第二章・囚われし光の力……1
一行が橋のたもとに到着したのは、ちょうど昼ごろだった。
栗毛の馬にまたがる先頭の男が手綱を引いた。六人の従者たちもそれにしたがい足を止める。
「ここからギャロバル領か」
「そうです。この橋までがバスジル公王領、ここからギャロバル公領になります」
「自らの領地に足を運ぶのが初めてとは、何の冗談であろうな」
険のこもった声音で吐き捨てるように言いながら、栗毛の馬に乗った男が苦笑する。
「それで、リズバロル様」
「言わなくてもわかっている、ヒューム」
馬首を向き直させると、くっきりとした二重の印象的な青い目が苦言を呈そうとしている側近に向けられた。瞳には貴人としての品格と英知に溢れた光が見え隠れする。短く切りそろえた髪も、陽の光を受けて金に輝いていた。
「私はお忍びだ。もちろん領内を見聞するため。それでよかろう」
「結構でございます。決して、あの事には首を突っ込まれませんよう」
側近ヒュームは悪びれた風もなく厳しい口調でリズバロルに釘を刺してきた。
少し細い目がヒュームを少しばかり険相に見せる。同じく金の髪は後ろで几帳面に束ねられていた。
確かに冷静沈着で面白みにはかけるが、いつも卒なく、無駄なく、すべての事を巧く運んでくれる。リズバロルは誰よりもヒュームを頼りとし、信頼していた。
「このまま馬を走らせれば、ギャロバル領主館に到着いたします。行政官のザインにはすでに使いを出してありますので、ご心配なさらず」
「お前のすることに心配などせぬ」
ため息混じりに呟いたリズバロルは、鼻を鳴らした馬の首筋を撫ぜてやりながら、辺りを見回した。
今リズバロルが立つのは、二つの街道が合流した地点。そこに川が流れている。
大人の身丈ほどの川幅に橋が渡してある。その先は、一面の畑。
大陸の方側は連綿と続く山脈だ。
連なる山嶺は高く、大陸中央部とアキロを隔てている。すべてを閉ざし、拒絶し、まるで追い込むように、そこに山はあり、厳然とリズバロルを見下ろしているかのようであった。
リズバロルは険しい山々から信頼する側近へと溜め息交じりに視線を戻した。
「ヒューム。もしもこの山がアキロと大陸中央を隔てていなければ、もっと状況は変わっていたであろうか」
ヒュームは、一瞬何を聞くのかと細い目を更に眇めたが、すぐにリズバロルの求める的確な答を返した。
「いえ、リズバロル様。アキロはこの山があってこそ、現在も存命でいられるのですよ」
まるで誰かに嫌味でも言うような口調に、リズバロルは思わず失笑していた。
「そうだな」
アキロ公国は、ヨウーワ大陸の西に位置する小国である。
西を海。
東は山脈に囲われている。
北に大国ギュフロス帝国。
南に商業国家グリュックがある。
「北のギュフロスと南のグリュック、ともに同盟を一旦は結びましたが、結局ギュフロスとは山から産出する鉱石の境界で諍いとなり、グリュックはシェバ帝国に滅ぼされてしまいました。どのみち、アキロは孤立、困窮は免れなかったのです。それでも、シェバ帝国が、東のビュローに梃子摺ってくれたおかげでこうして生きていられる。それだけでも良しとすべしですな」
グリュックは、まだ王家が存在していた頃から、ヨウーワ南西における最大の港を持ち、強力な海軍を擁していた。街道の両端には検問所を配置し、国に出入りする人間を管理する一方、積極的に外交を進め、商人達には税制において優遇する措置をとり、商業を発展させた。結果、ヨウーワ大陸の中で、グリュックに赴けば手に入らぬものは無いとまで言わしめた大国にのし上がっていた。
しかし、十五年前、グリュック王家は大陸の東で勢力を伸ばすシェバ帝国によって滅ぼされ、現在はグリュック自治区として名を残すのみだ。シェバ帝国は、大陸の東にある小国であったが、近年一気に勢力を伸ばした。噂では、戦闘にはどういうわけか妖獣を放ち、残虐で暴戻の限りを尽くしていると言われている。
アキロもグリュックの繁栄の恩恵を少なからず受けていた国であった。
無論、グリュックの国力自体はシェバ帝国に侵略されて後も変わってはいない。シェバよりつかわされた自治領主の采配にもよるが、グリュックの完成された商業価値をシェバ帝国の人間が簡単に覆すことが出来ようはずもないからである。
しかし、アキロにとってシェバ帝国の侵略は何の利ももたらしはしなかった。
長年のグリュックとの国交もシェバ帝国の侵略によって消滅し、国境においてはシェバ軍が常駐するに至って、物資の運搬も難しくなった。シェバの狙いが、次にアキロにあることは明白であった。
ところが、シェバ帝国はアキロを侵略できなかった。東に位置する大国ビュローの激しい抵抗を前に苦戦を強いられ、ヨウーワ大陸南部統一を目前に、アキロ侵略を断念していたのである。
それでも、小競り合いは続いていた。現に数ヶ月ほど前にも国境にシェバ軍の影が見えたが、この時はシェバ軍から和平の申し出があり、特に戦端も開かずに事なきを得ている。
かといって、アキロ公国は北の大国ギュフロスと親交があったわけでもなかった。
広大な領土を有するヨウーワ最大の大国には、アキロの存在など何の価値もない。
もともとギュフロスは他国を侵略するをよしとする国柄でもなかった。
現在のアキロは、経済的、外交的には厳しい状況下にあると言わざるを得ない。
ギュフロス大帝国、アキロ公国、シェバ帝国グリュック。この微妙な力関係は、少なからずアキロを追い込みつつあった。
「公妃殿下もご不幸だ。姉君とともにギュフロスから、アキロとグリュックに嫁がれたというのに、そのギュフロスとは諍い、姉君はシェバの侵略によって惨殺された。どういう因縁であろうな」
リズバロルは鼻を鳴らす馬を鎮めながら、再び息をついた。
「しかし、今度ばかりは話は別だ。公王陛下は何故軍を差し向けられぬ。すべてをギャロバルに押し付けて、まるで我らが失態の如き言われようではないか」
「リズバロル様」
窘めるようにヒュームが首を横に振った。
「滅多なことを申されますな」
声を落とし、手厳しい声でヒュームが諌める。
リズバロルはヒュームの声が聞こえていないかのように、振り向きすらしなかった。
「憂うべきは、前面の敵ではなく後背の味方というわけだ」
リズバロルはヒュームが何かを言う前に、馬の腹を蹴っていた。 |