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電 車
都内で飲んで、うっかり終電を逃すところだった。
以前は都内で飲むなんてことは一度もなかったのだが、今日は勤めていた会社が倒産して、社員全員での最初で最後の飲み会だった。
私は乗り換え用の通路を走って、家に向かう電車に駆け込んだ。
「あれ?」
最終電車だからなんだろうか?
駅にはちらほら人が立っていたのに、誰一人私がのった電車には乗ってこなかった。
「もしや、自分が帰る駅を通らない電車なのでは?」と外にでて確認しようとした。
急いで飛び出ようとしたが、間に合わなかった。
電車はプシューと音を立て、扉を閉めた。
暗闇に浮かんで見える進行方向の景色を注意深く見ていたのだが、いつもの景色と何ら変わりはなかった。
ただ、なぜ人が誰も乗っていないかという答えが見つからない。
不思議だとは思いつつも、とりあえず私は椅子に腰掛けた。
心地よい揺れが私を眠りに誘う。
居眠りでもして、降りる駅を乗り越してしまったらえらいことだ。
こんな田舎のローカル駅で、乗りこしたらタクシーなんか拾えない。
寝ちゃダメと思っていたのに、私はいつの間にか居眠りをしていた。
はっ、と気がつくと丁度私が降りる駅だった。
人が乗ってないから当たり前なんだろうけど、駅に降り立つのは私だけでとても奇妙な感じがしていた。
駅の改札は、プラットホームの階段を上にのぼったところにある。
自動改札に切符を入れて、家がある側の階段に向かって歩いていた。
すると、前から母親が子どもの手をひいて歩いてきた。
ああ、こんな時間でもやっぱり人がいたんだ。
電車の中が一人だったから、人をみて少し安心した。
赤い髪をした母親、赤いダッフルコートの女の子。
なにか、見覚えがある気がした。
ああ、そうだ。
確かあれは私が四歳の時、母が私を連れて父から逃げた日。
私は、寒い夜に母に無理やり手を引かれて、どこかの駅を歩いていたっけ……。
母は電車が見える窓の前に私を待たせて、切符を買いにいった。
誰もいない駅が怖くて、父親から逃げる母親の顔も怖くて、誰もいない夜の電車が怖くて、これからどうなるのかが怖くて…窓の外を見て私は泣いていたんだ。
母親と女の子の手前にさしかかると、母親は子どもを窓の前に待たせて切符を買いに行った。
私の足が止まる。
よく見ると、母親には見覚えがあった。
あれは、私が小さい頃に見た母親の姿。
窓に映る女の子の顔をよく見る。
涙の後が頬に無数に残る顔。
あの子は、あの日の私の姿だ。
どうして?一体どういうことなのか?
私の幼い時の記憶が、一気に流れ出し、目の前の光景と重なる。
ああ、紛れもない、あの子はあの日の私なんだ。
女の子の涙いっぱいの顔を見て、私の頬にも涙が流れてきた。
そう、あれから私と母は、祖母の家にいったものの、父のいる家に帰るようにいわれた。乗ってきた電車と同じような電車に乗って、私たちは涙ながらに暴力を振るう父の元に戻ったのだ。それから、父と母が離婚するまでの四年の間、暴力の痛みと悲しみの涙を流し続けて生きてきたのだった。
私は女の子に近づいて、そっとハンカチを手渡した。
「これから少しの間辛い思いをするけど、あなたはには絶対涙のいらない日が待っているから。今日お姉ちゃんがいった言葉を励みにしてね」
女の子は、涙を拭いながら振り向いた。
「お姉ちゃん……、ありがとう」と言って、私を強く見つめた。
私は女の子の赤いコートの肩の部分を優しくポンと叩いた。
母親が、「こっちおいで、行くよ。」と女の子を呼んだ。
女の子は、走って母親の元に向かった。
これからの数年、母親も女の子もたくさんの涙を流すことになるだろう。
どんなに悲しく涙の日が続いたとしても、涙のいらない日は必ずやってくるから、それまでがんばって、と祈ると、私の涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
誰かが私の肩を叩いた。
「お客さん、終点ですよ。この電車はこの後車庫に向かいます。起きてください」
私は椅子から飛び上がって、電車の外にでた。
乗った時と同じように、電車はプシューと音をたてて扉を閉じた。
私は、駅の外に出た。
ああ、やっぱり乗りこしてしまった。
田舎のローカル線の最終駅で、タクシーはいない。
ここからタクシーのある駅まで、真っ暗な道を歩かないとならない。
会社が倒産し、終電にも乗りこしたのだが、気持ちはなぜだか晴れやかだった。
明日から、新しい職探しをしよう。
今のは、やっぱり夢だったのかな?
あの日のことが夢だったのかな?
自分でもどちらが本当の出来事なのか、よくわからなくなっていた。
ただ、私の幼い記憶の中に、あの日泣いている自分に涙ながらにハンカチを差し出したくれたお姉ちゃんがいた。
優しくポンと私の肩をたたいてくれた。
そして、辛いことがあった時にいつも思い出したのは、あの日に会ったお姉ちゃんの言葉だった。