第十三話 恋は難しい
和明は美咲に早く医者に行くように告げると、佐智子の夕食の誘いも断り帰っていった。正樹が手早く湿布をはってくれたおかげか美咲の足のはれもだいぶひいてきていた。和明とすごした数時間がまるで夢だったかと思うほど、いつもの日常の時間が流れていた。
「美咲、足はどう?お医者にいかなくてもいいの?」
「うん、大丈夫みたい。痛みも少しましになったわ。」
美咲は佐智子が夕食の用意をしている横でくつろぎ、さっきの和明との話を反芻していた。和明に好きな人がいると知ったのは、やはりショックなことだった。あれほど完璧な和明でも片思いをしているのかと恋愛の難しさを思う。好きな人に振り向いてもらえない切ない思いが美咲の心にもせまっていた。
「ただいま。」
正樹が帰り、美咲のそばへと近づいた、
「足,どうだ?明日学校は行けそうか?」
正樹は心配そうに足を見ている。美咲は正樹の顔をのぞきこみ返事した。
「だめ、歩けない。正樹が帰り送ってくれないからひどくなった。おんぶして二階まで連れて行って。」
「はぁ?和明が送ってくれたんだろう?歩けないのか?」
正樹は仕方なさそうにかがんで背中を向けた。美咲は正樹の背中をみてさっき自転車で送ってくれた和明の背中を思い出した。いつの間にか美咲と違い広い背中に成長している。男女の違いのなかった小さい頃に戻りたいとふと急に思った。
「私も男の子に生まれればよかったかな・・。そうしたら・・。」
「美咲、和明となんかあったのか?」
正樹はかがんでいた体を起こし、美咲の方に振り向いた。怪訝そうにみている正樹に美咲は笑いかけた。
「なんでもない。嘘だよ、歩ける。まだ少し痛いけど・・。それよりどうだった?」
「はぁ?なにが。」正樹はあきれた顔で美咲を見下ろしていた。
「何って、久子と一緒に図書室で勉強したんでしょ。どうだった?」
「・・お前、謀ったな。どうもないよ。明日の数学のテストの勉強しただけなんだから。」
「そっか・・。正樹は久子のこと嫌い?」
「なんでそうなるんだよ。別に好きも嫌いもない。今日はじめて会ったんだから。おまえなぁ、人のことより自分のこともう少し考えたほうがいいんじゃないか。」
「なに、それどういうこと?」
「和明と一緒に帰ったんだろう、どんな話をしたんだ?」
「どんなって・・、別に・・。久しぶりに一緒に帰るなって、で、家について私がピアノを弾いた後三人でお茶飲んで・・。ああ、和ちゃん春休みにお父さんのいるイギリスへ行ってきたんだって。いまでも英語ぺらぺらみたいだね。うらやましいなぁ。」
「それで?」
「ん?それでって・・、何?」
「他には何か言わなかったのか?」
「・・・。勉強教えてもらった。いつでも聞きに来いって・・和ちゃん、すごく好きな人がいるみたい。和ちゃんなら選り取り見どりだろうに片思いみたいだった。」
美咲は少し声のトーンを落として正樹に話した。正樹は大きなため息をついていた。
「おまえ、本当にわかってないんだな。今度の土曜、バスケの試合の助っ人に出るから応援に来てくれ。何なら森野さんも一緒に誘って。」
美咲は反論しようとしたが正樹のいつもと違う強い口調に押されて、うなづくしか出来なかった。
夕飯時、久しぶりに和明が家に来たと母の佐智子が嬉しそうに正樹に話していた。正樹より背も高いし、頭もいいし、かっこいいと好き放題言っている母親に苦笑しながら、正樹が本当のことだとうなづいていた。その後、また遊びに来るように誘ってくれと正樹に何度も言っていた。その隣で口数少なく夕飯を食べていた美咲はびっこをひきながら早々に部屋へと引き揚げた。
机の上にさっき教えてもらった数学のノートを広げてみた。和明が書いた少し癖のある整った文字が目に入ってくる。難しい公式も教科書を見ずにそらで書いていた和明の聡明さに思わずため息が出てくる。誰なんだろう・・。どんな素敵な女性が和明の心を捉えたんだろう。美咲は和明の澄んだ瞳を思い出した。あのまっすぐな視線が自分以外の人に注がれるのかとひどく落ち込んでいた。けれども、久しぶりに一緒に帰った学校からの帰り道は本当に幸せだった。もう二度とない、つかの間の時だったとしても美咲にとっては十分だった。足の怪我は痛かったが、今日は特別な日だったと美咲はゆっくりと思い返していた。