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第三十四話 坂道の向こうは

いつもと変わらない日だった。美咲は、少し早目の電車に乗り、車窓から流れる見慣れた景色を眺めながら、40分かけて勤め先の会社へと向かった。もうすぐ六月に入り、梅雨の季節になってくる。美咲はいつもと同じように駅に降り立つと、すぐそばにある公園へと進んだ。少し遠回りになるが、季節がらきれいな花々が咲き乱れている。美咲の好きな紫陽花の花もたくさん植わっていて、もう少しすればきれいな紫の花が見られるだろう。今日もとてもいい天気だ。北海道へと向かっている両親の旅行もいい天気でよかったと美咲は頬を緩めた。


午前中はあっという間に時間が過ぎた。一時間かけてひとつのサンプルをガスクロマトグラフィーにかける。その結果の分析を繰り返し、膨大なデータが蓄積されていく。美咲は新しく採取してきたよもぎの葉をエーテルに浸し、その抽出した液をシリカの詰まったカラムクロマトグラフィーに流し込んだ。後は半日放置しても大丈夫と窓側の席に座りこみ、やっと一息ついた。いつもなら同じ研究室に同僚三人と一緒なのだが、今日は出張のため美咲一人だった。

のんびりと時間が流れて行った。

カラムを通り、ビーカーに落ちていくエーテルをぼんやり眺めていたが、すっと視線を窓の外へと向けた。青い空に飛行機雲がうっすらと残っていた。



定時で仕事を終えた美咲は、まっすぐに家へと向かっていた。会社の同僚と一緒に夕食を食べに行こうかと思ったが、一緒に行けそうな友人には会えず、仕方なしに誰もいない自宅へと向かった。電車に乗り込むとすぐに思わず溜息がもれてしまう。六月の初旬、六時前でもまだまだ日は長い。本屋にでも寄り道して帰ろうかと思ったが、そのまま駅の改札を出るとまっすぐ家に続く坂道へと向かった。坂道の向こうに見える樫の木が、美咲の帰りを待っていた。


なだらかな坂を登って自宅の塀が見えてくると、そのそばにたたずんでいる人影に気づいた。静かな住宅街であまり人の気配がない中、美咲はいつもと違う状況に少し緊張した。門扉近くにたどり着き、その少し離れて立つ男性も美咲に気づいたようだ。美咲は鞄から急いで家の鍵を取り出し、早く中に入ってしまおうと、その人には目もくれずに門扉に手をかけた。


「・・・・・・美咲」


ふと自分の名前を呼ばれたような気がして、美咲はおもむろに振り返った。少し離れて立っていたはずの人物が距離を縮めて美咲のそばに近寄ってきた。すらっとした長身に均整のとれた体格の若い男性だ。ワイシャツに黒いスラックス。袖をまくっているため、細身のわりにたくましい腕が見てとれた。


「?」


美咲は一瞬驚いたが、大きな荷物を肩から提げた様子に道にでも迷っているのかとゆっくりとその男性に目を向けた。右手にもった英字新聞に気づき、英語に堪能な人なんだとぼんやりと思っていた。


「・・・美咲、か?」


「 ! 」


いきなり名前を呼ばれて美咲は驚いて顔をあげた。その男性と視線が絡まり、びっくりしたまま言葉もでてこない。はじめてまっすぐに相手の顔を見て大きく目をみはった。昔と変わらない優しい薄茶色の瞳が美咲に向けられていた。和明だ。間違いない。夢にまで見た和明が、美咲の前に立ちすくんでいた。高校生の時より、体格もたくましく顔つきも大人の男性となり、離れていた月日の長さを否応なく感じさせられる。美咲は驚いたまま、固まって和明の顔を凝視していた。信じられない。美咲は、夢でも見ているのかと瞬きを繰り返した。何も話そうとしない美咲に、和明は困ったように苦笑すると頭をかきむしった。


「俺の顔も忘れてしまったかな。何せ八年ぶりだから。」


美咲は掌を口にあてたまま、首を大きく横に振った。


「美咲、あの、遅くなったけど。ただいま。」


和明の昔と全然変わらない、はにかんだような笑顔に一瞬見惚れ、懐かしい声がこだました。会いたくて、会いたくてたまらなかった人がすぐ手の届くところにいる。美咲はまだ信じられず、和明の顔を見つめていた。


「和ちゃん、本当に和ちゃんなの?私、夢を見ているのかしら。」


「夢じゃないよ。帰ってきたんだ。」


美咲は思わず自分で自分の頬をつねり、小さく悲鳴をあげた。静かに見下ろしていた和明は、もう一度困ったような笑顔を浮かべると昔と同じ仕草で美咲の頭をかきまわした。美咲は驚いて固まってしまい、その様子に気づいた和明もあわてて手をひっこめた。二人の視線がまじかで絡まる。美咲は目を逸らすこともできずに、和明の薄茶色の瞳を見ていた。その時、美咲の鞄から急に電子音が鳴り響いた。美咲ははっとして、あわてて鞄の中から明かりが点滅している携帯電話を取り出し、和明に一言謝って通話ボタンを押した。


「もしもし?」


「ああ、俺だよ。美咲か?」


「・・・正樹?いったいどうしたの?どこからかけてるの?」


美咲は電話の主が正樹とわかり、ほっとして和明の方に視線を向けた。和明も一瞬目を瞠ったが、すぐに美咲の方に微笑んで頷いた。


「もちろん病院だよ。今、家か?・・そろそろ着く頃なんだけど。」


「はぁ?それより、和ちゃんが、和ちゃんがいてるの。私、びっくりして・・・。」


「なんだ、もう着いてんのか。よかったな、美咲。ちゃんと届けたからな。約束の結婚祝い頼んだぞ。」


「へ?何言ってんの・・・。」


「誕生日プレゼント、もう届いたんだろう?二人で必ず結婚式、出てくれよ。」


「何、今日届く宅配って、もしかして・・・。」


「もちろん、和明のことだよ。ゆっくりこれからのこと、二人で相談するんだな。」


「な、何言って・・・。」


「それよりちょっと和明と代わってくれ。」


美咲は言われるがままに電話を和明の方に差し出した。和明もためらいがちに受取り、話し出す。


「ああ、久し振りだな。元気か?」


「・・・・・・」


「え、おまえ、それって・・・。ええ?! ちょっと待てよ。おい、正樹。もしもし・・・。」


話をはじめてすぐに、和明の様子がおかしかった。電話の内容はわからなかったが、美咲はあわて始めた彼の様子をまだ夢の中にいるような感覚で眺めていた。






うまくまとめられれば、次回最終話となります。本編終了後もいくつかのエピソードで番外編を書ければと思っています。よろしければお付き合いください。

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