自制心
「なんかさー、俺、最近、自制心を試されているような気がする」
めずらしくワードナーと二人飯。
ろとと二人一緒じゃなくて、一人で街に出たら、たまたまワードナーと会って、飯を食うことになった。
ろとにチャットで連絡したら、「ぼくひとりでごはんたべられるよー」と言っていたが、ちょっと心配。
まあ、二人でないと話せないような話もあるわけで――。
「自制心? 気のせいでしょー。あのろとちゃんが」
ああ。一発で話が通じた。なんの話か、説明を求められたら困ったのでありがたい。
「たとえば? どんなの?」
パスタをぐるぐる巻き取りながら、ワードナーが言う。
赤く口紅を塗った唇にフォークが入るのを、視界の端っこで凝視しながら、俺は周囲にそれとなく視線を送った。
視線が合うと目を伏せる男どもを、3つまで確認。
やっぱ、こんな美人と飯食っていると、視線を浴びるなぁ。
ろともあれはあれで、じつはけっこうな美少女なんだが。ワードナーみたいに〝女〟という感じが、まったくしない。
よって街いく男が振り返ってくるようなことも、ほとんどない。
「いやー。なんというかー」
俺は口を開いたものの、どうにも言いにくくて……。
「たとえば……、どんなの、なわけ?」
「ええと……、たとえば……」
俺は思いきって、口にした。
「ハダカワイシャツ? とか?」
「裸ワイシャツ?」
「しぃ。声が大きいよ」
「あんたと同じ声でしか言ってないわよ」
「頼むから。もうすこし静かに」
俺は周囲を警戒した。こちらをチラ見してくる男どもには――聞こえていないだろう。
「だいじょうぶよ。私はいますぐこの場で大声で、『あーセックスしてえ!』――くらい、普通に、言えるから」
「あんたは大丈夫かもしれないが。俺および周囲は大惨事だ。二度とこの店これなくなるし、この近辺三〇〇メートルを歩けなくなるから、ぜひ、やめてくれないか」
「べつに頼まなくてもやらないけど。この店おいしいし」
いちおう出入り禁止になるという自覚はあったのか。
炎髪美女は、意外とまともな感性の持ち主で、俺はすこしほっとした。
「――で。裸ワイシャツだって?」
「そ。ハダカワイシャツなんだよ……。ああ。いや。ワイシャツでもないか。普通のシャツか。あとべつに俺のシャツってわけでもないか」
「え? なにその細かい区分? ――てゆうか。男のワイシャツじゃないとだめなの? それって?」
「いや。まあ。べつにだめなわけでもないだろうが。破壊力としては……、落ちるんじゃね?」
「そっかー。……だからダメだったのかなー?」
ワードナーは言っている。腕組みをして首をひねっている。
うん? なんの話?
「まあ。ハダカワイシャツでくるくる回ってエモーションとかされると、俺は、自制心を試されているような気になって、しかたがないのだが……」
「トレボー。あんた、童貞?」
「ちゃうわ」
俺は即答をした。
しかし、とんでもないことを聞いてくる。いやべつにとんでもなくはないか。流れ的には自然か。
「じゃあ、ご無沙汰?」
またとんでもないことを聞いてくる。……まあワードナーだから仕方がないか。
あと、流れ的にも……、まあ普通か。
「いや、まあ……、それはあるけど」
言うと、ふーんと……。
組んだ手の上に顎をのせて、顔を見られる。
「い、いいだろ。そ、そういうのは」
「ハダカワイシャツ、くるくる、っていうだけ?」
「いやー……、まあ、あとは――、風呂んときとか」
「一緒に入ってるわけ?」
「入ってない! 入ってない! ……いや、入ってるか?」
ロトの頭を洗ってやるのは、すでに日課だ。
「どっちなのよ?」
「頭を洗ってやってるだけだよ」
「うわ。なに。そのイチャラブなプレイ?」
「だからプレイなんかじゃねえっての。……聞いてる? 真面目に?」
「聞いてる♪ 聞いてるー♪」
ワードナーは、からからと笑った。
くそう。
だが彼女の女性としての意見を聞きたいのは確かなので、俺は、しぶしぶ、話を続けた。
「はじめは、体、洗ってー、だったところを、妥協させて、頭だけにしてる。……タオル巻かせているからな。ほんとだからな!」
「一緒に入っちゃえばいいのにー」
「いや。それはいかんだろ」
「なぜ?」
「なぜ……、って、だってそれは?」
俺はワードナーを見た。
赤い唇が動いて――。
「童貞?」
「ちゃうわい」
だから、なんでその話になる。
「へんな気分になっちゃう?」
「いや。だから。へんな気分になるのは……、それは、俺がおかしいのか、それとも、ろとのやつが、わざと俺を試すようなことをしているのかと、そのことを……」
そう。それに対する意見をもらおうと思っていたのだ。
ワードナーのやつは、女だし。
……いちおう。……こんなんであっても。
「べつに、おかしくはないでしょ? 普通でしょ? ろとちゃんカワイイし、トレボー、あんただって、ろとちゃんのこと、好きなんでしょ?」
「いや。まあ……。おまえの言ってる意味において〝好き〟なんじゃないとは思うけど。まあ、いわゆる世間一般的な意味においての、好意があるかどうかっていう意味での〝好き〟だけど」
「なに、ぼそぼそ言ってんのよ。聞こえねえっつーの」
言われたので、もうすこし声を大きくして、こんどははっきりと――。
「……まあ、好き。……だけど」
「じゃ犯しちゃいなさいよ」
「おまえに相談した俺がどうやら間違っていたようだ」
「いいじゃん。犯しちゃえ。テラ犯しちゃえーっ」
「いや。テラ犯さない」
「じゃメガでいいから」
「メガも犯さない」
「その下なんだっけ? ああそうそ――キロ」
「キロも犯さない」
「ええぇ? 千回くらいはヤラない? 2日に1回で、5年でセックスレスになるとしたって……」
「数えるな。計算するな。生涯セックス回数とか見積もるな」
「えー? なんでよー? すこしでもいっぱい、シたいでしょ?」
あけすけな話をしている美女に、俺はうつむいてしまった。
いやー。まー。童貞でもないんだけどー。
チラ――って、見る。ワードナーの体を、チラって見る。
三十は越えているであろうと思われるのに、なに、このプロポーション?
きっと〝具合〟のほうも凄くよかったりするんだろう、とか考えて、慌てて、打ち消す。
「ん? なに? ヤッてく?」
目線の端っこを捉えられて、そんなことを言われる。
「あたし、うまいわよー?」
流し目をくらって――俺はついにブチ切れた。
「やんねえ!! ――てゆうか! やめろよ! マジで! 怒るぞ!」
「トレボー。みんな。見てる」
「あ。ああ……」
俺は浮いていた腰を椅子に下ろした。
だめだ。もうこの店これない。二度とこれない。
「そんなマジで怒ること、ないでしょー? 冗談だってば。冗談♡」
「だ、だよなー……」
「あー。まあー。冗談でもないっか」
ばつが悪げに、後ろ頭をぽりぽりとかきつつ、ワードナーは物騒なことを口にする。
「どっちなんだよ」
「いや。ほら。あいつがさー。仕事が忙しいのと……、あと、あれじゃん?」
「あ。ああ。ああー~」
なんとなくわかった。〝あいつ〟というのは、彼のことで。〝あれ〟というのは、年齢のことだろう。
齢を聞いてみたことはないが、四〇は過ぎている感じで……。
つまり、年齢からくる、あれがあれで、あれだから……。つまり、あれなわけだ。
そして目の前のこの美女は、欲求不満気味であらせられるわけだ。
「意外と身持ちが堅いんだな。ちょっと驚いた」
「なによそれ?」
美女は笑う。
この一連の会話の流れは、このどのな男でも数秒で引っかけられるほどの美女が、無差別に男漁りとかしていないってことを意味している。
「くっついたり、離れたりって、むかしっから、繰り返していてねー。……いまは、くっつき中?」
指の輪っかに、指をすぽすぽ出し入れしながら、ワードナーは言う。
……やめい。
「だから、いちおう……、義理ってのがあるじゃん?」
それで俺か。だから俺か。
なんで俺だ?
「離れ中のときだったら、いいのかそれは?」
「それはオーケー」
そういうものか。
……まて? いま「くっくき中」のはずだよな。
じゃあ、なんでいいんだ? 俺だからか?
「おまえ、サークルクラッシャーとか、言われない?」
「なんで知ってんの?」
俺はため息をついた。
「……とにかく。だめだ。……ってか。冗談でも。やめろ」
「ああ、あいつなら気にしないと思うわよー」
「――なわけないだろ」
「じゃあ、三人で」
「三人なんてない。もっとない」
「あいつけっこう、あんたのこと気に入っているから。たぶんぜんぜんオーケーなんじゃない?」
「やめろやめろやめろ。いますぐやめろ。妄想と想像を中断しろ。俺を登場させるな肖像権を主張する」
「ああ。じゃあ。あいつと二人でしっぽりと。あたし見学で」
「やめろやめろやめろ。もっとやめろ」
「腐女子魂が、燃えるわぁ。あんた攻めで。リバ禁止」
「俺が攻めなのか!?」
自分が攻められるほうだと思った。ぜったい。思った。
逆か? 逆だったのかっ?
「ね? ――それなら、いいでしょ?」
「ぜんぜんよくない」
いったいなんの話をしているんだ?
頭がぐるぐるしてきた。
「ろとちゃんに遠慮してんの? じゃあ、四人で」
「四人なんてない。もっとない」
「でも誘惑されてるって、言ってたじゃないの」
「誘惑……は、されてない。たぶん」
「自制心を試されているって、相談してきたの、あんたでしょーが?」
「いやー……。まあ……。それはそうなんだが……」
ようやく話が最初のところに戻った気がする。
「ほかには、ほかには? ほかにはどんなことされて、誘惑されてんの?」
「だから誘惑かどうか、わかったもんじゃなくてだな……。俺はどうやって心と理性の置き所を保てばいいのかという話をな」
「ヤッちゃえー♪ テラ犯しちゃえー♪」
「犯さない」
俺は考えた。
「……あとは、ぱんつ見てたら、〝ぱんつすきー?〟とか聞かれたっけなー」
「見てんじゃん。ヤリたいんじゃん」
「見てたよ。悪いかよ。そりゃちょっと見るだろ」
「そういや。いつもおっぱい見てるわよね。あんたって」
「み……、見てないですヨ? お、俺がいつ……、見てたって言うんデスか? 何時何分何秒デスか?」
「ろとちゃんもー、気にしないと思うんだけどなー。あんたとあたしが寝てたって」
「いやアウトだろ」
「まざるー、とか言って、飛びこんできちゃったりして?」
「もっとアウトだろ」
美女は頬杖をつく手と頬を変えた。
「……どうでもいいけど。何年そうやって、モラトリアムを享受してるつもり?」
「な、なんのことだよ?」
「いまはまだいいけど。あと十年もそうやってたら、ろとちゃん、三〇代くらいよ? あんただって四〇よ? ゾーマと同じくらいよ?」
「い、いや、俺はさすがに十年後なら、まだ三十のなかばで……」
「おっさんじゃん」
「そ、そうだけど……」
「ま。もうしばらくは……、そうやって、初々しいの、眺めているの……、楽しいけどねー」
頬杖をついた美女が、にんまりと笑っている。
結局、答えはもらえずじまいだった。