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5本目
恋をしています(4)
 それから少ししてから夜遅い時間に、隣の窓が開く音が聞こえた。初夏が少しドキドキして、期待しながら自窓を開けたところ、青年がベランダに出て月を眺めている姿が見えた。
 ――何を、考えているんだろう。
 その横顔が、すごく遠く感じた。――彼女には届かないような、深い、何かを。
 初夏はそれを知りたくて、こんな離れたベランダからでは何も聞けないが、それでも一瞬でも顔をこっちに向けてほしいと思い、視線を送り続けていたが――彼はそれに気付かなかったのか、あっさりと家の中に入ってしまった。
 ……残念だ、と彼女は思った。
 壁一枚の距離なのに、とても遠い。彼のことを、何も知らない。何も聞けない。
 それをとてももどかしく、切なく感じた。

 ――もっと、彼のことが分かればいいのにな。
 自分なんかを本当によく思ってくれてるのかな。
 それが本当ならば、こんな自分のどこをそういう風にいいと感じてくれたのか、とても気になる。

 いよいよまるで恋をしているようにそんな風に思い始めてしまっていると……今日の夕方、初夏の元に突然一本の大根が届いたのであった。
 ――おにーさんからかな?、と彼女は期待してしまった。しかしよく物をくれる大家の老人からかもしれない、と期待しないでおこうとも思った。「私にくれたんですか?」などと、図々しいことは隣に聞けない。
 そうしているうちに夜になり、訪問販売がやって来て、困っているとその大根が喋り出し、親切にも助けてくれ、しかもそれは春頃から聞こえてきたあの変な方言の主の声と同じであったのだ。
 喋る大根がいることに初夏が驚いて感動しているうちに、青年が血相変えてやってきた。
 その迫力に少々怯えそうになったものの、最後は初夏の話に耳を傾けてくれ、信じてくれた。やっぱり優しい人なんだろう、と彼女は安堵した。そして、あれだけ高校生君にも大根さんにも慕われているんだもん、男に慕われる男はきっといい男だよ――と今夜のことで確信も強まった。
 何よりもようやく話が出来たことが、今日の一番の収穫で、初夏はそれがとても嬉しかったのであった。

 ――また、お話、できるかな……。
 隣の女性は隣の女性で、今までのことを思い返しては、そんな風に期待し始めていた。夏の夜。

 ・・・・・・・・・・

「旧暦の十月十日はな、田んぼの神さんが帰る十日夜とおかんやなんやけど、『大根の年取り』ともゆうてな、この日には大根畑に入ってはいかんのやぞ。うっかり、ダイコンのはぜる音なんか聞ーたあかつきには……死んでまうって言い伝えがあるんやで〜!!」
「こわいですー!!」
 あれから時は少し流れて夏休み真っ盛り。まるで小学生の授業のように、源助による秋播き大根についての学習会が行われている。
 波限は聞きたくもないものの、ちゃぶ台の上でハチマキをして講義をする大根の話を、熱心に聞き入る青一郎の隣で無理矢理聞かされている。
「今の暦でいえば、十一月の上旬やな。その頃に、秋撒きダイコンが収穫できるんや。だからデカなったヤツの、はぜる音が聞こえるかもしれへんってゆー喩えや。秋のがデカくて上手いのとれるでなー。春の経験があるお前らならできる、きばるでー!!」
「おー!!」と青一郎が素直に手を上げている。
 やがて聞く気もなくなって、今日も新聞を広げ出した波限であったが、
「あのですね、なぎささん」
講義が終わったのか、青一郎が話しかけてきたのでそちらに眼を向けた。
「おれ、考えたんですが……。やっぱり高校卒業したら、進学しようと思ってるんです」
「……」
 波限は黙って青一郎の眼を見た。少年は真面目にそれを見返して話を続けた。
「色々考えたんですが、もう少し勉強、したいです。源さんに会って農業とか興味出てきたし、自給自足っていいじゃないですか」
 新聞を広げた手を止めて、それを閉じることすらせず青年は少年の話を集中して聞いていた。
「専門学校か、大学の農学部かまだ考えてないんですけど……お金の問題もありますし。あ、おれ結構貯金あるんで、大丈夫ですよ。なぎささんが食べさせてくれてたから、かーちゃんの生命保険もまだたっぷりあるし。なぎささんが大学行ったのと同じやり方で行きますよ」
 ――どうやら人生設計はしっかりしてあるようである。
「……頑張れば」
 波限はそう言って珍しくふっと笑うと、新聞の続きを読み出した。その反応に青一郎は嬉しそうな笑顔を見せて言葉を続ける。
「それでおれが農業学べば、もっと色々作れるようになるし、なぎささんが職に困ったり、介護が必要になるような年齢になったら、ちゃんとご家族にも大根以外の食べ物は届けてあげますからねー」
「介護って、どんだけ先の話してんだ! ……って十しか変わんねえだろーが!」
と、思わず突っ込んでしまうものの――彼はその言葉からあることに気が付く。

 血も繋がらない男同士の二人なのだ。もう一年半もすれば青一郎は自立し、波限も持てるならば家族を持ち、それぞれに勝手に生きていくことになるのだが、……なんのことはない。
 離れても、血も繋がっていないのに、どうやら少年の方は「家族」でいる気らしい。
 ――まあ、そういうのもアリかもしれないな。
と片方は無愛想に片方はにこにこと笑っている、友達でも兄弟でもない、いつもどおりの不思議な関係の二人であったが、これから何かが変わっていくのかもしれないし、変わらないものもあるのかもしれないな、ということを感じていた。

 そんな話をする二人に向けて、突然源助がぽつりと呟く。
「農学部かー。ええなー、ワシも行きたいなー」
「いいじゃないですか、行きましょうよ」
「ほんまか? ほんとに一緒に行ってもええんか!?」
 相変わらずとぼけた二人で盛り上がり始め、「いや、やめとけ」と波限は心の中で思っていたが、そのまま青一郎に恩返しをしたいととり憑いてくれないか――などと「家族」と認めた割には酷いことを考え始めていたのだが、
「ベンキョーしたことはちゃあんと、聖護院とはつか嬢とその子供らに還元するでな! ワシになんかあっても、ちゃあんとワシと清白様との子供らがこのご恩、果たすでな! 美味いダイコン、一生食おうな!!」
「アホか!!」
しかし結局彼の背中に戻ってきては、気の早いことを言ってくるマイペースな大根に、波限は今宵も怒鳴ることになるのであった……。
 

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