《最終話》5本目 恋をしています(5)
さて、さらにそれから数日後のこと……。八月の休日の昼下がり、波限は裏の畑でひとり、柄杓で水を撒いていた。ここ最近は雨が降っていないため、この真夏の青空の下、水をやらねば折角実をつけたナスやトマトが枯れてしまうのだ。
源助の言うとおり、今や元々彼に強制されたからというのは関係なく、自分が手を掛けた植物と言うのは元々田舎育ちだからか、波限も妙に愛着が沸いてきていた。
端から見ればなんとも侘しい孤独なサラリーマンの図であるが、何を考えているのか分からない人間よりも、手を掛けただけ答えてくれる植物の方が口下手な彼には似合っているようだった。大根以外の野菜もこちらも思ったより上手く収穫が出来、聖護院家の食卓に彩を添えている。
真っ赤なトマトを手に取り、ふと隣の佳人にでもあげたら喜ぶだろうか――と先日話した時の感じの良さそうな笑顔を思い返す波限。我に返り、何を調子こいてるんだ俺は、とぶんぶん首を振ってもぎ立てのトマトに噛り付いた。店で売っているものよりも、断然甘かった。――うん、よい出来栄えだ。
そんなことを考えながら、真夏の太陽にじりじりと照らされた波限が、食べ終わったトマトの芯を放ると――、
「こんにちは……」
夏の太陽よりもなお眩しいその笑顔――。隣人の初夏嬢が、畑にしゃがんでいる彼を覗き込んでいるではないか。
――夢か現か幻か!??
波限は愕然としたが、如何せん、無表情なところがあるので、その驚きの分だけ顔が強張ってしまい、恐ろしいほどの仏頂面になってしまっていた。
……やっぱり好かれてるって嘘かなー。
初夏は青年の恐い表情にたじろぎそうそうにもなるが、顔は恐くともどことなく暖かい雰囲気があることは感じていたし、折角あれをきっかけに話が出来そうだったので、もう後悔はしたくないと勇気を出してみることにしたのであった。
「大家さんのところに、友達との旅行のおみやげ持っていったんです」
初夏はそう言って少し笑った。
本当は波限がひとりで畑に居るのを見つけてタイミングを合わせたのだが、あからさまなのも迷惑かと思い、言い訳のようにそう言ったのだった。
波限は波限で、彼女に会う時はほとんどいつもTシャツにジャージ姿に頭にタオルというダサい畑仕事仕様であることに、どこか情けない気分になっていた。
「……この前は、すみませんでした」
少しの間の後に、波限の方から立ち上がりながらぼそりとそう言った。それは改めて謝りたかったほど、本当に悪いと思っていたことであったし、初夏が自分に文句を言いに来たのかもしれないと思ったのもあった。
「え? いえいえいえ、全然!」
逆にそんなこと思ってもいなかった初夏の方が驚いてしまい、背の高い青年を見上げながら首を振った。寧ろこの青年が、自分のことを未だに気に掛けてくれたことの方が嬉しかった。それに―、
「喋る大根さんなんて、素敵ですね。そんなことあるんだなって、面白かったし嬉しかったし、ラッキーだなあって思ってます。できたらまた大根さんと、お話したいくらい」
「――!?」
――はいぃぃぃ!???
波限は思わず耳を疑い、初夏を凝視してしまった。彼女はにこにこと綺麗に笑ったままであった。
「よかったら、また、いつでも遊びに来てくださいって、大根さんに伝えておいてください!」
……のぁんだってええ!??
予想もしなかった事態に波限は夏の炎天下の下、熱中症ではないかと思うほどくらくらしてきた。
……ここにきて……まさか、まさか……、大根がライバルになるとはーっ!??
がーんという音が聞こえてきそうなほどの波限の動揺と驚愕は、彼の無表情が幸いにして初夏に知られることはなかったが、初夏としてはこっそりとこんなことを考えていたのであった。
――童話のようなことが本当にあるんだなあと、夢見がちな彼女はこの信じられない事態を喜んでいたし、折角だからもっとあの不思議な大根と仲良くなりたいと思っていたのも本当であった。
しかし先に大根から仲良くなれれば、この無愛想な青年とも少しは仲良くなれるかなあという、女としての少し狡い計算もあってのことだった。そんな自分が彼女は少し嫌になるものの、あんな不思議な喋る大根に好かれているこの青年に、前以上に興味を示すようになったのも事実である。
「……わ…っかりました、伝えておきます……」
複雑な感情の中、それでもあんなクソ大根であっても彼女と仲良く出来るきっかけになればそれはそれで嬉しい、というかあの大根の存在を知られながらも、奇人変人扱いされないだけ物凄く幸運なことである――と波限は思い、初夏の言葉に頷いた。
そしてそんな初夏を、可愛いが少し変わった女性だなと思う反面、前の彼女と最終的に合わなくなった理由であろう、実直さ以外で「一般的なよくある価値観」で物事をはかられることが――おそらくは自分の育ってきた環境が特殊だからか、波限は密かに苦手であったので、そうではなさそうな初夏には外見だけでない好感を改めて抱き始めていた。
「それじゃあ、畑仕事、頑張ってください」
本当はもっと彼と話をしたかったが、この青年の様子からしてお喋りな女は好きではないんじゃないかと察せられたのと、やはりどこか気恥ずかしかったので、初夏は早々に立ち去ろうとした――が、意外にも青年の方から呼び止められ、少々どきりとした。
「また、何か採れたら要りますか?」
相変わらず初夏の方は見ておらず、ナスやトマトの方を見ているという無愛想な態度であるものの、その言葉は自分に何かしてくれる意思表示であり、それは彼女にとって胸がときめくほど嬉しかった。
「えっと……でも折角作られたものですし……」
しかも高校生の食べ盛りを養い、家計の足しにしているかもしれないし、自分が何もしていないのにタダで貰うのも申し訳ないと思い初夏は一旦は遠慮した。
だが善意を無にして、相手にがっかりされるのもまた嫌で――、
「でももし、いただけるようでしたら……お礼にお菓子でも作ってもってきますね」
これは名案、と思いつくと、初夏は照れたように笑ってそう言った。
……うっわー……。てづくりおかしって……てづくりおかしって……、なにこの、一昔前の高校生の純愛みたいな展開はっ!!
再び波限の頭からつま先までがくらくらと揺れてきた。熱中症にでもなってしまっただろうか。
期待しないことには慣れている波限であるが、本当はそれほど強い人間でもないので、調子に乗ってしまいそうになるではないか。
顔が赤いのはきっと、仮病でも熱中症として誤魔化せるだろうと、髪の先まで熱く感じられるほど朦朧とした意識の中で、青年はぼんやりと考えていた。
そしてここで終わっておけばいいものの、もう一押し――などといういやらしい意味ではなく、本当に純粋に、先日の一件からずっと心配していたことを波限はついでに口にした。
「あと、お節介かもしれませんが、」
「?」
初夏は歩き出そうとした足を止めた。
「この前みたいに――なんか恐いこととか、困ったことあったら、声、掛けてください」
「……」
これはまあ……この前の、のーぶらだったり夜中にうっかりドアを開けたり、どこか抜けていそうで無防備な初夏のこと、女性の一人暮らしで何か犯罪に巻き込まれてもいけないと大事な彼女を心配してのことだったが、それこそ逆に変に警戒されてもいけないと思い、波限は畑の草を取りながら、なんてことないように呟いていた。
「夜なら俺か、青一郎か、どっちかはいると思いますし。昼間でもあのクソ大根でよければ……。まあ、彼氏……さんのいるよーな時は要らんと思いますけど」
そして七十五パーセントの善意と二十パーセントの下心と、五パーセントの鎌掛けの意味で、そう言った青年の言葉に――、
「そ、そんなのいませんよ」
――まさかの奇跡の大逆転!! 恥ずかしそうな初夏の返答が、期待したとおりに返ってくるではないか!
自分のセクハラ交じりの問いかけの仕方が自分でも嫌になりつつも、思わず心の中では喜びに小躍りしつつも――無表情の中で波限は、あー俺って本っ当ーにやらしーなー、いっそこのまま本当に熱中症で倒れてしまえ、という気分になっていた。
「だから、嬉しいです……。ありがとうございます」
しかもぽつりと呟かれた初夏の声に、彼は思わずぽかんと彼女を見上げてしまった。
恥ずかしそうに、しかし心から嬉しそうに微笑むその顔に、癒されるどころか今度はこの暑さに鼻血でも出そうな勢いになり、柄杓の水を頭からかぶりたい気分になってきた。彼女が見ている前で、そんな奇行が出来る訳もないが。
その言葉を最後に、初夏は背を向けてぎこちなく歩き出した。その心は、恥ずかしさにドキドキとしていた。
――帰ったらとりあえずお水でも飲もう。喉がからからしてしまっている。
本当はついでに、「おにーさんには、彼女いるんですか?」といつか見たあの綺麗な女性のことが気になるので聞きたかったけれど、そこまで聞くのはあまりにあからさまな気がして――、今日はやめた。
前よりも仲良くなれそうな予感がするから、きっとまた、聞ける時もあるだろうと信じて。
とりあえずの進展に、初夏は思わずにんまりしてしまいながら、誰かにこんな変な顔を見られてないかときょろきょろ確認すると、慌てて家へと向かった。
……その小さい背中を見送りながら、波限はとりあえずナスとトマトに悪いと思いながらも――、バケツの水を頭から被った(ちなみに汲みたての水道水である)。
がんっと乾いた地面に空のバケツを置き、その上にそのまま置いた両腕にぼたぼたと滴る水も構わず、大きな息をつきながら緩みそうになる頬を引き締めるように、茶色い地面を睨み付ける。
真夏の太陽に照り付けられ、更には脳みそまで沸騰していた身体に流した水は心地よかった――けれど、そんなものは表面的な熱の沈静に過ぎなかった。
――やべーよな、やべーって、やべーよ。
何がやばいのか、彼自身にも分からないが、もうこうなってしまった以上、後戻りは出来なさそうだった。
そして、ふと嫌な予感がして波限が顔を上げると……いつの間に帰宅していたのか、かわいい顔した男子高校生と喋る大根が二人、彼の部屋のベランダから、じーっとこちらの様子を伺っていた。
二人とも必死で笑いたいのを堪えているように肩を震わせ、口の形だけで「ひゅーひゅー」と言っているのが、水の滴る眼鏡越しの眼でも分かった――。
波限は何も言わずに、手元にあった柄杓をその二人に向かって思い切り投げつけた。
けたたましい音と賑やかな悲鳴が隣の部屋からまた聞こえ、「何の音かな? やっぱりお隣は楽しそうだなあ」と自分の部屋の真ん中で、冷たいお茶を手に火照る顔を冷やしていた初夏は呑気に思っていた。
・・・・・・・・・・
――さてさて、この先どうなりますやら。
刺身のつまにもなりゃしねえお話は、とりあえずこれにておしまいとさせていただきます。
〜了〜
いやはや、おあついラストでした…。
実はこのお話は「お題に沿って何か書いてみよう」と決めサブタイトルをお友達に作ってもらい、書いてみたものです。いただいたサブタイトルが5つだったので、最初から5話におさめること、そしてサブタイトルにちなんだ展開にすること、を目標にしていたのでここで終わりになりました。
ちなみに喋る大根というネタやリーマンの片思いネタはサブタイを考えてくださった方の発案ではなく、私個人の思い付きです。5つのキーワードを見ていたら、何故かこのようなお話が浮かんできました。
あとこのお話は昨今よくあるどろどろした恋愛じゃなくて、一昔前かと思うほどの大人なのにびっくりするほどのぴゅあぴゅあ恋愛を書きたくてこうなりました。
ちなみにキャラの名前は主人公の名前以外は大根の種類からもじってあります(主人公の名前は某古典文学からとってあります)。
……あと本編のイメージを壊してしまうかもしれませんが、主役CPのR15ならぶえっちものな内容でもよろしければ、密かに続編などもありますので、よろしければ目次からリンクしてある個人サイトの方へお越しくださいませ(汗)
あと、イラストのレベルを問わなければ、なんですが…お礼にもなりませんがキャライメージ画です↓
ほんとに作者が昔なんとなく描いた落書きですので、お眼汚しかと思いますが、それでもよろしければご覧くださいませ(打ち込むの大変ですが携帯からも見られます)
http://al.kutikomi.net/hisokuhekiraku/8/?nu=1
それでは最後まで読んでくださった皆様、まことにありがとうございました!
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