季節の女王と季節のない男
「春の女王はどこにいるの!?」
壁から天井まで彫り深く装飾の施された重厚な玉座の間に、嗄れんばかりの大声が響き渡った。玉座の間中央を縦断する赤い絨毯の最奥、1つ上がった檀上に玉座が五つ横並びしている。その内の1つに座る夏の女王の声であった。
鮮やかな新緑のドレスに身を包む夏の女王は、真っ赤な口紅を塗った唇を歪ませ、ふんと鼻を鳴らして肘掛けに頬杖をつく。
その眼前、見下ろす先に立つ大臣は、ハンカチで汗を拭き声を震わせて答える。
「た、ただいま兵をあげて春の女王を捜索しておりますが、町から森から草の根分けて探しておりますが、なにぶん、その、天候が悪く雪も積もっておりますのでなかなか……」
「冬が終わらないんだから雪なんか積もってて当たり前じゃないの! 馬鹿言ってないで早く春の女王を見付けてちょうだい!」
大臣は悲鳴のような返事をして走って出ていった。
「あんなに怒鳴っては可哀相だわ」
秋の女王が愁いた様子で呟く。紅葉のような紅いドレスを身に纏い頬に薄く朱をさした化粧の秋の女王は、夏の女王とは中央の玉座を挟んだ位置に座っている。
「それにしても、冬の女王も春の女王もいったいどうしたのかしら」
続けて言った秋の女王のその言葉に、夏の女王は頬杖から顔をあげて声を張り上げた。
「どうかしてるのは春の女王よ! あの能天気が悪いのよ! 冬の女王と交代しに行ったきり行方を眩ますなんて何考えてるのかしら!」
無責任だわ! と再びふんと鼻を鳴らして頬杖をつく。
その時、玉座の間の入り口の扉が開かれた。兵士二人の手によって開かれた扉から現れたのは、赤に金をあしらった外套を羽織る王であった。
「大きな声を出すなと言うのに」
王は蓄えた白い髭に付いている雪を払い落とし、王冠と外套を脇に立つ兵士に預けて自分の玉座へと歩む。
王が玉座に座るのも待たずに夏の女王が声をあげる。
「だけれどこのままだと皆こごえてしまうわ!」
わかっておるわかっておる、と王は返事をしながら中央の玉座につき、両隣に座っている夏と秋の女王に正面を見るよう手で促した。
「連れてきた」
王が手を向けた先に、一人の青年が立っていた。王と一緒にこの玉座の間に入ってきたようだが、あまりに存在が稀薄で二人の女王は気付かなかったのである。
青年は平民のようだった。あまり裕福とは見えない色のない服、あちらこちらと好き放題に跳ねた髪、ただの貧しい平民のように見えたが、王族を前にして畏れる様子もなく頭をポリポリと掻いている。
「どうも」
と青年が言った。聞いたことのないあまりに無礼な物言いだったために夏の女王は怒りで硬直し、秋の女王は唖然としながら「はぁ、どうも」と返してしまっていた。
「どうも、ですって!?」
我にかえった夏の女王が叫んだ。
「平民の分際で膝をつかず頭もさげず挙げ句の果てに『どうも』ですって!? なんて無礼な男なの! 誰かこの男を……」
「まぁ待ちなさい」
早くも青年を追い出そうとする夏の女王を王がたしなめる。
「彼は私が呼んだのだよ。多少の無礼は大目に見てやっておくれ」
王に言われては言い返す事も出来ず、夏の女王は口をつぐんで我関せずといった様子でそっぽを向いた。
代わりに秋の女王が尋ねる。
「あのお方は何者なのです?」
うむ、と王は自身の白い髭を撫でながら頷く。
「冬が終わらぬこの一大事、解決できた者に褒美をとらす、と御触れを出していたのはお前たちも知っているね?」
「まぁ、ではあの方が?」
あんな無礼な男に何が出来るのかしら、と夏の女王。
王は続ける。
「御触れを出してしばらく何の音沙汰も無かったもので、仕方なく私が直接呼び掛けて回った所、口々に彼を推薦する声があってね」
秋の女王も、あの平民に何が出来るのだろう、といぶかしむ目を青年に向けた。
それを見た王が付け足す。
「何でも彼は『季節のない男』と呼ばれているそうだ」
「季節のない男?」
「うむ、これは彼の口から説明してもらおうかな」
王に促されて、青年は「はぁ」と気のない返事をした。
首を傾げたり肩を掻いたりと、居心地悪そうにしながら青年は説明する。
「ええと、町の皆さんは、その、季節ごとに生活が変わるようでして……例えば夏には仕事に精を出し秋には冬に備え蓄えて、冬になると暖炉の側で本を読み春になるとまた仕事の準備を始める……まぁ大抵はそんな風なようで。
まぁ……それ以外でも皆さんは春夏秋冬になにかしらの催事を持っているらしいのですが、僕はその、そういった催事もなく年がら年中代わり映えのしない生活を送っているもので、それで『季節のない男』と」
「お仕事は何をなさっているの?」
秋の女王の質問に、青年は頭をポリポリ掻いて答えた。
「物書きです」
*
「物書き? どういった物をお書きになるの?」
青年に興味を持ち始めたらしい秋の女王が尋ねる。
「まぁ、空想の物語を幾つか」
売れてはないんですが、と付け加えて青年はまたポリポリと頭を掻く。
「よろしければ本の題名を教えてくださる?」
「そんなのどうだっていいじゃない!」
夏の女王が割り込んで叫んだ。
「問題はあの男が春の女王を見付けられるかどうかよ! あの男が何を書いているか何てどうだっていいの!」
「それはそうなのだけれど、気になったものだから……」
ごめんなさいね、とこれは青年に向かって秋の女王が言う。
青年は気にしてない様子で「いえ……」と返して、未だ鼻息の荒い夏の女王に視線をやった。
「失礼ですが……」
とっくに失礼じゃないの、と睨んで返す夏の女王に、青年は全く悪気のない様子で続ける。
「……夏の女王様は、常にそのように怒っておいでで?」
なんですって!?
玉座の間が震えたかと思うほどの大声が響き渡った。王は夏の女王の側の耳を塞ぎ、流石の青年も五月蠅そうに顔をしかめた。
「なんて畏れを知らないお方なの」
秋の女王が驚いて言った。
「そう、それなのだよ」
王は怒りに震える夏の女王を手で制しながら続ける。
「どうやら彼が推薦されたのは、賢さよりもあの畏れ知らずな所が理由らしい」
「あんな男を推薦するなんて王族への冒涜だわ! あの男を推薦した者も並んで罰を受けるべきよ!」
夏の女王は玉座の肘掛けをギリギリと握り締め、もしそれが剥がせたなら迷わず青年に投げつけるであろう剣幕で怒鳴った。
「そうは言っても、あの青年以外はどうも……なぁ……」
王が濁した先を、青年が勝手に拾って続ける。
「町の皆さんはどうやら、夏の女王様を恐れているようです」
まぁ、と秋の女王が声をあげた。
「それは、町の皆さんが夏の女王を恐がっているという意味なの?」
はい、と青年。
「冬が終わらない事よりも、間違った答えを示して夏の女王様に怒られる事の方が、よほど恐ろしいようです」
夏の女王が立ち上がった。
「私、先にお部屋に戻らせていただきます!」
そう言って緑のドレスを摘まんで裾を浮かし、床をヒールでカツカツと打ち鳴らしながら歩き出す。道をあけた青年の前を通る際にふんと鼻を鳴らして顔を背け、真っ赤な唇を尖らせたまま姿勢だけは正しく玉座の間を出ていった。
「……まぁ、つまり、推薦というよりは、押し付けられた、というわけです」
青年が平然と続けるのを見て、秋の女王のみならず連れてきた王までもが目を丸くした。
*
私が恐ろしいですって!?
自室に戻った夏の女王は女官が引いた椅子にドスンと音をたてて腰かけた。
「ねぇ貴女! 私が恐い!?」
熾火に薪をくべようと暖炉に向かっていた女官が、バネ仕掛けのように飛び上がって振り返り、夏の女王に向かって深々と頭を下げる。
「とんでもございません女王様、私共は心より敬愛し女王様にお仕えしています」
疑うようにジッと見詰められる間、女官は頭を下げ続けた。
やがて夏の女王はふんと鼻を鳴らし、
「もういいわ、早く暖炉に火をいれてちょうだい」
と言って窓の外に顔を向けた。窓の外は大粒の雪が降っている。
夏の女王は、自分が恐れられている事を知っていた。
青年に言われるまでもないのだ。夏の女王は馬鹿ではない。自分と話す時に他者の顔が強張っている事くらい、とっくに気付いてるのだ。他の季節の女王と話す時と、自分と話す時の顔色が全く違う。
「知ってるわよ、それくらい」
窓に移る自分の不貞腐れた顔を見ながら呟く。暖炉の火の加減を調節していた女官に聞こえたらしく「なんでしょうか?」と尋ねられたが、それに答えず手を振って部屋の外に出るよう指示した。
女官が部屋を出ていった後、夏の女王は暖炉近くの揺り椅子に座り直す。まだ小さい暖炉の火を見詰め、1つため息をついた。
恐がらせるつもりなんて、無いのよ。
怒りっぽい事は自覚している。しかしそれ以上に、王族として侮られてはならないという想いがあった。畏れられるべきとは思っていても、それは決して恐れられたいという意味では無い。畏敬の念を抱かせたいのであり、恐怖を植え付けたいワケではないのだ。
夏の女王は誰よりも強く、王族としての誇りを持っていた。
だからこそ、無責任にも行方を眩ませた春の女王が許せなかった。王族としての誇りを持たず、能天気でお喋りで、そのくせ誰からも慕われる春の女王。
窓の外を見る。大粒の雪はやむ気配がない。冬が長ければ長いほど、雪は強くなり国は冷えていく。
夏の女王は悔しかった。民の為にと自分の任期の間目一杯暖めた国が、長い冬によってどんどん冷やされていく。
夏の間に一生懸命暖めても結局はこうして冷やされるのだから、自分のやっている事は無駄なのではないだろうか。そのうえ自分は、民から女官から大臣から皆から恐れられているのだ。
雪のように、夏の女王の心に虚しさが降り積もる。暖炉の薪がパチパチとはぜる。
冬が長くても、暖炉があれば凍える事はない。作物も、春と秋だけでも実る物はあるから飢える事もない。
「夏なんかなくたって、誰も困らないのかしら……」
夏の女王は、小さく呟いた。
*
「なるほど」
王が頷いた。
「君の考えの通りなら、明日にでも塔に出向かねばなるまいな」
その正面で少し離れて椅子に座っている青年は、眠たそうに自分の顔を撫でる。椅子は秋の女王が兵に言って用意させたものだ。
「まぁ、そうですね」
青年は興味がない様子で欠伸混じりに答える。
「皆さんで塔に行くのが、よろしいかと思います」
うむ、と王が頷く隣で、秋の女王が興奮したように声をあげる。
「凄いわ物書きさん。何でもお見通しなのね」
お見通しだなんて、と青年は謙遜ではなく本当にそう思っている様子で言った。
「僕はただ、そうだったら話の筋が通るかなと、空想しただけでして」
青年に賛辞の目を向けていた秋の女王はしかし、一転して顔を曇らせ片手を頬に当てて眉根を寄せた。
「だけど、本当に貴方の言う通りだったなら、夏の女王が可哀相だわ」
王も同じように顔を曇らせる。
「そうだね。何と言ってあげたら良いのか……」
王族二人が悩む眼前で、青年だけが平然とした顔で言う。
「まぁ、僕の空想に過ぎませんから、夏の女王様についての事は、明日塔に行って確かめてからでよろしいかと思います」
王はそれでも顔を曇らせたままだったが、青年の言葉にうむと頷いた。
「まずは君の言う通り、塔に行って確かめる事にしよう。今日は泊まっていきなさい。明日、君にも同行してもらいたい」
青年は気怠げに首筋を撫でながら答える。
「そうですね、僕が言った事でもありますし」
大丈夫かしら、と秋の女王が不安げに呟いた。
*
翌朝、季節の塔に向かう為に馬車が出された。
綿のような雪が降る中、赤く分厚い馬服を着せられた馬が白い息を吐きながら雪道を行く。二頭の馬を繰る御者は防寒の為に衣服で二回りも体を太らせ、耳当ての付いた防寒帽と首巻きで顔の殆んどを覆っていた。御者の座る御者台の後ろ、青年の乗る屋形は金の装飾が成されていたが、その輝きは纏わりつく雪によって霞んでいる。
その屋形の中、青年は同乗する秋の女王が一方的に話すのを聞いていた。
秋の女王は青年が聞いているかどうかなど気にしていない様子で、不安を紛らせるように話し続ける。
「夏の女王は責任感がとても強いの。怒りっぽいと思われたかも知れないけれど、国を想う気持ちも彼女の声と同じくらいに大きいのよ」
「臣下の者たちも、きっとそれは分かっているはずだわ。だけれど、夏の女王を恐がっているのも確かだと思うの。夏の女王も恐がられているのは承知だったかも知れないけれど、貴方にそれをハッキリと言われた事はショックだったに違いないわ」
「ねぇ物書きさん。貴方、夏の女王はお嫌い?」
秋の女王の質問に青年は「いいえ」と答え、それから考え込むようにして髭の無い顎を撫でた。
「……そうですね。『恐い』と『嫌い』は、同じ物ではありませんね」
そうでしょう、と秋の女王は頷いて、また夏の女王を心配する言葉を続けた。
その一方で、青年と秋の女王の先を行く馬車の中、王と夏の女王は一言も言葉を交わさずに向かい合って座っていた。
王は夏の女王に掛ける言葉を見付けられず、羽織った赤い外套の下で文字通り手をこまねいていた。夏の女王は王が言葉を探している様子に気付いているようだったが、それに触れる事なく黙したまま毅然とした顔にどこか暗い影を落としている。硝子は白く曇り景色など見えもしないのに、王から顔を背けるようにして窓に顔を向けていた。
その夏の女王の横顔に、王は最後まで言葉を掛けられなかった。
*
季節の塔は、雪の中に屹然と立っていた。
氷柱の逆立つようにそびえる塔を正面に、つながるその後ろに臣下の宿舎が扇状に広がっている。塔に直接住んでいるのは、季節を担う女王とそれを世話する女官だけであった。
塔を守る石造りの門とそこから左右に伸びる石塀は斑に雪を纏い、冷たく構える鉄の門扉は白く染められている。
御者が馬車を降り門脇に建てられた門番詰所に向かう。詰所から出てきた毛皮の外套を着た門番と2、3言話すと、門番は狼狽えた様子で馬車に近付き、その窓を皮手袋をはめた指でコツコツと小突いた。王が外套で窓の曇りを拭い顔を見せてやると、門番はギョッとしてひれ伏し、それから慌てて門を開けて逃げるようにしてその向こうに消えていった。その後を、王達を乗せた馬車が続く。
塔の入り口には先程の門番が立っていて、馬車から王が降りるのを見ると緊張した面持ちで両開きの鉄扉を開けるべく手を掛けた。
「春の女王はいるかな?」
王が尋ねると、門番は瞠目して、何も言えないと頭を下げて表し重い鉄扉を開いた。
片側だけ開かれた扉を通って王が、続いて季節の女王二人、最後に青年の順で塔の中へ入っていった。
入って直ぐの広間は、塔の外観から想像するよりも奥行きがない。塔の背中側の壁が2重になっている為で、塔住みの女官はこの2重壁の中に暮らしている。
広間の赤い絨毯の中央に、大臣が立っていた。その後方の左右で2つの煖炉が赤々と燃えている。
「春の女王を呼んでくれるかな」
王が大臣の胸にある桜の紋章を見て、確信した声で言った。秋の女王は不安げな顔で大臣の真後ろにある階段を見詰め、夏の女王は険しい顔で王と大臣そして階段へと視線を忙しなく動かしていた。青年はその最後尾で最上階まで吹き抜けになっている高い天井を見上げている。
頭を下げた大臣が王の質問に答えようとした時、誰かが階段を降りてくる音が奥から響いてきた。
大臣が脇に退く。階段は真っ直ぐに伸びて壁に突き当たると、そこから左右に分かれて壁の中に消えている。その右側の階段から、冬の女王が現れた。
雪のように白いドレスに儚げな薄い化粧。薄氷を踏むようなゆっくりとした足取りで階段を降りる。
冬の女王は広間に立つと、無言のままドレスの裾を持ち上げて王に会釈した。王がそれに頷いて返すと、冬の女王は大臣と同じように広間の端に移動した。
「出ておいで」
王が階段の向こうに声をかける。
「ふふっ、私ったら悪者みたい」
そのおどけた声に、青年は天井を見上げていた視線を階段に移す。
皆が注視する中、冬の女王が降りてきた右側の階段から、桜色のドレスが現れた。
夏の女王が前に進み出て口を開いた。
「貴女! 今まで何をしていたの!?」
その怒声に、薄紅色の唇を綻ばせて返す。
「ごめんなさい夏の女王」
階段を降りきり王に会釈し、顔を上げて続ける。
「でも、理由があるのよ」
春の女王はそう言って、ニコリと微笑んだ。
*
「理由ですって!?」
夏の女王は声を荒らげた。しかし直ぐに思い直したように咳払いをして続けた。
「……いったい、どんな理由があるというの?」
春の女王は「そうねぇ……」と今考えるように呟いた。そして冬の女王に一度顔を向けて、思い付いたように答える。
「実は、冬の女王が病気だったのよ」
冬の女王が僅かに目を見開いて春の女王を見た。春の女王が独断で嘘をついているらしい事は誰の目にも明らかだった。
この土壇場で嘘をつく惷な行為とその嘘の稚拙さに、夏の女王は苛立ち疑うのも隠さず眉根を寄せて言う。
「病気ですって?」
ええそうよ、と嘯く春の女王。
「冬の女王が病気しちゃって、仕方ないから治るまでこの塔に残って養生させてたのよ。そのせいで冬が長引いちゃって申し訳ないって、冬の女王も謝ってるわ」
冬の女王が、病が疼くような素振りで口元を抑え、しかしやはり納得いかないような顔を春の女王に向けている。
茶番とも言える二人の嘘に、夏の女王の語気が強くなる。
「貴女たち、いったい何を隠そうと……」
「なるほど、そうであったか!」
王が大きな声で遮った。
「病に伏しておったなら仕方あるまい。冬の女王は大変だったね。春の女王は看病していたのかい? お疲れ様」
夏の女王は目を丸くして王を振り返った。王はそれに気付かぬ素振りで春の女王を見ている。
得心した顔で、秋の女王が王に続いた。
「まぁ、そうだったの。冬の女王、病気はもう大丈夫なの?」
こちらも夏の女王を避けるように、顔を冬の女王に向けていた。
秋の女王の問いに、春の女王が答える。
「ええ、もう大丈夫よ。これから交代しようと話していた所なの」
振り向いて冬の女王に目配せ。冬の女王はそれに冷たい視線を返すだけだった。
「それは良かったわ。だったら、後は冬の女王と春の女王が交代して、このお話はお仕舞いね」
秋の女王がわざとらしく胸を撫で下ろし、王も急くように続ける。
「うむ、早く交代してもらおう。でないと民が凍えてしまうよ」
夏の女王だけが、異様な空気に取り残されていた。明らかな嘘にもかかわらず、誰も異を唱えない。いつの間にか頭上、塔の内壁を這う回廊に女官や兵が集まり、事の行く末を固唾をのんで見守っている。野次馬に王族を見下ろすなど無礼とも言える行為だったが、夏の女王はその多くの目が自分に向けられ、且つ憐れみの色を持っている事に強く戸惑った。
春の女王の嘘を真実として、この場を納めようとする空気だった。承知していないのは夏の女王だけで、それを目に見えぬ圧力で封じ込めようとする空気があった。
戸惑い言葉を失った夏の女王を除き、あたかも解決したかのような空気までもが流れ出す。
しかし、それらの空気を決壊させる声が上がった。
「皆さんは何故、そんな嘘に付き合っているんですか?」
王達の最後尾、扉近くに立っていた青年である。
皆が一斉に青年を注視する。青年は呆れたように続ける。
「騙そうと言うのなら、あまりに嘘が稚拙過ぎます」
王が呻くような声で答える。
「……嘘ではないよ」
「いいえ嘘です」
キッパリと言い切る青年に、秋の女王が慌てたように言う。
「物書きさん、嘘じゃないわ。国王がそう言っているのよ。嘘じゃないわ」
「いいえ嘘です」
青年はやはりキッパリと言い切る。
「夏の女王様は見破っておられます。これを無理に押し通せば不信が生まれるでしょう」
「貴方はだぁれ?」
春の女王が言った。王が青年がここにいる経緯を説明すると、春の女王は値踏みするような目を青年に向けて微笑んだ。
「物書きさん、空想がお上手なのね」
仕事ですから、と生返事する青年に続ける。
「でも、何が真実かだなんて重要かしら? 重要なのは、季節を巡らせる事だと思うわ。貴方も、その為に呼ばれたんでしょう? 謎解きを頼まれたワケじゃないはずよ」
そうですね、と青年はあっさり頷いた。
「春の女王様が見付かり季節が巡るなら、僕の役目は終わりです」
しかし、と続けて夏の女王に視線を向ける。
「夏の女王様は、真実を望んでおいでです」
再び皆が夏の女王に注目する。夏の女王は青年の視線を、半ば驚いたような顔で受けていた。自分の味方と呼べる者が王でも季節の女王たちでもなく、この青年だけだという事に驚いているようだった。
驚きながらも、夏の女王は真っ直ぐに青年を見詰め返して言う。
「知りたいわ」
それから自分を見詰める皆に視線を巡らせる。
「皆、どうして嘘をつくの?」
何かを隠そうとする、後ろ暗い顔が並んでいた。
「私に何を隠しているの?」
*
静寂と、不穏な空気が流れた。
夏の女王を中心に声のないざわめきが起きる。その多くの視線が不安げに王や春の女王を往復する。
王も他の季節の女王も、顔を暗くするばかりで口を開く事はなかった。真実を口にする事を恐れているようだった。
夏の女王は青年に向き直って言う。
「貴方の空想を聞かせて」
青年は頭を掻いて、王に視線を送った。王が諦めたように頷くのを見て、夏の女王へ視線戻し口を開いた。
「夏が、暑過ぎたんだと思います」
夏の女王は理解できないような顔をした。
「……なんですって?」
だから、と青年が繰り返す。
「夏が、暑過ぎたんですよ」
夏の女王は振り返った。春の女王はまさに言い当てられた様子で目を丸くしている。冬の女王は哀しげに目を伏せ、王と秋の女王も辛そうに顔を背けていた。
僕の空想した事ですが、と前置きして青年は続ける。
「夏の女王様が担当される夏の気温が例年高くなるものですから、きっと春の女王様は、そのぶん冬を長くしようと考えたのだと思います」
夏の女王は真偽を問う目を春の女王に向けた。
春の女王は口を尖らせて答える。
「冬を長くして国をうんと冷やしておけば、夏になってもそんなに気温は上がらないと思ったのよ」
何を馬鹿なことを、と夏の女王は口から洩らし、そのまま続けて言った。
「冬が終わらないせいで民が苦しんでいるのよ? 夏が暑過ぎたというなら私に言ったら良いじゃないの」
春の女王だけでなく、王や秋と冬の女王、回廊から見守る臣下達に向かって更に続ける。
「どうしてそんな事で、皆して私に嘘をつくのよ。いったい何を恐れて……」
そこまで言って、夏の女王はハッとした。前日の青年の言葉が脳裏をよぎり、まさに自分が恐れられている事が理由だと思い至った。
「私が恐いからなの?」
春の女王は虚を突かれたような顔をした。その間が夏の女王を確信させてしまった。
「私が恐いのね!?」
夏の女王が激昂し、春の女王は我に帰り慌てて否定する。
「違うわ夏の女王」
「何が違うの春の女王! 私が恐いから黙っていたんでしょう!? 他の者も! みんな私を怒らせない為に嘘をついたのね!?」
夏の女王は怒りに声をあげながら、ドレスの裾を持ち上げて塔を出ていこうとする素振りを見せた。それを見て王が声を掛けようと前に出たが、それすらも拒んで一歩退き声をあげた。
「いいえ帰ります! 私がいない方が万事上手くいくでしょう! 私も、私だってこれ以上怒りたくはありません!」
違うんだよ、と王は言ったが、その声は夏の女王に届かなかった。秋の女王の声も同じように届かなかった。端に立つ大臣や回廊の臣下達も口々に夏の女王を引き留めようとしたが、取り繕おうとしているようにも思えるその声が、夏の女王の怒りを更に加熱させた。
「冗談じゃないわ!」
塔を震わす大声に皆が思わず言葉を飲んだ。
煖炉の薪が大きな音をたてて爆ぜる。
「今さら何が違うって言うのよ! 私を騙そうとしてたじゃないの! 私だけ除け者だったじゃないの! 知ってたわよ! 私が恐がられてるのなんて! でも、だからってあんまりじゃない!」
半分は、嘆きだった。罪悪感に誰も口を開く事が出来ない。
「夏が暑すぎるですって!? だったらそう言いなさいよ! 言ってくれて良いじゃないの! 私はただ国のために、皆のために……」
急に、疲れたように語気が弱くなる。
「もういいわ、夏が暑くて迷惑だって言うなら」
顔を伏せ、絞り出すようにして言った。
「私はもう、季節から外れるわ」
誰かが悲鳴をあげた。回廊に立つ女官だった。倒れそうになったその体を隣に立つ兵が支える。更にその隣に立っていた女官はうずくまって声をあげ泣いた。その隣に立つ女官も、前掛けの裾を顔に押し当てて泣いていた。
ごめんなさい、と秋の女王が言った。今にも泣き出しそうなその顔を、夏の女王は見なかった。私のせいだわ、と呟く春の女王の声も聞かなかった。
暗く、重い空気が渦巻いた。すすり泣く声や許しを乞う声が風のように塔の中を駆け巡ったが、そのどれもが夏の女王に届く事はなく、はるか高い天井の薄暗い闇に虚しく吸い込まれていった。
夏の女王が、扉に向かって駆け出す。それを止めようと前に出た王の手を振り払い、ついには冷たく重い鉄の扉に手を掛けた。
「違いますよ、女王様」
扉を開こうとした夏の女王に、青年の声が届いた。動きを止めて青年に顔を向ける。
青年は困ったように頬をポリポリ掻いていた。
実はこの青年、皆と同じように何度か夏の女王に声を掛けていたのだが、この期に及んで平時と変わらぬ声量で言うものだから、周囲の喧騒や夏の女王自身の声に掻き消されていた。それが、今夏の女王が扉に近付いた事で、扉近くに立っている青年の声はようやく届いたのである。
「何が違うの」
夏の女王が、憔悴したような声で言った。
自身を引き留める声の一切を無視していた夏の女王が青年に耳を貸したのは、青年が無神経だったからに他ならない。畏れを知らず世辞の1つも言わない青年の言葉が、この場の誰の物より真実味をもって夏の女王の耳に届いたのだ。
「教えて、何が違うの」
そう繰り返す夏の女王の背に春の女王が駆け寄ろうとしたが、それを王が手で制した。青年に目を向けたまま更に手を挙げ周囲の喧騒を鎮める。
煖炉の火が揺れる音、外に降る雪の音さえ聞こえそうな静寂が降りた。誰もが青年に、或いは夏の女王に、期待と不安が色濃く入り交じった目を向けている。結末は青年に託されたのだ。
青年が口を開いた。
「夏の女王様は、勘違いをしておられます」
鉄の扉に手を掛けたまま、夏の女王は暗い自嘲を浮かべた。
「何が勘違いだと言うの? 皆が私を恐れていないとでも言うの?」
「いえ、恐れておいでだと思います」
夏の女王の手に力が込められ、微かに開いた扉から冷たい空気が流れ込む。
「合ってるじゃない」
そう言って、流れ込んだ冷気よりも冷たく微笑んだ。
「そうではありません」
青年が言った。
「僕が言っているのは、皆さんが嘘をついた理由はそれではないという事です」
冷たい笑みのまま、夏の女王は更に扉を押し開く。
「だったらなに? まだ他に理由があるの?」
壁を作るかのように、二人の間を雪の混じった風が流れる。夏の女王は冷たい風の向こうから嘲笑した。
「言ってみなさいよ。どうせ貴方なら、言えるんでしょう? 畏れ知らずの物書きさん」
扉が更に開かれる。冷気に包まれながら、夏の女王は声に怒りを滲ませる。
「季節のない男ですって? 違うわ。貴方に無いのは感情よ。だから人の心も分からないのよ。だから人が傷付く事も平気で言えるんだわ。でも、良いわ。貴方のお陰で、私は嫌われ者だって事がよく分かったわ」
ありがとう物書きさん、と皮肉な笑みを浮かべる。普段は烈火の如く怒鳴っている夏の女王が、今は燃え尽きた灰のように静かに怒っている。
しかし青年は平然と、ただ困ったような呆れたような様子で頬をポリポリ掻いた。
そして、短く言った。
「きっと、その逆です」
夏の女王は眉根を寄せる。
「逆?」
はい、と青年。
「皆さんは恐らく、夏の女王様を気遣っておられたのですよ」
言葉の意味が理解できないような顔で、夏の女王は固まった。青年を見詰める目が揺れる。
「皆さんの声に耳を傾けてはいかがでしょうか」
その視線を青年の手が広間へと誘導する。夏の女王はされるがままに青年の手が示す方へと顔を向けた。
秋の女王と目が合った。王の傍らに立つ秋の女王はハンカチで目元を拭いながらも、真っ直ぐに夏の女王を見詰めて言う。
「ごめんなさい夏の女王。だって貴女、頑張り屋さんだから」
初めて聞いた言葉のように、夏の女王は「頑張り屋さん」と口の中で繰り返した。
そうよ、と春の女王が待ちわびたように声を上げる。秋の女王の隣に並び、自身のドレスの裾を握り締めながら言った。
「私と交代する時、夏の女王ったらいつも誰よりも張り切ってるじゃない。そんな貴女に夏が暑すぎるなんて、張り切り過ぎだなんて、私、言いづらかったのよ」
その隣に冬の女王が静かに並び、囁くような声で言う。
「貴女を嫌ってる人なんてきっといないわ……」
王がゆっくりと進み出て、呆然としている夏の女王の、冷たい扉を押す手を優しく握った。半ば開けられていた扉は閉められ、2つの煖炉によって塔の中は再び暖かな空気に満たされる。
握った夏の女王の手に自身の手を重ね、王は穏やかな声で言った。
「君に謝らなければならないね、夏の女王。私たちは確かに彼の言うように、君を欺こうとした。しかしそれは、君を傷付けまいとしての事だったのだよ。皆が、そう思ったのだよ。君が誰よりも責任感の強い事、そして誰よりも正しくあろうとしている事は、皆が知っている事だからね」
王は夏の女王の手を引いて、広間の中央へ歩ませる。他の女王達が道を開けて暖かな表情でそれを迎えた。
握った手に力を込めて、王は真っ直ぐに見詰めて言う。
「君を欺こうとした事を、どうか許して欲しい。そしてどうか私たちと、彼らの言葉を今一度信じてはくれないだろうか」
そう言って、王は手を上げて回廊に立つ臣下達へと夏の女王の目を向けさせた。
兵が、女官が、回廊に立つ全ての臣下が手摺りから身を乗り出すようにしながら声を上げる。
「私たちは恐れる以上に強く夏の女王様を尊敬しています!」
「私たちの態度が不信を生んだのならば謝ります!」
「夏が迷惑など誰が言うものでしょうか!」
「力強い太陽に何度勇気付けられたでしょう!」
「輝く新緑に何度癒されたでしょう!」
「私たちは夏の恵みに感謝していますとも!」
「どうか夏をなくさないで!」
臣下達を見上げる夏の女王の顔は、青年からは見えなかった。しかし、その顔を見る臣下達の表情からは不安が消えていくのが分かった。夏の女王は力強く背筋を伸ばし、自身の手を握る王の手を柔らかく握り返している。
その夏の女王本来の、毅然とした立ち姿の背に、青年がふいと声をかけた。
「『恐い』と『嫌い』は、同じものではありません」
夏の女王は振り向かなかったが、構わずに続ける。
「この件に僕を推薦した僕の知り合いはまさに夏の女王様を恐がっていて、そのうえ暑がりで夏は大変苦手なのですが、だからと言って夏が嫌いという事はなく、夏になると汗を拭きながら『また夏の女王様が頑張っておられるな』とよく笑っているものです」
聞いたかい? と王が夏の女王に微笑みかけた。
「皆が知っているのだよ、君が頑張っている事を。その夏の暑さが辛い者もいるだろう。しかし、それで君を恨む者などいやしないよ。あの太陽が強く輝いているのは、君が頑張っている何よりの証なのだから」
夏の女王を取り囲むように、他の季節の女王達がそっと歩み寄る。それぞれが夏の女王に手を触れ微笑んだ。回廊の臣下達も、隣に立つ者と身を寄せ合い、或いは手摺に置いた手に手を重ねて女王達を暖かく見守った。
「わ」
夏の女王が口を開いたが、掠れた声に直ぐ閉じた。咳払いを1つ、顔を上げて再び口を開く。
「私の早とちりだったようね! みっともない所を見せてしまったわ!」
他の女王達の可笑しそうな顔から逃げるようにして、夏の女王はクルリと皆に背を向け声を張り上げた。
「だいたい春の女王! 貴女がおかしな気の遣い方をするのが悪いのよ! 私だって夏が暑くなりすぎたと知れば加減するわよ!」
全く冗談じゃないわ、と鼻を鳴らして、それから声を落として呟くように続けた。
「……まぁ、次からは暑くなりすぎないように気を付けるわ」
わっ、と歓声が湧いた。回廊の臣下達が手に手をとって飛び上がって喜んだ。
「夏はなくならないぞ!」
「また四季が巡るんだわ!」
「夏の女王様ばんざい!」
「季節の女王様ばんざい!」
夏の女王はその歓声に背を向けたまま、背筋を正しく伸ばして扉に向かって歩きだした。そして扉の前で止まり、やはり顔は向けないまま声だけを飛ばす。
「何をやっているの春の女王! 早く冬の女王と交代してちょうだい! 私に季節が巡る時、その時にまだ民が凍えているようだったら承知しないわよ!」
あらやだ、と春の女王は口を尖らせる。
「すぐにいつもの調子に戻るんだから。もうちょっと汐らしくしていたら良いのに」
そう言って笑い、冬の女王の手をとって中央の階段に向かう。
「早く交代しましょう冬の女王。じゃないと私、次に交代する時夏の女王にまた怒られちゃうわ」
貴女は思慮が足りないわ、と呟いて冬の女王は手を引かれるまま階段を上っていく。
二人の女王が突き当たった階段を折れて壁の内側に消えた後、扉の前で立ち止まっていた夏の女王は側に立つ青年に視線を向けた。
夏の女王は何か言おうとしたように口を僅かに開いたが、そのまま何も言わずムスッと口を閉じて青年から視線を外す。そして扉に手を掛けて押し開き、未だ喜びの声の止まない塔から出ていった。
秋の女王と何か言葉を交わしていた王は、青年に歩み寄りその手を握り肩を軽く叩いて笑みを浮かべる。
「さぁ、私達も城に帰ろう。秋の女王は夏の女王と同じ馬車で帰るそうだよ。私は君と乗り合わせたいと思っているのだが、構わないかな?」
構いませんよ、と青年が言うと王は満足気に頷いて言った。
「君と話したい事があるんだ」
*
冬の女王を待つという秋の女王と夏の女王の乗った馬車を置いて、王と青年の乗った馬車だけが出発した。
出発の前、青年は馬車小屋の中で隣に並んでいる馬車をチラとだけ見た。
馬車の中でどんな会話がされていたか、乗っている二人がどんな顔をしていたか、分かるはずもない。しかし秋の女王の声が弾んでいるのは間違いなく、曇った硝子で殆んど見えなかったが、馬車の中の夏の女王は笑っているように見えた。
「君には感謝しなければならないね」
馬車小屋を出た馬車の中で、向かい合って座る王が落ち着いた声で言った。
「いえ、僕は大した事は何もしていないので」
青年はやはり謙遜ではなく単に興味の無さそうな淡白な応えを返す。手で曇りを拭いた窓の方を向いて、未だ雪の降る景色を眺めていた。
王はかぶりを振る。
「いいや、君のお陰で、私は夏の女王を欺かず、彼女の心に不信を生まずに済んだ」
外を眺めたまま黙って聞いている青年に、悔いるように俯きながら続ける。
「春の女王が言い始めた事とはいえ、私は夏の女王を欺こうとしてしまった。アレは、私の心の弱さがそうさせた事だった。真実を伝えれば夏の女王が傷付くのではないかと、それを恐れるばかりに、更にもっと恐ろしい事態を招く所だった」
馬車の揺れに揺られながら、王は床を見詰めて小さく息を吐いた。
「……あの時、君が声を上げなかったらと思うと、私は本当に恐ろしく思う。君がいなければ、きっと夏の女王と私達の間に、誰も触れる事のない、しかし確かにそこにある高い壁が築かれていた事だろう」
改めて感謝の言葉を告げようと顔をあげた王は、いつの間にかこちらを向いていた青年と目が合ってドキリとした。青年は真っ直ぐ王を見詰めている。王が初めて見る青年の真剣な目付きだった。
「僕はよく人から無神経だと言われます」
青年はハッキリとした口調で言った。塔の中で王の嘘を嘘と断言した、あの時と同じ口調だった。
「確かに、僕はお世辞を言いませんし、それよりは自分の思ったこと感じたことを率直に言うようにしています」
膝に肘をついた前のめりの姿勢で手を組み、真剣な声で「しかし」と続ける。
「しかし、人の心が分からぬワケではありません。僕はあの時、皆さんの嘘が夏の女王様を想っての事と分かっていました。分かってはいましたが、僕にとってあの空気は、あまりに気持ち悪かったのです。明らかな嘘を押し通そうとする皆さんの姿、偽りの解決でその場を納めようとする、あの空気が」
王は、あの時青年がただの無神経で声を上げたワケではない事を知った。青年はあの時、確かな感情をもって声を上げたのだ。
今まさに王が感じ取ったその事を、青年が言う。
「僕はあの時、怒っていたのです」
王は恥じるように視線を伏せながら頷いた。
青年は続ける。
「皆さんが夏の女王様の事を想っておいでなのはよく分かります。しかし、皆さんは同時に恐れていました。夏の女王様を、ではありません。夏の女王様を傷付ける事を、です。そして、王様が先程おっしゃられたように心の弱さにより、夏の女王様に真実を告げずに済まそうとしました。逃げたと言っても過言ではないでしょう。その事が大変卑怯に思えて、僕は黙っていられなかったのです」
王は床に視線を落としたまま自嘲を浮かべて呟いた。
「私にそう言ってのけるのは、君だけだろうな」
畏れを知らぬ青年の前で、王はその威光を失い一人の老人のように頭を垂れている。
しかしふいに顔を上げて、浮かべていた自嘲を微笑みに変えて正面の青年に目を向けた。
私はね、と白い髭を優しい手付きで撫でながら口を開く。
「私はね、君は押し付けられたと言っていたが、私はやはり、君は推薦されたのだと思うよ」
王が昨日の事を言っているのだと気付き、青年はああと声を上げ、それからまた興味の無さそうな顔で応える。
「そうですかね」
そうだとも、と王は笑った。
「君は確かに無神経だが、言葉を飾らない。偽りはもちろん世辞も言わない君の言葉は、真実の言葉とも言えるだろう。だからこそ、夏の女王が皆の声から逃げた時、君の言葉にだけは耳を傾けたのだよ。君を推薦した者はきっとそういう風な事を予測して、君を推薦したのではないかな?」
青年は王の言葉に誰かを思い浮かべるように視線を上げたが、直ぐに落として肩をすくめる。
「いえ、やはり押し付けられたように思います」
そうかね、と王は仰け反るようにしながらことさら大きく笑う。
「君がそう思うなら、そうかも知れないね。しかし、このような大きな事を任せようとしたのだから、多少は君に期待していたはずだよ。出来ない人間には押し付けようともしないものだからね」
そうでしょうか、とどうでもよさそうな顔で言う青年を面白そうに見ながら、王はさて、と話を切り替えた。
「君に褒美をとらせないといけないね」
いえ、と青年が断ろうとするのを手で遮る。
「いや、受け取っておくれ。これは君の働きに対するものではなく、私個人の君への感謝の気持ちなのだよ。どうか受け取ってはくれないか」
青年は困ったように頭をポリポリ掻きながらも了承した。
「そうですね、それでは頂きましょうか」
王は満足気に頷く。
「では、何か希望はあるかな?」
青年は頭を掻いていた手で首の後ろを擦りながら、やはり興味の無さそうな顔で答えた。
「そうですね……では――」
*
「先生! 朗報ですよ! 朗報!」
青年の家に飛び込んできた小太りの編集は、玄関マットで靴底の雪を落とすのもそこそこに書斎へと駆け込む。冬が終わり春へと季節が巡ったが、長く降り積もった雪はまだ溶け残っている。雪掻きがされないのは毎年の事で、土が見えるようになるまでは、春の陽射しに輝く雪を楽しむのが通例であった。
編集が書斎の、机も床も問わず乱雑に積み上げられた本や紙の束の奥にいる青年に声をかける。
「先生! 聞こえてるんですか? 先生!」
ぎしりと椅子の軋む音がして、積まれた紙束の向こうで挙げられた手が見え、続いて青年の声が聞こえた。
「聞こえてるよ。しかし君は、つい最近も大騒ぎしてなかったかな」
編集が本と紙束の山を狭苦しそうに迂回して奥へ進むと、窓に向かっている机で原稿用紙にペンを走らせているところだった。相変わらず好き放題に髪の跳ねた頭をポリポリ掻いている。
「今度は何があったんだい?」
然して興味も無さそうに原稿用紙から顔もあげずに言う。編集はそんな青年の態度にも慣れた様子で、近くの紙束を崩さぬよう注意を払いながら、それでいて興奮を隠さずに言った。
「いやぁ先生、先生が見事に季節を巡らせて一躍有名になった事もそれはもう大変な朗報でしたけどね、私も先生を推薦した甲斐があったというものです、しかし今回はまた、先生の名が有名になる朗報が舞い込んだんですよ!」
あまり有名になりたくないんだけどなぁ、と青年はペンを走らせながら溜め息をついた。季節を巡らせた一件から有名になり、是非一度お会いしたいとあちこちから呼び出されウンザリしているのだ。
気乗りしない青年に構わず編集は続ける。
「なんと先生、王室から先生の本の発注依頼が来たんですよ。これは大変な事ですよ。先生の本が王室で読まれてるとなると、国民みんなが読みたがりますよ!」
ああ重版だまた重版だ、と嬉しそうに騒ぐ編集を尻目に、青年は行き詰まったのかペンを止めて考えるように顔を上げる。
秋の女王様かな、と何気なしに呟くと、編集がいいえ、と声をあげた。
「それが先生、聞いて驚きますよ、私だって驚きましたからね、なんと先生の本を注文なさったのは、あの夏の女王様なんですよ」
その言葉を聞いて初めて、青年は編集に顔を向けた。
「夏の女王様が?」
「いやぁ恐れ入りました。先生なら夏の女王様の前でも臆せず話が出来るのではないかと思っていましたが、まさか季節を巡らせるだけでなくご自分の本を売り込んでこられるとは。夏の女王様が直々に本を注文なさるだなんて、いったいいつぶりだったでしょうね」
青年は暫く編集の話に顔を向けていたが、「ふぅん」と一人合点したように呟いて、また興味を失って机に向かう。
いやぁ先生いったい夏の女王様にどんな営業を、と続けようとした編集の肘が、近くの紙束を崩した。それを慌てて拾いながら、今やっとその紙束の正体に気付いて声をあげる。
「おや、先生、これ全部原稿用紙じゃないですか。こんなに大量にどうしたんですか。いえ書いてくださる意欲があるのは結構なんですが、こんなにご自分で買い溜めなくても、言って貰えればこちらで用意しますとも」
なんせ先生は今や売れっ子作家なんですからね、と原稿用紙を拾いながら笑う編集に、青年は素っ気なく返す。
「何か貰ってくれと言われて、それ以外に特に思い浮かばなくてね。僕は紙とペンがあれば、それで充分だから」
編集はまとめた紙の束をそっと机の上に乗せながら、声を弾ませる。
「いやぁ先生は素晴らしい。大変無欲でいらっしゃる。いや、それでいて創作意欲は人一倍、いやいや人十倍と言っても良いくらいですから大変素晴らしい。まさに書く為に生まれたようなお人だ」
返事をしない青年をひとしきり褒めちぎって、編集はさぁ! と手を叩いた。
「忙しくなりますよ先生。次の冬は先生の本を読んで過ごそうという人が沢山いるはずですよ。季節も無事巡りましたからね。また冬が来るまでにバリバリ書いてバリバリ出版しましょう。きっとこれからは飛ぶように売れますよ」
言われずとも青年は黙々とペンを走らせている。
編集は全く無視されていたが、それでも字の詰められていく原稿用紙を嬉しそうに眺めていて、青年が原稿用紙を埋めてしまうと喜んで新しい紙を渡し、受け取った紙に目を通した側から褒めちぎるのだった。
「ああ、そういえば」
不意に青年が声をあげた。編集が「はいはい」とにこやかに返事をして読んでいた原稿用紙から顔をあげる。
ちょっと気になったんだけど、と青年はペンを走らせながら言う。
「君が暑がりなのに夏が好きというのは、何か理由があるのかな」
編集は目を丸くした。
「理由ですか?」
うん、と青年。
編集は腕を組んで悩むようにしながら答える。
「そうですねぇ、春の柔らかい陽射しも好きですし、秋の味わい深い雰囲気も、冬の美しい銀世界も好きですが、なぜ夏が特別に好きかと言われると……」
そこまで言った所で、そうだ! と笑みを浮かべて続けた。
「夏の女王様が頑張っておられるからですね。あの太陽の輝きが私を応援してくれているようで、私はたまらなく好きなんですよ。誰かが側で頑張っていると思えば、自分も頑張ろうと思えるものじゃないですか」
しかし青年はやはり、そういうものかな、と素っ気なく返す。編集もやはり気にした様子はなく、笑いながら青年の書いた原稿用紙をまとめて机の上に置く。
「それでは先生、朗報も伝えましたし私はこれで失礼させていただきます。先生、今は稼ぎ時ですからね? 春がきて仕事始めの季節でもありますから、もうバリバリ書いてくださいね。夏がきたら仕事の季節ですから、もっとバリバリ書いてくださいね。他の出版社になんか浮気しちゃ嫌ですよ? 念をおしておきますからね?」
聞いてますか、と顔をぐっと近付いてしつこく言う編集に青年は面倒臭そうに頷いて答える。
それで満足したのか、編集はまた何か褒めちぎるような事を言いながら書斎を出ていった。
玄関の扉の閉まる音がして、一人になった青年は走らせていたペンを止めて原稿用紙から顔をあげる。
「春は仕事始め、夏は仕事の季節、ね」
窓の外、春の陽射しを浴びようと用もなく外に出て立話をする大人や、雪を丸めては投げ駆け回る子供の姿が目に映る。雪の降る間は眠りについていたような町が、今は目が覚めたように活気を取り戻している。編集の言うように、春は町が動き出す季節だった。
暫く外を眺め何か考えているらしい青年だったが、そのうち諦めたようにふぅと息を吐き、再び原稿用紙に向かう。
「ま、僕のやる事は変わらないか」
そう呟いて、『季節のない男』はペンを走らせるのだった。
了