大六畳間最後の日①
「ねー。とれぼー」
いつもの大六畳間。いつもの昼すぎ。
ろとが、とことこと歩いて、なにかを持って玄関から戻ってきた。
さっき、ピンポーンと鳴って、はーいと、ろとが、とことこと出ていって――。
通販は頼んでないから、きっと郵便だろう。
「なんかー。てがみー? きたよー」
「手紙?」
「はんこ、くださいって言われたけど……。はんこ、なかったら、名前書けばいいんだってー」
「判子? サイン? 書留かなんかか?」
「……? わかんなーい。はいこれ」
ろとから手紙を差し出される。
「配達証明」だとか、赤字で、でかでかとスタンプが押されていて、なんか禍々しい香りがぷんぷんしたが、とりあえず中を開いてみようと――。
「ろと。カッター取ってくれ」
「ぼく。とれるよー」
受け取るポーズで手を伸ばしたまま、封筒の宛先のところをみる。
へー。これ。ろとの本名か。かーいー名前じゃん。
手の上に、ぽんと、なにかが置かれたので、俺は封筒の封を切ろうと――。
「――これは割り箸。カッターちがう」
「ひゃっひゃっひゃっ。――ひっかカッター!」
「ダジャレはいいから。ほい。カッター持ってくる」
「はーい」
後ろ手からカッターがすぐに出てくる。なんだ。ちゃんと持ってきてたんじゃねーか。
俺は封筒を開いた。なかの文面を読む。
「おてがみ。なんて書いてあるのー?」
「まだ読んでないって」
「読んで読んでー」
握った手を、上げ下げして、ろとはおねだりする。
「ええと……」
俺は、読んでやった。
「――なになに。貴殿は再三の催促にも関わらず契約更新に応じることなく、現状、賃貸契約は結ばれていません。よって、現在、貴殿は、不当占拠の状態です」
え?
俺はまばたきを繰り返した。
その先を読む。
こんどは、声に出さずに読んだ。
『弊社が所有することになりました、当アパート(以後、甲物件と呼称する)は、○月○日をもって取り壊しを行います。よって、×月×日までに、すべての荷物と共に、退去して頂きたく――』
え? え? え?
頭の中が真っ白になった。
文面がまるで頭に入ってこない。
「とれぼー。なんて書いてあるのー?」
「いや……、わからん」
俺は手紙を、ろとに渡した。
ろとはしばらく手紙を読んでいた。ろとが読んで、理解できるとも思えなかったが……。
いったいどう説明すればいいのだろうか。
ろとに、どう言えばいいのか……。
「出ていけって、そう書いてあるみたいだよー?」
「え? 読めたの? わかるの?」
「とれぼー。ぼくのこと……、ばかにしてたりする?」
「いや。ごめん。いや。わるい。ろとは、もうちょっと……、その……」
「もうちょっと?」
じっとりとした目で見つめられる。
「もうちょっと……、つまり、あれだ……。ろとだよなー、って」
「それ。答えになってないよー」
ろとはそう言うと、ぎゅっと俺にしがみついてきた。
俺はちょっと驚いたが、ろとを抱き返してやった。その背中を、ぽんぽんと叩いてやる。
ろとの小さなからだは、すこし、震えていた。
それは、手紙に書かれたことが、ちゃんとわかっているという意味だった。