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1本目
6畳1間(2)
 藪蛇、とは当にこのことである。青一郎の指摘にぐっと押し黙ってしまった波限に、源助大根のしてやったりという声が迎撃する。
「ほーかほーか。壁一枚向こうの佳人に遠慮して……そいつぁー悪かった! この色男!」
 ばんばんと根で己の背中を叩き、嬉しそうに目を細め(目はないけれど傷がそういった風に見える)、鬼の首を取ったように言う源助を波限はむんずと掴むと言葉も無く、余分なことを言った青一郎の方へと投げつけた。
 しかし慣れたものでそれを察知した青一郎はさっと身体を反転させ、源助は台所のシンクの下の扉にあえなく激突した。ぼとり、と下に落ちた後、頭を抑えてしくしくと泣く(だから目はないのだが)ふりをする源助は口を尖らせて(だから口は以下略)ぶーぶー言い始めた。
「なんや。よう声も掛けられんくせしよって。このムッツリが。そんな情けないコトなら、ワシがいっそ言ってきたろか」
 そして口に手をあて、隣の部屋に向かって何かを叫ぼうと大きな口を開けた(ように見えた)瞬間――、マッハのスピードで駆けつけた波限に口(であろう胴体の真ん中)を塞がれ、源助は今にも齧り付かれそうな勢いで持ち上げられた。
 波限が大根に生で齧り付いてその息の根を止めるのが早いか、隣に居るであろう女性に対して源助が何事か余分なことを叫ぶのが早いか――その一触即発となったところを、「もー朝からハイテンションだなー、二人とも」と呑気に見ていた青一郎がその場を治めた。
「とりあえず、畑に行きましょうよ」

 ……結局。この意思のある大根を切ったり食べたりすれば、きっと断末魔が響き渡りまるで殺人事件のような展開になりそうで、非常に罪悪感をもってしまうことと、「そのこと」を嘘がつけない波限の性格からすぐにこの大根にまで知られてしまったことにより、手出しが出来ない。最後にはこのニ人のペースに丸めこまれてしまう波限は、春のうららかな朝、半袖Tシャツにジャージ、頭にはタオルを巻き、軍手をはめた見事な畑仕事ルックで、大根を肩に青一郎と部屋を出る羽目になった。
 すると……。
 なんというグッドなのかバッドなのかわからないタイミングで、隣の部屋の扉もガチャリと開いた。
 そこには特別美人というわけでもないが、落ち着いた優しい顔立ち、清楚な雰囲気、日本人らしい黒くさらさらなセミロングの髪を下で二つに分けて縛っている二十代前半と見られる若い女が、掃除でもするのか小さめの箒を片手に、きょとんとして隣のドアから出てきた青年たちの方を振り向いた。
 一番先に出てきたのは波限であったので、眼鏡の眼と彼女の眼が合う。
「……おはよう、ございます……」
 遠慮がちに口を開いたのは彼女が先だった。
 源助を肩に担いだ波限が無愛想にぺこりと軽く頭を下げた瞬間、後ろから青一郎がひょっこりと顔を出し、
「あーおはよーございますー。朝からうるさくてすみませんねー。お掃除ですか? おれたちこれから畑仕事なんです、土おこして大根の種まきして……って何するんですか、なぎささんー!」
波限と正反対に愛想がすこぶるよい青一郎は、その女性に向かってぺらぺらと喋り出すが、彼にずるずると通路を引きずられる形で女性の前から退却させられ、一階へと階段を下りていった。
 一陣の台風のようなそれを、彼女――守口もりぐち 初夏はつかは、きょとんとしたまま見送った。

「ぷっはー! あれが、『はつか』お嬢かー。ほんま大根のような色白のべっぴんさんやなあ。まあ、清白様の美しさにはかなわんがな!」
 流石にニ人以外の前では普通の大根らしく黙っていた源助は、アパートの裏に位置する畑まで来ると、堪えきれなかったように息を吐き出し、波限の肩から下りた。
「絶好のタイミングでしたねー。ってなぎささんもお話すればいーのに」
青一郎が引っ張られた襟首を直しながら、十五センチほど上に顔がある波限を見上げて抗議する。
「うるせえよ……」
 ――何が絶好のタイミングだ。こんな大根担いだよーなジャージ姿見られて……っていつもロクな格好してねーけどな!
 ぼそりと呟いた後、そう考えた波限は非常に不機嫌そうに、
「んで!? 何すりゃいーんだ!」
と半ば自棄くそのように源助に怒鳴り、「おお! ようやっとやる気になってくれたんか!」と喜ぶ彼の指示の下、大家である老人が「何か作るならどうぞ。ちゃんと出来たら頂戴ね」と無料で貸してくれた不毛な土地に鍬を打ち付けるのであった。

 ――好意を持っている人間に対し、何故かいつも格好悪いところしか見せられないのは人の世の常である。
 何より声を掛けようものにも、このご時勢。帰りが同じ方向というだけで、若い女性に尾行られていると勘違いされるような時代(そういう悪漢が実際いるからいけないのだが)。
 だから隣人の若い女性に対しても、無関心な風を装っていないと、変に警戒させてしまうかもしれない……と波限は思っているのである。
 その割に青一郎はあの持ち前の愛想と人の良さで、ああやって気軽に挨拶を交わし、それをうらやましく見ているのだが。
 ――って、あーもー知るか!!
 播種どころかとりあえずは開墾に時間がかかりそうなほどの、無料で借りられたのも頷ける不毛な土地。しかし固い土もなんのその、妙な苛立ちと焦りから自棄っぱちに鍬を奮う波限の虚しい姿を遠くに見ながら、青一郎と源助がぼそぼそと喋っている。
「知ってる? 波限さん、話したこともないのに何ではつかさんの名前知ってるか。ほら、女性の一人暮らしって表札なかったりするじゃん。それで荷物がうちに間違って届いちゃって、それでようやく名前が分かったんだってー」
「成程。それで彼女はんの荷物にどっきどっきしながら、隣に持ってってあわよくば上がりこもうとか考えとったけど、妄想に終わったっつうわけなんやな。でも初めて話せてそれだけでラッキーとか思っとる……って言えば言うほど、この土のように不毛で可哀想な兄さんやなー」
 源助のそれこそ妄想交じりの解釈に、「アホ共! くっちゃべってねーで働け!」と波限の怒号が飛び、石のつぶても一緒に飛んでくる。
 はあーい、と二人は立ち上がり、ごろごろと転がっている石を拾い始めた。
 しかし更に青一郎はため息混じりに同情したように呟く。
「はつかさんは、三年も彼女のいない仕事に疲れた寂しいサラリーマンの唯一の癒しなんじゃないですか……。いい年こいて切ない純情片想い……泣けるよねえ」
「ひとめぼれってえやつかい! まるで米のよーなやっちゃな!(※銘柄)よっしゃ! ワシにまかしとけ! 恩人はんの恋、必ず成就したるで!」
と、息巻く源助の横に何かが高速でざくっと刺さった。
「余分なコトしなくていーから、早く石拾いな? それとも此処でオマエが畑の肥になるか?」
 突き刺した鍬を抜きながら「ああ?」と凄む、目付きだけは人一倍悪い安月給サラリーマンの鬼気迫る迫力に、思わず震えのきたニ人は、すすすみません〜と言いながらいざ、大根作りのための土地の開拓に今度こそ精を出したのであった。

 ――別に、好きとかそーゆーのでは、ない。
 ただ言葉どおり、癒されただけだ。
 何回か顔を合わす中で、その笑顔に、物腰に、声に。
 何も知らなくても。ただ、それだけだった。

 この荒れた土地のような不毛な思いを打ち砕くように青年は鍬を振るい、作業をしつつも軽口を叩いたり遊んだりする少年と大根を怒鳴りつけながら、この日、春のうららかな光の中、賑やかな開墾作業が行われたのであった。
 アパートの南側に面しているその畑の賑やかな様子を、ニ階のベランダから布団を干しながら隣家の佳人が穏やかな表情で見下ろしていた。
 

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