第二十七話 お見舞い
「あれ、沢中。どうしたんだ?」
美咲は登校してくる生徒たちの中から和明の姿を探していたがなかなか見つけられず焦りを感じ始めていた時に、クラスメイトの相田に声をかけられた。
「相田君、おはよう。」
「ああ、おはよう。そんなとこでなにしてるんだよ?」
「え、ああちょっと・・。」
「だれか探してるのか?」
「・・・・」
訝しげな相田の視線にどう答えようかと考えていると後ろからぐいっと腕をつかまれた。
「美咲、ちょっと・・。」
「えっ」
顔を向けると何とも言えない顔の正樹が見下ろしていた。
「正樹、お前・・。」
正樹はまだ何か言いたそうな相田から離れて美咲を門の端へとひっぱっていった。
「正樹、何?私、和ちゃん探してるんだけど・・・。」
「和明は今日休みだよ。」
「え?どうかしたの?」
「風邪だそうだ。熱が高いっておばさんが言ってたから。お前、授業終わったら見舞いに行ってやれよ。」
「う、うん。大丈夫かな。」
「まぁ、顔出してやれよ。それとこの間のことだけど、仕方なかったみたいだぞ。和明、すごい落ち込んでたから、その・・・。」
言いにくそうにする正樹の顔をじっと見て美咲は言った。
「正樹、知ってるの?」
「え?」
「知ってるんでしょう、ねぇ、教えて。和ちゃん、どうしたの?一体なにがあったの?」
「何がって・・・。お前こそ何で・・。」
「藤井さんに言われたの。なんにも聞いてないのかって、和ちゃんに聞けばって言われた。正樹、教えて。和ちゃん、いったいどうしたの?」
「美咲、とにかく見舞いに行ってやれ。そこで和明に聞くんだな。俺には何も言えない。それじゃ。」
追いすがる美咲を突き放し、正樹は階段を足早に駆け上って行った。授業の始めを告げるチャイムの音に追い立てられるように門を入ってくる生徒達が次々と階段を上っていく。その中で美咲一人、動けずに立ちすくんでいた。
その日一日の授業は美咲にとってとてつもなく長く感じられた。先生の話も耳を素通りし、なにも残らない。なんとか最後の六時間目までやり過ごし、あわてて帰る用意をし話しかけてきた久子の相手もそこそこに家路についた。和明に早く会って確かめたいが、また反対に聞くのも怖いのが本音だった。いつもなら和明と別れて坂道を上がっていくところをそのまままっすぐに進んで和明の家へと向かった。大きな塀の前で立ち止まり、一呼吸してからインターホンを鳴らす。具合の悪い和明を起こすことになるのではと一瞬ためらったが、思い切って鳴らしていた。しばらくすると門の向こうから名前を尋ねられ、それに答えると扉が開き、和明の母親と久し振りに顔を合わせることになった。
「こんにちは。おひさしぶりです。あの、和ちゃんは?」
「・・美咲ちゃん、久しぶりね。こんなに見違えるようになって・・。」
和明の母親は目を細めて美咲を見ていた。ほとんど仕事で普段家にいないって言ってたのに・・。やはりかなり具合が悪いからだろうか。美咲は顔を曇らせた。
「和明、珍しく風邪ひいたみたいで今二階の部屋で寝てるわ。わざわざお見舞いに来てくれたの?」
「はい。」
「どうぞ、入って。あの子喜ぶと思うわ。」
美咲は促されるまま門をくぐり、昔よく遊んだ庭に足を踏み入れた。今でもよく手入れされているのか綺麗な花々が咲いている。よく下から見上げていた樫の木もそのままでとても懐かしい気持ちになった。
「和ちゃん、具合悪いんですか?」
「まぁ、かなり熱があったので・・。でもだいぶましになったと思うわ。」
美咲は母親の後ろをついて和明の自室まで向かった。一人部屋の前に残されるとためらいがちに扉をノックする。けれども部屋の主からは、何の反応も返ってこない。美咲は静かにドアのノブを回し扉を開けた。カーテンが閉まっているせいか部屋の中は薄暗い。部屋にそっと入り見回すと、奥のペットで背中を向けて寝ている和明に気づいた。よく寝ているのかそばまで近づいても何の動きも見られない。聞きたいことはたくさんあったが、まさかたたきおこすこともできない。しばらく様子をうかがっていたが起きる気配は見られないので、美咲はそのまま部屋を後にした。そのまま一言ことわって帰ろうと思っていたのに、そのまま応接室に案内されお茶をごちそうになることになった。広いゆっくりした部屋の中に上質のソファが置かれ、美咲は遠慮がちに腰を沈めた。こんな大きな家に今はたった二人で暮らしているのだ。さみしくないのだろうか、とふと思った。
「美咲ちゃん、紅茶でよかったかな?ここのケーキ美味しいのよ。ちょうどいただいたところだったの。よかったわ。」
「ありがとうございます。」
「本当に久しぶりね。美咲ちゃんが来てくれるの。小さい頃はいつもよく遊んでくれて・・。正樹ちゃんも元気?みなさんも変わりない?」
「はい、おかげさまで。あの、おばさんもお元気そうで。」
「ええ、ありがとう。よかったわ、いまでもあの子と仲良くしてくれてるのね。あの子なんにも言わないから学校でのこととかも私知らないのよ。正樹ちゃんの名前はたまに聞いてたんだけど・・・。」
「和ちゃん、相変わらず頭もいいし、スポーツも万能で人気者ですよ。私も勉強教えてもらってて・・。」
「そう。男の子は駄目ね。なんにも言わないから。」
和明とよく似た面ざしの顔は昔と同じで優しかった。たわいのない話は尽きることなく、和明の話を聞くのはとても楽しかった。
「ところで、おばさん。今日お仕事は?」
「ああ、今日はお休みにしたの。和明もあんなだったし・・・。それにもうすぐニューヨークへ移ることになってね、引き継ぎとかでなかなか休みも取れなくなるから。」
「えっ、ニューヨーク?」
「ええ、そうなの。主人がアメリカへ転勤が決まったのでね。」
美咲は指の先が冷たくなっていくのを感じていた。言葉を出そうとするのになかなか声が出てこない。
「あ、あの、それは和ちゃんも一緒に・・・。」
「ええ、そう。来年の一月から向こうの学校に行くことになってるの。せっかくずっと一緒に仲良くしてくれてたのに残念なんだけどね。あの子だけ置いていくこともできないし・・。」
「・・・・」
美咲はうつむいて黙り込んだ。これだったんだ。この話だったんだ。目の前がかすんでこようかという時、名前を呼ばれてはっと顔をあげた。
「美咲ちゃん、どうしたの?ごめんなさい、あの子からまだ聞いてなかったのね。でも、前からアメリカの大学に行きたいって言ってたからちょうどいい機会だと思うのよ。なのに、和明なぜか行くの嫌そうで・・・。美咲ちゃん、何か心当たりないかしら?」
「私、その・・・。」
和明の母親のまっすぐな視線にいたたまれなくなって美咲はすぐにでも部屋を出て行きたかった。目に涙が浮かんでくる。その時、扉が開かれ、和明が部屋に入ってきた。