第二十五話 土曜日の街角で
土曜日、美咲は久子と待ち合せをしている駅へと向かっていた。朝、台所で顔を合わせた正樹も一緒に行かないかと誘ったが、用事があると断られた。今日はとてもいい天気だ。秋も深まり、冬がもうそこまで来ているせいか風が冷たく感じられる。もう少し厚着をしてくればよかったと美咲は薄手のコートの襟を立てた。来年の今頃は受験真っ只中だろうなと思う。友達と気楽に映画にもきっと行けないに違いない。来年も和明は自分の隣に居てるんだろうか。美咲は漠然とした自分の未来に和明の姿はないんじゃないかとふと思った。美咲に向けられる特別な優しい眼差しは永遠のものではないのかもしれない。美咲はなぜかさびしい思いに囚われていた。
「美咲、おはよう。早く行こう。」
「おはよう、久子。正樹も誘ってみたんだけど用事があるらしくて・・。」
「そうなんだ。・・美咲、私に気を使わなくていいよ。この間ね、私、正樹君に告白したの。クラブの帰りに一緒になって・・。でも、振られちゃった。誰とも今は付き合う気ないって。でも、友達ならって言ってくれたの。美咲の友達は俺にとっても友達だって。私それでも嬉しくて。美咲のおかげね。」
「久子・・。」
「だから、私もあきらめずに頑張るわ。正樹君、医大に行くって言ってた。私も一緒の道に進もうと思うの。動機はかなり不純だけど、頑張る価値はあると思わない?」
「すごいね、久子。そこまで考えてるんだ。正樹も本当に馬鹿ね、久子がここまで思ってるのに断るなんて・・。」
「美咲、お願い。正樹君には言わないでね。きっと迷惑だと思うし、私もどこまでできるのか全然わからない。お願いだから、絶対言わないでね。」
「わかった。私は久子の味方よ。いつか正樹に久子の思いが伝わるように祈ってる。今の話は聞かなかったことにするわ。」
「ありがとう。」
久子は安心した顔で美咲に微笑んでみせた。
「でも、知らなかった。正樹が医者になるなんて、修ちゃんと同じ道に進むとは思わなかったな。」
「お父さんの跡を継ぐんじゃないの?」
「まあ、どっちが継いでもいいんだろうけど。」
二人は取り留めのないことを話しながら映画館への道を進んでいった。週末の土曜日のせいか街は多くの人でごった返している。行き交う人々の間を二人もゆっくりと進んでいた。もう少しで映画館という交差点の信号待ちをしていた時、美咲は何気なく通りの向こうにある喫茶店の方に視線を向けた。こちらに背中を向けている男性の後姿がなぜか気になった。するとその向こうから見知ったきれいな顔の女性がこちらの方を指差している。美咲はとても嫌な予感がするのを感じていた。それは一瞬のことだったに違いない。でもその男性が後ろを振り向く間の時間がとても長い間に思われた。藤井理沙は和明の腕に自分の腕を絡め、美咲の方に鋭い視線を送っていた。振り返った和明の瞳が、信号待ちをしている美咲の姿を捉えると大きく見開いた。二人の視線が交わり、和明の困惑した顔が美咲の瞳に映し出された。
「土曜日、空いてない?」
「ごめん、用事があるんだ。」
この間和明と交わした会話が頭の中を過ぎて行った。用事ってこのことだったんだ。美咲はなぜかとても冷静な自分に驚いた。やっぱりそうなんだ。和明にとって自分はふさわしくない。
あんなにお似合いの人がいてるじゃない。二人は固まったままで交差点をはさんで立っていた。信号がようやく青に変わり、周りの人は次々と渡り始めた。なかなか動こうとしない美咲に久子は訝しげに声をかけた。
「美咲、どうしたの?」
「ごめん、用事思い出した。映画はまた今度にして。」
美咲は急に踵を返し、もと来た道を走って戻って行った。
「美咲、どうしたの!?」
久子は驚いて美咲の後を追おうとしたがすぐに人の波に紛れてしまい、姿は見えなくなっていた。
和明は信号が変わるとすぐに美咲のそばへ行こうとしたが理沙に腕を取られ、動けなかった。
そのわずかな間にも美咲の姿は見えなくなっていた。
「寺西君、待って! どこに行くの?」
「離してくれ。美咲のところへ行くんだ。」
「だめよ。今日は私に付き合ってくれる約束でしょ。」
「藤井さん、ごめん。やっぱりできない。すまない。」
和明は理沙の腕を振り払い、点滅している信号を渡って美咲の姿を追いかけて行った。
美咲はそのまま家に戻っていた。すぐに帰ってきた美咲に母親は驚いていたが特別に声をかけるでもなく昼を過ぎる頃に台所に昼食の用意をした後、声をかけると外出していった。誰もいない家の自室にこもり、ペットに突っ伏している。驚いた顔をした和明の姿が目に浮かんでくる。どうして?何故藤井さんと一緒なの?和明に聞きたいことがぐるぐると回っている。本当は和明の好きなのは理沙だったのかとそこまで思考は及んでいた。頬に涙が伝っていった。自分はこんなに和明のことが好きだったのかと思い知った。何か訳があるのかもしれない。美咲はどうしようもない思いに苛まれていた。
家の呼び出し音が鳴り響いた。直感で和明だと思ったがとても合わせられる顔をしていない。そのままやり過ごそうと布団を頭までかぶったが、呼び出しは長く続いた。やっと諦めたというように家に静けさが戻った。きっと携帯にも連絡が来ているだろう。電源を落としている携帯は静かだったが・・。
いつのまにか陽も傾き、扉をノックする音に眼が覚めた。美咲は徐に立ち上がり、扉を開けると驚いた顔をした正樹と眼が合った。
「おまえ、どうしたんだ、その顔。」
「え?」
「泣いてたのか?」
「・・・・・」
「何かあったのか?」
「・・正樹、誰か好きな人いてるの?」
「はぁ?」
「ねぇ、片思いでもしてるの?なんで、なんで・・・。」
「美咲、和明となんかあったのか?どうしたんだよ。」
「なにもないよ。どうして久子じゃだめなの?なにが気に入らないの?」
「違うよ。気にいるとか気に入らないとかそんなんじゃない。今の俺じゃ彼女の期待に答えてあげられない。それだけだよ。彼女が本気なのはよくわかった。それなら俺も同じように返さないといけないだろう。でも、できない。だから断ったんだ。」
「でも、あんなに正樹のこと思ってるのに・・。」
「わかってる。でも、今の俺じゃダメなんだ。美咲、お前の親友なのにな、ごめん。」
「・・正樹。ううん、私も言いすぎた。ごめん。」
「それより、お前こそ何なんだよ。映画観に行ったんじゃないのか?」
「ううん、帰ってきちゃった。私、今最悪なの。ほっといて。」
「ばか、ほっとけるか。俺にも言えないことなのか?どうせ和明のことで勝手に誤解して落ち込んでんだろう。話してみろよ。」
美咲は正樹の優しい言葉にほだされ、今日あったことを打ち明けた。
「藤井さんか、彼女かなり和明にご執心だったからなぁ。でも、なにか訳があるんじゃないか。あいつが二股かけてるとは絶対思えないし。」
「そんなのわからないよ。とても仲良さそうに腕組んでたし・・。」
「はは、お前、嫉妬してるのか。そのセリフ直接和明に聞かせてやれよ。あいつ飛び上がって喜ぶぞ。」
「何言ってるのよ。私がこんなに悩んでるのに。正樹なんかに話すんじゃなかった。」
「わかったよ。大丈夫だ。和明にはお前しかいてないよ。何か訳があるんだろう。早く確かめて仲直りするんだな。」
美咲は仕方なく頷いた。