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4本目
壁(1)
「そーいえば、再来週の金曜午後四時から三者面談なんですけど、お仕事抜けられそうですか?」
 午後十時過ぎ。風呂上りの青一郎が麦茶を片手に思い出したように、扇風機に当たりながらテレビの報道番組を見ていた波限に言った。風呂も立て続けに入った方がガス代も掛からないので、掃除も楽であるし波限の家で入っている。
 波限は青一郎の修学旅行のお土産のもみじまんじゅうに手を伸ばしながら、「解った。なんとかする」と頷いた。
「ちゃーんとそうゆうところは『保護者』しとるんやなー」
 一番最後に風呂に入った源助大根が、ほかほかと湯気を立てながら葉っぱを手ぬぐいで拭きつつ感心したようにそう言った。
 どうでもいいけど、どうして大根が三者面談なるものを知っているのか、そして毎日風呂に入っていて腐らないのか(でも入らないと臭そうだ……)などと相変わらず謎に包まれているが、いちいち突っ込むのも疲れるので、既にそこは誰も何も言わない。
「なにぶん、未成年ですからねえ」
 青一郎はいつもと同じ呑気そうな笑みを浮かべた。波限は何も言わずに甘いもみじまんじゅうを口に放り込んだ。
 前述のとおり、波限は最終的に青一郎の母親に成人まで面倒看てもらった以上、今度は自分がこの少年を成人まで面倒を看るつもりであった。それ以上でも以下でもない関係。遠い親戚であるらしいが血の繋がりも薄く、その先はどういう関係になるのか全くわからない。兄弟でも友達でもない、変な二人――なのである。

 そこで青一郎は更に面白いことを思い出したと言うように手を打った。
「三者面談と言えば、」
 ほうほうと源助がちゃぶ台から身を乗り出す。
「前回の三者面談にもなぎささんに来ていただいたんですけど、クラスの女子がかっこいーって言ってましたよー」
「ほんまかー? 女子高校生にウケ良えなんて、本望やないか、なあ。っつうかその子の趣味がオカシイだけかもしれんけどな」
 歯でも磨くか明日も早いし……と、波限は二人の話を無視して、洗濯機の置いてある風呂場の隣の洗面台へとその場を立った。と言っても六畳一間の家の中、会話など丸聞こえである。
「んーとね、その日会った子……七人?中三人……あれ? 二人かな? が、そー言ってましたよ」
「……リアルな数字やなー」
「あとは怖いとか」
「聖護院、ちいとも笑わへんでなー。宮重の愛想のよさの三十分の一でもあればえーのに。っつうか、一日に七人の女子に囲まれとる宮重の甲斐性のがすごいけどな」
 あはははーと青一郎はまた呑気な笑みを見せる。
 しゃこしゃこと歯を磨きながら、最初うるせえよと思っていた波限も最後の源助の言葉にはまったくだ、と心の中で頷く。一体この子はどういう大人になるのだろうか……。まあ愛想の良さは母親譲りだろうが。
 でもあの母親は決して上辺だけの愛想は振りまいてはいなかったから、それはきっとこの少年も同じで、だからこそ人に好かれるのだろう。第一愛嬌はある方が、当然、好感は持たれるだろう。
 この少年、見てくれは純心無垢で無害そうだし隣の彼女も、実はこっちのが……と、波限がとりとめもなく思わずぼんやりと考えてしまった時、
「とゆーワケで、自信持ってがんばってくださいね! なぎささん」
彼の考えていたことがわかったかのように、突然話を振られ、波限は口をゆすがずにそのまま飲み込みそうになってしまった。そして咽ながら口を流し、「何がだよ」という渋い顔をして部屋に戻りながら(他に戻るところがないからだ)、
「頑張りようもねえよ……」
とぽつりと呟いた。その瞬間、
「「ええー!!!」」
 二人分のどよめきが彼を襲う。

「そんな! なんで告白する前から逃げ腰なんですか!」
「そーやぞ! も、もしかしたら寡黙なオトコが好きかもしれんやないか。ワシなんか見てみい! 目も鼻も口もないけど清白様と結ばれる日を夢見とるぞ!」
 人のことを散々言った癖に今更何を、という感じである。
 告白だなんてそれこそコーコーセーみてえなことこの歳で出来るか! とか、スズシロって、あの女の所為でこの前どんな恥ずかしい眼に遭ったか……つうか結ばれるってお前そのナリで何処までやる気だetc突っ込みたいことは山のようにあるが、波限はもう言い返す気力も無くなり、少々早いが、
「もーいい。寝る。退け」
むっつりした顔で言うと、てきぱきとちゃぶ台を片付け、自分の布団を引き、早々とその中に潜ってしまった。
「それこそ小学生じゃないんだからー」
 布団の向こうで青一郎の声が聞こえるが、波限は完全に無視を決め込んだ。

 ・・・・・・・・・・

 仕方がないので、青一郎と源助は波限の部屋の明かりを消して、青一郎の部屋へともみじまんじゅうを持って移動した。ちなみに明日は土曜日で学校は休みであるが、波限は珍しく朝早くから出勤らしい。
「如何ともしがたいカタブツやなー」
 春撒き大根が無事に収穫され、夏に植える秋撒大根の撒種までにも少々時間があるので、はっきり言って暇である大根は、恩人の恋をそろそろ本腰入れてなんとかしようとお節介にも悩んでいた。
「前の彼女は積極的な人だったんでしょうね」
 今思えばよく彼女がいたな、と青一郎ですら思う。まあ、見てくれ身長、年収職業、嫁姑問題etc……と条件的には悪くないため、まあとりあえず落としてみたくなる女もいるかもしれない、と彼は大人びた分析をしていた。
「一体、どうしたら……」
「いいんでしょうねー……」
 日頃は滅茶苦茶言うものの、二人とも不器用で真面目な波限が大好きなのである。彼の幸せを願う二人は、腕を組んで真剣にううーんと考える。
「さっきの話やないけど、聖護院も宮重みたいにもーちょい愛想があったらなー。サービス業のクセに、仕事どないしとるんやろな……」
 ぼやく源助に青一郎も自分用のテーブルに頬杖をつくと、そうだねえと呟いた。
「昔からなぎささんは笑わない人ですからねー」

 そこで青一郎は、物心ついた時にはもう既に自分の家に居た少年――波限のことを思い出してみたが、喜色満面の笑顔をしているような思い出はやはり見つからなかった。
 だけど子供心に彼は、そんな無愛想な波限少年が大好きだった。仕事の忙しい母親に代わって自分の面倒を看ていてくれていた波限のことは、きっと父親が居なかったから余計に兄のように慕っていたのだろう。
 青一郎も母親に聞いたのだが、波限に実の両親の記憶は殆どないらしい。親戚の家を転々として、最終的に宮重の家に引き取られたと言う話だ。だから一体いつから彼が笑わなくなったのか、青一郎は知らない。だが表情は乏しくとも快不快は表現していたし、気持ちの真っ直ぐで優しい少年だったので何も不安に思うことはなく、頼れる存在だと思っていた。
 ――ただ……。
 どこか遠い目をして青一郎はぽつりと言った。
「おれが知ってるあの人はもう中学とか高校生だったから、そりゃ子供みたいに泣いたり笑ったりはしないけれど……あの人ね、おれの、かーちゃんが死んだ時も、泣かなかったんだよ」
「……?」
 源助は首(などないけど胴体の真ん中より少し上)を傾げて青一郎を見た。
 その時波限はもう大人だったから、青一郎の母親が身体を壊して亡くなったことに対し、「自分がこの家に来た所為で、彼女は余分に働いて身体を壊してしまったんだろうか」とは思っても決してそれを口にしなかった。
 青一郎はまだ中学生だったものの、彼が本当はそう思っていたことは何処となく分かっていた。だがそれに対して、どう言ったらいいか分からなかったのだ。
 母親との別れは辛かったが、波限を恨もうとは少しも思わなかった。
 しかし彼にどう声を掛けたらいいのか、中学生の青一郎は自分の悲しみに精一杯で分からない。だがその答えのように、今の生活が自然に始まっていた。
 それは何処かで吐き出したかった、青一郎の中の子供心に切なかった思い出。
「だからね、」
 青一郎はまたのんびりと笑った。
「前の彼女さんは出来なかったんだろうけど、いつかあの人を心から笑わせたり、泣かせたりする人が現れるといいなーって思って。はつかさんはそれくらい強くて優しい人かはわからないけれど、それでも何かあの人の心を動かしたんだな、って嬉しかった。あの人にもそうやって動かされるような心が残ってたってことだよね。だから、それが『本物』になればいいなーって、おれは思ってるんですけど」
 誰にも言えなかった気持ちを、それこそ大根という存在だからこそ話せたのであろう。いつものように穏やかに何かを思い出しながらゆっくりと話していた青一郎がふと前を見ると、源助が体中の水分を噴出させ、大泣きしていた。
「ど、どーしたんですか!? 源さんっっ」
「なんっ、て切ない話やー! ワシがなんとしてでも宮重と聖護院の悲願である、はつか嬢との恋、成就してやるでなー!!」
「源さんー!!」
 夜更けに大根と抱き合って泣く男子高校生――という、よくわからない光景がアブラナ荘の一室では繰り広げられていた。
 

◇拍手&簡易メッセ◇

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