ネトゲ最後の日③
五月の暦が、粛々と過ぎていった。
「だめだー。ないなー」
ネトゲ探しをしていた俺は、ついに音をあげた。
あれからずっと、乗り換え対象となるゲームを探していた。
その条件とは……。
条件1。ゆるいこと。
ゆるいカジュアルゲーであることは重要だ。
条件2。課金なしで遊べること。
アーリーリタイア、スローライフの俺たちにとって、そこはわりと重要。
課金なんて、いちどはじめてしまったら、無間地獄に陥るにきまっている。
条件3。長続きしそうなこと。
サービス終了のお知らせ~となったゲームからの難民であるわけだから。
つぎのゲームは長続きしてくれないと困る。
条件4。ロースペックなこと。
ネトゲのために、ハイスペック名PCを二セット買いそろえる。――なんていう事態は、避けたい。3Dのゲームは、MUST条件ではないが、なるべく、避けたい。
条件5。ヒゲキャラが作れること。
笑ってはいけない。ここは本気だ。
ろとのためのネトゲ移住なのだから、ヒゲ面のオッサンが作れることはMUST条件だ。
まあキャラメイクの幅で、このぐらいの自由度がないゲームのほうが、むしろ珍しいぐらいだから、この条件5に関しては、それほど難しいものではないが。
同様に、ぴちぴちハールフエルフ一五歳がキャラメイクで作れるということも、難しい条件ではない。
このうちの2と3が、特に難しいのだ。
特に2に関しては……。月額課金のみで、ゲーム中の課金アイテム一切なし――というのが、理想なのだが……。
いまの時代、「基本無料」ばかり。あっちを向いても「基本無料」。こっちを向いても「基本無料」。どこを向いても「基本無料」ばかり。
この「基本無料」というのが曲者で――。「完全」な無料ではないということだ。つまり、無料じゃない有料アイテムがゲーム内に存在するということだ。
その課金アイテムの効果も、ゲームがすこし便利になる程度だったらいいのだが――。
まあ大抵は、課金アイテム(しかも消費系)をバンバン使わないと、まともにプレイさえできないというようなゲームが多く……。
つまりは「基本無料」というのは、ユーザーを引っぱりこむための甘い香りのする蜜で、その実体は、「無料」という甘いエサに引き寄せられてきたユーザーを課金漬けにする、とんだアリ地獄ないしは食虫植物なのだった。
やっぱー。ねえよなー。
俺らのヌルゲーみたいな理想郷ってー。
だめだー。
俺は、ごろんと寝転がった。
まだ出しっ放しのコタツに足を入れて、畳の上で仰向けに横たわる。
ろとが、すっとコタツから出ていって……。
キッチンでなにかやっていたと思ったら――。麦茶のグラスを持って帰ってきた。
一つは俺のところに、もう一つは自分のところに置いて、ろとは――。
「とれぼー。おつかれさまー」
笑顔を向けてきてくれた。
俺はちょっとばかり、感動していた……。
ろとが飲み物を持ってきてくれるなんて……。
ろとという生き物は、介護されるばかりの生き物であると……。俺はてっきりそう思いこんでいた。「とれぼー。むぎちゃのみたーい」「自分でとれー」「できるよー」的なやりとりがあって、自分で麦茶を飲むことができるのは知っていたが……。
俺が疲れていると思って、飲み物を持ってきてくれるまでに進化していたとは……。
同時に俺は、ろとに気を遣わせてしまったのだと、理解した。
「ごめんなー。ろと」
手を伸ばして、ろとの頭を撫でる。
「ううん。とれぼー。ありがとね」
頭を撫でる俺の手に、ろとは自分の手を重ねてきて――そう言った。
「うん? なにが?」
「ぼくね。……ぼくね?」
ろとは、そこでいったん言葉を切った。ぐっと、なにかを飲みこむような仕草をしてから、言葉の続きを口にする。
「とれぼー、いてくれたらね……。げ、げーむ……、できなくたって、へいきだよ?」
「ろと……」
無理して口にする言葉なのだと、俺にはわかった。
「あとね。あとね……」
ろとは、こんどもまた、言葉を区切った。
こんどはさっきとちょっと雰囲気が違って、言うべきか言わないべきか迷うような感じがあって――。
そして、ろとは――。
「あと、あのね……? ぼく、とれぼーや、わーどなーや、ぞーまと出会えた、あのげーむが好きだったの。ほかのげーむは、……やりたくないよ?」
「あ……」
俺は気がついた。そっか。
そういえば、ろとは、ゲームといえば、いつものネトゲばかりをやっていた。
てっきりゲームが好きなのだと思っていた。
ちがった。
ほかのゲームはやったことがなかった。
てゆうか。うちにはゲーム機自体がなかった。PSもVITAもXBOXもWiiもない。
「そっかー。気づいてやれなくて。ごめんなー」
俺はろとの頭を撫でた。
あのネトゲが、ろとにとって、どれだけ大事なものだったのかを、思い出していた。
俺とろとは、あのネトゲの中で出会った。
俺にとっては、右も左もわかっていないニュービーのオッサン(ヒゲ面キャラだったし)に、軽い気持ちで行った「施し」程度の親切。
ろとにとっては、なにもわからなくて、不安で仕方なかったところに、差し伸べられた、ただ一つの救いの手。
詳しく踏みこんで聞いたわけではないのだが……。
実際、あの出会いがなかったら、ろとは、いまここにいなかったかもしれない。
ネトゲを続けていなかった、という意味ではない。ろとという人間が生きていなかったかもしれない、という意味だ。
ろとままが――ろとの危なっかしい保護者が、ネグレクト……げふんげふん、研究に夢中になり、ろとをほっぽりだしていたときに――。
ろとが「おなかすいたー」とゲーム内で言っていたことがある。
俺はそのとき、「コンビニ行ってパンでも買ってこい」とアドバイスした覚えがあるのだが……。
もしそれがなかったら、ろとは、「パンはコンビニで買える」と知らなかったのではなかろうか?
いや。まさかな……。とは思う。
さすがにそれは……。とも思う。
だが……。ろとだし。
「そっかー。あのネトゲだったもんなー」
俺はろとの頭を撫で続けた。