第三話 兄からの手紙
「ただいま。」
美咲は六時前に帰宅した。台所の方から夕食のおいしそうな匂いが漂ってきた。
「おかえりなさい。あら、美咲なの。めずらしいわね。」
「なにが?」
「正樹、まだ帰ってきてないのよ。」
母親の佐智子がパタパタと玄関先に現れて、手をエプロンでふいている。いつも美咲は道場のあとかたづけで帰りが遅かった。早く着替えるようせかす母親の声と同時に玄関の扉が開いた。
「ただいま。あれ、美咲帰ってたのか。」
正樹だった。
「さあ、二人とも着替えて早く来なさい。」
佐智子は足早に戻っていった。
「遅かったのね。今日、どうしたの?」
「別に。ちょっとつかまっててね。」
「また、女の子?いいかげんにしなさいよ。」
「なんだよ。俺から声かけたわけじゃないよ。」
正樹はむっつりした顔を美咲に向けて言った。
二人は二階に駆け上がり、着替えてから食堂についた。病院で医師をしている父親も珍しく早く帰り、四人が顔をあわせている。「ただいま」と父親に声をかけると「おかえり」と新聞から目も話さずに返事が返ってきた。
「ねえ、お父さん。私、弓道やめようかな。向いてない気がしてきた。毎日頑張ってるんだけどなかなか・・・。」
「ほんとに美咲はだめね。しっかりやってるの?」
佐智子が横から口出しして、美咲は口を尖らせた。
「ほっといて。正樹の絵よりはましなんだから。」
「俺がなんだって?」
「別になんにも。今日、体育あったでしょ。バスケなかなかかっこよかったわよ。みんなその姿にだまされてるのね。」
「お前は一言多いんだよ。・・そうだ、和明に今度バスケの助っ人頼まれてさ。再来週の土曜日試合があるんだ。応援に来てくれよ。」
「なんでわたしが・・。」
美咲と正樹が言い合うのを横目に父親の和樹が口を挟んだ。
「美咲、無理に弓道を続けることはないよ。自分の好きなことをまた探せばいいんだから。正樹も別に無理して美術部にいることはないんじゃないか。話によるとかなりひどいんだって?」
「父さんもひどいな。」
正樹は父親のあまりの言いように絶句していた。
学校であった今日一日の出来事などの話をして、楽しい夕食の時間は過ぎていった。
{本当に美術なんかやめてバスケ部に入ればいいのに・・。もったいないわ。」
「人のこと言えるのか。できもしない弓道やってピアノはおろそかになって、和明が心配してたぞ。」
「えっ」
そしらぬ顔で正樹は言ったが、美咲はびっくりした顔のまま黙り込んだ。
「これ、見て.修ちゃんから手紙が来たのよ。」
五つ年上の兄、修司からのものだ。地方の大学に通い、下宿生活なので今度会えるのは夏休みのはずだ。小さい頃は二人の良き兄で面倒をよく見てくれた。家をでることが決まった時には、美咲は思わず泣いてしまった。父親の跡を継ぐと一念発起し、猛勉強の末、医大への道を勝ち取ったのだ。両親も期待する長男からの手紙は家族にとってとても嬉しいものである。
「へぇ、めずらしいな。兄貴が手紙かくなんて・・。」
正樹は嬉しそうに手紙を読み始めた。
「拝啓、僕は元気にしています。皆さん、元気ですか。お父さん、仕事頑張ってください。
美咲、少しは弓道上達しましたか、だって。だめだよ、全然だ。」
「正樹、なに言ってるのよ。あんたのことも書いてあるんでしょ?」
美咲は手紙を読んで笑う正樹をにらみつけた。
「えーと、どこまで読んだかな。美咲は少しは上達しましたか。正樹、絵の方はどうですか、相変わらず゜ピカソですか。」
正樹の声のトーンが少しずつ下がっていった。美咲は大きく笑った。
「兄貴もひどいな、こんなこと書くなんて。『最後にお母さん、手紙ちゃんと書いたので約束忘れないでください。』なんだこりゃ、母さん、約束ってなに?」
佐智子は三人の視線を受けて少し苦笑いした。
「私ね、手紙かくの好きだったのよ。でも今は相手がいないでしょ。だから、修ちゃんに手紙書くようにいったのよ。」
「それで?」美咲は、聞き返した。
「え?」
「約束って何のこと?」
「ああ、そのこと・・。たいしたことじゃないのよ。手紙を書いたら、仕送りもう少し増やしてあげるのにって。ただ、それだけ。」
それを聞いた父親があきれかえった。
美咲は食事を終えてから自分の部屋に戻り、宿題をやり始めたのだが全然先が進まない。今日は色々なことがあった。中学にあがると同時に疎遠になっていた和明と久しぶりに口をきいた気がする。以前は同じ目線のはずだったのに、今では顔ひとつ分あげなくてはならなかった。昔は本当に仲がよかった。いつも、正樹も交えて三人一緒だった。いつからこんなに変わってしまったのか、思い出そうとするが検討もつかない。時間がたちすぎてしまったのか・・。取り留めのないことを考えているうちにどんどんと思い出の中に入り込んでいった。