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第十一話 自転車に乗って

美咲はびっこをひいて和明につかまりながらやっと自転車のところへたどり着いた。自転車の荷台に横座りし、和明の制服の端をつかんだ。昔と違った広い背中がすぐ目の前にあり、離れていた年月がひどく長いものであるように感じる。


「しっかり持っていてくれよ。」


「わかった。」


美咲は遠慮がちにつかんでいた手を大きくしてしっかりと掴みなおした。自転車は静かに滑り出し二人はいつも電車から眺めていた道をゆっくりと北に進んでいった。車の多い国道からそれて河川敷の道を進んでいた。五月のさわやかな風がふたりを包んでいる。


「和ちゃん、久しぶりだね。自転車の二人乗りなんて・・。学校の女の子が見たら私、明日の放課後絶対呼び出しだね。」


「本当だな。小さい頃はよく後ろに美咲を乗せてたけど。でも・・」


「でも?」


背中越しに話しているのでどんな顔をしているのかわからないが、ふたりとも気分が浮き立っていた。


「美咲も昔と違って重くなったなあと思って、ははは。」


「もう、ひどいんだから。」


美咲は和明の背中をたたいた。自転車がその拍子に少し傾いた。


「こ、こら。美咲、またひっくり返るぞ。」


和明はあわてて体勢を立て直した。家が近づくにつれ、見慣れた景色が見えてきた。昔三人でよく遊んだ公園もこんなに小さかったかと思った。自分たちが大きくなっただけで周りはなにも変わっていない。いや、美咲自身も和明も何も変わっていないと思いたかった。昨日まで顔も合わさず遠い存在だった和明が今では信じられないほど近くにいた。まだ夢の中にいるような感覚がしている。


家にあっという間に到着してしまった。美咲はもっと和明と一緒にいたかったが仕方がない。

足を引きずりながら玄関を開けるとちょうど母親の佐智子が出てきた。


「あら、どうしたの?」


佐智子はびっくりした顔で美咲の顔をのぞきこんだ。またその隣にいる和明を見てさらに目を瞠った。


「バレーボール大会で転んで捻挫しちゃった。和ちゃんが家まで自転車で送ってくれたの。」


美咲は申し訳なさそうに和明を見上げた。


「まあ、和ちゃんありがとう。本当に久しぶりね、こんなに大きくなって。正樹にたまに話しは聞いてたんだけど・・。さあ、ふたりとも早くあがって。お茶でも淹れるわ。」


佐智子はあわてて奥に入っていった。


「和ちゃん、どうぞあがってって。」


和明は一瞬ためらったが、美咲に伴って部屋の奥へと進んだ。何年も足を踏み入れてなかったが、昔のままの間取りでとても懐かしい空気が和明を歓迎してくれた。広い客間に通された和明は昔と同じように置かれているピアノに目がいった。今はいない美咲の祖父のバイオリンの音まで聞こえてきそうなくらい何もかもが昔のままだった。


「美咲、ピアノを弾いてくれないか。ずっと・・ずっと美咲のピアノが聴きたかったんだ。」


和明のまっすぐの視線から目がそらせない。美咲は困った顔をして両手の指を組んだ。


「私、最近全然練習してないの。高校に入ってから下手くそな弓道に時間をとられて・・。」


美咲はこの間、道場で和明に言われたせりふを思い出し、恨めしそうに和明を見上げた。和明も同じことを思い出したのかばつが悪そうに頭をかいた。


「あの時は悪かったよ。でも、下手くそでもいいんだ。弾いてくれないか。」


美咲はしぶしぶピアノのふたを開けた。いつからだろう、本当に久しぶりの気がする。美咲は昔よく弾いていたエルガーの「愛の挨拶」を弾き始めた。指が覚えているのか自然と懐かしいメロディーが流れていく。やさしかった祖父母もすぐそばで聞いているような感覚にとらわれた。長い間二人の間を阻んでいた壁が一瞬のうちにとりはらわれた。甘く切ないメロディーが二人の心に染み渡っていき、その瞬間はまさしくふたりだけのものだった。曲が終わってもその余韻から抜け出せずに二人は声を出さず座り込んでいた。佐智子がお盆に紅茶とクッキーをのせて部屋に入ってきた。


「お待たせ。ダージリンでよかったかしら。美咲、ピアノ弾いたの久しぶりね。またはじめてみたらどう?受験だからって中学の時に辞めちゃったから。でも本当に和ちゃんか゛うちに来るのも久しぶりね。昔は毎日のように三人で走り回っていたのに・・。あら、もしかしてあなたたち・・。」


佐智子は二人の顔を見比べた。二人とも佐智子の言葉の意味がわからずきょとんとしている。

一瞬の後、和明は察したのか顔を赤くして否定した。


「ち、違います。そんなんじゃなくて・・。」


「いいのよ、隠さなくても。小さい頃は本当に仲がよかったものね。和ちゃん、この子頼りないけど我慢して大目にみてやってね。和ちゃんが家に来なくなって本当に寂しそうにしてたのよ。」


佐智子はうれしそうに二人を眺めている。美咲もやっと母親のいったことの意味を理解してひどく否定した。


「お母さん、何言ってるのよ。そんなわけないじゃない。私が怪我したから仕方なく家まで送ってくれたのよ。そんなこと、和ちゃんに失礼じゃない。和ちゃんが私なんか相手にするわけないでしょ。ねぇ。」


美咲は和明にあわてて同意を求めるように顔を向けた。しかし、和明は傷ついたような目を向けるだけでなにも返事をしなかった。とても仲よさそうに帰ってきた二人の姿はどこにもなく、よそよそしい雰囲気が漂っている。佐智子は自分の言ったことが失言だったと気づいて、あわてて話題を変えた。



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