大六畳間最後の日②
期限の日までは、まだすこしあった。
俺は本を買ってきて読んでみたり、ネットで調べてみたりしたが――。
結局――。
「ワードナーとゾーマを頼ろう」
その結論を、口に出して言う。やっぱ。それしかない。
「わーどなーと、ぞーま、いるよー?」
ノートパソコンに向かっていたろとが、そんなことを言った。
「え? いるの?」
「うん。いるよー。いま狩り終わったところー」
そういえば、しばらく前から、ろとはネトゲにログインしていた。
キーボードをかちゃかちゃと打っていた。過疎っているゲームのこと。ログインしてくる人間といえば、ワードナーとゾーマの二人ぐらいしかいるはずがない。ろとがチャットでお話をする相手も、その二人以外に、いるはずがない。
「じゃあ、ちょっと話があるって言って――」
「あ、行っちゃったー」
「呼び止めろー!」
時すでに遅し――。
ワードナーとゾーマはログアウトしました、というシステムメッセージが見えるだけ。
タッチの差で、行ってしまった。
しまった! 困った! 二人に連絡をつける手段がなくなってしまった。聞いてないのだ。二人の連絡先は。携帯番号でも、LINEのIDでも、交換しとけばよかったー!
「あー。もう! どこ行きやがった!」
「お昼休みおわりだから、しごとって、いってたよー」
「でかした!」
俺はコタツから立ちあがった。
ゾーマの仕事場はわからないが、ワードナーの仕事場なら、なんとなく聞いていた。駅前のデパートっぽい百貨店の化粧品売り場だ!
◇
「いらっしゃいませー。お客様。本日はどのようなご用件でしょうか」
「あの。内容証明がきてさ――」
「そうですねー。こちらのお嬢様は、肌がとても綺麗でいらっしゃいますからー。ナチュラルメイクとがお薦めですね」
「いえ。ですから……。あのですね」
営業スマイルを浮かべる美女につられて、俺も、ついつい丁寧口調になってしまう。
これ誰これ? 本当にワードナー?
服も顔もいつものワードナーなのだが――。立ち居振る舞いは、まったく普通の人で――。完璧に〝偽装〟しきっているというか。
「どうでしょう? お試しされていかれますか?」
「いえ。あのその」
ワードナーは営業スマイルを浮かべて迫ってくる。
仕事時間に仕事場に押しかけてきたのがいけなかったろうか。迷惑だったろうか。
「さあさあ。こちらにお座りください」
「いえあの。帰ります……」
俺がそう口にしたときだった。
(座れ、っつってんのよ)
ドスの利いた声が、一瞬、響いた。その声の迫力に、俺は動けなくなって――。
ろとは、「わーい」と、椅子に座った。
「まー、お嬢様ー。お肌。本当に綺麗ですわねー。きちんとお手入れされていますわねー」
「なんにもしてないよ?」
「まー、若いって、いいですわねー」
「わーどなー。なにするのー? おけしょーするの?」
「ワードナーではなくて、渡辺ですわー」
F99を誇るバストのところについた名札には、「渡辺」と書かれている。
意外と普通の名前だった。ぜんぜん似合ってねー。
「お嬢様は、お化粧が初めてのご様子ですから、今日は軽~く全体的にやってみますわ」
化粧品の瓶や蓋をいくも開いて、何種類もの道具を使いこなして――。
彼女は、ろとの顔に色々なものを塗りたくっていった。
さすがプロ。手際がいいことだけはわかる。一つ一つのプロセスで、なにをしているのかは、まったくわからないが……。
「お兄様と一緒にお買い物ですかー。いいですねー」
彼女が言う。
「いや。あの……」
わかってくるくせに。なんでそんなことを。
あと、俺たちは、世間一般的には、兄と妹に見えるわけか。……ほんとか? そうか? そうなのか? なんかちょっとショック。
(もー、仕事中に、なんなのよー)
ろとの顔に試供品を塗りたくりながら、ワードナーは、ようやく聞こえる小声で、そう言った。
(いや。ちょっと相談したいことがあって……)
(夜でいい? それともいますぐ? それ緊急?)
緊急なら仕事を抜けてくれるという意味か。そこまで切羽詰まっているわけでもない。
(あ。ああ。うん。だいじょうぶ。夜で……)
(じゃあ九時に。ゾーマと行くから)
(ああ。うん。たのむ)
◇
その後、彼女は――。「美容部員のお姉さん」を立派に勤めあげた。
俺たちは、「美容部員渡辺のおすすめコスメ基本セット」を買わされ――。
美少女度が一桁くらい跳ねあがった、ろとを連れて、俺は家に帰った。
ろとは家につくなり、ばしゃばしゃと洗面所で顔を洗って、すべてを洗い流してしまった。
俺が残念そうな顔をしていると、「ん?」と、ろとのやつは、まったく分かっていない顔……。一日ぐらい観賞していても、よかったのだが……。
まあ、いまはそのことよりも、目先の問題だ。
俺たちは、ワードナーとゾーマの二人を待った。
◇
本日夕方までの出費。
基礎化粧品。九七八三円。
ベースメイクコスメ。一一三八二円。
ポイントメイク。二四五三八円。
道具他。七二三五円。
合計。五二九三八円。(化粧品、たっけえええええええ!)