TS薬
「ぼくー。アマゾネスー」
「おおー」
いつものネトゲ。いつものゲーム内。
俺は目の前に立つろとに、ぱちぱちぱちと、エモーションで拍手を送った。
ヒゲオッサンというのが、ろとのゲーム内での姿である。
青い兜と青い鎧の美少女も、似合うんじゃないか? ――とか、言ってみたことが、すべての物事の始まりだったろうか?
ろとはいつものように、「とれぼー、女の子のが好き? ぼく、なるよ?」とかいう感じで、どっちでも良さげな感じであったので――。
じゃあ二人で、取りに行ってみっか、という話になった。
このゲームでは、外見チェンジは、基本、できない。そういう仕様だ。
だが抜け道というものはあって、「性転換薬」なるものは存在していた。
ずいぶん昔に実装されたレア消費アイテムだ。
取得条件のメンドクサイ、けっこうな手間のクエストなのだが――。
それを二人で、ちまちまとこなしていった。
なにしろ時間はたっぷりある。
なんとあと、余命六十年くらいは、たっぷりとあるわけだ。
起きて、テレビみながら朝ご飯食べて、昼食までのそのあいだとか、昼食を食べて夕食までのそのあいだとか、夕食食べてお風呂までのそのあいだとか、お風呂たべて――いやお風呂は食べないか。お風呂入って、おやすみなさいまでのそのあいだとか――。
ちまちまと小刻みに進めていって、ようやく、本日、クエストを達成した。
その薬をごくごくと飲んだら――。ろとのゲーム内キャラのアバターは、「女性」に変化した。
でも……、なんか思っていたのと、ちがう感じ?
「おっぱいー!」
ろとが自分のバストを捧げ持つ。
そんなエモーションあったんだ。こんど、トレボーハーフエルフ十五歳、森の乙女――にやらせてみよう。そうしよう。
「それは、おっぱいっていうよりは、大胸筋かなー。たしかに〝体積〟だけはあるがなー」
俺は、そうコメントした。
「とれぼー、だいきょうきん、すきー?」
「べつに好きでも嫌いでもないかなー」
ゲーム内のSTR値は外見とはまったく関係がない。どんなに筋肉ムキムキのマッチョだろうが、STRが低ければパワーもダメージも出ないし。逆にどれだけ細っこいキャラであっても、STRが高ければ怪力無双となる。それがゲーム内の法則だ。
「まー、あとで、みんなにも聞いてみっかー」
「うん、そうしよー」
◇
夜になると、ワードナーやゾーマたちもログインしてきた。
「へー。すっごい、強そうになったじゃない」
「ステータスは一切変わってないぞ」
「いいじゃない。気分じゃない。あたしが露出度上げてんのだって、そのほうが強そうな感じだからだしー」
「わるいがそこはまったく理解できん」
ワードナーのゲーム内キャラの露出狂の格好が、単に露出が好きなからではなかった、という新事実が判明したが……。
だからどうした、という感じだ。
なんで服の布地が減ると「強そう」になるんだ? 「エロい」とかいうなら、すごく良く共感できるのだけど。
「み、皆、ちょっと待ってはくれまいか。こ、これは、どうやって歩けば。走ればっ。そっちじゃない。もっと右。右。いや左」
ろとままは、なんか職場だか研究室だかから、ログインしてきている。
俺たちのネトゲでキャラを作ったはいいが、文字通り、右も左もわからないような状態だ。
なんか壊れかけのロボットみたいな変な動きを、さっきからずっとやっている。
口で言っても歩く方向は変わらない気がする。
天才系の人なのだからすぐに覚えるかと思ったら、天才性が発揮されるのは専門分野に限られるようで、ゲームの中では、ごく普通……っていうよりも、どっちかというと、どんくさい側?
移動方法に困るレベルで不都合を抱えている初心者なんて、ひさしぶりに目撃したわー。
「ろとちゃん。巨乳になれたわねー。よかったわねー」
「ぼくきょにゅー? とれぼー、きょにゅーすきー?」
「それは大胸筋なのかおっぱいなのか、判別つかんなぁ」
「しかしロト殿。トレボー殿。ずいぶんと高難易度のクエストをこなしましたなー。二人だけでは大変だったのでは?」
「まあ。ゆるゆる。ちまちまと。二度はごめんって感じだがなー」
「ほ、ほら、見てくれたまえ。お、思い通りに動けるようになったぞ」
ろとままは、後ろ向きに歩いている。なぜかバックで動いている。
「とれぼー、きょにゅー、きらい?」
「ほら。ロトちゃん。わざわざあんたのために♀キャラになったんだから、なんか、言ったんさいよ?」
「うえっ? 俺のためだったの?」
てっきり、自分がなりたくてなったんだと思ってた!
「え? えっ……、えと、えと……。ち、ちがうよ? ぼく、あ、アマゾネス……、なりたかったんだよ? だいじょうぶだよ?」
「あー……」
「ろとの成長を見るのは、母親として嬉しい。なんと。ろとが〝うそ〟を口にできるようになっていたとは……」
「まま? ちがうよ? うそじゃないよ? ぼく、うそいってないもん。へいきだよ?」
「まー、正直ー、似合わんかなー」
俺は正直なところを口にした。
似合う、とか嘘を言うことは簡単だったが、ここは本心を隠さずに言うべきだと思った。
それが、ろとに対する「誠意」というものだろう。
「もっとちっこい美少女だったらなー、似合ってたかもしれないがなー」
たとえば、そう――。
このあいだの新年のコスプレ・パーティのときに、ろとがリアルでやっていたような感じであったら……。
しかし……。推定二メートルの巨女が、「ぼく。ぼく」とか言って、もじもじやっている光景は、ちょっと目まいがしてきそうなシュールさがあった。
ヒゲ面のオッサンがもじもじとやっている――それはどうなんだ、と思いはするが。あっちは慣れてる。
「う、うん……、だめ、だった……かな? ぼく、へんになっちゃって、ごめんねー」
ろとが謝ってくる。
俺は謝る必要なんて、なにひとつないことを、ろとに伝えてやった。
「もういっぺん、性転換薬取りに行きゃいいじゃん」
「え?」
「また性転換すりゃ、もとに戻るじゃん」
「え? あ、うん。……そうだけど? でもまた大変だよー?」
「どうせすることないし。ヒマだし。あのクエスト面倒くさくはあったけど、やることいっぱいで、ここ二~三日、楽しかったし。いいじゃん」
「そ、そうかなっ?」
「手伝うわよー」
「助太刀しますぞー」
ワードナーとゾーマもそう言ってくれる。
「おお。高火力バーナーがいると楽になるとこ、あったわー。聖者がいたら不浄の者どもが近づいてこなくて、歩いて渡れて簡単すぎるところも、あったわー」
「うん! うんっ!」
ろとは大きくうなずいている。
「わ、わたしもっ……しかしっ! か、壁がっ、壁がっ、壁でっ、前がっ、前が見えないっ!」
ろとままは、壁に向かって、ずーっと歩きつづけている。
ろとままは、まず操作に慣れるのが先だろう。あとレベル的にも、ちょ~ぉっと連れて行けない。
カンストしろとまではいわないが、せめてレベルが三桁ぐらいにはならないと。そのまえにまず二桁になるのが先だけど。
「うん! うん! いこ! いこ! みんなで行こっ!」
ろとはなんとも嬉しそうだった。
そして俺たちは、嬉しそうなろとを見るのがなによりも大好きなのだった。
定常進行もどりました~。完全に~。