イエスの遺伝子
今回は、聖なる人の出自や育ちに疑問を投げかける理論の話。
以下の文章は、断片的な情報の組み合わせで結論急いでいるから、間違いもあるかもよ。
20世紀後半に、この原理主義に反発する、・・・言葉難しいけど、疑問を投げかける考えがたくさん発表されたんだ。
たとえば、キリストの性別についてね。男性はXY両方の遺伝子を持ってるの、だけど女性はXXしかないの。だから、処女懐胎で産まれた場合、女性しか産まれるはずがないわけね。
突然変異で、XYをもつ女性もいる。だけど、マリアは僕達と同じ立場生まれで、特殊な存在じゃないわけ。敬虔な人だったから、神に選ばれた。特殊な存在では困るわけだ。
産まれながらに特殊な人ではなくても、救われるし、偉大な人たちの生き方をなぞれば、偉大な人に近づけるという考えに水を指すことになるでしょ?
平民階級に特にうけいれられた。それも、時代の流れとして虐げられた女性にうけいれられたのは、こういった平凡さを否定しない、むしろ希望を持たせる考えが根っこにあったとんだとおもう。
こんなのもある。CGの羊は、偶像崇拝になるのか。
脳の記憶を、ハードディスクと同じに考える。(なんか怖いけど)。攻殻機動隊の言い回しだと、「外部記憶装置としての電脳」と考えた場合だね。
記憶から頭の中に描く羊と、データから呼び起こした羊は同じじゃないか? って違いはどこにあるのか。ディスプレイに移さなくても、データそのものが問題なら、記憶すること自体が問題じゃないのか?
像を彫ることと、バーチャル空間を電影として移すことと、記憶やデータのどこにモーセの十戒は触れているの? っていう問いかけになるのかな。皆さんはどう思います?