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先生 だっこ!

作者:齋藤 一明
 二時間目が終わって、今日の課業は実習を残すばかり。手早く実習服に着替えた私は、同じ班の上総と並んで実習棟へと急いでいた。
 私の教室は三階にある。一階や二階と違うのは、教室の前が広いテラスになっていることだ。特別な部屋がない三階と四階は、教室と狭いベランダだけしか場所をとっていないので、二階の屋上部分が大きなテラスになっている。授業中に脇見をしようにも、テラスが邪魔になって運動場が見えないのが難点だが、なにしろ窓から出入り自由だし、休憩時間の気晴らしには最高の場所だ。
 そこから実習棟へは、空中廊下で行くこともできるのだが、下足に履き替えなければいけないから、中央階段を使わねばならなかった。
 そうしてテラスを歩いているときに、今までお喋りしていた上総が急に叫んだのだ。
 ダッシュで駆け出す上総を目で追うと、男子生徒とふざける図抜けて背の高い先生がいた。
「だっこ、だっこ」
 上総に気付いた先生がのっそりと上総を向いた。そして手を大きく広げる。上総は、躊躇せずにそこに抱きついていった。呆気にとられた男子が羨ましそうにするのを見て、先生はニタリといやらしい笑みをこぼす。どうやら年甲斐もなく生徒と競い合いをしている様子で、一歩先を悠々と歩いているということをみせつけようという魂胆があるようだ。

 それは見慣れた光景には違いない。先生と生徒のイヤラシイ関係ではないこともわかっている。だけど、正直ムッとする。どうやら男子も同じことを考えるようで、あからさまに嫌な顔をした。

「先生、だっこ!」
 先生が上総の背を抱きしめているとき、私の真横で元気な声がした。
 ダダダッと駆け寄ったのは三人。背の低い小太りから、すらっとした長身まで、いろんな体型だ。それが先生と一歩の距離をおいて、つんのめるように止まった。
「先輩、交代してください」
 ぞくっとするような冷たい声だった。背丈はさほどでもないが、特に幼い顔立ちの生徒が上総に立ちはだかったのだ。すでに先生に抱きついている上級生に対し、挑発的な態度である。
 ギリギリと首を捻った上総の目がそれを捉えると、異様な光を迸らせたようにぎらついた。
「下級生は遠慮しなさい。まだ二秒か三秒しか経っていないんだから。ジャンケンして順番を決めなさい」
 押しかぶせるような言い方だ。先生に抱きつくという破廉恥なことをするのは、演劇部員しかいない。上総はその部長なのだから、言葉も厳しくなった。
「だけど、学校にいる間中が練習だと先生が言ってたし」
 一番背の高い生徒が忌々しそうに呟いた。
「ちょっと、あんた名前は? 二年生じゃないよね、一年生だよね。まさか、私を知らないとか言わないよね」
 さっさと交代してやればいいのに、上総は意地悪く睨みつけた。
「二年生の水無月部長です。それくらい知っています」
「名前は!」
 ひっしと抱きついたまま、上総が鋭い声をあげた。
「な、なつです。まつもと……なつ」
 浮かれていた三人がとたんにおとなしくなった。校内にいる時なら、いつでも練習台になるという暗黙の了解が演劇部にはあるらしい。当然のようにそれを求めただけなのに叱られて、三人は笑顔を消してしまった。

「上総! 一年生相手に威嚇するんじゃないよ。早く行かないと、男子と組まされたら嫌だからさぁ、先に行くよ」
 言い捨てて中央階段に差し掛かると、今日の実習内容に気付いた上総が顔を真っ赤にして駆けてきた。
「待ってよ、先に行かないでよ。今日の実習ってさぁ」
 階段を下りながらパラパラとノートを繰った。
「ちょっと、嫌だよあたし。男子とペアになるの、絶対にいや」
 目尻をぐぐっと上げて口を一文字に結んだ。

 上総が嫌だと言ったわけは……、実習の内容にあった。
 私が通う学校は、工業高校だ。機械や電気、化学、デザインなどの専門分野に分かれて勉強するのだが、私と上総が籍をおいているのは救助を中心に学ぶ科だ。そんな特殊な科目を教える学校は、日本中見渡したってこの学校だけだろう。そんなこともあって、生徒は全国から集まっていて、自宅から通学している者は全校で十人もいない。
 国立大学の付属工業高等学校という位置づけだからか、持ち上がりで大学へ進むことができる。特に救助を学ぶ者は、ほとんどが消防士や救急救命士になるので大学でより学ばねばならないのだ。そのかわり、就職率は完璧に百パアである。
 おっと、つい余計なことを話してしまった。実習内容だった。

 今日の実習は、蘇生術だ。人工呼吸に心臓マッサージ。別に互いの生身で練習するわけではないのだから毛嫌いしなくても良さそうなのに、上総は頬を粟立てて太い吐息をついた。
「別にいいじゃない、男子とほとんど同じ体型なんだから」
 何気なく呟いた瞬間、頭に堅い衝撃を受けた。
 カコーン
「痛ったいなあ、嘘言ってないんだから怒るな」
 カンカンッ
 こんどは二発続けざまだ。頭の皮はなんの役にもたたず、上総と違ってチョンチョンに髪を短くしているから、テキメンに骨に響いてくる。悪いことに頭蓋骨は釣鐘のようにゴワンゴワンと響くのだ。
「痛いって。本当のこと言って、どうして叩かれるのよ」
 階段を降りきったところに下足箱が並んでいる。まだジーンと痛む頭をさすりながら、私は運動靴に履き替えた。
 屈めていた腰を伸ばすと、唇をぎりっと噛んだ上総がそこにいた。
「私がペッタンコだって? 冗談じゃないよ、締め付けて小さく見せてるだけなんだから」
 言うなり胸ボタンを外すと肩口を見せた。
「なに。マスキングテープ貼ってブラ紐に見せてるの? だめだよ、みっともないから。いまさら見栄張らなくてもいいんだよ」
 脊髄反射で言ってしまって、私はその重大性にあらためて気付いた。正面に立つ上総が、すでにテキストを振り上げているのだ。次の瞬間、鮮やかな面撃ちが襲ってきた。
 こういう状況になったとき、実習で学んだことが活かされるのが工業高校の強みだ。しかも、高所作業の実習で落下物を避けることが身についていた。
 私は足を横に揃えて立つことがない。いつも前後に開いて立つようにしている。それは、今のように落下物があったとき、後ろの膝を緩めるだけでかわすことができるからだ。ほんの五センチでもかわせば怪我をしない。それに、後ろの膝を緩めると、その分だけ体を捻ることにもなる。が、敵もさるもの、頭が退がることを見越して腕を伸ばしてきた。
 目の前をすれすれで通り過ぎたテキストは、恨みの最後っ屁を私の胸に炸裂させた。
「痛いっていうの。目の仇にするけどねぇ、普通の店で売ってないんだよ、私のサイズ」
「なによ、勝ち誇った顔して。この前の実習ねぇ、高橋のやつダミーの胸さわってたんだよ。摘んだり、揉んだりだよ。信じられないよ。それに、私の次に人工呼吸やったじゃない。あいつ、唇ベロベロ舐めてるんだもの、気味が悪くって」
 口の中に砂粒でも入っているような顔つきで言った。でも、私は知っている。あの時高橋はリップクリームを塗ったばかりだったのを。ガーゼが唇に貼りつくのが嫌で舐めていたのだろう。
「気のせいだって。あいつリップ塗ったばかりだから、ベタベタしてて気持ち悪かったんだよ。案外多いそうだよ、ロリ体型が好きな男子。大きいのも辛いんだよ、走ったらボヨンボヨンするし。あんた良いじゃん。長距離も短距離も自由自在で」
「テメエ……、赦さん」
 始業のチャイムに追われるように、私は実習棟へと駆け出した。


 放課後のことである。いつものように部活の準備をしているときだった。授業以外では犬舎に近寄ろうとしない上総が、珍しく訪ねてきた。演劇部は普段どこで練習をしているのか、謎の多いクラブだ。『だっこ』などということをしょっちゅうしているくせに、練習場所が決まっていないのだ。だいたい、『だっこ』なるものを採用した顧問の良識を疑いたくなる。なんでも、福岡の飯塚にある高校に在学中に演劇に目覚めたそうなのだが、当時の顧問だったなんとか黒土という人の薫陶を受けたそうだ。その人が、『だっこ』で部員の羞恥心を取り除いたとか。それを忠実に守っているのだ。
「亜矢ぁ、頼みがあるんだけど」
 上総にしてはしおらしい態度だ。
「次の演目でね、救助犬を使わなきゃいけないんだけど、貸してくれないかなぁ」
「学校の犬を借りればいいじゃない」
 意地悪をするつもりはないのだが、二つ返事でいいよと言えないのだ。
「それがさぁ、なるべく大きいほうが見栄えがするから。学校の犬って、中型ばっかりじゃん」
「そんなことないよ、黒ラブがいるし」
 私の犬より大人しいし、訓練もされている。どうせならそっちのほうが都合がいいはずだ。
「だからさぁ、見栄えがねぇ。あんたの犬ならバッチリだし」
 私は二頭の犬を飼っている。そのどっちのことを言っているのだろうか。そんなことより練習の準備をすることが先だ。私はリヤカーに蛇腹を積んで訓練場へ向かった。

「ねぇ、それって空調のダクトみたいだけど、何にするの?」
 リヤカーを押すわけでもなく、荷物をあれこれ弄ってはどうでもいいことを訊ねるばかり。なのにずっと付いてくる。
「犬ってね、狭いところを怖がるの。それに慣らさないと救助犬になれないでしょ」
「なるほどね。ふぅん、それで訓練してるんだ」
 授業で救助犬のことを習ったのだから知らないはずはないのだが、授業で使う犬は訓練されているのでどの犬でも言うことをきくと思っているのだろう。けど、私の犬は一筋縄ではいかないのだ。
「上総さぁ、私の犬だけど、私の命令しかきかないよ」
 一から十まで説明するのは面倒なので、遠回しに断ったのだが、そんなくらいで引き下がるような奴ではなかった。
「大丈夫だって。私だって扱いくらい知ってるから、ちゃんとコントロールするから。だからさぁ、お願いだから貸してよ」
 情けなさそうな顔で手を合わせられると、無下に断れなくなってしまう。
「だいたいさぁ、どうして部長がそんなことでアタフタするわけ? どうせ見栄張ったんでしょう」
 そんなところではないかとカマをかけてみると、えへへと頭を掻くのが憎めない。

 今日の演劇部の稽古場は、学校の山だそうだ。山といっても、校舎のすぐ裏で、林業科の実習林だ。工業高校なのに林業科があることを不思議に思ってはいけない。救助科があるくらいだから別におかしくはないのだ。たしかに実習林なら大声を出しても迷惑にならないし、斜面を上がったり降りたりするだけで体力もつく。教室だけではできない練習を、上総なりに考えているのがよくわかった。

「ちょっと、土砂崩れの場面なんだからさぁ、笑う場じゃないよ。大木がぶつかってきたら笑ってられる? 真面目にやってよね!」
 上総が厳しい声をとばしていた。

「よっ、お待たせ」
 いきなりでは驚くだろうと、ずいぶん前から声をかけていたのに、指導に熱中している上総は台本をメガホンにして声を嗄らしていた。結局、肩を叩くまで気付かなかったのだが、部員は動きを止めていた。なにせ、普通に立つだけでも私の腰より高いところで大きな頭を振りたてている犬を連れているのだから。
「あっ、悪いねぇ。当然だけど、ちゃんと躾けてあるよね」
 強ばった顔で強がりを言いながら、上総はジリジリ後ずさっていた。
「あったりまえじゃない。あぁ、逃げると追うよ、犬って」
「わ、わかってるよ、それぐらい」
 私を盾にするように犬を窺った。そんなことをしてみたって、犬から上総は丸見えのはずだ。でも、ピクリとも動かない犬に安心したのか、私の真横に立つだけの余裕を取り戻した。
「ハンドラー役、誰だった? あっ、あんた達か」
 もじもじと手を挙げたのは、例の抱っこ事件の二人だった。『なつ』という生徒はデザイン科だそうで、家庭犬くらいしか経験がないらしい。とはいえ、背が高いので、ボクサーのような大型犬がよく似合う。もう一人、みつながという一年生もハンドラー役だそうだ。
「なんだ、犬が二頭いるんじゃない。最初に言えよな、面倒くさい。んじゃあ連れてくるから、慣れててね」
 その場に座らせたトーマスのリードを上総に握らせて、私は犬舎に戻った。

「お待たせー、タンだよ」
 一同が凍り付いてしまった。どうしてなのか全く思い当たることがない。
「あ、あやぁ……嘘だよね……」
 上総は脅えた顔をしきりに振り、来るなとでも言いたげに腕を突き出した。
「心配ないって。性格としてはタンのほうが紳士だよ」
 ボクサーと較べると少し小柄なのに、ドーベルマンは恐ろしいとみえる。それに、タンにはリードを付けていないことも原因だろうか。
「こっちがトーマス。イギリスで警察犬に使うボクサーという犬。こっちはタン。優秀な警察犬になるドーベルマン。どっちも大人しいから。ただし、後ろから近付くと警戒するよ。もう一人のハンドラー役の人、こっち来て」
 どうしても尻込みする生徒のために、私はちょっとしたサービスをしてやった。
 ポケットに忍ばせていたボールをタンの目の前でヒラヒラさせる。そして遠くへ投げた。
 すごい勢いでボールを追ったタンが、それを咥えて戻ってくると、私は何度か投げ返した。
 尻ポケットからきつく巻いたタオルを取り出すと、タンの目つきが変った。唸り声を上げながらタオルに噛み付き、ブルブルと何度も振り回した。それを掴んだ私は綱引きを始め、最後には喰い付いたままのタンをグルグル振り回してやった。
「ほらね、遊んでほしいだけだから怖くないよ」
 そう言って『みつなが』という一年生にリードを持たせた。次に、トーマスのリードを外すと、私は両手を大きく開いてみせた。
 すっくと立ち上がったトーマスが私の前で二本足で立った。そして、ぶつかるように抱きついてきた。
「あんたもやってごらん。気持ちいいよ」
 上総に睨まれて、なつがおずおずと両手を広げる。そこへトーマスが抱きついた。
 背が高いなつの肩口にトーマスのチョコ色の頭がある。ピンと立った耳は目の正面にあった。
「イヤッ、キャー……」
 四十キロもの体重がぶつかってくるのだから、ひっくり返っても無理はない。
 そんなふうに演劇部の練習はすすんでいった。

 そして、災害現場を模したガレ場で稽古をしている時、顧問の先生が指導にやってきた。
 被災者役は『いろは』という一年生だそうで、発見を報せる大きな吼え声に泣き出した。その演技の不味さに、顧問が手を広げて呆れたのだ。
 その瞬間、トーマスは顧問に駆け寄り後足で立ち上がった。まるで拳闘士のように身構えたくせに、短く切られた尻尾を痛いほど振って、でかい舌を出している。そしてそのまま……。
 ここでも、『先生抱っこ』が出現した。


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