源助はこの期に及んで、初夏の前で普通の大根のふりをしようと粘った。内心ではドキドキしながら沈黙して横たわっていた源助であったが、初夏はその大根を抱き上げて、
「あのー、もしもし」
などと身体を撫でて話しかけてくる。さすがにこれには源助もくすぐったさに耐え切れず、
「わはは、おい、やめろや、堪忍して〜」
と突然笑い出し、驚く初夏の手からすべり降りた。
……だ、大根が、喋ってる……!
普通なら不気味がったり叫びだしたり、卒倒しかねないような光景だ。現に波限に拾われるまでも、源助は何度か化け物扱いされてきた。
しかし実は初夏には、絵本が好きだとか可愛いものが好きだとか、少々夢見がちなところがある二十代だったのだ。
「すっごーい……」
彼女は感嘆の声を漏らすと、もっとよくそれを見ようと、床に二本足?で立つ大根の方に興味津々で顔を寄せた。
――なんや、このねーちゃんも聖護院と同じタイプの人間やなー。
それは直感であったが、源助は冷静にそう思ったが、
「どうして喋れるの? っていうかどうして私の家の前にいたの??」
初夏の矢継ぎ早な質問に、この状況を自覚してぎくっとさせられる。
「え、えーっとな、ワシが喋れるんは大根の神の美しき清白様が、ワシに命を吹き込んでくれたからでな、そんで……」
とりあえず答えやすいところから答え始めたが、結局此処に至る理由は、聖護院に恩返しをする為であり、その為に彼が惚れた初夏の家に忍び込んで、彼氏がいるかとかスリーサイズとかリサーチに来ました、などといくらとぼけた大根の彼でも言えるワケがなかった。
「そ、そんで……」
「いつもは、お隣に住んでるんだよねえ」
年齢は不詳だが、形状が可愛らしい(と初夏には見える)ので思わず子供に話しかけるような口調で、初夏は言った。
「へ? なんで知っとるんや?」
流石に源助も驚いた。
「だって声たまに聞こえてくるから……。それが大根だったとは思わなかったけれど……」
「マジで!??」
確かに先程、波限たちの声はぼそぼそとは聞こえてきた。それに波限と話していると、互いにヒートアップして、よく声が大きくなってくる。
……あれ……? っつーと、もしかして……。
波限よりも察しよく、源助は「その事実」に気付いた。
――この子、……既に「あのこと」、聞こえとったんやないか……?
源助はドキドキしてきた。性分としてもういっそストレートに聞いてしまいたかったが、それで波限が軽蔑されたり嫌われてしまってはいけない。源助は色々な意味で苦悩し始めた。
だが、すぐにその必要はなくなった。
ピンポーンと、また初夏の家のインターホンが鳴った。
「ほんと、よくお客さんがくる夜だね……ってさっきの訪問販売の人じゃないよね……」
たとえ大根でも誰か話せる人が家に居てくれるのは嬉しい。初夏は思わず源助に問い掛けた。
「そんときゃまたワシが一発言うたるし、ダメやったら最悪、聖護院……あ、隣のにーちゃんな。呼んだるで!」
初夏はその言葉に笑って頷くと、もう一度インターホンが鳴ったので玄関へと向かった。そして覗き窓を覗くと予想していない人物の来訪に――だが、この大根が此処に居ることを思えば、思い切り納得できる相手でもあり、初夏は息を飲んで、ドキドキしながら源助を振り向くと言った。
「おとなりの……おにーさん、だった……」
・・・・・・・・・・
本当は色々な意味で緊張している波限だが、とにかく今はあの大根への怒りが一番だった。なので最終的には「怒った」表情となり、彼はでん、と初夏の家の前に立っていた。
その隣では青一郎が、「なぎささん〜、ここはひとつ穏便に〜」と取り成すような微妙な笑顔を浮かべて立っていた。
そして――、ドアは開かれた。
隣の青年の用件に想像がついたので、初夏はチェーンを外してドアを開けた。初夏にとって風呂上りのTシャツにジャージという格好は少し恥ずかしかったが、着替えている暇などもないし、待たせるわけにもいかない。当たり前だが着飾るのもおかしい。
そして彼女はこの距離で話をするのは初めての、背の高い眼鏡の男を見上げた。
「こんばんは……」
とりあえず、挨拶をする。
「夜分遅くにすみません」と無愛想な声での前置きの後、
「ウチのバカ……大根が、世話になっているようですが」
緊張やら怒りからでなった低い声が、波限の口から発せられた。別に初夏のことを怒っている訳ではもちろんなく、寧ろ申し訳ない気持ちで一杯なのだが、
「なぎささん、そんな恐い顔しなくてもー。おねーさん、恐がってますよー」
反対に一緒に連れてきたのは正解だったのか、青一郎が愛想よく笑ってフォローしてくれた。
「えっと……」
――よく分からないけれど、お隣のおにーさんは怒っている。大根さんと、喧嘩でもしたのかな?
初夏は大根がこの恐ろしい様子の青年に怒られるのではないかと心配になってしまい、正直に彼の所在を言ってよいのか分からなくなる――が、しょんぼりとうな垂れ、干し大根となりつつある源助が自ら、とぼとぼと初夏の家の中から現れた。
「ねーちゃん、聖護院……堪忍なー!」
波限の怒りの理由は分かっている源助は、がばっと勢いよく頭を下げて謝り始めた。
「とりあえず、帰るぞ」
波限は表情を少しも変えないまま、源助を担ぎ上げた。
――これ以上、初夏に迷惑は掛けたくない。さぞかし不気味な思いをしただろう。
そして彼は初夏に向かって深く頭を下げた。
「ご迷惑掛けて、すみませんでした」
もうこれで、「不気味な大根を操り、覗き行為をする気味の悪い隣人」という悪印象は決定である。波限は最早初夏の顔も見られず、引越し先はどうしようかとか、警察沙汰になったら職失うかな、そうしたら青一郎は……云々と胸中で心配しつつ、退散しようとした。
すると――、
「あ、あのー、」
初夏に呼び止められ、思わず三人は驚いて振り返った。波限もまじまじと、やっぱり可愛いなあと思うその黒目がちの眼の顔を見下ろした。
「……別に、迷惑じゃなかったです。大根さん、私のこと助けてくれたんです。訪問販売の人、追い払うために大きい声出してくれて――だから、」
家を荒らされたわけでもなく、何も迷惑には思っていない。寧ろこの大根の妖精(?)と、初夏はもっと話をしたいほどだった。
事情も分からないのにお節介を焼くのはよくないことだと分かっているが、流石に助けてくれた相手を自分に迷惑を掛けたと誤解され怒られるのは、この大根が可哀想に思えたのだ。だから殆ど話したことのない男性であったが、彼女は勇気を出して声を掛けたのであった。
この無愛想な青年が自分を心配してくれ怒ってくれたのは初夏も内心は嬉しかったし、しゃしゃり出てくる女だと嫌われてしまうかもしれないが――それでも助けてくれたことへの御礼として事実を伝えたかった。
「よく分からないのにこんなこと言っちゃいけないけど……、迷惑してないから、怒らないであげてください……」
――どうして大根が自分の家の前にいたのか、未だによく分からない。
家出だったのだろうか? でもこのお兄さんは恐そうな顔をしているけれど、優しくて実直ですごくいい人なんだと高校生君は言っていた。だからこそ私もこんな風に言えたんだし、大根さんとのことも何か事情はあると思うんだけど……。
しかし初夏はこれ以上どう言ったらよいのか分からなくなり、困ったように波限をじいーっと見つめて言葉の代わりに訴えかけた。
突然の展開に、波限も驚いて言葉に詰まる。
――なんと意外にも、初夏はどうやら大根が気に入ったらしいのだ!
それに自分がこの大根を虐待していると誤解されても困るし、彼女が迷惑していないのなら、確かに怒る理由もない……何より、これだけ見つめられてそれでも怒れるはずがなかった。
「大丈夫、ですよ……。別に怒りはしませんから」
波限はどぎまぎしながらも、なんとか声を絞り出し――だから低く恐いものになるのだが、今度こそ「おやすみなさい」と三人はそれぞれ初夏に言って、また台風のように騒がしく隣人の女の前から去っていった……。
彼らの家のドアが閉まるのと同時に、初夏も家のドアを閉め中へと入った。
からっぽの部屋がとても静かに感じた。
「……楽しそうだなあ」
――あの三人(二人+一本?)は本当に仲がいいなあ……。
初夏はそう思うとひとり寂しく、部屋の真ん中にぺたんと座った。そして今しがたの会話を思い出す。そして小さくひとりごとを呟いた。
「嫌われてないといいけどなあ……」
変に好意をもたれているかもしれないと思うと、それが確かなことでない分、余計に嫌われないか恐くなるものなのだ。
――別に、ちゃんとあの人、本人に「言われた」わけでもないんだけど……。
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