第七話 思い出の中で 4
「か・ずちゃん・・。」
久しぶりに見る和明の顔がかなりの至近距離にあり美咲はびっくりして、左脇に抱えていた本を思わず落としてしまった。あわてて拾おうとした美咲に先立ち、和明が本を拾い上げた。
「ごめん、びっくりさせたみたいだ。」
美咲は本を受け取ったが、あまりの突然の出会いにお礼のひとつも返せずうつむいたままだった。和明は昔と変わらないやさしい眼差しで美咲を見つめていたが、なにも話さない美咲にいたたまれなくなったのか「それじゃ」と声をかけると踵をかえし、離れていこうとした。
美咲はあわてて和明の背中に声をかけた。
「和ちゃん、ありがとう。あ、あの、わたし・・。」
和明は、先の言葉を促すように首をかしげまっすぐに美咲を見つめていた。美咲は何か話さなくてはとあせりだし、支離滅裂なことを言い出した。
「和ちゃん、すごいね。この間のテスト一番だって聞いた。うちのクラスの子がかっこいいって連発してたし、すごいもててるんでしょう。何で、彼女作らないの?ふられつづけてる女の子がかわいそうだよ。」
和明は美咲の言葉に一瞬瞠目し、悲しい色の瞳が揺らいでいた.美咲も進学先の高校名を聞きだすはずが突拍子もない発言に自分自身が驚いている。なんでこんなことを言ってしまったのかと後悔している美咲に和明が話しかけた。
「ひとりなのか?」
「え・・。」
「ひとりじゃ大変だろう。それ全部かたづけるの。」
和明の視線は美咲の隣にある台車の上の本の山に注がれていた。
「違うの。別に今全部かたづけないといけないわけじゃないし・・。」
「そうか、頑張ってな。俺、もう行くよ。」
和明はまた背中を向けたが、もう一度美咲に向き直った。
「ずっと気になってたんだけど・・。昔、何か気に障ることいったのかな。もし、そうなら謝っとこうと思って・・。それじゃ。」
和明は、駆け足で美咲のそばを離れていった。美咲がわれに返った時には和明の姿はすでになかった。なんで和ちゃんが謝るの。謝らなくてはならないのは自分の方だ。美咲は激しい自己嫌悪におちいっていた。
和明はたまたま借りた本を図書室に返しにいったところで美咲に出くわしたのだ。だれもいない図書室で声をかけようかと逡巡していた時、高い棚に無理に手を伸ばす美咲を見て思わず本を手に取っていた。相変わらず目も合わせようとしない美咲にやはり嫌われていると思った和明はすぐに離れようとした。けれども、引き止める美咲がなにを話すのかと一瞬期待したがその内容はとてもショックなものだった。
和明はバスケットの練習に出ようと部室に向かったが、やはり今日はこのまま家に帰ろうと教室に戻りかけた。その時聞きなれた声が背中にかかった。
「こら、和明、遅いぞって、お前どこに行くんだ。」
和明がクラブに来るのを待っていた正樹だった。いつもと様子の違う和明を見て正樹がいぶかしげに尋ねる。
「どうした、なにかあったのか。元気ないぞ。」
「・・いや、今日は何かもういい。バスケ休むわ。」
今まで元気にしていた和明がこんなに落ち込んでいるのは、何かあったに違いない。正樹は必死になって考えた。
「何か失恋でもしたみたいだぞ。まあ、お前にはありえない話だろうけど。お前がさぼるってんなら付き合うよ。ゲーセンでも寄ってく?」
「いいよ。ひとりで帰る・・。お前はいいよな。何かすごいうらやましいよ。」
正樹は力強く和明の肩をたたいた。
「はぁ?当たり前だろう。天下無敵の正樹様だぞ。何かあったんなら、話せよ。俺にできることなら力になるぞ。・・って、もしかして美咲のことか?」
「えっ」
和明は、はっとしたように正樹の顔を見た。
「図星か。お前らほんとにどうしようもないな。なあ、和明お前高校どこにするんだ?」
「高校?・・旭ヶ丘に行こうと思ってるけど・・。」
「やっぱりな。ちょっときついな・・けどなんとかなるか。」
「はぁ?」
和明は正樹の急な脈絡のない話に面食らった。
「大丈夫だよ。そんなに落ち込む必要なんかないさ。時間がたてばそのうち事態も変わっていくだろうし。それより、今は勉強だな。お前のその出来のよさに大変な苦労を強いられそうだ。ははは」
正樹は大きな笑い声をあげて和明の肩をもう一度たたいた。
正樹が家に帰ると今度は美咲がふさぎこんでいた。正樹は大きなため息をついて美咲の顔をのぞきこんだ。
「あんまり悩むとはげるぞ。」
「失礼ね。今帰ってきたの?今日は早いじゃない。」
「だれかさんのせいでだれかさんが落ち込んで関係のない俺までまきぞえをくったのさ。何か腹へったな。美咲、何か作ってくれよ。」
「何でわたしが・・。それに今日はだめ。なにもする気がおこらない。」
正樹はいたずらっぽく口の端をあげて言った。
「いいこと教えてやろうと思ったんだけどな。まあ、いいか。」
「何よ、いいことって。」
「和明、旭ヶ丘にいくって言ってた。もちろん、俺も目指すよ。お前も数学相当頑張らんとな。」
「私も旭ヶ丘に行くの?」
「当たり前だろう。そのために聞いたんじゃないのか?今日から二人とも猛勉強だ。それと、腹減った。ナポリタン食いたい。美咲、早くしてくれ。」
美咲は、仕方なく席をたち、台所に立った。今日は久しぶりに和明と話すチャンスだったのに心にもないことを口走ったうえに、ろくな話もできぬまま終わってしまった。けれども和明が目指す高校の名前がわかり、ひとつの目標が美咲のなかで出来上がっていた。また、昔のように一緒に仲良く登校したい。美咲はとりあえず勉強に励もうと心に誓った。