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2本目
米と麦(3)
 その次の週の日曜日のことだった。初夏しょかの空気が感じられる日差しの中、源助の口うるさい指導の下、大根の芽の初めての間引きを行った。
 播種から一ヶ月もすれば、立派な本葉になってきた。あの大根の言いなりになるのは悔しいが、この急ごしらえの荒地にでも必死に健気に育とうとする作物には、確かに波限でさえも愛着が沸いてきてしまうものであった。
 その次の週の土曜日、波限は旧友に誘われ珍しく飲みに出た。友人の結婚報告の話で盛り上がった。青一郎はアルバイトに出ており、夕方はすれ違いになった。
 次の日の日曜日は、また青一郎は朝からアルバイトに出ていたので、煩い大根と共に先週よりもずっと大きくなった本葉の間引きをしようと波限は外に連れ出された。
「間引きした葉は間引き菜っつってな、これがまた栄養価が高いんやぞー」
との話なので、早速今夜の夕食にすることにした。そう思えば結構使いどころの多い栽培食物である。
 そしてこれもまたよくあることであるが、源助が畑で波限にあれしろこれしろと言っているところを、あやしいヤツと野良犬に認識され、彼は追いかけ回される羽目になり、叫び声を上げながら何処かへと逃げていった。
 食われるなら自分の見ていないところで食われてもいいぞ、という残酷なことを考えながら、波限はそれを無視して黙々と作業を続けると、草むしりまで済ませ、午前中の作業を終わらせた。
 そして昼飯、何にしよーかなーと思いながら一人で自分の部屋へと階段を上がっていった――ところ……。

 いつの間に先に階段を上っていたのだろうか。久々に見る――その髪の長さも雰囲気も変わっていないが、格好は爽やかで涼しげなものになり細い腕が一層際立つ服を着た、例の隣人、初夏が丁度鍵を開け部屋に入ろうとしているところであった。
「あ。こんにちは」
 女性の方から礼儀正しく頭を下げる。
 波限が隣に女性が引っ越してきたことに気付いたのは一年と数ヶ月前。確かに隣に得体のしれない若い男が二人で住んでいて警戒しないわけはないだろうが、それでも隣の部屋の彼女はこのように常にぎこちないながらも微笑んで、彼に挨拶してくれる。
 どうも、と相変わらずTシャツにジャージに軍手、タオルを頭に巻いた農作業姿の波限もまた無愛想にぺこりと頭を下げたのだが――、ふと、思いついてしまった。
 買い物帰りだろうか。大きなナイロン製の青いチェック柄の袋を肩から提げた初夏に、波限は先程抜いてきた栄養豊富という大根の間引き菜が入った小さなコンビニの袋を日焼けした腕でずい、と突き出すと、唐突に言ったのだった。

「――食いますか?」


 その晩。
「「どわーはっはっはっはっ!!」」という二人分のそれこそ近所迷惑になる程の大笑いが、アパート中に響き渡った。
「うるせえ!」と思った波限だが、反論するのも嫌なほど触れて欲しくないことだったので、二人を無視して黙っていた。
 彼も昼の一件は話すつもりはなかったのだが、
『あれー? 間引き菜があったはずだって、源助さんに聞いたんですけど、どしたんですか? 今夜のお夕飯じゃ……』
『……』
『捨てるわけもないし……誰かにあげたとか?』
『……』
『まさか……!』
『……』
 以下、笑い声に続く。

 波限は一言も喋っていないのだが、嘘のつけない性格なので全て表情に出ていたのか、青一郎は質問するだけでことの顛末を勘よく察してしまったようだった。
「まー、聖護院なりによう頑張ったってことやなー」
 大根がばんばんと自分の肩を叩けば、
「で、でも今のままだと間違いなくなぎささんのイメージって、ただの『家庭菜園が趣味の人』ですよね……」
青一郎も悪いと思ったのか、笑いを堪えているようではあるが、かなり酷い事を言ってくれる。
 ――しかし確かに、その印象しかないのは事実だと思うし、第一米もろくになく、雑穀を混ぜて食べているような貧乏で甲斐性なの男など、普通の女性ならまず願い下げであろう。
 無駄に大根料理のレパートリーが青一郎と同様に増えた波限が作っておいた、ふろふき大根をちゃぶ台に運びながら、無表情であるが打ちひしがれてしまっている彼を慰めるつもりで、青一郎はにこにこと笑うと更にとんでもないことを言った。
「でも、大丈夫ですよ。ちゃーんと言っときましたから」
 何を……?と嫌な予感がしながら、波限は立っている少年を見上げた。
「すみません。波限さん昨夜遅かったんで、言いそびれちゃったんですが、昨日おれが夕方バイトから帰ってきた時に、下で一緒になったんですよ、はつかさんと。それで色々(一方的に)お話して――兄弟じゃないけどなぎささんは親のいないおれの面倒をよく看てくれてるとか、年収***万円の公務員だとか、あと健康志向で麦飯大好きで、清楚な女の子が好きで現在彼女がいなくって……(以下延々と続く)」
 ――だーーっ!!
 その言葉に波限は発狂しそうになりながら、ちゃぶ台に頭をがんっと打ち付けた。
「……って言っときましたから……。ってどしたんですか?」
「よかったやないかー。嬉しゅうて泣きよるんかー」
と、きょとんとしている青一郎に続き、呑気なことを言う大根が、机に頭をぶつけたまま悶絶している青年に声を掛ける。

 ……って、何勝手に売り込んでくれとんねん!(妙な方言がうつった)と心の中で突っ込みながら、青年は恥ずかしさの余り言葉もなく落ち込んだ。
 今日の気まぐれで思わずしてしまったことはそれだけでも恥ずかしいと言うのに、昨日の時点でそんな風に高校生を使って己をアピールしていたと彼女に思われていたとすれば、今日のこともどのように映ったことか……。
 それを知っていれば、間違いなく今日あんなことはせず、彼女のことを避けた。
 ただの隣人というだけの間柄だ。変に警戒されたくはない。それこそその気がなかったり彼氏などいれば、彼女だって恐いし気持ち悪いだろう。だからいかにも「気があります」的な行動は避けなくてはいけない――と波限は思っていた。なのに、今日、どうしてあんなことをしてしまったのか……。
 だがいくら後悔したところで、彼女にとっては昨日今日の一連の出来事は別のものとは認識されず、寧ろ乗算されて「波限のイメージ」となってしまっていることだろう。
 なので昨日は昨日で己を売り込み、今日は今日はで収穫物のプレゼント――なんてことをする二十代の男への予想されるイメージはただひとつ。
 ――俺って……なんかすっげー痛いヤツじゃねえかっ!?
 結果として痛々しいものになってしまった行動の数々に、青年はショックに打ちひしがれるとその場に倒れ込んだ。

 その後……。
 食事も喉を通らず、部屋の隅で横になって涙でも流していそうな青年を見やりながら、
「どしたんですかねー?」
「今頃ドキドキしとるんやないかー? これで一気にお近づきになれるとええなあ。いよっ! 純情色男!」
と、雑穀の混じったご飯とふろふき大根の健康的な食卓を囲む残りの二人は、相変わらず呑気なことを言っていた。
 ――解っている。青一郎はまだガキだし、本人は悪気も無く親切のつもりだし、こいつらには心配されるような自分の態度が問題なのであるから叱るつもりはないが……。だが、今の時点でのイメージは、無口な自分よりもあの少年の方がよいのではないか?
 話さないから余計に取り繕うことも出来ず、イメージだけが低下していくことに、別に「そう」いうわけでもないのに、波限はどうすればいいんだ、と何かジレンマを感じていた。
 そして彼女と一定の時間会話をしたのであろう青一郎を、深層心理のどこかでほんの少しだけうらやましく思っているような、自分でも持て余す「彼」という存在があった。
 そうやって無意味なほど気になってしまうのも、ほんの気まぐれでも「相手に何かしてあげたい」と思ってしまったのも、全て相手に何かしらの特別なものを抱いている所以なのだが、未だそれは青年の中で、「未確認の感情」とされていた――。
 

◇拍手&簡易メッセ◇

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