ファーストコンタクト
くんくん、すんすん。
テーブルの上に、小鉢に入れて置かれた〝物体〟を、ろとは警戒する面持ちで見つめている。顔を半分だけ、テーブル面より上に出して、じーっと見つめる。
くんくん、すんすん、と、鼻を動かし、漂ってくる匂いに注意を向けていたりもする。
俺はろとが興味を持つようにと、食卓の上に最初にその〝物体〟を出しておいた。
案の定、ろとは、はじめて目にするその食べ物に興味津々。
どこのご家庭でも出てくる――と思われる食い物なのだが、これまで見たことないのだろうか――。
まあ。ろとだし。
なにせ。ろとだし。
ろとの体の構成成分のうちの、ゆうに九八パーセントぐらいは、コンビニ弁当で出来ている。ゆえにコンビニ弁当に通常入っていない食材は、ろとにとって、未知の食材となるわけだ。
「ねー、とれぼー、これー、へんだよー?」
「ああー、なにがー?」
俺は朝食の支度を続けながら、ろとに背中でそう聞いた。
「これー、なんか、においー、へんだよー?」
「あー、まー、独特なにおいかもしんないなー。でもー、〝それがいい〟っていう人もいるんだぞー」
これはほんと。うそはいってない。
「においのー、ほかにもー、なんか、へんだよー?」
「なにがー?」
目玉焼きをひっくり返しながら、俺は背中で聞いた。
ちなみに、目玉焼きを〝ひっくり返して〟両面を焼きあげるこの方法は、「ターンオーバー」という。片面焼きだと「サニーサイドアップ」。さらに水を入れて蒸して固めるときもある。
ろと&トレボー家の朝食の目玉焼きは、だいたいこの三種のローテーションだ。
目玉焼きを焼きながら、ろとのほうを、ちら――と振り向いてみると、ろとは、顔を近づけるばかりでなく、手にした箸の先でもって、つんつん――と、その〝物体〟をつついていた。
「あのねー……、なんかー……、これー……? 糸引いてるみたいだよー?」
「あー、そうかもしれないなー」
「ねばねばしてるよー?」
「そうかもしれないなー。でも〝それがいい〟っていう人もいるんだぞー」
「うそだよー」
「ほんとだよー」
俺は苦笑した。その〝食物〟はそれで正常だ。そこがいいんじゃないか。
「でもー? ねばねばしてるよー?」
ろとが言う。
俺は先入観でろとがその食べ物を嫌いになってしまわないように、ちょっとだけフォローした。
「ろと。おまえ。とろろ食べたことがあるだろー。あれだって、ねばねばだぞー」
「そうだけどー」
「あと、ねばねばっていったら、味噌汁に入ってるなめことかー、あと蜂蜜とか水飴とかも、ねばねばだろー。ねばねばだから、食べられないってことにはならないなー」
「これ甘いのー?」
「いやー、甘くはないんじゃないかなー」
どっちかというと、しょっぱい? まあ醤油を入れるからだろうが。
「あのねー、あのねー、ぶっちゃけていうとねー」
ろとは、ぶっちゃけて――言ってきた。
「ぼくねー……、これねー……、腐っているんじゃないかと思うんだー。……腐ってるよ?」
「だいじょうぶだー。賞味期限は、ぜんぜんだぞー」
俺は言った。当然、確認済みだ。
ちなみにけっこう長持ちするほうで、俺は実際に試したことがある、一週間くらいぶっちしても、けっこう平気なものなのだ。
「えー?」
ろとの声は、まだ半信半疑。
よし。目玉焼きが焼けた。
おかずと味噌汁とごはんをテーブルに運んでゆく。
そして、ろとの目の前で、小鉢の中に入ったその物体を――ぐっちゃぐっちゃと、箸でかき回す。
もっともっともっと、糸を引くようにする。
「はわわー!!」
ろとがびっくりしたような顔をする。
俺は面白くなってきて、もっともっともっとかき回した。一説によると、三百回かき回すと、最高に美味くなるという。そのぐらい回した。
「じゃあ。ろと。カラシを入れてくれー」
「う、うん! ぼ、ぼく! いれるよ!?」
カラシ投入。
「じゃあ。醤油も入れてくれー」
「う、うん! ぼ、ぼく! いれるよっ!?」
醤油投入。
そして最後に仕上げとして、すこしかき回して――完璧なハーモニーが完成した。
「できあがったこれは! 白ご飯の上にのせて、食すものなり!」
俺は、厳かな声で宣言して、その〝物体〟を自分のご飯にかけた。
半分ほど残した状態で、ろとに、ちら、と目を向けて――。
「ろとも、食べるか?」
「う……、うーん……、うーん……」
まだ悩んでいる、ろとに対して、俺は――。
「あー、うまいなー、うまいなー、日本人に生まれてよかったなー」
一口、二口、食べてみせた。
もぐもぐもぐ。
うん。うまい。
「ぼ、ぼぼぼ、ぼくもたべるー! とれぼーのたべてるもの、いっしょにたべるー!」
ろとは、お茶碗を差しだしてきた。
俺はその白ご飯の上に、残り半分のその〝物体〟をかけてやった。
「ほら。食べてみろー。うまいぞー」
自分もまた一口、二口、食べながら、ろとに言う。
ろとは、覚悟を決めた顔で、思いきって――食べた。
もぐもぐ。もっしゃもっしゃ。
俺は口を動かす、ろとの表情を――じっと見守った。
「どうだ?」
俺がそう聞くと、ろとは――。
「おいしーい!」
ごはんつぶを飛ばす勢いで、そう叫んだ。
ろとの、はじめてのファースコンタクトだったが――。
良い結果におわって、よかった、よかった。
「ねー。とれぼー」
「うん? なんだー?」
「このたべものー、なんていうのー?」
俺は、答えた。
「それはなー。〝ナットー〟っていうんだー」