ろとままのいる六畳間
「ままー。おちゃ。のむー?」
「うん。ありがとう。もらおう」
「ままー。おかし。たべるー?」
「うん。ありがとう。もらおう」
「ままー。ねとげー。するー?」
「うん。どうやるのかな。これは」
一晩経っても、ろとままはいた。
ろとは、ろとままにべったりだ。
なんと。自分でお茶を淹れている。ろとままにあげている。
なんと。自分でお菓子を取りに行っている。ろとままにあげている。
なんと。自分でネトゲをやれている。ろとままに教えている。――って、これはいつものことか。
俺は肩を寄せ合って、仲良くパソコンを覗きこむ姉妹を――じゃなくて、母娘を見ていた。
なんか。飼っていた犬猫が二匹に増えた感じ。
一頭飼いだったものが、多頭飼いに増えた感じ。
朝ご飯は三人分作った。
まあ、二人分も三人分も、手間は変わらない。
ご飯の量を半合増やして、味噌汁の水と味噌の量を1.5倍にして、焼き網に並べる鮭の枚数を、1枚増やすだけのこと。
皿に入れてやる「かりかり」の量を一頭分増やすだけのこと。
「とれぼー。おしえてー」
微笑ましい目で眺めていたら――。
ろとが、そんなことを言ってきた。
「婿殿。頼む」
「だからそれはやめてください」
昨日から何度もやってるやりとりを、いま一度、繰り返す。
それを呼ばれるたびに、なんだか背中がむずがゆくなってくるのだが。
「おにいちゃん? ……ろとままにおしえて?」
きゅるんと可愛く小首を傾げてくる。
年相応の声を出して、媚びをのせる。
こっちのは、もっと背中がむずがゆくなる。
さすが年の功とでも言うべきか。このひとは、ろとの決してやらない表情をする。
ろとも2倍生きていると、こんなエモーションを覚えたりするのだろうか。
「それもやめてください」
「ろと。おまえのとれぼーは、NGばかりだぞ」
「とれぼー。わがままいっちゃー。だめー」
連合軍になった。
俺がわがままにされている。
「ろと。おまえのとれぼーは、今日は敬語のようだぞ」
「けーご? ってなに?」
「昨夜の男らしい命令口調も、あれはあれでよかったのだが。どうしたらもう一度やってくれるのだろうか。なにか粗相をしなくてはだめなのだろうか」
「え? ええっ? 命令口調っ? 俺いつしましたか?」
ぜんぜん覚えがない。
ネグレクト疑惑の件で、ろとままに、ちょっと腹を立てていたときがあって――。そのときには、喋りかたが粗雑になってしまっていたかもしれないが――。その時のこと?
でもそれはすぐに誤解であるとわかったし。
「うん。あれを私は第二段階と命名しよう。物の本で読んだんだ。オレマンには第二段階があるのだと」
「とれぼー。オレマンなの?」
「うむ。〝僕〟と〝俺〟を使い分ける男性の、〝俺〟モードのときをオレマンという。これは日本オレマン学会でも認められている正式な定義であり――」
俺はオレマンとやらにされている。第二段階があることにされている。もうどうにでもして。
俺はもう口を挟まず、親子水入らずの光景を見つめていた。
水入らずというからには、水が入ってはならないわけだ。水とはつまり俺のことだ。
「とれぼー。おしえてー」
傍らから見守っていたら、ろとが、とことことやってきた。
「いまおまえ。ちゃんと教えてやれていたじゃないか」
「ままのキャラつくるのー」
「作りかた、わかるだろ?」
「わかんないよー」
「わかるだろ。昔作ったはずだろ。……それより、なあ?」
俺はろとを部屋の隅まで引っぱっていった。キッチンのほうに連れて行って、耳打ちをする。
(あのさ……。ろとまま。……いつまでいるのかな?)
(うーん……、わかんない)
ろとは首を傾げた。
そりゃそうだ。ろとが知ってるはずはない。
そのへん気を回せるはずもない。だから聞いているはずもない。
俺は言いかたを変えることにした。
(あのさ……。まさか。このままずっといる……。なんてことは?)
(まま? ずっといる? もういなくなったりしない? ……わーい)
ああそっか。
ろとはずっと一人だったんだっけ。
俺はしんみりとなった。ろとを第一に考えれば。
「心配せずとも。数日以内にはお暇するつもりだよ」
「ああいやっ! べつにそういう意味で言っていたわけではなくて――ですね!」
俺は慌ててそう言った。聞こえていたのーっ!?
「ああ。すまない。耳はよいもので」
「あとそういう意味でないのなら――。ああ。そうか。私のことは気にしないでくれたまえ。夫婦生活については普段通りに。昨夜はすまなかった。私がろとと一緒の布団で。ろとを取ってしまったことになるのかな」
昨日は、ろとと、ろとままが、一緒の布団で寝ていた。二人とも小柄だからシングル布団でぜんぜん狭くはなさそうだった。
「今夜は私が独り寝をしよう。気にしないでくれたまえ。私も隣の布団で夫婦生活がされていても、一向に気にしないので」
「しません」
俺は仏像の顔になって、そう言った。
わざと勘違いしているのか。本当に勘違いしているのか。どちらであるとも判別がしづらい。
きっと前者であるとは思うのだが……。確証はない。
「ねえー。ままー。いつまでいるのー?」
ろとが、不意にそう言った。
俺が言うに言えずに困っていたことを、ずばり、言ってのけた。
いいぞ! ろと!
俺はろとを応援した。
よしそこだ!
いいぞ! もっとやれ!
「うむ。その件なんだが……。昨日。おにいちゃんから許可をもらったので。これからはずっといようかと……」
「え?」
俺は、口をぽかんと半開きにした。
あれ? いつ許可を出したっけ?
俺? 許可だしたことになってんの?
「ひどいな。おにいちゃん。……昨日。私のことを叱ってきただろう? ろとをずっと放置しておいた件に関して」
「え? ええ? まあ……、叱った――っていうか、どういう事情があったのか、説明は求めましたけど……」
「おにいちゃんは、怖い顔で迫ってきたのだが。話せ。さもなくば〝犯す〟――と、そういう顔で」
「おかしません」
「じゃあテラオカスとか」
「テラもおかしません」
「まあそれはともかく、私は責められていたわけだ。そこは〝事実〟として共通理解に至れるのかな?」
「え……、ええ、まあ……」
「よかった。まずそこの基本事項を確認しないとね。私はほら。人の感情の機微に疎いところがあるので……。よく人からサイコパスとか言われることがあってね。調べてみるとその定義にはあてはまらないと思うのだが」
ろとままの場合は、サイコパスというより、単に〝天才〟ってだけな気がする。
天才がそのへんの仕様まで普通の人と同じだったら、むしろ、びっくりだ。
「では、やはり、おにいちゃんとは〝契約〟が成立したという理解で問題ないわけだね。いや安心したよ。私の勘違いだったり先読みしすぎたあまりの周囲から外れた早すぎる理解だったりしたらどうしようかと」
「え? え? え? 俺……なにかしましたっけ?」
契約? なんの契約? 俺、ろとままと、なにしちゃったの?
「え? だから。ずっと、ろとと一緒にいていい……と、いうことなのだろう? おにいちゃんは、ろとを放置していたことを怒っていたのだから……。そういうことなのだろう?」
ろとままは、きょとんとした顔を、俺に返した。
あー。あー。あー。
俺は理解した。
そうか。そうだよな。そうなるよな。
ろとと一緒にいなかったことを責め立てて、それで、二、三日したら帰れ――ってのは、ないわな。
……ないな。……ないわー。俺。
不安そうな顔を浮かべている、ろとままに――。
俺は――。
「いや……。俺のほうこそすいません。気づかなくて。ずっと、ろとと一緒にいてやってください」
俺はそう言った。頭を下げた。
あの日、俺は、決めたのだ。
四億円を手にしてしまった、ろとが、「とれぼー。たすけてー」と言ってきた、あのとき――。
俺は、ろとの味方でありつづけることを決めた。
たとえ世界が、ろとの敵に回ったとしても、俺だけは、ろとの味方でありつづけると、そう決めたのだ。
って、大袈裟だけど。
ろとと二人のおままごとみたいな生活は楽しかった。
そこに、ろとままが増えることを、ろとが望むのであれば、それは俺の望みでもある。
そう決めた。俺が決めた。
「ああ。いいですよ。ずっと一緒に住んでくれれば」
「うむ。では婿殿の了承も得られたことなので――。隣に引っ越してくることにするよ」
「え?」
俺は、ぱちくりとまばたきを繰り返した。
あれ? えっ?
俺、いま、同居のための悲壮な決意を固めたところなんですけどー? けどー? けどー?
「あの? 一緒に住むという話では?」
「うむ? だから一緒に住むが? このアパートに? ――昨日、ゾーマ殿から話を伺って。なんでもこちらのアパートは空き部屋ばかりなのだとか」
「え、ええ……、そうですね」
ゾーマがこのアパートを一棟ごと買い上げはしたが――。まだ俺たちの他に誰も入居してきていない。
「研究室も、日本で、筑波にしてもらったし、問題ない」
「はー」
ろとままの仕事、やっぱそういう仕事だったのねー。
「向こうから荷物も取り寄せないとならないので。いますぐというわけにも行かないが……」
と、ろとままは、壁の時計を見る。
「向こうのエージェントに連絡をすれば、まあ、18時間後くらいには家財一式届くだろう」
どこのプライム当日お急ぎ便ですか。
てゆうか。それは「いますぐ」と、どのくらい違うんですか。
◇
二日後――。
正確に言うと18時間後――。
〝ろとまま〟――が、隣の部屋に越してきた。
ろとまま回おわりっ! と、前回のあとがきで書きましたが。
もう一回ありましたーっ。
次回から、ろとと二人(たまに、+ろとまま)の定常進行に、ほんとに戻りまーす。