(26/34)縦書き表示RDF


作:東河哲也



26.三階、カイザーとの問答




 三階。
 「おい、君、おい!」
 小次郎は誰かにゆさぶり起された。目の前には茶色の髭を生やし、黒い長帽子をかぶった立派な身なりの紳士がいた。その手には木のステッキを持ち、ネクタイをしていた。
 「目覚めたな、君。拙者の記憶が確かであれば君は小次郎氏ではないのかな。まあそんな事はどうでもいい。とにかく早速君に問う。人間とはいかなるものか?」
 紳士はまじまじと小次郎を見つめ、返事を待つ。小次郎がいつまでも答えぬのを見て、話を続けた。
 「拙者は解釈する。つまり君は今、意識が朦朧とし、まだ本来の姿ではなく、拙者の投げかけた質問に答える事が困難なようだ。だから拙者の意見を先に披露しよう。その間に君は自分を取り戻し、自分の置かれている状況を少しずつ把握でき、そして拙者が意見を言い終わる頃には少しは君自身の思想を披露することの出来る状態になるにちがいない。さて、人間とは、拙者はこう考える。人間とは使命を持ち、それをはっきりと自覚して、それにそって生きる事なくしては真の満足は決して得られぬ存在であるとは、言ってしまっても間違いではあるまい。そこで問題になるのはどのような使命を持つか、と言うことになるだろう。人間の心の在り方は人それぞれで、なかには悪、人類ならびに地球の環境にとって明らかにマイナスであることに自分の価値を決めつけ、その中で愚か者の様にがむしゃらに頑張ると言うことも充分にありえる。そしてそのものは自分の愚か故に必ず後悔をするか、絶望をするか、結局、充分な満足を得られずに至るのだ。そこに人間にとっていかに学問が大事であるかがはっきりしておろう。いかに生きるべきか。真の善とはなんであるか。我が身を真の満足に至らしめる道とは結局なんであるのか。それが君、難しく、我々の議論が決して尽きる事のない難しいテーマなのだよ。君、君、目覚めたかな。やはり君は小次郎氏ではなかったかな。拙者にはそう認識されてならないのだが」
 小次郎はぼんやりと紳士の話を聞き、はっと我に返った。
 「ここはどこです。そしてなぜあなたは私を知ってるのです?」
 「こことは?ふむ、ここは一つの空間であるといえる。それは確かだ。ここに今、君と拙者が存在している。それも本当だ。ふむ、ご質問の意味が少し分かりかねるが、まあ、よい。ここは一つの空間であり、君と拙者が存在している。周りを見渡してみられよ。人がたくさん存在している。馬車もまたしかり。そういう空間である。この空間は拙者にとっての印象と君にとっての印象は同じではあるまい。ゆえにそれ以上のこの空間に対する情報は君ご自身で認識するべく勤めるが宜しかろう。次に拙者が何ゆえに君を知っているのか。それについては拙者自身の名前を名乗る事でほとんどご理解頂けるだろう。拙者の名はカイザーである。昔この塔の一階で世界の王として君臨した経験の持ち主である。君とはその折り、幾たびが顔を合わせる機会があったように思う。ただその折り、拙者の方は我が身を守るために四六時中鋼鉄の鎧と兜を見につけていたゆえに君の方は拙者の素顔を知らないであろう。どうだろう。それですべての説明が終わったのではないだろうか。拙者が君を知り、君が拙者をご存知でないのはそういう理由からである。ふむ」
 小次郎は呆気にとられて紳士の長話を聞いていた。カイザー?このおしゃべりな中年男性が?あの憎しみと嘘と戦いの世界の象徴であったような恐怖の存在カイザーがこの人?
 「カイザー様ですか?それはそれはお久しぶりです。……ずいぶん私が思っていた印象とはかけ離れたお方でらっしゃいますね。確かにカイザー様ですか……」
 「ふむ、まず一つ指摘しておきたい点がある。拙者の事をここでカイザー様と呼ぶのは適切な表現ではあるまい。ここではそう、カイザー氏。あるいはカイザー殿。またはカイザーさんなどと呼んで貰わねば適切とはいえまい。なぜともうすにここまで来た優秀な我々の間にはもう立場の上も下もなく、すべからく対等の立場にて自らの掴んでいる情報を垣根なくスムーズにお互いに伝え合う事が必要だからじゃ。そして我々にとってもっとも大事な事は真実にたいする限りない謙虚な態度である。謙虚な人間になることが必要である。ゆえにそういうむやみやたらな尊敬言葉は百害あって一利なしとなる。拙者はそう考えている。ゆえに適切な呼び方を使っていただきたいものだ。ふむ、それとまだご質問が残っておったな。なぜ拙者が以前の憎しみ世界の王だった頃と印象が変わっているのか。それは君にも覚えがあるだろうに。五年間の逃亡。死者の身内たちの陰湿な攻撃。二階での他者に対する書物の熟読。それらの経験が人間の精神にどれほどの大きな変化をもたらすのかは語らずとも分かることである。そうではないか。小次郎氏よ」
 「はあ、おっしゃるとおりですね。カイザー……氏」
 そう言って小次郎は辺りを見回した。そこは昔の西部劇に出てくるような光景だった。ガンマンの代わりに黒長帽子をかぶった紳士達がうろうろとしている。馬車はひっきりなしに通り過ぎ、ステッキを持った紳士たちがそこら中で議論をしている。物凄い活気に溢れていた。二階の巨大図書館の静けさに慣れきった小次郎には戦場の真っ只中にいきなり飛び込んでしまったような衝撃があった。小次郎は急に猛烈な空腹感に襲われた。
 「お会いできて光栄でした。時にカイザー氏。ここらに食事の出来るところはありませんでしょうか」
 「食事、食事とな。うん、それは致し方あるまいな。本来ならばまだ我々の会話は始まったばかりであるし、拙者は先ほど食事はすませたばかりであるし、ふむ。まあこの先いくらでも語り合う機会もあるであろうからよしといたそう。ほれ、小次郎殿、あちらを見られよ。木の扉が開けっ放しになっているあそこじゃ。あの建物で食事ができる。女どもに言いつけるがよい。まあともあれ、拙者もここには来たばかりでな。知った顔に出会えてとても愉快であった。ぜひ今度、きちんとお互いの思想や感情、経験などを情報交換いたそう。そして一日も早く真理に到達しようではないか。ではさらばだ。拙者は向こうの議論に加わることに致す」
 そういうとカイザーはさっさと人ごみの向こうに行ってしまい、すぐに小次郎の視界からは見えなくなった。













ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう