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3本目
遠距離(3)
 ……波限は、自分は押しに弱い方なんだろうなと思った(ナニソレをハツカダイコンにされるのだけは勘弁して欲しいというのもあるが)。勿論、余程法律や倫理に反していることは、どんなに頼み込まれても頑として頷く気はないものの。
 結局、電車の時間は特に決まっていないようなので、その珍しい蕎麦を出しているという蕎麦屋で清白と昼飯を食べる羽目になってしまった波限。別に義理も何も無いこの女と、源助大根を差し置いて何をやっているのだろう……と、本日何度目になるか分からないため息をつき、車を降りる。
 さて「おしぼり蕎麦」とは、信州信濃の東信地方で食べられる郷土料理であり、辛味が強く独特の下膨れな形をした「ねずみ大根」を卸した汁に、味噌とねぎなどの薬味を入れてそこに蕎麦をつけて食べる料理である――ちなみにうどんをつけて食べることもある。
 それが何時間も離れたこの県で食べられるのは、主人がそこの出身なのかもしれないが、とりあえず大根おろしをクニへ帰るまでの精をつけたがっている清白の希望どおり食べさせることにした。
 確かに昼飯の用意もなかったしあまりお目にかからない食べ物なので、味見をする価値はあるかと波限も思った。ただ蕎麦は値段の割に腹が一杯にならないのが難点であるが……。
 辛い大根おろしと味噌の香ばしさの味のコントラストを何故か謎の女と楽しむ羽目になりながら、初夏に見られている以上、どうでもいいやという気持ちになり、波限は蕎麦をかき込んだ。
 特にする会話もなく黙っていた二人であったが、先程の清白の言葉からふと疑問に思ったことがあり、波限は清白に尋ねた。
「他にもこんな風に恩返しするとかいうダイコンが居るのか?」
 美しく優雅に、かつ豪快にずずっと音を立てて蕎麦を啜っている目の前の女を見た。
「……やり方は、様々だけどね」
 少し間を置いてから、清白は曖昧な答え方をした。
 ――ということはあんなに鬱陶しくなく、さりげなく恩を返す大根もいるのだろうか。だったらそっちをこちらに回して欲しい、と切に願ってしまう波限であった。
 しかしその言い方からすると逆にインターネット上で探せるほど、全国的に全く同じ境遇の奴がいるというわけでもないらしい。確かにそうだったら、もっと騒ぎになってるであろう。
 そうは言っても一生大根が授けられるいうのも、それはそれでありがたいことである。ただ結婚や将来のことを考えると、あんな大根が家にいるのはどうか……やはり考えるのはやめようと、既に蕎麦を食べ終わっていた波限は半ば自棄くそに食後の蕎麦茶をぐびっと飲み干した。
「打木源助は、例外なのさ」
 最後の蕎麦を口に運びながら、清白はぽつりと呟いた。
「?」
「ではお人よしの聖護院に、ひとつ御伽話を聞かせてやろうかね」
 そこで彼女はそう言って笑うと軽く口を拭い、同じく食後の蕎麦茶に口をつけると話し始めた。

「……昔々、旅の一座にひとりの男が居たのさ。それがまた大根役者でな、でも根もバカなもんだから、人に大根大根言われているうちに、『オレは大根役者じゃから』と笑って大根ばかり食っていたんだと」
 半分聞き流してはいたが、波限は黙って女の話を聞いていた。
「それで――更に古の物語で、大根が大事に食ってくれた者の元へと現れた、というアレさ」
 ――徒然草の第六十八段だとかいうものだ。もう鬱陶しいほど寝物語にあの大根から何度も読んで聞かされ、覚えたくも無いのに覚えてしまった。
「その大根役者が、恋をした女形の役を演じることになってな、恋などしたことない上に女の気持ちなどわからんと悩みぼやいている男の為に、大根同士で話をした結果、一本の大根が女の姿になってその男の前に恋人になってくれと現れたのさ」
 ――なんだその「まんが日本むかしば●し」ちっくな展開は!?
 嘘か誠か……九割方嘘だろう、しかし自分の家に喋る大根がいるのは現実だ、と胡散臭そうな目をしながらも波限は清白の話の続きを聞いていた。
「男も寂しかったのか、本気でその女に惚れてしまった。女――もとい大根も、バカだけど一途な男を前から好ましく思っていた訳だから、それを受け入れた。そして二人は結ばれたのだが、自分が大根であることを秘密にしていた女は、段々苦しくなってきちまったのさ」
 清白は蕎麦茶のお替りを自分で注ぎ、波限の湯飲みにも注いだ。
「だけどそうして恋を知った男は女形として大成功を収め、これでもうヤツを大根役者などと呼ぶ者は居なくなった。大根の恩返しも果たされ、これが潮時と女は自分が大根で恩を返しに来たのだと正直に男に話した。ところがどっこい、男はバカだもんだから、それでもいいから側に居て欲しいと言ってきた」
 大根と恋をする男――。よくよく考えると不毛であるし、自分だったら御免被りたい話であるが、世の中には色々な嗜好のヤツもいるのだろう、と波限はもう一度薄くなった蕎麦茶を入れると啜った。
「それで女は男の望みどおり大根の仲間の力を借り、そのまま人間の姿のままで居続けた。だけど男は人間だから――、それから何年かの後、流行病であっけなく死んだのさ」
 清白は頬杖をつくと、何処か遠くを見るような眼で外を見た。
「それから何十年も、何百年も経って……、大根を愛し続けたその男の魂は、一本の大根の中に入ったとさ。お終い」
「……」
 波限はそこで掌を上げた清白を見た。
「……そんでその女はどうなったんだよ」
 ――まさかな、と思いながら波限は問い掛けた。
「さてね」
 清白はにんまりと笑った。
「……」
「『聞かなきゃよかった』って顔してるぞ」
 清白はそう言ってお人よしの彼を指さして笑うと、伝票も一緒に渡して立ち上がりながら言った。
「ただの御伽話だって、言っただろう?」
 ……蕎麦は腹が一杯にならない。大盛を注文しても腹七分目であり、二人合わせた昼食代が二千三百円とはこの不味い話を聞かされたことを合わせると、更に割に合わない金額だ、と波限は心から思った。

 そして約束どおり駅までこのトラブルメーカーの女版を連れて行き、ようやくこれで別れられるかと波限は肩の荷が下りた気分になっていた。まだ源助の方がオス(?)なだけ扱い易い……と改めて感じていた。
「世話になったねえ」
 駅のロータリーで清白はそう言うと車を降りた。
「あのバカに伝えることとかねえのかよ」
 聞くほどのことでもなかったが、結局彼女が何をしに来たのか――。女の気持ちが波限には解せなかったのだった。
「……元気なら、それでいいのさ」
 清白はもう一度そう言うと、今度は先程の昔話をした時と同じ表情を浮かべた。そして最後に、
「お前も頑張りなよ。その立派な赤首大根ではつか嬢をメロメ」
「だーから、そういう下品なことを言うなとゆーとろーが!」
 人間でないからか、その綺麗な外見も台無しなデリカシーのない言葉ばかりを吐き捨てる美女を最後まで怒鳴りつけると、波限の車は走り去っていった。それを手を振って見送りながら、清白はぽつりと呟いた。
「でもあの男はあんな変な方言は使わなかったけどねえ……」
 ――どこでどう間違ったのやら。

 ・・・・・・・・・・

 そして夕食後――。案の定というか、源助大根は生き生きとしていた出発時と正反対に、白い体を真っ青にしてふらふらと足取りも覚束なく帰ってきた。
「どーしたんですか!?」
 青一郎が心配して出迎え、波限は予測がついていたものの、一応黙っていた――が、
「種はぎょうさん貰えたし、ダチにも会えた……けど、清白様には会えなんだー!!」
そしてそのまま青一郎に抱きつきとおいおいと泣き出してしまった。
「今日たまたま、ワシの様子を見に、聖護院の家に行かはったんやとー! すれ違いラブやー!!」
 やはり誰かから聞いたらしい。はあ、と波限はため息をついた。
「そーなんですか!? なぎささん」
 青一郎の問い掛けに、波限は短く「ああ」と答えた。
「じゃあ、すずしろさんに会ったんだー。いいなー。やっぱ美人さんでしたかー?」
 その問いにNOなどと言おうものならば、このやさぐれた大根にどんな攻撃を喰らうかわからない――のもあって、
「…………まあな」
 長い沈黙の果てに波限はとりあえずそう答えた。
 ――性格は、さておき、だが。
 そのは、一体? すずしろさんとの間に何かあったのかなー? と青一郎は察し良く思ったが、彼がその疑問を口にするよりも早く、源助が今度は波限へと抱きついてきた。
「そーやろー、そーやろー! 清白様の美しさに敵うモノはないんやー! 会いたかったわー! 清白様ーー!!」
 肩の上でおいおいと泣き叫ぶ大根に対し、そのお陰でこちらは大変な目にあったんだがな、と波限は大きな大きなため息をつきながら言った。
「……でも、お前が元気ならそれでいいって言ってたぞ、その女」
「ほーか……! ほーか、ワシのコト、心配して……清白様ーー!!」
 波限にはあの女の意図はまるで分からなかったが、彼には彼女の気持ちが伝わったのだろうか、それとも都合のいいように解釈しているだけなのだろうか、源助は感動と寂しさで益々大声で泣き出した。
 その大騒ぎに波限は困り果てながら、もしかしてあの女は源助が向こうへ行くことを知っていて、こうなることも知っていて、あえてすれ違わせたのではないか……あの捻くれた女ならやりかねねえな……、とこっそりと思い、思わず恨めしいような気持ちになっていた。

 ・・・・・・・・・・

 そして夜も更け、暗い部屋の中で、男一人と大根一本は、今日一日の出来事にショックと共にどっと気が疲れ、呆然と倒れるように横になっていた。
 波限は、今日初夏に目撃されたことへの結論を出していた。――改めて考えてみても、普通隣に住んでいるだけの男とどうこうなりたいなどとは思わないだろう。だからやはり誤解など解く必要は無いのではないだろうか、と。
 逆に誤解されると困る、と彼が焦ってしまったのは、「女が居ると思われたら、初夏が自分への興味を失うかもしれない」という打算が働いたからではないだろうか。
 ――なんでこんなに、ただの隣人が気になるのか。相手がどういう女かもわからないというのに。愛想笑いの顔しか思い浮かばないのに――たとえそれに癒されたのが事実であっても。
 きっと話したこともないからだ。だから下らない妄想ばかりが余計に募ってしまうのだ。……これじゃストーカーと変わらねえじゃねーか……。
 自分でももどかしいとは思いながら、だが相手を不安や不快な思いにさせることも嫌でどうすることも出来ず、眠れない波限が無意味に寝返りを打った時、いつもなら熟睡している筈の大根も今日は眠れないのか波限を起こさないように黙ってそっと立ち上がる。そして静かに窓を開け、ベランダへとよじ登り大根畑に昇る月を見上げて、物思いに耽り始めた。
 思わず自殺でもするのではないかと波限も目で追ってしまったのだが、眼鏡を外しているのでぼやけてはいるが、大人しく座っている姿が確認できた。
 するとその源助の姿が――ふと長い髪を後ろで軽く結わえ、派手な着物を羽織った男の姿に見え、波限は思わず目を擦った。
 疲れているのか、眼が悪いからか、それとも昼間の話の印象が強過ぎたのか。しかしその幻影は一瞬で消え、其処には唯の考える大根が存在していた。
 波限は再び暗い天井を見上げた。
 昼間、清白から聞いた昔話は源助にはまだ話していない。もしかしたら彼は知っているのかもしれないし、彼女があえて言わないのかもしれない。だが自分などに言ったということは、秘密にしなくてはいけないことでもないのかもしれない――が、もし彼がその話を知らないとすれば、それこそ彼女の口から言うべきことなのだろう、と波限は思った。

 ――たった壁一枚なのに、遠い距離。
 ――会いたくても次いつ会えるのかわからない、遠い距離。

 二つの空しい想いが月の夜をたゆたっていた……。


 ……ただ幸せに、元気で居てくれさえすればいい。それだけで自分は幸せになれるという気持ち。
 遠い空から彼方を思う。
 

◇拍手&簡易メッセ◇

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