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3本目 遠距離(1)
 さて、入梅前のよく晴れた初夏のある日――。
「遂に……」
「やりましたね……!」
「収穫やー!!」
 相も変わらずハイテンションな大根と可愛らしい男子高校生と仏頂面のサラリーマンが、土曜日の昼下がり、アパート裏の大根畑でそれぞれ感慨に耽っていた。
 苦労した開墾から約二ヵ月、ようやく春撒き大根の収穫日と相成った。
 逆に言えばこの奇妙な大根とそれだけの時間、生活してきたのかと思うと不思議な感じも波限にはするのだが。……というかこの先も一生纏わり付かれるのか、と思うと少しぞっとするので、彼はあまり考えないようにしていた。
 そうは言っても大根の収穫はめでたいことである。食費的にもであるが、やはり源助の言うとおり手を掛けた分だけ作物は応えてくれる。その達成感は確かにあった。
「思ったより、よく育ってんな……」
 素人だし失敗するに違いない(そして源助に適性無しと諦めて欲しい)と思っていた波限だが、抜いてみた大根の意外な立派さに思わず唸る。
「そりゃーちゃあんと手え掛けた、聖護院の愛情の賜物や!」
「……」
 その笑顔(目鼻がなくてもどういう表情がなんとなく分かるようになってしまった)に、どう反応してよいかわからない波限であったが、
「……もあるけど、このワシが授けた種はそんじょそこらの農協に売っとるモンとは違うでー。ええ品種なだけやない、その中でも更に栄養をよう含んどって精力(※変な意味でなく本来の意味ね)の強え、生き残りに勝ち抜いたヤツから種を採るんや! だから生命力も抜群やし、栄養も満点、素人でも育てやすく立派なモンが出来るんやで!」
 大根社会のくせに動物のような頂上決戦があるようで、深く考えるとなにやら種馬の育成のようで手元のコレが不気味にも思えるが、とりあえず納得のいく答えに、波限は素直に「ふーん」と頷いておいた。
 しかし栄養面や育てやすさという意味では、個人で種を買うよりもやはりお得であるのだろう。波限はついでに大根畑の隣に植えたナスとトマトに水を遣ることにした。
 家庭菜園が趣味というわけではないが、彼は理系を専攻していたのもあり、思わずナスとトマトの苗を買ってきて畑の端に植えてみたところ、意外にこちらも上手く育ちつつあった。夏には何とか食べられそうな状態で収穫出来そうである。

「じゃあ、記念すべき初物はやっぱはつかさんにもあげるんですかー?」
 母親の位牌の前に供えようと嬉しそうに大根を抱きかかえ、頬に土をつけた顔でにこにこと笑って波限を見上げる青一郎。黙っていれば天使のように可愛い少年であるのに、相変わらず返答に困ることをズバズバと言ってくれる。
「知らねえよ」
 波限は素っ気なく答えると、近くの用水からバケツに汲み上げた水を古典的に柄杓で蒔いた。青一郎の言葉に先月の失態を思い出しそうになり、眉間に皺を寄せる。
「はつかさんも毎日自分でごはん作ってるみたいだし、いいと思うけどなー」
 青一郎は大根の土を払い落としながら呟いた。夜になると隣の家からはいい匂いが隣してくることから、既に周知のことであった。
「ダイコンかて、べっぴんのおねえやんに食うてもろーた方が嬉しいと思うけどなー」
 ついでに源助大根までも余分なことを言ってくれる。
「じゃー、お前らがやってくればいいだろ」
 波限は柄杓の水を土に向かって乱暴に掛けると、五月蝿い彼らへそう言い放った。

「「それじゃー意味が無いじゃん(やん)!」」

 しかしそれはあっさりと、二人から同時に言い返された。
「折角話せるチャンスなんやでー。他に話す機会もあらへんやん!」
「それに別におれが行ってきてもいーですけど……、『なぎささんからだ』ってちゃんとアピールしときますからね!」
「いらんことをするなっ!」
 今にも柄杓をぶん投げそうな勢いで、波限は勢いよく青一郎を振り向いた。それでは先月の二の舞である。しかも弟のような高校生を使って自分を売り込ませているなんて、尚更イメージ悪い。それに好きでもない男にそんなことをされても、普通は気持ち悪いだけではないか
 しかし勝手に盛り上がっている二人も収まらないので、仕方なく彼はぽつりと呟いた。
「……せめて偶然会ったら、にしておけ。わざわざ家まで訪ねる必要ねえからな」
 たった壁一枚の距離なのに、ないようでしっかりと距離がある。残りの二人はつまんないー等々ぶつぶつ言いながらも、本人の意思は固そうなのでそうすることとした。

 しかし得てしてそういう期待をしている時に限って、会えないのが世の常である。
 畑から戻った時も、午後スーパーで一週間分の買い出しをした帰りも、今日は初夏の出勤日なのかそれともデートなのか、彼らは彼女に行き会うことはなかった。と言ってもやはり先程の理由から突然渡すこともためらわれるので、最近また顔を見ていないのは事実だが、何処かほっとしている部分も波限の中にはあった。
 そんなこんなで夕飯はこの六月という時期にも関わらず、おでんを囲むことと相成った。祝いということで、本日の波限の夕食は晩酌付きだ。もちろん青一郎の部屋にある、彼の母親の位牌の前にも大根と共におでんが置いてある。
「初物は東を向いて笑いながら食べるんですよー」
 青一郎の言葉に、彼と源助はきちんとそれを実践し、わははははと笑いながら食べていた。
 波限は何処に口があるのか知らないが、皿の上の大根が何故か減っていく源助の生態に疑問を持ちつつ、「共食い……?」と心の中で突っ込みを入れながら、黙って冷酒と一緒に自分の収穫物を突いていた。
 そしてその楽しい宴の中、源助が突然しんみりと話を切り出した。
「これで、ワシも安心してクニに帰れるわ……」
「「え!?」」
 波限と青一郎は揃って源助を見た。片方は非常に嬉しそうな、片方は非常に残念そうな顔をしているのだが。
「えええー! なんでー!?」
「そーかそーか、気をつけてな。今まで世話になった。うん」
 青一郎は泣きながら減助に抱きつき、波限は手の代わりをしている根を「二度と来るなよコノヤロー」と思いながらぶんぶんと振った。
「違う違う! 違うて! 明日一日里帰りするだけや。日帰りやで。なんでワシが使命を全うせんと帰るんや。ちゃあんと恩人の一生分の大根の面倒は看るで!」
 あっさりと期待が打ち砕かれ、再度のその宣言に波限はがーんと青ざめ、青一郎はよかったーと嬉しそうに胸を撫で下ろしている。
「これで美味いダイコンも採れたし、しばらくはそれ食べとればええやろ。春撒きの種はクニを出る時にワシが厳選して持ってきたんや。次は秋撒きのダイコンの種を選びに行きたいんや。ダチの三浦や桜島にも久々に会いたいしなー」
 彼の言う大根の「クニ」とやらは全くもって不明であるが、かなりがっかりした波限も、たった一日でも居なくなってくれるだけでもよしとしよう、ついでに里心がついて二度と帰ってきてくれなければ、もっといいのだが、とこっそり思っていた。
「っつうかただ単に帰る口実作って、清白様に会いたいだけなんやけどな!」
 誰も聞いてなどいないのに自分でそう言うと、「きゃーラディッシュになっちゃっうよー!」と源助は体中を真っ赤にしていた。
 青一郎は「よかったですねー!」と一緒になって喜び、波限は相変わらず源助の謎の生態に疑問を持ちつつも、まあ好きにやってくれとそれを放っておき、酒のつまみの大根を口にした。
 ――これだけご盛んな大根であるのだから人の恋路もうだうだ言いたくなるのかもしれない……。いっそどうせ取り憑かれるなら普通の大根がよかった、とも思いながら。

 そして次の日の日曜日。「すっずしろ様ー待っててくださいね〜♪」と鼻歌を歌いながら、身支度を整え風呂敷をひとつ背中に括りつけると、朝早く大根は旅立っていった。
 ちなみに普通の大根のフリをしてトラックやバスなどを乗り継いでいくらしい。
「気をつけてくださいねー」
と同じくアルバイトのために早起きし、それを優しく見送る青一郎の声を、一応起き上がったもののまだ半分眠っている頭のどこかで聞きながら、別にもうこのままどっかで遭難してくれてもいい……と思っている自分は性格が悪いのかな、と波限は密かに軽い自己嫌悪に陥りそうになっていた。

 ――今日は天気が良かった。日曜の朝にゴロゴロ出来るほど、贅沢な幸せはない。
 波限にとってはこの数ヶ月間なかったとても静かな朝だった。ラジオ体操の曲も鳴らず、変な方言も聞こえてこない。
 日頃の仕事のストレスから久々の二度寝ができる幸せを噛み締めて、波限は布団の中で寝返りを打った。そうは言っても特別なことは何もなく、今までどおりの「普通」の日曜日となっただけの話である。今までの日曜日は休日出勤することもあれば、無心に身体を動かしたり(だから畑仕事も性にあったのだが)、将来への展望を持って仕事関係や資格等の勉強をしたり、ごくたまに友達と出かけたり、家事をしたり無駄にゴロゴロしたり……etc。
 何年か前に彼女がいた時は、また別の過ごし方があったような気もする波限だが、あれはあれで休日のたびに気を遣い、面倒くさいところもあったのだ。――そう感じていたから上手くいかなかったのだろうが。
 何はともあれ、今日は逆に大根が居ない静けさとのギャップが大きすぎ、波限はかえって何もする気になれなかった。青一郎もあのままアルバイトに出かけたので、朝食を作るのも今日は休みにした。勤労少年に対し己は公務員なので副業は出来ず、安月給でもアルバイトなどはしない。
 それでもそろそろ起きるかと波限は眼鏡を掛けて起き上がり、いつものように布団をベランダへと出し、新聞を片手にインスタントのコーヒーを淹れたその時、ピンポーンとインターホンが鳴った。
 ――誰だ?
 いつもなら覗き窓から確認するのだが、今日は大根がいない開放感もあったのか、「押し売りと新聞宗教勧誘はお断り―」といつもの文句をぶつぶつ言いながら、青年は何気なくドアを開けた。
 それが平和な日曜日をぶち壊しにするとも知らないで。

 そこに立っていたのは、色白美人の若い女性――であった。黒く長い髪に、スカートとジャケットとハイヒールは全て白で統一されていた。 
 ……保険の勧誘?
 最初にふとそう思い、適当に断りの言葉を言いドアを閉じようとしたが、その女の鋭い眼に見竦められ、波限は一瞬動きを止めてしまった。その隙をついて女は言った。
「……打木うつぎは何処だ?」
「は?」
 聞いたことのない苗字に波限は間の抜けた声を出した。
 自分の家は聖護院だし、隣は宮重だし、こっちの隣は……守口だし。アパートにそういう苗字の人でもいるのかと波限は思い、
「ウチは違いますが……」
と答えた。すると女はぎん!と波限を睨みつけると、無理矢理家の中へ入ろうとした。
「おい、貴様、隠し立てすると為にならんぞ! 打木、居るんだろう!? 出て来い、コノヤロー  出てこれないってことは、そんなあたしに後ろめたいことがあるのかい!?」
「――おい!」
 ――痴話喧嘩か何かか!?とにかく人違いで不法侵入をされても困る。
 相手が女であったのは、波限にとって幸いであったた。妙な迫力はあるものの、流石に力で負けることはないからだ。波限はとりあえず知らない女であったが、鬼気迫る勢いの彼女の肩を押して言った。
「だからそんなヤツ知らんと言ってるだろーが!?」
「知らんとすればもっと問題だ! 逆にアイツが知らんフリと言って隠しているのだったら、貴様も同罪だぞ!? その×××をハツカダイコンにしてくれるわ!!」
「…………」
 その台詞の下品さ、にもであるが、その脅しが嘘ではないと思わせるほどの超越した何かを思わせる迫力――が再び女の瞳に宿り、波限は絶句させられた。
 ちなみにハツカダイコンとはラディッシュのことであり、根が直径二、三センチ程度の楕円形で、大根の品種でも最小のものである……と言えばその小ささはお分かりであろう。……いくら同じ名前でもそればっかりは男としては、嫌である。
 それ以上に何よりも「大根」の一言に、彼は反応した。言われて見れば、「打木」という苗字もどこかで聞いたことがあったような気がした。
 ――まさか……。
「あんた、あの変なダイコンの……知り合いか?」
 ヒールの高い靴のため、彼と五センチほどしか変わらないところにある切れ長の女の眼を見返して、波限は呟いた。
「――そうか。お前が打木に恩を売った聖護院かい」
 女も合点がいったように呟いた。
 ――最初っからそー言えよ……!
 

◇拍手&簡易メッセ◇

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