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サンタのオクリモノ

作者:キュウ
今回のお話は、
以前投稿した3分短編『探し果て』の続編になります。
そっちを読んでいるといささか合点のいくとこがありますので、
読んでない方はそっちもどうぞ♪
 クリルは、肩からズレ落ちそうになった鞄をクイと上げた。中に入っているのは学校で使う一式の教材や文房具だけだが、ゴロゴロ石ころが入っているようで妙に重たく感じる。しかしながらそれは肩だけでなく、腕や脚などほぼ全身がそうである。
 その理由は、彼女が向かっている先に在る。
 クリルを囲む壁はあざ笑うかのように真っ白に染まって、見渡す限り清潔に整った空気がどこまでも途切れず続く真っ暗な隧道のように続いていた。
 窓の外では、どんより蠢くような灰色の空を点々とと白く彩る小さな雪がチラチラと降っていた。
 この廊下は院内の至る所に設置された暖房によって随分と温まっていて、そういえば首に巻きっぱなしのマフラーもそろそろ外したくなってくるほどだった。さっきまで歩いていた外は、今まで経験したことのないようないつまでも歯の根の合わない寒さで、やっとのことで玄関をくぐった時の歓びといったらなかった。クリルは、ここから見下ろせる路地を入れ代わり立ち代わり往来する老若男女が、足先から両肩まで全身が震えているのに対して、心の底から同情した。
 今日は十二月二十四日。世間は普段よりいっそう浮き立ち、なんなら飛び跳ねてすらも居るというのに、クリルはその波に呑まれることなく華やかな彼等の影に隠れて背中を向けて、この病院へと来ていたのだった。
「はあ……」と一つ息を吐く。外とこちらとの差に芽生えた虚無感が、自然と漏れてきてしまったのだ。もちろん場所が場所だけに、とても明るい気分には成れないのだが、この日を、普段と一風変わったこの日を憂鬱な気分で過ごすというのは、溜息の一つも出てしまうというものだ。
 重たい足取りのままに目的の扉の前に来た。これまでにも何度も来ている場所だが、何度も訪れては心の席を占める緊張を、未だに抑えられない。胸に手を置いてまた息を吐いた。この息は、気を落ち着かせる為のものである。
 そろそろと横引き扉を開き、そこに居る人に、無理矢理こさえた笑顔を向けた。
「お母さん。具合はどう?」
 もの寂しい景色を背負った窓際のベッド上で、布団にくるまり横になっている母もまた、余計な心配をさせまいと、やつれたままの目で笑みを向けた。
「うん……あまり変わらないみたい」
「そう……」
 言いながらクリルはマフラーを取って、鞄と一緒にベッドの脇の棚の上へ置いた。
「先生は、なんて?」
 今日は定期診断の日だった。今はもう夕方だから、既に結果を教えてもらっていると思われた。
 母は苦笑し、娘の心配そうな視線に耐えられずそっと目を逸らした。したくはない予想が当たっていたらしく、あまり良い結果ではなかったのだろう。母は結局、こう言った。
「うーん。まあ、薬は渡すから毎日飲んでなさいって、そうおっしゃってたわ」
「もっと気の利いたこと言えないのかなあ」
 クリルが呆れた顔で言うと、「仕方ないわよ。仕事なんだから」と母は戒めるように言った。そんな母の語気は、あれこれと話している内に段々と弱く成っていくのが感じられた。
 クリルはベット脇の椅子に腰掛け、なんだか落ち着かないという風に視線をあちこちへ通わせた。両手を腿の上で握り締めながら、やがて俯いて言った。
「ごめんね。私なんにもできなくて……」
「そんなこと気にしなくていいわ。あなたは……あなたはあなたの人生を歩めばいいの」
「でも……」
 そう言って手をもじもじさせるクリルを見て、母はやおら手を伸ばし、彼女の頭を優しく撫でた。
「いいから。母さんは大丈夫よ」
 クリルが顔を上げた先で微笑む母に、彼女は何も言えぬまま、ただただ唇を引き結んでばかりいた。

        *

 星の光もありはしない夕風漂う帰り路、クリルの携帯電話がにわかに鳴り出した。パカリと開けた画面を確認し、すぐに応答する。
「もしもし。お父さんどうしたの?」
 ――もしもし。母さんの具合はどうだい。
「うーん。あんまり変わらないって」
 ――そうか。診断は?
「それも、良い結果とは言えないみたい」
 ――そうか……。
 明らかな落胆の調子が聞き取れた。父も、クリルと同じように朝から気が気でなかったことだ。無理もないだろう。父が母のもとを訪れず、クリルに直接電話することでしか確認できないのにも、理由があった。
「……それで、どう? 今日は行けそう?」
 ――……。悪い。今日も、ダメっぽいんだ。
「……そうなの」
 父は日頃仕事が忙しく、日々帰りが遅くなることが多々あった。それが、母が病に倒れてからは更に激しくなった。今では、一日その姿を見ないことさえままある。
 クリルにとって日常は、徐々に徐々に影を色濃くしていっていたように感じられた。
 通っている中学が放課になると、すぐさま病院へ向かう。当然、友達とゆっくり話す時間も惜しく、矢も盾もたまらない様相で、さっさと校門をくぐるのである。病院では母と話すか、休んでもらえるようただその様子を眺めているだけかして、とにかく一緒に時間を共有した。より正確に言うならば、一緒に居る時間を大切にしようとしていた。無慈悲な役目を負わされた、悲しい目をした医者曰く、かなり深刻な状態なのだ。いつ、「これ」が終わってしまうか分からない。
 帰路も終わり、自宅の門をくぐった。見慣れた我が家の玄関は、クリルをにべもない薄暗さで迎え入れた。
 家に帰っても、やはり一人である。母はもちろん居ないが、父は仕事で、クリルが起きている間には帰ってこない。朝起きると、父とほんの少しは話せるが、すぐに出て行ってしまう。
 そんな毎日が、ずっと続いていた。
 ――ごめんな……。
 そんな囁くような謝罪が聞こえた。
「ううん。気にしないで」
 ――じゃあ、まだ忙しいから。
「うん。お仕事頑張ってね」
 ――ああ。ありがとう。クリルもきちんとご飯食べるんだよ。
「はい」
 電話を切ろうとした時、クリルはふとある事を思い出した。
「あ、そうだ、お父さん」
 ――うん? どうした。
「えっと……その……」
 ――どうしたんだ?
 しばらく考えて、クリルは言おうとしたそれを、喉の奥で止めた。
「なんでもない。またね」
 ――……ああ。分かった。
 そう言って電話を切り、携帯電話をポケットに閉まい中空を仰いだ。
「言えるわけないよね……」
 言おうとしたのは、クリスマスプレゼントの事である。毎年、父親が必ず何かをプレゼントしてくれた。クリルは、それが楽しみで仕方がないのだ。
 だが、今年はそれが望み薄である。そんなのは当然の事で、我慢する必要があるのは重々承知している。だが、心のどこかで残念に思えてならないのだ。全く自分勝手であると、彼女は何度も自分を叱咤した。
 クリルは自室に入り、ベッドに突っ伏した。
「……あれ?」
 何故だか、涙が出てくる。悲しい事なんか何も起こってないのに。未だ、本当にどうしようもなく悲しい凶事は起きてないはずなのに。どうしてだろう。
 そのとき、クリルは自覚した。そして、己の脆弱な意思を憎みはじめた。……自分は、心のどこかでは、この現実にもうとっくに嫌気が差しているのだ。原因は、母だ。だからどんな事だって我慢できる。そう思うようにしていた。だが、それは到底困難な話なのだ。今後、これに耐えていけるのだろうか。こんな状態がずっと続いて、果たして自分は、母に対して何も思わずに居られるだろうか。
 この現状に終止符を打つのが、自分に成りはしないだろうか。
 そう思うと無性に怖くなり、涙があふれた。
 ……ああ。もういやだ。
 そんなことを考えてしまう自分が、ますます嫌になった。
 今は、とにかく何も考えないようにしよう。じゃないと、出しちゃいけない結論に辿り着いてしまう。
 そう思うと、クリルは涙をポロポロと流しながら、静かでありながらも荒々しく、眠り始めた。

        *

 クリルが目を覚ました時、もうとっぷりと日が暮れていた。朧げな視界を正しながら時間を確認してみると、十二時を回っていることが分かった。いつもなら既に深く眠っている時間だ。クリルは風呂にも入ってないことを思い出し、さっさと部屋を出ようとした。……すると。
「……?」
 どこからか、鈴の音が聞こえてくるのだ。
「なに……」
 シャンシャンシャンと、リズム良く鈴が鳴りながら、その音が徐々にこちらへ近付いて来る。
 すると、突然窓から眩しいばかりの光が射し込んできた。
「え……!」
 そこには、赤い服に赤い帽子を被って、なんとトナカイに引かせたソリに乗った老人が居た。
 彼は紛れもないサンタクロース。俗世間において、子供達にプレゼントをくれると言われている愉快な老人。そのサンタクロースと思われる彼は、ふさふさの白髭をたわわに揺らしながら部屋の中を見渡し、クリルの方を見ると、窓を開けてくれるよう指をチョンチョンと動かした。
 どう考えても怪しい状況だが、泥棒だとしたらあまりに派手過ぎる。普通はこんな怪しげな老人のために窓を開けるなど愚の骨頂だが、こんな状況にあってはまともな判断などできようはずもなく、クリルは少々戸惑いながらも窓を開けてやった。
 すると赤服の老人はニッコリと笑ってこう言った。
「メリークリスマァス」
 クリルはただただ呆然としていた。
「ワタシはサンタクロース。子供達に夢をあげるために世界をまたにかける旅人さ」
「あ、あの……」
「さあ。君は何が欲しい? 言ってごらん」
 何が起こっているのか全く分からない。なぜサンタがこんなところへ来てプレゼントをくれると言うのだろう。
「私……別に……」
 そう言うと、サンタはその朗らかな笑顔を引っ込めて、ソリに乗ったまま手招きをした。
「何?」
 彼はうってかわって神妙な目付きを見せて、貫禄ある笑みでこう言った。
「おいで。君のことは分かっている。だから来たのさ」
「え?」
「母親が病気で、父親は忙しくてクリスマスプレゼントも用意できない。君はそれが嫌になっているのだろう?」
 クリルは驚いて目を見開いた。
「な、なんで知っているの!?」
 サンタはまた、皺を寄せて穏やかに笑みを浮かべると「ホッホッホ」とそれらしく高らかに笑った。
「分かるのさ。ワタシはサンタクロースだからね」
「分からないんだけど?」
 また「ホッホッホ」と笑った。
「まあとにかく。ワタシとしては君のことは放っておけないのさ」
「それって……助けてくれるってこと?」
「助けになるかは分からないが、君に見てもらいたいものがあるんだ」
「見てもらいたいもの?」
「ああ。だから、一緒に来てみなさい」
 実に怪しいが、クリルにとってそれは、差し伸べられた唯一の手。これが仮に何かの犯罪なのだとしたら、それで何もかもが終わるのも良いかもしれない。とてもろくな晩年とは言えないけれど、もうそんなことはどうでもよかった。まさしく彼女は、わらにもすがる思いで、こくりとうなずいたのだった。
「分かった。行くわ」
 彼は再び「ホッホッホ」と笑った。
「では、こちらへ」
 招かれるままにクリルがソリに乗ると、ぐんとソリは揺れ、ほんとに浮かんでいるらしいことがはっきりわかった。興味深そうにもやう小舟のように上下に揺れるソリから辺りを見回しているうちに、トナカイが脚をせわしなく動かし始め、ソリはグングン前進し始めた。サンタが来たときと同様、鈴の音が響き渡った。

        *

 サンタとクリルを乗せたソリが、夜の街の上を渡って行く。サンタはソリの前方でトナカイを操り、クリルは後方でソリの中をしげしげと見回していた。
 トナカイが走った後には、土色の轍の代わりに飛行機雲のような無数の光が残り、まるで天の川の上を走っているようである。そうしてソリの下方がよく照らされて、サンタやトナカイの足元などは完全に隠れてしまうほどだ。
 クリルの隣には真っ白の大袋が在る。サンタをイメージすると、大きな袋を背負っている姿が思い浮かぶ。この袋がそうだとしたら、中には大量のおもちゃが入ってるはずである。それが気になり、サンタに中を覗いていいか訊いたのだが、
「ホッホッホ。夢は、叶うときに初めて開かれるものさ」
 とよく分からないことを言われてしまった。その言動がなんとなくお為ごかし上手の詐欺師のようでもあったけれど、多分見るなと言いたいのだろうと、彼女は素直に腰をおろした。
「これって、どこに行っているの?」
 気になっていた事を訊いたが「ホッホッホ。着いてみるまでのお楽しみさ」と言われた。
「ああ、そう……」
 あしらわれていると思われた。
 サンタクロースというのは陽気なおじいさんであると思っていたが、これでは笑っているだけの単なる胡散臭いおやじである。
「街の人達に、私達のことは見えないの?」
「さあ、どうだろうね。ワタシには分からないな。下からこちらを見上げたことがないものでね。いつだってワタシは夜空と夜風だけが友達だからね。ああ、もちろんトナカイくんやソリも友達だけどね」
 確かにもっともだ。よしんば見えていたとしても、もはや取って返すことができるわけでもないし、どうしようもなくそうしたいという気概も無い。愚問だったと少しばかり反省した。
 もう一度街を見下ろしてみた。ビルばかりの場所や、住宅続きの場所。いずれにしても灯りだらけで、まるで夢が現実と入れ替わったようだった。
 サンタクロースは毎年こんな風に過ごしているのか。そう思うと、この老人のことがとても羨ましく思えてきた。それだというのに、クリルの目にはうっすらと陰りが見られてきた。……ああ、どうして、いつから素直に喜ぶようなことを忘れたのだろう。
 しばしソリに揺られていると、不意にソリにブレーキがかかったように振動が走った。すわ何事かとサンタの顔を伺ったところ、あくまで彼は悠揚迫らぬ様子で、ブレーキの衝撃もものともしていなかった。
「ごらん」
 サンタが振り向いて、あの笑顔を向けた。その右手は下のほうを指差している。
「……?」
 ソリの縁に手を掛けて、指差す先を見てみた。
「あれは……?」
 そこには、一人の少年が居た。いつの間に訪れていたのだろう、街中の喧騒を離れた、灯りもまばらな閑静な住宅が立ち並ぶ一角で、誰も知らないうちにこっそり線引きされたように伸びた一本の路地。そこを照らしているのは街灯の薄白い光のみで、そこら一帯を灰色に染めあげていた。少年はトボトボと路地を歩きつつ、時折左右に揺れて、その気力の欠落が見て取れる様子でどこかを目指しているらしかった。黒の外套を着て、白い息を幾度も吐いている。そういえば今日は随分寒かった。と、思うと、なぜだかソリの上は暖かいことにも気づいた。
「あの子は?」
 クリルが訊くと、サンタは緩めの速度でソリを進めだした。金のモールのようなソリの軌跡は、それでも光を失わない。
「……しばらく、彼を見ていよう」
 言われた通り、大人しく見ていることにした。彼の動きに合わせて、サンタはソリを移動させて行く。
 少年は尚も歩き続けた。相変わらず力無い、雪のようにフラフラとした動きで、色の無い路地を歩き続けた。彼の動きのせいも在るだろうが、灰色の路地と光り輝くサンタクロースのソリ。それらは悲しく成るほどに対比しているように思えた。……つい最近、似たようなことを考えた気がする。今は明るい側に居る。それなのにクリルは、素直に喜びを感じられなかった。
 やがて、少年の様子に変化が表れた。
 その動きが止まったのだ。外套のポケットに両手を突っ込んだまま、顔をやや俯けて、その場で立ち止まった。
「どうしたのかしら」
 クリルの呟きに、サンタは何も言わない。彼は何かを知っているのだろうか。いや、知っているのだから、ここへ連れてきたのだろう。クリルはことさらに尋ねようとはしなかった。
 少年はポケットに突っ込んでいた手を片方出して、その掌を見た。何をしているのか分からないが、その直後に少年は震えだし、即座にポケットにまた手を突っ込んだ。
「掌に何か付いてたのかな」
 クリルがそう言うと、サンタがこれには答えた。
「自分の掌に脅えてしまったんだ」
「どういうこと……?」
「手の皮が所々剥けているんだ。しかも、寒さと貧しさで手が白く成っている。それが、彼にはまるで死人の手のように見えて、怖くなったのさ」
 死人という言葉を聞き、クリルは背筋に悪寒が走ったのを感じた。彼女は自身の掌を見た。ツルツルしていて、血色の良い肌色をしている。これは、別段自分が望んだり努力したり、是が非でも欲しいと思って手にしたものではない。こんなものが、彼には無いのだと言う。
「……どうして、そんなことを知っているの」
 気になって仕方がない事を尋ねた。
 するとサンタは、「フッフ」と笑った。
「不思議な存在には秘密が多いものだよ」
 またしても受け流されてしまった。しかし確かに、現実味のある回答をされても困るばかりな気がする。それにしても、とクリルは顔を強張らせる。秘密だという事はつまり、彼はそれを隠したいと、そういう事なのだろうか。
 少年は、しばらく棒立ちしていた。サンタの言うように恐怖に震えているのなら、頭の中で聞くも無惨な後ろ向きの考えを渦巻かせているに違いない。
 オォン!
 突然、犬の鳴き声が響いた。
 夜中に犬が吠えるのはよくあることだ。彼らは、人間が皆寝静まった中で何を訴えているのだろうか。腹を空かせて餌を乞いているのか、彼らなりに寂しさを感じているのか、実際のところは当人たちにしか分からない。
 しかし、少年にとってその鳴き声は、単なる遠吠えだとは思えなかったようだ。
「あ……」
 少年は俄然に駆けだした。さきほどまであんなにもゆらゆらしていたのに、まるで一変してものすごいスピードで走っている。
「何があったのかしら」
「追ってみよう」
 そう言ってサンタはソリを少年のスピードに合うよう走らせた。冷たい太刀風を全身に受けて、少々肌寒さを感じ出した。サンタの恰好が羨ましく思えた。
 少年が走って辿り着いたのは、とある空き地だった。
 空き地中に背の高い雑草が茂り、長年放置されていたことがよく分かる。それでも、しっかりとした用途が有るらしいと分かるのは、空き地の前に「私有地」と書かれた看板が在るからだ。
 さらに看板の真下には、犬が身を沈める段ボール箱が置いて在った。少年はそれを見ると、膝を突いて座り込み、その犬を撫でた。
「あの犬……捨てられてたのかな」
「そのようだね」
「あの子は、あの犬を探してたの?」
「……それは、どうも違うようだよ」
「え?」
 少年の方を見ると、彼は看板の後ろに移動していた。
「う……」
 そこには、全身が赤黒く染まり首がグッキリとおかしな方向に折れ曲がった、瘦せ細った満身創痍の犬が居た。それを目にしたとき、クリルはこみあげる悲鳴を抑えるのに必死になった。
「なに……どうしたの……」
 クリルは手を口に当て、それ以上出そうな言葉や嗚咽を懸命にこらえながら、かろうじて幾らかの言葉を並べた。
「あの犬……何があったの」
「車に轢かれたんだ。ひどい話だね」
「それで、あそこに捨てたってこと……?」
「そうなんだろうね」
「そんな……」
 世の中には数え切れないほど多くの人間が居るが、その数と同じだけ異なった思念がある。だとしても、そんな事をする人間がいるというのは、どうにも現実味が無いような心地がして、にわかには信じられなかった。
「ひどい……」
 そして、少年は犬にひしと抱きつき、微かな吐息さえも漏れ出でない傍らで、一緒に眠りについたようだった。

        *

「私に見せたかったのって、これのことなの?」
 サンタにそう訊くと、彼はかぶりを振った。
「まだ、これだけじゃないさ」
「他に何があるって言うの」
「言ったはずだよ。サンタは子供に夢をあげるって」
「うん」
「今から、彼に贈り物をするんだ」
 そう言うとサンタはソリを動かし、全く違う方向に向かった。
「どこへ行くの?」
「プレゼントを用意するんだ」
 そう笑って言った。
 着いた所はまたどこかの寂れた路地。さっきと同じく、灰色の路地。さっきと違うのは、歩いているのが少年でなく一匹の犬だという事。
「あれ? あの犬って」
 クリルは、不思議でたまらないといった調子でそう言った。今あの路地を歩く犬は、紛れもなくさっきひどく哀れな様相で倒れていた犬と同じ犬だという事に気付いた。外見、顔、何もかも同じである。
「どういうこと、なの?」
「もうすぐ分かるよ」
 サンタに従い、しばらく待つことにした。
 犬はポテポテ歩く。どこを目指しているのかは分からない。人であれ犬であれ、実際のところの心算というのは、当人にしか分からないものであるからだ。
「彼はね」
 サンタが口を開いた。
「彼は、さっきの少年の友達なんだよ」
「ペットって事?」
 しかしそれにサンタは肯かない。
「そうじゃない。そのままの意味さ。彼は、あの子の唯一の友達、唯一の味方なのさ」
「……どういうことなの」
「聞きたいかい?」
 そりゃあ、ここまで観て何も知らずじまいというわけにはいかない。引き下がりたくない。
「うん」
「じゃあ、あの子の事を教えよう。あの子は、文字通り独りきりだったんだ。小さい時に、親に捨てられた」
「そうだったの」
「そのせいか、幼い頃から誰を頼ればいいのか分からないし、頼るすべがあるのかも分からなかった。ただ、食料を見つけては貪って、なけなしの実入りでなんとか生きてきたんだ」
 世の中には、確かにそういう子供も居る……そういう話を聞いたことだけはある。ただそれに対して自分が何かをしようとは、思ったことが無かった。
「そこで出会ったのが”彼”だった。彼は、彼の唯一の味方に成った。具体的に何をしたというわけじゃない。一緒に居て、ただ一緒の時間を過ごしただけ。それだけだけど、あの子はそれで満足してたんだ」
 あの少年の、血塗れに成った犬を見つけた時、すがるように抱きついたのには、そういう理由が在ったようだ。
「でも、ある日突然、彼は居なくなったんだ」
「どうして……?」
「あの子の食料を探しにだよ」
「食料を?」
「そう。今までは、人の目を盗んで手に入れてたけど、そんな事は長く続かないんだ。街の人達が、気付かないはずないからね。それが分かっていたのかどうか、彼は、あの子の分の食料を探し始めた。それが居なくなった理由だよ」
「……優しい子だったのね」
 クリルの小さな呟きは、サンタの耳にわずかに届いただけだった。それでも、しっかり返事をしてくれる。
「そうだね。優しくて、賢くて、本当に味方だったんだ」
「でも、それをあの子は知らないのよね」
「そう。だから、さっきみたいに毎日街を探し回って居たんだ」
「そうだったの……」
 また”彼”を見る。
 その足取りから少年のような弱々しさは感じない。だが同時に、力強さもまた感じれない。今、彼は何を考えているのだろう。その思いは分からない。……どうして、通じることが叶わないのだろう。それくらいのこと、自由にしてくれもいいのに。
「さあ、来たよ」
「あ……!」
 彼の向かい側から、路地にぴったりとはまるくらいの巨大なトラックが走って来た。
「まさか、あれが……?」
「……」
 サンタは黙り、それを見守っている。
 トラックは無慈悲なほどにスピードを落とさずに、ゴオオッとすさまじい音を立てながら、地面を恐怖させるように震えさせて、彼に迫っていた。真っ直ぐな路地に逃げ場など無く、しかも彼は疲れているからなのかトラックに気付いている風にも見えない。今は、どういうわけかあの歩が弱々しく見える。
「あ……あ……気付いて……」
 クリルの願いは中空に溶け込み夜風に消えていくのみで、何の効果も得られない。
 そして、トラックの出すライトが犬を照らし、彼はようやく気付いた。
「あ……!」
 グシャリという不気味な音と共に、彼は遠くまで飛ばされ、地面を擦りながら、同時に血塗れに成りながら転がっていき、やがてその体は、完全に力を失った。
「……」
 クリルは目を伏せて、胸の前で拳を握った。この力をどこにぶつければいいのか分からなかった。
 そして、トラックから男が出て来た。わなわなと手を震わしながら彼に近寄り、そのまま抱きかかえ一緒にトラックに乗ると、どこかへ行ってしまった。
 寂れた路地は再び静かなだけの殺風景な景色を取り戻した。
「見てごらん」
 サンタは未だ何かを見ろと言う。彼の指差す先を、クリルは恐る恐る見てみる。
「あれ?」
 そこには、あの犬が居た。だが、色が薄くなっている。まるで幽霊のようだ。
「どうしたの? あれ……」
「あれは、さっきの犬の霊だよ」
 全く信じ難い話だ。だが、サンタクロースとこうして一緒に居るのだから、幽霊が信じられないというのはそれこそ信じ難い話だ。
「さあ、行くよ」
 サンタはソリを動かし、その霊に近付いた。
 するとサンタは、その犬に大袋から取り出した赤い紐を括り付けた。
「あれ、触れるの」
「……ふふ。まあね」
 それもまた、不思議な存在だからと言うところなのだろうか。
 そして犬を引いたまま、ソリは低空飛行であの空き地に戻って来た。その間、彼が引きずられないよう、ゆったりと進んでいた。
「あ」
 あの少年が、色を薄くして、上空へ昇っていた。その瞳は虚ろげで、もはや何事も考えられないといった無の境地を感じさせた。彼がどこへ向かっているのかは分からないが、無性に気が急いてしかたがなくなった。
「ねえ。急がないと!」
 慌てたクリルがそう息巻くと、サンタは犬に付けた紐を外した。すると、彼は少年を追うように空へ昇った。
 やがて、双方姿が見えなくなった。
「あの子達、ちゃんと逢えたのかな……」
 クリルが心配になってそう言った。それに、サンタは答えなかった。

        *

 帰りのソリの上で、サンタはこう言った。
「いいかい。君は、彼のように全てを失ってはいないのだろう?」
「……」
「一緒に過ごすだけの時間は、確かに何も感じさせはしないのかもしれない。だけど、そこに見えない幸福があることに、本当は君も気付いているのだろう?」
 クリルは無言で肯いた。彼女は少しばかり、泣いていた。

        *

 家の玄関の前で、ソリは止まった。もう夜も遅く、人の居る気配は全くない。
 ソリを降りて、クリルは振り向いて言う。
「ありがとう。サンタさん。私……ちゃんと頑張ってみる」
 サンタはやはり快活に「ホッホッホ」と笑う。
「それを聞けてワタシも満足だよ」
 クリルは手を差し出した。サンタはその意図を汲み取り、同じように手袋をした片手を差し出した。
 握手をしようとした時、手が届かなくてサンタが少し前屈みに成った。
 その時。
「……!」
 今まで光に隠れていたサンタの足元がソリの外に出て来た。そして、風に吹かれたズボンが、まるで干されたタオルのようにヒラヒラと靡いたのが、否応なしに目についた。
 さらに、握手をすると、これも握った手袋の中には何も入っていないように柔らかく、力を込めれば潰れてしまいそうだった。
 そう思ってよく見ると、トナカイも、今まで光でよく分からなかったが、なんだか妙に色が薄いように感じた。
「あ、あの……?」
「……」
 サンタはそれでも笑い、手を離すとそのまま手を振った。「またね」と言って、サンタはソリを動かし、夜の空へ消えて行った。
 鈴の音が、また響いた。

        *

 ふと顔を上げると、クリルは母の病室に居た。ベッドに突っ伏して、母の横で寝ていたようだ。
「夢……?」
 なるほど、確かに夢なら、今までの事が全て納得できる。結局、自分の願望をそのまま頭の中だけで実現させたに過ぎなかったのだ。
「はあ……」
 ため息が出た。大いにガッカリしたのだ。
「お、目が覚めたのか」
「え……?」
 横を見ると、父が居た。クリルと同じように椅子に座って、そのまま一緒に寝ていたようだ。
「お父さん……来れたの」
「ああ。なんとかね」
「そう、良かったわ……」
「あら、二人ともやっと起きたのね」
 そう言ったのは母だった。
「お母さん? 起きてたの?」
「うん。ずっと起きてたわよ」
「体調は? 大丈夫?」
「えぇ? 何言ってるの。今日の検査の結果で、大丈夫そうだって言われたわ。あなたにもそう言ったじゃない」
「え?」
「俺もそう聞いて、喜んで来たんだよ?」
「え?」
 母は不思議そうに娘の様子を見ながら、微笑んだ。
「私……言わなかったっけ」
「え……えぇぇ……」
 一気に全身から力が抜けた。喜びと虚しさが同時に襲いかかってきて、思わず涙が出た。
「あらあら。ごめんなさいね。言い忘れちゃったのね、私」
「そんな重大なこと忘れないでよ……」
 嗚咽交じりの声でそう言った。
「あれ? クリル。それはなんだ」
「……え……?」
 父が指差すのは、クリルの右手だ。さっきから、無意識にギュッと握り締めていた。
「そう言えば……」
 そう言えば、何かを持っている。手の中に不思議な感触を覚える。きっとグシャグシャに成っているが、何かの紙のようだった。
「あ」
 開いてみると、赤と白と緑で彩られた小さなカードに、手書きの文字でこう書かれていた。
 ――貴方にささやかな夢を 友より
 外を見ると、重たげな灰色が印象強い、雲り空は去っていて、真ん丸の月がまどろみ微笑むように光っていた。
「……私もまだ子供なのよね」
 クリルは自嘲するように笑って呟き、そのサンタの贈り物をそっとポッケにしまった。
 再び視線を向けた窓の外、空には雪に代わって星が一面に散りばめられていて、それが、トナカイの走った跡のように思えた。
おつかれさまでした。
珍しくちょっと長めの短編を書いてみましたが、いかがでしたか?
えらく季節外れのお話でしたね(笑)
なにせ思いついたのがクリスマスの時期だったもので。
次季節ネタやるきはもうちょっと時間が合うように仕上げますね。

HP(→http://kyunote.blog.fc2.com/)にて
コメントや編集後記、ほかのお話のまとめも掲載しておりますので
ぜひこちらにもどうぞ

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