苛立ってきた波限はこれもそれも全部あの野郎の所為だと、心の中で源助大根を殴りたい気持ちにもなったが、とりあえずこの場を収めようと怒りを抑えて、突然現れた謎の美女の問いに素直に答えた。
「……アイツなら、いねえよ」
相手の態度が横柄なので、つい初対面でもつっけんどんな態度になってしまう。
すると、「何!?」とその女の目がまた鋭く釣り上がった。
「だから隠し立てすると貴様の×××をハツカダイコンに――」
「だーっ! 女が何度もそーゆーコトを言うな!!」
穏やかな日曜となるところだったのに、朝からまたハイテンションに。やはり全てはあの大根の所為だ……無意識のうちに握られた波限の拳がふるふると震える。
「アイツなら今日、クニに帰るとか言って出てったぞ!」
なんでもいいから帰って欲しいという切実な叫びに、謎の女はそこで急に黙ると波限の目をじいっと見つめた。何だよ、と彼も彼女を見返した。
「――本当に、居ないのかい?」
波限の真っ直ぐな視線に嘘は言っていないと感じたか、女はふっと眼光を緩めると言った。
「ああ」
「……そうか」
女はどこか残念そうにため息をついた。そして、
「折角こんな遠い所まで来たのにこのまま帰るのも癪だ。とりあえず、茶の一杯でも入れてやってくれ。喉も渇いたしねえ」
そう勝手なことを言うと、ハイヒールをぽいぽいと脱ぎ捨て波限の部屋へと上がり込んできた。
「おい!」
波限の静止の声もなんのその。彼女はさっさと男所帯の家に上がりこむと、「ふむ」と窓から下の大根畑を見下ろた。
傍若無人は大根畑の常識なのか、それとも大根だから人間の常識が通用しないのか……。何だか大根が嫌いになりそうになりながら、波限はため息をついてドアを閉めた。
・・・・・・・・・・
「いい畑じゃないか」
男所帯だが性格上、物をあまり置かないタイプのため、さほど散らかった感じのない殺風景な六畳一間に、まるでモデルのような体型の女が妙にくつろいで座っていた。
「どうも」
彼女にインスタントのコーヒーを出しながら波限はぼそりと答えた。そして自身も温くなったそれをようやく口にした。……くつろぎのひと時から一転してしまった味わいであるが。
「あのバカは元気でやってるかい」
言わずと知れた源助大根のことだろう。
「元気も元気じゃねえも……」
波限は何度目になるか分からない大きなため息をついた。彼女の前でもハイテンションなのか、女はけらけらと笑い出す。
「笑うなら引き取ってもらいてえところだが」
再びコーヒーを啜りながら波限は低く呟いた。
「それは出来ない相談だねえ。アイツには大根の普及に努めてもらわねばならないし、大根は根深く恩も深く、ってモンだからね」
女は頬杖をついてコーヒーカップを手に持つと、笑ってそう言った。その表情はこの状況を楽しんでいるかのように見えた。
「っつうか、あんたは人間なのか?」
見た目は人間の女だが、言うことが何処となく普通の人とはズレている。喋る大根に出会ってから、波限自身のそういった感覚もずれ始めてきたので、今ようやくそう感じたのだが。彼は投げやりに身体を逸らすと、相手を胡散臭そうに見て尋ねた。
「さてね」
女は肩を竦めた。
「――まあ、アイツに命を吹き込んだのは、あたしだがね」
そしてどうでもよさそうに言葉を続けた。
――って!
波限はそこで目を見開いて女を見る。
――こいつが諸悪の根源……!? えっと、何だったっけ?
「……スズシロ……」
源助がしょっちゅう口にしていた、自分に命を与えたとかいう神だとか愛する女だとかいう名を、波限はどうにか思い出して搾り出した。
「よく知ってるじゃないかい」
女は切れ長の眼で数度瞬きをして波限を見た。
……確かに(性格はどうあれ)大根の言うとおり美人――じゃなくて!
「なん、……でこんなトコに居るんだよ? アイツあんたに会えるって喜んで出かけて行ったぞ!?」
あの大根はそれを楽しみに出て行ったのに、これでは完全にすれ違いではないか。波限も思わず叫んでしまう。
源助の存在自体はいけ好かないものの、あれだけ清白に会えることを楽しみにしていたのだ。クニとやらに好きなだけ帰ってくれていてよいのだが、源助の性格上、大根と言えども惚れた女の手前、使命を果たすまでクニには帰れないという男気はあるらしく、彼女が居なくても波限への恩返しに無駄に責任を感じ、今日中に何が何でも戻ってくるのだろう。
「あたしだってそんなに長いこと向こうを離れられないよ。こんな空気の悪いところ、長く居たら倒れちまう。アイツも運がなかったんだろう。此処に来たのもほんの気まぐれだしねえ」
「……」
それにしても、別にこの女に会いたくも無い波限がこうして相手をし、彼女に会いたくても会えない源助が此処に居ないことには、非常に無情なものを感じ、戻ってきた彼が落胆してやかましく騒ぐであろうことへの迷惑を差し引いても、同情せざるを得ない。
――縁がないって事なのか……。
想い人に会えない源助大根を流石に哀れに思いながら、二人がそう言うなら仕方ないかと波限は苦いコーヒーを飲み干した。
「それじゃあ、帰るか」
そう言うと女――清白は、本当にコーヒーを一杯飲んだだけで立ち上がった。
「待ってやんねえのか?」
このわけのわからない女と一日中一緒に居るのは気を遣いそうだったので安堵はしているものの、やはり源助をどこか可哀想に思うお人よしな波限なのだ。
「元気なら、それでいいさ。先にも言ったがそう長くは此処の空気に触れていられないしねえ」
清白はふっと笑った。その笑顔は今までと違い、優しく切なげなものに見えた。
「悪いが聖護院、駅まで送ってくれ。このボロアパートは駅から遠すぎる。こんな距離歩いたら、空気が悪いから倒れちまうよ。こちとら行き帰りの電車賃しか持っていないというのにさ」
そして唐突に彼に頼んできた。
「は? じゃあ行きはどうやって此処まで来たんだよ」
「タクシーの運転手にキスマーク付の大根をくれてやったら連れて来てくれたぞ」
「……解った。送ってく」
少しの間の後に波限は引き受けた。ちなみにこのボロアパートが安い所以であるのだが、最寄駅まで歩いて一時間近くも掛かるのであった。
そして駅までであるが、彼は一応部屋着から外出用のジーンズとTシャツに着替えた。その正体が人間かどうなのかかなり怪しいが、一応女性の前であるためズボンを脱ぐのは少々ためらわれたが、当人は構うことなく人間界の新聞など読んでいる。
狭いアパートには他に部屋もないので波限は居心地悪く彼女の目の前で着替えた後、波車の鍵を持ち、清白を促して外に出た。
そして彼は、突然の騒がしく非常識な来訪者に混乱していてすっかり周りを警戒することを忘れていた。
――期待している時には会えない、その存在をふと忘れていたり都合の悪い時には出会ってしまう、人生とはそういうものである。
ガチャ、とドアを開け波限が清白と一歩外に出ると、丁度、隣人――の初夏がコンビニエンスストアの小さな袋を提げて歩いてきたところと鉢合わせてしまったのであった。
ちなみに、コンビニはアパートから徒歩五分のところにあるので便利である――なんてことはどうでもよく、
「……」
――しまった……!
何がしまった、なのか波限自身にも。ただ非常に焦りを感じた。
日曜の昼近く。男女が二人揃ってアパートから出てくれば、普通想像することはひとつ、だろう。
親類だとかなんとか苦しい言い訳も思い浮かぶが、そもそも初夏にどうして言い訳が必要なのか。
それに彼女に既に付き合っている男がいたり、彼女が微妙なアピールをしている隣の若い男のことを不審に思っているならば、こうして波限に相手がいると思わせることは寧ろ彼女にとっては安心出来るのではないか――。
狭い通路では引き返すことも出来ない。短い時間に様々なことを考えてしまった波限が何も言えないでいる間にも、初夏は気まずい現場を目撃してしまったとでも言うように、ばつが悪そうに早足で通り過ぎると、俯いて会釈をだけをし二人の方を見ないで素早く部屋へと入っていった。
「行くぞ」
呆然と立ち竦む男の背中を軽くどつくと、清白はスタスタと先に歩いていき、ハイヒールの甲高い音を立てて階段を下りていった。
・・・・・・・・・・
貧乏であっても車は電車の便がよくないこの地方都市では必要になるので、波限も持っていた。それに無言のまま清白を乗せる。既に見られてしまったことには変わりないので、波限は約束どおり彼女を駅まで送っていくことにした。
元々不機嫌であった彼が益々不機嫌な顔をしているのには、清白も気付いたらしい。その横顔をちらりと見ると、窓の外に目線を移して言った。
「あれが『はつか』嬢かい。ハツカダイコンみたいに可愛い子じゃないか」
思わずハンドルに頭をぶつけそうになる。
「何で名前知ってんだよ……」
「打木の報告書に書いてあった」
――何を報告してんだ! あの大根は!!
思い切り心の中で突っ込みを入れながら、波限はふと思う。
――知ってんなら何とか誤魔化してくれよ……と。しかしそれはすぐに、違うな、と彼の中で否定された。
確かに清白が人でないから、そういう気も回らないのは仕方がないというのもあるが、そもそも初夏に「誤解されたくない」ということは、即ち彼の中で「答え」が出ているということになるのだ。
誤解されたくないという答えであるならば、「自分で誤解を解けばいい」だけのことだし、そうでないならば「誤解されても問題はない」――そう、結局誰も関係ない。波限自身に戻ってくる問題なのである。
「怒っているのかい?」
清白は流石に自分が女の身なりをしていたことを思い出し、彼の想い人に自分とのことを誤解されたと思い当たったのか、波限に尋ねた。
「……怒ってねえよ」
その言葉に嘘はなかった。彼がもしも苛立っているとすれば、「自分に」――であろう。
其処まで察したかはわからないが、「ふーん」とだけ清白は答えた。そしてまた窓の外を見ながら呟く。
「打木からの報告書には、お前やお前の家族の誉め言葉ばかり書いてあったよ。……アイツも大概お人よしなところはあるけど、お前も相当だねえ。まあアイツが恩を感じて其処に居たいと決めたくらいだから、お前らもいいヤツらだろうとは思うが、この世知辛い世の中、下手すりゃ虐待されそうな大根だっているのさ」
誉められた気はあまりしない誉め言葉はさておき、「虐待」という不穏な言葉に、波限とてあの大根を何度折ってやろうかと思ったか分からない、と思い出していた。
「でもお前は大事にしてやってるようだねえ」
それは今日会った彼の人柄と報告書の内容から、清白が判断したようであった。礼は言わなかったが、彼女はゆっくりとした言葉と穏やかな笑顔で嬉しそうにそう言った。
しかし運転中で前を見ている波限には清白の表情は伝わらず、彼は眉を寄せると不思議そうにこう答えた。
「――食べ物は、大事にせんといかんだろ」
その瞬間、清白は大声で笑い出した。何だよ、と横目で彼女を睨んだ波限に清白は非常に愉快そうに笑って答えた。
「あんたは、いい男だねえ」
……やはり馬鹿にされているかどうかわからないその言葉に、波限の眉は益々寄せられる。
その時であった。
「あっ!」
突然清白が大きな声で叫んだ。
「何だ!?」
丁度赤信号で車が停まったので急ブレーキにならずに助かった。
「ちょっと! あの蕎麦屋――寄ってくれ! 『おしぼり蕎麦』やってるじゃないかい! 大根おろしは今のあたしの精力剤に丁度いいんだよ。寄ってくれなきゃお前の×××をハツカダイコ……」
「だー! もういい!!」
◇拍手&簡易メッセ◇
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