触に近い父の手のひらに溜まらず涙が溢れてくる。
「アズミ。お父さんは間違えてたんだな、きっと。お前の頭をこうして撫でる事よりも怒鳴った回数の方が多かったんだから」
 中学を卒業した後から、私は父を避けるようになっていた。どうせ、私に興味なんかないのだろうと顔を合わせば露骨に嫌がり、怒鳴り声などたまったものじゃないと部屋に塞ぎ込んだ。父が何を言おうと空返事をかえして父を拒絶した。
「ごめんなさい。私、何もわかってなくて」
 次々と瞳から溢れる涙を止める事が出来ずにいた。もし今日この話を聞いていなければ、私は何も理解もせずに結婚式を挙げていたのではないだろうか。なんて馬鹿なんだろう。
「お前が謝る事じゃないんだよ。父親なんて娘に嫌われるもんさ。特にお父さんはおまえや母さんに冷たく当たったりしてたからね」
 冷えてきたな、とベランダを閉めながら父は中へ入るようと促した。

 丸まったその背中を見ながら、何時かの日を思い出した。あれは初めて父から叱られた日だ。私の好き嫌いをなくそうと細かく刻んだ野菜を母に出され、気に入らずその皿をひっくり返した時。父は私を叩き大声で怒鳴った。背中を向けた父を見上げ、その時に感じた父親の強さと何時までも泣き続けた私を抱え上げた温かい腕。
 私は大切な事を忘れていたのだ。
「そんな事ない。今日こうやって話してくれて本当に良かったと思ってる」
 涙を拭いながらそう言うと、心なしか父の目にも涙が溜まっていた。
「アズミ。安心して幸せになりなさい」
 そう言った父は、これまでにない一番の優しい顔を私に見せてくれた。

 父の丸くなったその背中に昔の勇ましさを感じる事はなくなってしまったが、母が幸せだと笑う理由が漸くわかるような気がした。
 改めて見るその背中には、いつだって私達家族を想う父のその愛情が、こうやって私の胸いっぱいに広がる程に詰まっているのだから。
拙い作品に目を通していただきありがとうございました。
この企画に参加できたことを改めて感謝いたします。

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