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第3節
 中から姉貴の声と、もうひとり別の人の声。
「どうしたんだ、ニール。いつに無く慌てて」
 開いたドアから顔を出したのは姉貴じゃなくて、いつも姉貴を診てるドクターだった。ちょうど往診中だったらしい。

 んで当然ながらドクター、俺の腕の中を見て血相変える。
「すぐ寝かせて」
 俺ももちろんそのつもりだったから、そっとこの子を俺のベッドに下ろした。

「いったい、どこで?」
「向こうのパン屋の奥手。捨てられてた」
 俺から様子を聞きながら、ドクターが手際よくこの子を診てく。
「まずいな、かなり衰弱してる」
「可哀想に……」
 姉貴も起きてきた。

「姉貴、寝てなって」
 風邪もひかなきゃ腹も壊したことない俺と違って、姉貴は昔から線が細くて身体が弱かった。ただ幸い、一昨年死んだ親父やお袋――こっちは俺がガキの頃――がそれなり蓄え残してくれてて、その分で姉貴の薬代が賄えてる。

――まぁ、格安ってのもあるけど。

 いつも診てくれてる没落貴族のドクター、若いのに腕も人柄も良くて、貧乏人の俺たちから見ると神様みたいな人だ。
 もっともそれ差し引いても姉貴への往診が、多い上に安かったりタダだったりするのは、他にワケがありそうな気はする。

――どうせなら、姉貴持ってってくんねぇかな?
 弟の俺としちゃ、医者と一緒になってくれた方が、姉貴のためにもいいと思う。
 ただ、歳がけっこう離れてるからなぁ……。

 姉貴は18、ドクターは確か30くらい。
 こんないい人がなんでこの歳まで独り身なのかは、俺も良く知らない。
 それに人が良すぎてドクター、自身も町外れの屋敷で、小間使いもいない貧乏暮らしだったりする。
 まぁ俺らもその辺は立派な貧乏だから、どうってことないけど。

 姉貴の方も見てると、けっこうドクターの事意識はしてる。
 ただこっちも歳が離れてるのと、自分が弱いのを気にかけてた。実際、今だってちょっとでも何かすると倒れるから、好きな刺繍とか編み物以外は一切させないくらいだ。
 てか、それさえ最近は弱ってきて、だんだんペースが落ちてきてるし……。

 あんまし考えたくないけど、姉貴も先は長くなさそうだった。
 でも、目の前のこの子ほどひどくない。

「どうです?」
「今日か明日が峠だろう。暖かくして、飲めそうなら暖かいものを飲ませてやりなさい」
 つまりは、息を引き取るまで看てるしかないってことだ。
 それでもまぁ……あの場所であのまま逝くよりマシだろう、そう思いなおす。

 2人分診てもらったから、その分いつもより多くお金を渡そうとしたけど、ドクターは受け取らなかった。
「あの子には、何もしてないからね……」
 そういうことらしい。

「何かあったら、すぐ呼びに来るんだ。夜中でも構わないから」
「はい」
 それからドアのところで姉貴となんかやり取りしてから、ドクターは出て行った。
 姉貴がこっちへ戻ってくる。

「やっぱり、無理そう?」
「普通にムリだと思う」
 ここまで弱ってるんじゃ、食べ物も喉を通るかどうか。そもそも、目を覚ますかどうかも怪しい。
 で、当たり前だけど食べられなきゃ終わりだ。

「ちょっと隣から、スープもらってくる。つゆなら飲めるかもだし」
 隣の部屋は、中年のおばさんが独り暮らしだった。話じゃ3年前の流行り病で、旦那も子供もいっぺんに全員亡くしたらしい。そのせいか、そのあと隣に越してきた俺たちを、まるで実の子供みたいに可愛がってくれてる。
 最近じゃ寝てるほうが多い姉貴を置いて出かけられるのも、実言うとこのおばさんのおかげだ。

 手先が器用なおばさんは、昼間出かけずに家で刺繍や編み物をして、それを売って生計立ててた。俺も時々見せてもらうけど、すごい細かくて綺麗なのを作る。
 で、時々隣の姉貴の様子を見にきてくれるうえ、自分のと一緒に俺らのスープなんかを毎日作ってくれてた。
――申し訳ないから、毎月ちゃんと食費は渡してるけど。
 ともかくそのおかげで、パンとミルクとチーズさえ買って帰れば、あとは夕食にありつける寸法だ。

「お湯、沸かした方がいいかしら?」
「やめろって。こないだかまどの火吹いてるうちに、ひっくり返ったろ? あとで俺がやるって」
 あの時は2日寝込まれた。倒れた時に火傷しなかったのが幸いだ。
 そんなこと騒いでたら、ドアを叩く音がして隣のおばさんが入ってきた。

「ニール、帰ったのかい?
 スープ持ってきたから、早くお食べ。今日は野菜とソーセージだよ」
 言いながら台所でスープを移す音が聞こえた後、おばさんがこっちの部屋へ来た。
「ほら、奥になんかこもってないで――どうしたんだい、この子?」
「死に掛けて捨てられてたから、拾ってきたんです」
「なんだって!」
 おばさん慌てて、この子の看病始める。

「可哀想に、こんなになるほど放って置かれて。ニール、すぐお湯沸かしとくれ」
「ほい」
 と、この子が目を開けた。バタバタうるさくしたのが、マズかったらしい。
「ゴメンな、起こして。今お湯沸かして、スープ持ってきてやっから」

 透き通った、でも焦点の合わない瞳が、こっちを向く。
 そして、涙がこぼれた。
「お、おい、泣くなって」
 思わずそう言ったけど、こいつが泣きたくなる気持ちはよく分かった。
 だから、それ以上言わずに頭を撫でてやる。
 それから、訊ねた。

「名前、言えるか?」

 今訊いとかないと、最後までわからずじまいになりそうで、無理を承知で訊いた。
 こいつの唇がかすかに動く。けど、聞き取れない。
 耳を寄せる。
「……フィ……ア……」
 切れ切れにそう聞こえて、俺は訊き返した。

「フィア、でいいのか?」
 そうだと、こいつが僅かに微笑む。
「そか。フィアか。
 ここにいて、いいからな。ずっと」
 フィアがまた、泣き出した。

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手のひらの上 筆者の童話(?)短編です。
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