第18節
◇Ilze side
ニールの傷は深かった。医務官が手当てしてくれたおかげで生きてはいるが、予断を許さない状況だ。
「ニール……」
そっと触れる。
弟は、眠り続けたままだ。もしかしたら二度と、目覚めないかもしれない。
手にはあのペンダントを、握り締めたままだった。最初取ろうとしたのだが、どうしても放そうとせず、諦めた。
なぜこんなことに、と思う。
フィアが悪いわけではない。むしろ、可哀想な子だ。得体の知れない部分はたしかにあったが、それを誇示するでもなく、ただふつうに暮らせることをあの子は喜んでいた。
そのフィアを可愛がっていたニールが、とっさに前へ出たことも、責められることではない。誰でも身内や大切な友人が連れ去られそうになれば、ああするだろう。
けっきょく自分たちのような者は、泣き寝入りするしかないのだ。あの白鎧の仕打ちにも、フィアを連れて行かれたことにも、意を唱えること自体が許されない。
それどころか、自分たちは破格に恵まれているほうだろう。ふつうの者ならこんなことになっても、手当てもしてもらえなければ医者にかかることもない。そのまま野垂れ死ぬのがオチだ。
運良く上層に生まれないかぎり、そういうものだった。
「様子はどうだい?」
呼び出されて、仕方なく町へ出ていたドクターが、戻ってきた。
「おかえりなさい。ニールは……相変わらず」
上手く言葉にならない。
ドクターは外套をかけると、手際よく弟の傷を診始めた。
「傷そのものは、それほどでもないんだが。熱も持っていないし。ただ、かなり血を失くしたからね」
実際はもっと酷いはずなのだが、気遣ってそう言ってくれているのだろう。いくら素人のイルゼとはいえ、そのくらいのことはさすがに分かる。
「やっぱりもう、ムリかしら」
彼女の言葉に、ドクターがはっとした表情を見せた。状況を理解していることに、気づいたらしい。
「この子に、何もしてやれてないの……」
父親も亡くなり身寄りがなくなってからは、この弟が働いて支えてくれた。
寝込みがちな自分と違い、弟は病気ひとつしたことがないほど丈夫だ。身体も年より大きく、年齢を偽って働いていた。両親の残してくれたお金を、たいして使わずにやってこれたのは、すべてニールのおかげだ。
だから彼が、連れてきたフィアに惹かれてると気づいたとき、イルゼは一も二もなく賛成だった。いつまで生きられるか分からない姉などより、違うものを見て欲しかったのだ。
なのに……こんな結果になるとは。
「死んだら、どうしよう」
「大丈夫、死なせないよ」
言葉の強さに驚いて、イルゼは顔を上げた。
「きみの大事な弟を、死なせたりしない。それに万が一働けなくなっても、ここに居ればいい」
「え……」
言われた言葉を理解して飲み込むまでに、時間がかかった。
「でも、それじゃ、ドクターが」
「構わないさ。ただ、見てのとおり贅沢ができないけどね」
視線が合う。
だがそのとき、ドアが叩かれた。
先日の件を思い出して、思わずイルゼは身を硬くする。
ドクターが用心深くドアに寄り、返事をした。
「どなたです?」
「旅の者です。武器は持っていますが、使うつもりはありません」
言葉に続いて、金属の触れ合う音がした。ドクターが小さな覗き窓から、外の様子を確かめる。
「武器を手放してるな。敵対する気はなさそうだ」
「でも、隠してたら」
自分でも疑いすぎだとは思うが、心の底からは信用できなかった。これ以上、何かあってほしくない。
「ドア越しでも構いませんので、お話を聞かせていただけませんか?」
これには驚く。
「何かする気は、本当になさそうだね」
「ええ」
荒っぽい用事なら、ドア越しということはさすがにないだろう。
もういちどドクターが覗き窓から外を見る。が、次の瞬間彼は大きくドアを開けた。
「ドクター?」
イルゼの困惑をよそに、彼はおもてへ歩み出る。
「そこの魔法医のかた、お願いです。こちらに重体の患者がいるのですが、診ていただけませんか?」
言葉を失う。医者が医者に頼むなど、前代未聞だ。自分の腕が足りないと、言うに等しいのだから。
逆に言うならそんなプライドを捨ててでも、ニールを助けようとしている、ということだった。
「お礼でしたら、何とかします。ですので、お願いしたいのですが」
「お礼などは要りません。我々に話を聞かせていただければ十分です。あとできれば、全員中へ入れていただければ」
一瞬ドクターが考え込んだが、すぐに彼は答えた。
「分かりました、みなさまどうぞお入りください」
この言葉に、一行のリーダーらしき人物が目配せし、後ろのほうから魔法医が歩み出る。
「患者はどちらに?」
「この奥です。剣で急所ぎりぎりを突かれて、かなり失血しています。あとは魔法しか手がありません」
二人が話しながら、奥へと消えた。

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