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第9節 異変
◇Fia Side
 ふと、夜中に目が覚めた。
――何かが、来る。
 辺りは月明かりが照らし出していた。

 見慣れた天井。
 ここへ運ばれて来てから、どのくらいになっただろう? もうひと月近いだろうか?
 考えたことのないほどの、幸せ。
 だがそれは……今日までかもしれない。

 つ、と涙がこぼれた。
 何も要らなかった。今のままでじゅうぶんだった。なのになぜ、たったそれだけのことが、許されないのだろう?
 鎧戸の隙間から入り込む風が告げる。“それ”が来るのだと。

 同じベッドの中、隣にはニールの姿があった。
 自分が連れて来られてからしばらく、ニールは自分のベッドは明け渡して、その辺の床で寝ていた。
 だがどうしても1人で寝ているのが怖くて怖くて、動けるようになってからはつい彼の毛布に潜り込んでしまい、今は2人で一緒だ。

――こうやって隣でしがみついて、眠れるだけで良かったのに。
 なのに、それさえも……。
 ひとつため息をついて、彼をそっと揺り起こそうとして、驚く。

「なんだ、お前も目、覚めたのか」
 寝ぼけているのではない。ニールはもう、はっきりと目を覚ましていた。
「悪りぃけど、起きて支度してくれるか? 俺、姉貴起こして――」
 言いかけた言葉が途切れたのは、姉のイルゼが部屋に姿を見せたからだ。

「ニール、起きてる?」
 彼女はもう、すぐにでも出かけられる格好だった。
「――姉貴さすがだな。
 フィアももう起きてっから、すぐ動けると思う」
「良かった。貴重品まとめておいたから、半分持っててね。あたし、おばさん起こしてくるから」

 誰も、どうして、などと訊かない。
 訊く必要などなかった。それはもう……すぐそこだ。
 悪しきもの。忌むべきもの。
 逃げた方がいい、そう本能が告げている。

「どうせ荷物なんて、大してないしなぁ。鍋惜しいけど。
 あーフィア、これ持つか? お守りにしかなんないかもだけど」
 そう言って彼が差し出したのは、きれいな装飾が施された短刀だった。
 確かに、お守りにしかならないかもしれない。

「刃見せるだけでさ、ビビるヤツけっこういるし。
 つか、俺から絶対離れるなよ? はぐれたら最後、何されるかわかんねえから」
「……うん」
 答えながらフィアは、違うことを恐れていた。

――何かが、自分の中で牙をむこうとしている。
 仮面を投げ捨て、本来の姿を現そうとしている。

 自分が何者なのか分からない恐怖。
 あのまま助からず、路地裏で朽ちたほうが良かったかもしれない。一瞬浮かんだそんな思いを、フィアは振り払った。
 目の前に立つ、彼を見上げる。

「どした?」
「ううん……なんでも、ない」

 それはただの、偶然だったのだろう。ほんの少し何かが違えば、あの路地裏で出会うことさえなかったはずだ。
 だが奇跡は起こり、自分はいまこうしている。
――それなら。

 これから何が起こるか、フィアは漠然とだが感じ取っていた。
 ああ見えてニールは、剣が使える。深夜や早朝、剣の稽古をしているのを、フィアは知っていた。「離れるな」という言葉は嘘ではない。
 だがそれでも、対処しきれないだろう。来るのは……そういうものだ。
 だからフィアは自分に誓う。この内なる恐ろしいものを、彼を守るために使おうと。

 隣が騒がしくなって、イルゼが部屋へ戻ってきた。
「一応起こしたんだけど、おばさんまだ時間がかかりそうね……。何がどうなってるのか分からないから、仕方ないんだけど」
「――俺、ちと行って説明してくる」
 入れ替わりにニールが出て行き、女性2人が残された。

「フィアちゃん、急に起こして悪かったけど、大丈夫?」
「あ、はい。目が覚めてましたから……」
 あら、と彼女が小さく声をあげた。
「すごいわね、ちゃんと気がつくなんて。
 でもこれからが本番だから、気をつけてね」
「はい」

 隣からは、まだ動く気配が感じられない。
 危ない、と思った。本当にもう、時間がない。同じ事を感じているのだろう、イルゼも焦り始める。
「まったくもう、2人とも何やってるのかしら」

 と、外でどぉんと言う何かが爆発したような音と、たくさんの悲鳴とが上がった。
「来た、ってワケね」
 ひ弱で線が細いとばかり思っていたイルゼの雰囲気が、一変する。それまでまどろんでいた野生の肉食獣が、目を覚ましたようだった。
 病弱ゆえに体力は続かないだろうが、その点は子供のフィアも同じだ。だがどちらも、見かけに騙されて手を出せば、痛い目に遭うだろう。
 2人の視線が交錯して、互いに相手が助けを必要としないことを確認する。

「にしても、遅いわね。これじゃ逃げ遅れかねないじゃない」
 気が急いて待ちきれなくなったころ、ようやく隣でドアの開く音がした。
 こちらもすぐに外へ出る。
 抜け目のない表情を見せるニールと、大変なことが起こったことだけは理解したらしい、怯えた隣人とがいた。

「姉貴、どこ回る?」
「先生のところしかないと思うけど」
 先生と言うのは、あのいつも来ている医者の先生だろう。ここからは遠くないらしいが、フィアは実際に行った事はなかった。
「やっべ、来てる。行くぞ」
 ニールに手を引かれて階段を駆け下りる。

――阿鼻叫喚。
 一目見て凶暴さが分かる大きな魔物たちが、貧民街のそこかしこで暴れていた。

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手のひらの上 筆者の童話(?)短編です。
メジロと女の子 筆者のムーンチャイルド用短編作品です。

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