第二十六話 真相
月曜の朝、気の重い美咲はいつもより早く家を出て学校へと向かった。和明と顔を合わすのがかなりきまずい。正樹の呼び止める声も無視してあわてて家を出てきた。校舎内は人もまだまばらで、運動クラブの朝連の声がわずかに聞こえてくる。美咲は上靴に履き替えようと下駄箱を開けたときに声をかけられた。
「おはよう、沢中さん。今日は早いのね。」
下駄箱の横にさわやかそうな笑顔で理沙が立っていた。美咲は一瞬驚いたがすぐに眼をそらし、挨拶した。
「・・おはよう、藤井さん。私に何か用?」
「別に用ってわけじゃないけど・・。土曜日は偶然ねぇ、あんなとこで会うなんて思わなかった。沢中さん、急に走ってどこか行っちゃうからびっくりしたわ。寺西くんも驚いてたわよ。」
「・・・・・」
「もう寺西君から話しは聞いたの?」
「え?」
「・・やだ、まだ聞いてないの?」
「何の事?」
「…。私、寺西君のことが好きなの。ずっと一年の時から彼だけを見てきたの。私も含めて振られた女の子はかなりいてるわ。それが急にあなたが現れて彼をさらっていった。」
「そんな・・、私は別に。」
「そう、幼馴染っていいわね。ちょっと早くに知り合ったというだけで特別になれるんだから。でも、土曜日は私たちデートだったの。沢中さん、まだなんにも知らないみたいだから、私の方があなたより彼に近いのかもしれないわね。」
「一体、何の事言ってるの?」
「寺西君に聞いてみれば?それじゃ。」
理沙は口元だけ笑みをうかべ、冷たく言い放つと美咲から離れていった。
理沙は一体何の事を言っているのだろう。和明は何か大事なことを隠しているのかもしれない。美咲は急に不安になってすぐにでも和明のところへ確かめに行きたくなっていた。日曜日も和明が家に来るかもしれないと、美咲は朝早くから外出し避けていたのだ。美咲は鞄を教室に置くとすぐに校門のところまで戻って、和明が登校してくるのを待っていた。
*
「和明・・・。」
日曜の朝、扉を開けると沈み込んだ瞳の和明の顔が飛び込んできた。正樹はなにか言おうと口を開きかけたが先に和明の方が言葉を発した。
「美咲、いてるかな。話があるんだ。」
「まぁ、上がれよ。」
「ああ・・。」
正樹は和明を自分の自室へと促した。和明が美咲はどうしたのかと尋ねると苦笑しながら首を横に振っている。和明はますます落胆したように肩を落とした。
自室のテーブルに向かい合って座り、うつむいた和明に声をかけた。
「お前なぁ、どうせならうまくやれよ。」
「え?」
「二股かけるんなら、バレないようにやれってことだよ。」
和明は驚いた顔で正樹に言い返した。
「違う! 二股なんかかけてない。違うんだ! 」
和明の必至の様子を黙って見ていた正樹は仕方ないというように大きな溜息を落とした。
「美咲、泣いてたぞ。お前がそんなやつじゃないことはわかってるさ。けど、美咲を泣かす奴はいくらお前でも許せない。」
「正樹・・。」
静かな声で正樹は和明を睨みつける。和明は思わず息を呑んだ。
「・・けど、お前は俺の親友だ。なにか訳があるんだろう?」
「・・・・」
和明は正樹の顔をまっすぐに見ていたがゆっくりと視線を外し、窓の方に向けると唇を噛んだ。交差点を挟んで見た美咲の顔が忘れられない。驚いた顔がすぐに泣きそうな顔に変わっていた。全部自分のせいで・・。あんな顔をさせるようなことをしてしまったんた゛。
「・・俺は、美咲が好きなんだ。ただ、昔みたいにそばにいられるだけでもよかったんだ。でも、それも・・。」
「和明?」
「藤井さんのことは誤解だ。全然やましいことなんかないよ。でも、美咲には・・・。」
正樹は和明の憔悴しきった様子に顔をしかめた。何があったのかと問いただす。和明の重い口を開いて言った内容は正樹の想像をはるかに超えていた。
「アメリカへ?」
「ああ、来年の一月から。」
「なんでまた急に・・。」
「父さんの転勤が正式に決まったんだ。それに、母さんもニューヨークの会社に移ることになって・・。俺もアメリカの高校に転入するようにと・・。」
「お前、アメリカへ行くのか?」
「いや、俺は日本に残ると言ったんだ。でも、母さんがどうしても許してくれなくて・・。」
「和明、そんな、お前・・・。」
「まだ時間があるし、なんとかしようと思ってたんだ。それが・・。」
「それが?」
「母さんが勝手に担任に話したみたいで、この間職員室に呼び出された。丁度その話をしている時に藤井さんに聞かれてしまって・・。」
和明は苦い顔をして俯いた。正樹もあまりのことに言葉もなかった。ずっと一緒だった和明が離れていく。自分でもこれだけショックなのに美咲が聞けば・・・。
「約束したんだ。これからはずっと美咲のそばにいるって、でも・・・。」
アメリカは遠い。すぐに会いに行ける距離じゃない。やっと思いが通じ合った二人にまた大きな隔たりが生じようとしていた。
*
和明はいつもと同じようにクラブの帰り、誰もいないはずの自宅へと向かっていた。父親はイギリスで単身赴任、母親も仕事で帰りが遅い。兄弟のいない和明はいつも一人で夕食をとるのが日常だった。今日もいつもと同じように家に入ろうとすると奥から明かりが洩れてくる。
扉の開く音を聞きつけて和明の母親が玄関先に現れた。
「kazuaki、welcome home.(和明、お帰り)」
「mother,how did you have it?Is so early it is unusual.(母さん、どうしたの?こんなに早いの珍しいね。」
和明は家の中では昔のまま英語で会話することが多かった。小さい頃アメリカで育ったおかげで英語が自然と出てくる。
「和明、やっと家族そろって生活できるわよ。」
「え?」
「アメリカへ行きましょう。お父さん、アメリカに転勤が決まったのよ。私もニューヨークの出版社に行けるようになったの。小さい頃あなたが育った町に家を買うことにしたから。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。母さん、そんな話聞いてない。」
「あら、あなたアメリカの大学に行きたいって言ってたじゃない。向こうの大学に進学するのなら高校から向こうに行ってた方が有利でしょう。」
「それは・・・。」
「和明、アメリカへ行くの嫌なの?この間は外国の学校へ行ってもいいって言ってたでしょう。きっとあなたも喜ぶだろうと思って私急いで帰ってきたのに・・。」」
和明は母親の言葉に返す返事もなく黙り込んだ。美咲と疎遠な時、一方的に嫌われていると思い込んでいたので距離を置こうとイギリスへ行こうとしたことがあった。
「あの時とは状況が違うんだ。俺一人残って日本の大学へ進学したい。」
「・・和明。あれだけアメリカの大学へ行きたいって言ってたのにどうしてそんなに言うことが変わったの?向こうへ行くことが決まって喜ぶと思っていたのに。」
「・・・・」
「日本を離れたくない理由は何?納得のいく説明をして頂戴。」
「話せば俺一人残ってもいいの?」
「・・だめよ。あなた一人置いてなんて行けないわ。すぐに飛んで帰って来れる所じゃないのよ。」
「・・・」
アメリカ行きの話を聞いて二週間後、担任に呼ばれ具体的なことを教えてくれと聞かれた。勝手な母親に胸のうちで怒っていた時、すぐ後ろにいた藤井理沙に話を全部聞かれていたなど和明は思いもしなかったのだ。和明の知らないところでアメリカ行きはちゃくちゃくと準備が進められていた。やっと美咲のそばにいることができるようになったのに・・。どうにもならない現状に和明は頭を抱え込んでいた。