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40:人の道
 通訳者は、父と母に言う。

「中でお待ち下さい。との事です」

 父と母は言われたとおり部屋の中に入る。

 知子は黙ってトロッキオを見上げていた。無表情で。

 トロッキオがそれに気づく。

『なんだ?』

 通訳者が知子に聞く。

「どうしましたか?」

 通訳の言葉は知子の耳に届いているのだが、知子はトロッキオの顔を見ながら言った。

「ここに閉じ込める気なの?」

 通訳者が知子の言葉をトロッキオに伝える。

 トロッキオは鼻で笑う。知子の頭髪に臭い鼻息がかかる。

『そうだ。さっさと入れ。ガキ』

 トロッキオは力いっぱい知子の背中を押した。

 知子は前屈(まえかが)みなり転びそうになりながら部屋の中に入る。何とかバランスを取って上体を起こすと振り返ってトロッキオを睨んだ。

 トロッキオは怯える両親を面白そうに眺めている。

 通訳者は両親に言う。

「これからは、ここで生活をして下さい。食事も朝昼晩ここに運びます。トイレとバスは、この部屋の中にありますので好きに使って下さい」

 父が叫ぶ。

「そんなバカな。あなた方は言ったはずだ。日本に帰してくれると」

「確かに言いました。だけど、生かして日本に戻せば拉致の事実が露見して、私たちは国際的に指名手配される。だから、あなたたちが日本に帰るのは死体になってからです」

「約束が違う!」

「違っていません。死体だろうがなんだろうが、日本に帰れるのは確かなのですから」

「そんな……」

 父は床に座り込んだ。

「あなた」

 母は崩れるようにしてしゃがみ父に寄り添う。

 トロッキオはにやつきながら体の向きを変えて子分と会話をしながら歩いて行く。きっと両親の不様な姿を笑い話にしているのだろう。楽しそうに歩くトロッキオの背中が遠ざかって行く。

 部屋に残っていた通訳者は最後にこう言った。

「あなたたちを殺さないのは、人質になってもらうためです。あのタイムマシンのエンジニアが、私たちに逆らわないようにです」

 通訳者が部屋を出るとドアは閉められた。そのあとすぐに鍵をかける音がする。

 知子は無表情で閉められたドアを見ていた。

 後ろからする泣き声に気づいて知子が振り向けば、両親は床に座り込んで泣いている。

 悲しむ両親を見ても知子の無表情は変わらず、知子は歩いて両親を通り過ぎて、一番手前にあったベッドに腰掛けた。トランプをポケットから出す。中味を出して自分でシャッフルして布団の上に裏返して並べる。そして一人で神経衰弱を始めた。まるで何事も無かったかのように無表情で。

 両親が立ち上がり肩を寄せ合って歩いてベッドへ移動しても、知子は神経衰弱を続けていた。

 父はベッドに腰掛けて両腿に肘(りょうももにひじ)を載せて頭を抱えている。

 知子の耳に父の言葉が届く。

「死体じゃないと日本に帰れないなんて……」

 父の隣に座り慰める母の声も知子の耳に入る。

「パパ、殺されないだけマシじゃない」

「だが、私はあの人たちを彼らに売ったんだぞ」

「でもそれはジョゼフさんだけで、智さんは勝手について行ったんだし。それに私たちが日本に帰るためには仕方なかったじゃないですか」

「だとしても、私が人の道に外れた行いをした事に変わりはない」

「それは私も同罪だわ。パパだけが悪いんじゃないわ」

 知子は同じ数字が揃ったカードを拾ってもう片方の手に集める。全部の数字のペアを作り終えると、またシャッフルして布団の上にトランプを裏返しにして置いていく。

 その知子の瞳に涙が浮かぶ。もう出てこないと思った涙。知子は涙で前が見えなくなっても、ずっと一人で神経衰弱をやり続けた。智との楽しかった神経衰弱を思い出しながら。

 日本に帰れない。友達にも会えない。圭介も智もいない。そばにいる両親も信じられない。もう知子には智と遊んだトランプしか残っていなかった。
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