キーボード
いつもの昼すぎ。いつものネトゲの中。
今日は冒険に出ないで街で生産の日。噴水前で定点観測をしていると、ろとが、ぴゅーっと走っていったり、かと思えば、ぴゅーっと走ってきたりしているのが見える。
生産活動している人っていうのは、だいたいそんなもん。
なんでか常に全力疾走。
『見てくれたまえ。もう自在に動くことができるのだ』
ろとままのキャラが、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、それでもなんとか、後ろではなく前に進めるようになっている。
〝自在〟からはだいぶほど遠いものの、すこし前からはかなりの進歩だ。
常人なら数分で通り抜ける道筋を、数日もかけて、いまゆっくりと通過中……。
〝天才〟とは難儀なものだと思ったりする。
ろとままがなんの天才なのかはわからないが、そっち方面にスキルを全振りしているのは確実で、その他のことについては、まったくスキルポイントが足りてないわけだ。
『おにいちゃん。できれば、この私の進歩を称えて、〝なでなで〟してくれると嬉しいのだが……』
『ゲーム内じゃできないですよ』
『いや。エモーションにあるのを知っている』
なんでそこだけ詳しいんだろ。このひと。
俺はしかたなく「なでなで」とやった。
『おーい。ろとー』
『なーにー?』
通りすがったろとのやつを、俺は呼び止めた。
『ろとままが、なでなでしてほしいってさ』
『いやそんなっ。いいけど。嬉しいけどっ。でも心の準備がっ』
『なでなでー』
『……うわーい』
俺は二匹の小動物を多頭飼いしている飼い主の気分で、二人を見やった。
『なー。ろとー』
『なーにー、とれぼー?』
『そういや、昼飯、なにがいい?』
『んー、とれぼーのー、たべたいものー』
『ろとままは、なにがいいですか?』
『おにいちゃんの食べたいもので』
だめだこの人たち。
『じゃあ俺。今日はカバンと靴が食べたいかなぁ』
『はい?』
『知ってますか。革製品って、食べられるそうですよ? 戦時中は食べていたんだとか』
『はい?』
『よく煮ると柔らかくなって、食べられるそうです』
俺はそんなことをうそぶいた。
たぶん都市伝説だろうけど。そんな話を聞くこともある。
それを、いかにももっともらしく、事実であるかのように言う。
『いやあの? えっと?』
『俺今日は、そういうのが食べたいなー。……革製品で、いいっすか?』
『えっと。えっと。その……』
『とれぼーがたべたいならー、ぼく、いいよー』
『うわーん、おにいちゃんと、ろとがー、ままをいじめるー!』
ろとままは、エモーション「泣く」をやった。
俺とろとは、二人して、ろとままを「なでなで」とやった。
『とれぼー、なんにするー? かばんにするー? くつにするー? キーホルダーも、あれ、かわだよねー?』
『いや冗談だから』
『??』
『いや。食べないから』
『??? ……たべないの?』
ろとはそう言ってきた。
うわぁ。こいつ。ガチだった。
ろとままの天然あるいはカワイイ生物具合は、ろとのちょうど半分くらいで……。
遺伝子が半分だけ共通なんだなぁ、と実感する。
『……で。お昼は、なんにするんだ?』
『とれぼーのー、すきなものー』
またそこに戻ってきてしまった。
『俺の好きなものは、ろとの食べたいものだな』
『えーと、えーと……』
『ろとは、なにが食べたいんだ? なんでも言っていいぞ』
『えーと、えーと……』
俺は待った。辛抱強く待った。ろとがよく考えて、希望を言うのを、じっと待った。
『えっと、えっと、……おそば。ゆでるやつ。……いい?』
『温かいやつ? 冷たいやつ?』
『あたたかいのー!』
ろとは、くるくる回ってから、ぴたりと止まった。
いつものお気に入りのエモーション。
『ん。』
俺は立ち上がった。三人で入っていたコタツから出る。
キッチンに立って、いちばん大きな鍋に水を張り、ガスコンロにかける。
それからコタツに戻ってきた。
『こたつもそろそろしまいますかねー』
『しまってしまうのか? しまうのか? 日本に帰ってきてこれから一生こたつに不足しないと思っていたところなのに』
『まあ、もうすこし出していてもいいですが……。さすがに五月にはしまいますよ?』
『あ……、ああっ……、あと一ヶ月で世界が終わる。終わってしまう』
『そんな大袈裟な』
お湯が沸くまでは、もうしばらくかかる。
もうしばらくは、おしゃべりに花を咲かせていられる。
『なあ、ろと』
『なーにー、とれぼー?』
『ところで、ふと思ったんだが』
『なーにー?』
『いやべつに。そんなたいしたことでもなくて』
『なんで俺たち、キーボード打ってるんだろうなー?』
同じ部屋にいて、顔付き合わせて、同じネトゲにログインしている。
同じコタツで三人で入って、足がぶつかって、ちょっとドキドキするような距離感のなかにいるのに、会話は、なんでか、文字で、チャットで、ゲーム内のギルドメッセージで、キーボードを使って行っている。
なんでだろ?
「なー。ろと」
俺は声に出して、そう言ってみた。
キーボードはではなくて、口で言った。
「………」
ガン無視だった。全無視だった。華麗にスルーを決められた。
ヘッドフォン娘にガン無視を決められて、俺のガラス製のチキンなハートは、いたく傷ついてしまった。
壊れてしまう寸前となった。
「あ、あのー、……ろとさん?」
「……?」
ろとはヘッドフォンをずらして――。
「なーにー? とれぼー? なにか言ったー?」
ああ。そっか。
俺たちがキーボードで会話していた理由が――、いま、判明した。
ろとがヘッドフォン娘になっていたからだった。