4本目 壁(3)
それから数日後の波限が風呂に入っている隙に、源助は青一郎に相談を持ちかけた。
「ええっ!?」
思わず叫んだ青一郎の口を源助は根で塞いだ。
「ちょお待て! 声がデカい!」
「で、でも本当にやるんですか……?」
青一郎は声を潜めた。
「男一発、一世一代の賭けや! あの男もよう動けんやっちゃ。でも今こんなご時勢やで、相手は女性の一人暮らし、慎重になる気持ちも分からんでもない。――そこで人畜無害なダイコンであるワシの出番ってワケや!」
源助は胸をえへんと張って見せた。
「それであの子がフリーやって証明できれば、聖護院も一歩踏み出せるかもしれんやろ? ワシは恩を返したいだけなんや~。あのオトコも見とってもどかしいし、幸せにしてやりたいんや~」
源助はばたばたと暴れ、青一郎はううーんと考えた。
確かに自分が動いても、逆効果になりそうだ、と彼も思った。波限は高校生に売り込ませているなんて痛いと嫌がるし、逆に自分が彼女のことを好きだと勘違いされても困るのだ。もちろん初夏は可愛いとは思うが、波限が好感を持っているからこそ良く見えるだけの話である。
そう、彼に幸せになってもらいたいと願うのは、源助と同じ理由で――いやそれ以上に深い思いから、青一郎も同じなのである。
「――わっかりました」
バレたら大目玉を食らうであろうことは、二人とも分かっている。こんな覗き行為と同様な手段、あの生真面目な彼が許すはずがない。
それでも優しい一面のある波限のこと、どれほど怒っても絶縁するというほどまでには至らないだろうという甘えも何処かにあった。多分、ではあるが……。
ことが露見した時のことを想像しその恐怖にぞくりともする二人であったが、源助の提案である男一世一代の大きな賭けに、青一郎も波限に隣の佳人を振り向かせる最大のチャンスと乗ることにしたのであった。
・・・・・・・・・・
そして更にその数日後の七月半ばのことだった。
夕方五時。今日は初夏も仕事が休みであったが、平日なのもあり特に誰かと出かけることもなく、近所への買い物や家事や趣味――と言っても本屋や図書館で入手した本を読んだり、インターネットで好きなサイトを見たりなど非常にインドアな内容であったが、それらをのんびりと楽しんだ後、夕食は何にしようかと、一人暮らしの彼女はぼんやりと考えていたところであった。
そこで、ピンポーンとインターホンが鳴った。
――誰だろう?
覗き窓から確認したが、誰も居ない。少々不気味な感じがしたので、彼女は一旦部屋に戻った。
しばらくしても何の音もしない。また不思議に思い覗き窓を覗く。やはり誰も居ないようだ。そして思い切ってチェーンをつけたまま、初夏はドアをそっと開け注意深く見回してみたが、それでも人の姿は見当たらなかった。
すると、
「?」
ドアに何かが軽く当たった気がして初夏はそのままチェーンを外してドアを開けると、足元を見た。
其処にはなんと、リボンの付けられた大根が一本、転がっていたのだった……。
初夏はきょとんとして、それを拾い上げる。
「おとなりの、かたから……?」
そして思わず隣のドアを見ながら、ぽつりと呟いた。
隣に住んでいる青年とその弟のような少年が、一生懸命大根を育てているのは彼女も知っている。一度、まだ小さくて柔らかい大根菜をもらったことがあったため、もしかしてまた彼がくれたのではないかと思ったのであった。でも大家の老人もごくたまに野菜をくれるので、違うかもしれない、と彼女は首を傾げる。
――でもリボンが掛けられてるし、やっぱりプレゼントなのかな……。でもこんな時間にお隣のおにーさん、家にいたっけ?
彼は真面目な人のようで、あの笑顔の可愛く人懐っこい高校生曰く、夕食を作るために毎日早く帰ってきているようであるが、まだ帰宅には早いような気がし、アパートの薄い壁からは帰ってきた気配も感じられない しかしあの無愛想な様子からすると、こんな風に家の前に置いておくというのは考えられる。隣に確かめにいこうかとも思ったが、勘違いだと恥ずかしいし勇気が出ない。
玄関で大根を抱えたまま初夏はそのようなことを延々と考え、じーっと大根を見つめていたが、何故かそれが赤くなってきたような気がしてきた。
――夕暮れが映ってるのかな?
その大根を回転させて色々と調べてみたが、最終的に何処をどう見ても大根だし爆発もしないだろうし、怪しい請求も来ないと思うし、何より食べ物は大事にしなくてはいけないし……と判断し、彼女はそれを持って家の中に入っていったのだった。
見つめられて照れていたその大根が心の中でガッツポーズをし、そして喋り出したいのを懸命に堪え、これからのことを考え緊張していたことなど、初夏は知る由もなかった。
かくして、源助大根は波限の想い人である守口初夏嬢の家へと潜入することに成功したのであった。
・・・・・・・・・・
「誰からもらったものかわからないし……。まだ食べないほうがいいよねえ……」
一人暮らしは独り言が多くなる。聖護院もたまに言うよな、と源助は初夏の言葉を聞いて思っていた。ちなみに眼がないので瞑る必要もなく、彼にはしっかりあらゆる光景が見えている。
そんなわけで彼は台所の隅に置かれたが、六畳一間の部屋と繋がっているので、そちらの様子も覗き見ることが出来た。
――明日、お隣のおにーさんか、あの高校生君に会えたら聞いてみようかなあ……。
それはそれで勇気が要るけれど。もういっそ大家さんからだったら……。それはそれで気が楽なような、残念なような……。
しかし初夏が悩んでいることの内容までは、源助は分からなかった。
――やっぱ、聖護院、ストーカーやと思われとるんかな……。
謎の大根の贈り主に悩んでいるような彼女を見て、たまに見る朝のワイドショーの事件報道を思い出しながら、分からんでもないなと源助は頷く。
なんで人間は大根みたいに真っ直ぐで真っ白やないんやろーなー、などと考えていたが、やがて初夏は立ち上がると台所へとやってきた。
そして、手際よく一人分の夕食を作り始めた。いい匂いが源助の鼻をくすぐる。どうやら料理は得意らしい。もしかして二人分作ったりはしないか、と源助は少々ドキドキしたのであるが、それはないようで今日は仕事も休みだからか、六時過ぎには早めの夕食をひとりで摂っていた。
さてその頃。
「おっかえりなさーい」
隣の家では青一郎の作る夕食の匂いがする中、波限が仕事から帰宅した。
「おー」
しかし出迎えたのは青一郎だけで、いつもの鬱陶しい大根が居ない。
「あれはどーした」
鬱陶しい奴ではあるが、波限の態度が冷たい所為で家出でもされたら流石に目覚めが悪い。波限の早速の質問に、青一郎は内心ぎくーっとなりながら笑って答えた。
「け、結婚式に呼ばれたんですって」
「はあ?」
――あの大根王国、婚姻制度まであるのかよ……。
源助に言われたままの苦しい言い訳をした青一郎であったが、最早この大根については突っ込むのも馬鹿馬鹿しいと思っている波限は、却ってそれ以上何も言わずにあっさり「あっそ」と引き下がった。
誰よりも信頼しているこの青年を騙していることにはどうしても気が引けたが、とりあえず青一郎は安堵していた。
……でもあのトラブルメーカーの源さんが、何もなく終わるとは思えないんだけど……。
青一郎は台所で、こっそりと不安げなため息をついたのだった。
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