第二十一話 初めてのデート
長い夏休みに入ってから三回目の日曜日、和明との遊園地へ行く約束の日だった。美咲は塾の夏季講習に申し込んでいたので毎日それに追われ、和明はバスケ部の練習に毎日励んでいた。二人ともやっと開放され待ちに待った日曜日だ。終業式から一度も顔をあわせていないのでほとんど三週間ぶりだった。付き合うといってもお互い忙しい状況はなにも変わらない。それでもたまに送られてくるメールの着信メロディを聞くと美咲は胸をときめかせていた。いま、どこにいるの?いま、なにしてるの?頭をよぎる焦燥感は会えない日が重なる度に美咲の心に迫ってきた。気持ちが通じることで相手への要求が当たり前になってしまうのかもしれない。和ちゃんは私に会えなくても平気なのかな、それとももっと別の女の子が側に・・・。学校でしょっちゅう呼び出されていた和明が思い出される。この間はちあわせしてしまった時の和明の困った顔が浮かんできた。やめよう・・。せっかくのデートなのに・・。美咲は鏡に映る不安そうな自分の顔を見つめ、無理やり笑顔を作った。
「お、出かけるのか?・・ズボンで行くのか?スカートにしろよ。」
部屋から出てきた正樹とちょうど鉢合わせしてしまった。頭の上から順番に視線を下ろしている。美咲は露骨に嫌そうな返事を返した。
「なによ、ズボンのどこが悪いの?遊園地に行くのよ、スカートじゃ動きにくいじゃない。」
「あのなぁ、初めてのデートだろ。もっとおしゃれして行けよ。和明がっかりするぞ。」
「・・・・」
正樹の言葉に美咲は自分の服を見直した。なにを着ていくかさんざん悩んだわりにはいつもの普段着のジーパンにTシャツ姿になっていた。やっぱりだめか・・。
「これじゃだめかな?」
着替えようかと思ったがいまさら違う服も決められないだろう。待ち合わせの時間が迫っていた。正樹は仕方ないという顔をして急いで階段を駆け下りていった。しばらく美咲が呆然としていると母親の佐智子が顔を出した。
「美咲、デートならなんではやく言わないの、早く着替えるわよ。」
佐智子は急いで部屋に引き入れ、服を着替えさせた。頭もリボンを使い、器用に束ねてアップに仕上げた。あっという間に鏡の前には普段とは違う美咲が映し出されていた。
「これでよしと。和ちゃんと行くんでしょ?大丈夫と思うけど帰りの時間遅くなりそうなら、かならず連絡いれるのよ。」
佐智子は目を細めて美咲を見やった。正樹も部屋から出てきた美咲を見ると一瞬目を見開いて見ていたがすぐにいつもの口調で声をかけてきた。
「馬子にも衣装だな、頑張れよ」と。
待ち合わせは小学校の時に毎日待ち合わせていた公園の前だった。最後の待ち合わせから五年が経っていた。家の門をくぐり、坂道を下って公園へと急いで向かった。公園の入り口近くに背の高い男の子がこっちのほうに向かって手を振っているのが見えた。和明だ。美咲は小走りに和明の側へと近づいていった。和明は茶色の綿パンをはき、細身のシャツをはおっただけの姿だったが最近は制服姿しか見てなかった美咲は整った和明の姿についみとれてしまった。反対に和明も美咲のいつもと違ういでたちに目を見開いて声を失っていた。リボンをあしらった女の子らしいブラウスに白いキュロットスカートが美咲によく映えている。いつも肩に下ろしている髪も上にまとめられてとても涼しげだ。和明は眩しそうに美咲に目を向けていた。
「和ちゃん、ごめん。待ったかな?」
「いや、俺も今来たとこだよ。…行こうか。」
二人は一瞬の後、ぎこちない会話を交わして駅へと向かって行った。
「美咲、何かいつもと違うから緊張するな。」
「おかしい?」
「いや、すごくかわいい。」
和明は視線をそらし少し頬を赤らめていた。それを見た美咲も胸の奥がかーっと熱くなってくるのを感じた。二人はぎこちなく視線を絡ませてお互いの瞳を覗き込んだ。
「和ちゃんもすごくかっこいいよ。いつの間にか背もすごく高くなったね。」
和明は美咲の言葉にはにかんで笑った。ぎこちなかった空気がやわらかくなっていく。二人の距離はだんだん近くなり、昔と同じ懐かしい雰囲気が心地よかった。
遊園地では二人ともはしゃいで遊びまわり、あっという間に時間が過ぎていく。お昼に二人でハンバーガーをかじりながら次はどの乗り物に乗るかと言い合いをしていた。その時、美咲は手前にあった飲み物を何気なく手にとって口をつけると、思ったのと違う味が口の中に広がっていく。オレンジジュースと思っていたのが、和明の頼んだアイスコーヒーだったのだ。美咲はびっくりしてカップを机に慌てて戻した。
「ご、ごめん。和ちゃんの間違って飲んじゃった。」
「いいよ、美咲のオレンジジュース返してもらうから。」
和明はなんでもないことのように反対のカップを手に取りストローに口をつける。美咲はあっけにとられてその様子に釘付けになった。間接キスだ・・・。美咲は見る見るうちに顔を赤くした。和明は美咲の顔を見て驚き自分の持っていたカップに視線を移してから慌てて言った。
「ごめん、嫌だったかな。新しいのもらってこようか?」
「う、ううん。違う、はじめに間違った私が悪いの。ごめん。」
慌てて謝る美咲を見て安心したのか和明はいたずらそうな眼差しを向けて美咲に言った。
「俺は得したかな。美咲と間接キス、ごちそうさま。」
「へ?・・か、和ちゃん!? 」
美咲はますます顔を赤くして、笑い続けている和明の腕をひっぱった。和明はためらいなく自分のカップのコーヒーを飲み干すと、
「今更だよ。昔はよく一緒のコップでジュース飲んでただろう。・・・さぁ、次ジェットコースター行こう。」
和明はさらっとなんでもないふうに美咲の手をとり次の乗り物へと導いた。
二人は次から次へと乗り物に乗って、あっという間に夕方を迎えていた。楽しい時間はすぐに経ってしまう。最後に観覧車から降りると二人とも満足そうに帰りの道へと向かっていた。久しぶりに思い切り遊んだ気がする。何か帰るのが惜しくなってきた。昔も五時になると家に帰らなければいけないと名残惜しく公園から帰った時のことが思い出される。あの時は正樹も一緒だったけど・・。家に続く坂道を和明と別れた後、いつも正樹と競争するように駆け上がった。今はまだ八月のせいか日はまだ高い。和明も美咲とおなじことを思い出しているのかもしれない。ふと美咲は和明の顔を見上げた。和明は美咲の視線を感じたのか笑って見下ろした。
「楽しかったな。今度は正樹も誘って来ようか。」
「うん、そうだね。」
二人はどちらともなく手を絡め、ゆっくりと家路を進んだ。別れが近くなり美咲はとても寂しい気持ちが迫ってくる。家は近いがクラブに勉強にと全力投球の和明はとても忙しい。今度会えるのはいつになるかと美咲は思いをめぐらせていた。ついこの間までは顔もろくに合わせなかったのが今ではこんなに距離が近い。離れていた時はなんとも思っていなかったのが、今では離れてしまうのがとても寂しく思ってしまう。美咲はつないでいた手に思わず力が入っていた。和明は美咲の気持ちを知ってか知らずか声のトーンを少し落として話した。
「美咲、俺来週からイギリスへ行ってくる。三週間は向こうにいてるから今度会えるの、新学期になってしまう。・・・ごめんな。」
和明は申し訳なさそうにつぶやいた。美咲は驚いて顔を上げたが心配そうに見ている和明を見てあわてて返事した。
「うん、わかった。気をつけて行ってきてね。おみやげはチョコレートがいいな。」
「ああ、わかったよ。美咲も勉強頑張ってな。俺も頑張って勉強するよ。」
「和ちゃんは頑張らなくてもできるでしょ。・・・私本当に頑張らないとやばいけど。」
「また、一緒に勉強しよう。」
「うん、ありがとう。」
二人は仲良く連れ立って家の近くまで帰ってきていた。和明と別れる坂道までたどり着き、そこでいつもと同じように別れを告げようとしたその時、後ろからクラクションが響いてきた。青い車の中から下りてきたサングラスをかけた男性が振り返った二人の前に立っている。和明は美咲を庇うように後ろへと追いやった。背の高い和明の背中から美咲は様子を伺うがサングラスのせいで顔がよく見えない。一体、誰だろう・・。二人は緊張したまま、言葉もなくその男性に視線を向けていた。一歩ずつ近づくその人がやっと声を発した。
「驚いたな、久しぶりに会ってこんな場面に遭遇するとは・・。」