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全身麻酔

作者: 愛山 雄町

 愛山雄町退院記念作品?

 明日二〇一六年一二月五日に退院するため、折角なので病院から投稿してみました(笑)。


 手術を受けた時に思ったことをエッセイにしようと思いましたが、なぜかホラー調になりました。ジャンルとしてはホラーでもないと思ったのですが、該当するところがなかったので、そのままホラーとして投稿しました。



 皆さんは全身麻酔というものを受けたことがあるだろうか。

 私は人生の中で二度、全身麻酔を伴う手術を受けている。その経験からある疑念を抱いている。


 最初の手術は学生時代、十九歳になったばかりの頃だ。足に大けがを負い、八時間にも及ぶ手術を行っている。

 最初の手術は六月の中旬頃だった。午前十時に病室を出て手術室に入り、麻酔用のマスクを付けて数秒で意識を失った。次の記憶は午後七時前。一年で最も日が長い時期であったが、既に窓の外は夕日でオレンジ色に染まっていた。

 その間の記憶は一切なく、六月の梅雨の合間の眩い陽の光が突如として夕日に変わったとしか私には思えなかった。


 普通の睡眠ならどれほど熟睡しても寝ていたという意識は多少なりとも残る。しかし、全身麻酔はその感覚が一切なく、私にとって麻酔が効いている時間は完全に存在しない時間だ。

 もし、手術中に医療事故が発生し死んていたら、自分の死を認識することなく、魂が消失していたのではないか、そんな恐怖を感じたことを覚えている。


 次に手術を行ったのはつい先日だ。

 今回の手術は四時間程度と前回より遥かに短い。それでもその四時間という時間は私の魂が存在しない時間だ。


 全身麻酔を行っている時間は“魂が死んでいる”時間だと私は考える。もちろん、懸命に治療を行っている医療機関の人たちに言える言葉ではないし、現実的には脳の機能を低下させているだけで決して“死んでいる”わけではないことは理解している。


 それでも私は恐怖を感じている。

 私の“魂”は一度死に、そして復活した。それも唯の復活ではなく、同じような並行世界から肉体に飛んできたのではないかと。


 私の漠然とした恐怖は一笑に付される類いのものだろう。しかし、私には確信があった。

 一度目の手術の後、そして、二度目の手術の後にあったことをお話ししよう。


■■■


 私は十九歳の時、事故で大腿骨と股関節を骨折するという大けがを負った。

 その頃、学業も遊びもほどほどにしている、ごく普通の学生だった。特に孤立することもなく、学校にも地元にも何人もの友人がいた。


 手術が行われたのは六月の中旬、長時間にわたる手術だったが、無事成功に終わった。特殊な手法を使った手術であったため、術後も二週間以上寝たきりの状態で、麻酔が切れた後の痛みは酷く、精神的にも辛い時期だった。また、リハビリを含め二ヶ月近い休みが必要であり、単位のことを考えると憂欝になっていた。


 私は手術の前後で違和感を抱いていた。

 具体的には言いにくいが、何かが違う、自分の記憶と“この世界”にどこかずれがある。日本の歴史が大きく変わっているとか、家族が全く知らない人になっているとかではない。ほんの些細なことが自分の記憶と微妙に異なっていたのだ。

 しかし、私はその違和感を手術後の不安定な精神状態が影響したものだと考え、特に気にしないようにしていた。

 そして、一年も経つと感じていた“違和感”が薄れ、“この世界”が“元の世界”と同じであると認識し、“普通”に生きていた。


 それでも、ふとしたことで違和感が頭をもたげてくる。

 一九八五年に阪神が日本一になった時の話が出た際、その時の背番号「一」が誰だったのかという話で盛り上がった。私は自信を持って「長崎」と答えたが、実際には「弘田」だった。優勝前から大の阪神ファンであったことから絶対の自信を持っていたが、それが間違っていたのだ。

 単純な記憶違いだと言われればそれまでだが、一九八五年の新ダイナマイト打線は全員の名前と背番号を三十年経った今でもほぼ覚えている。それがスタメン争いをしていた選手とはいえ、一桁の背番号の選手の名を間違えたのだ。それもセンターとレフトという違いまできちんと記憶しているのにだ。


 他にも記憶違いはあった。

 バブルの崩壊の年は一九九一年と言われているが、私の記憶では更に数年後であり、株価は四万円を超えていたはずだ。しかし、実際には四万円の壁は超えず、三万九千円の手前で失速している。

 これも記憶違いだと言われればそれまでだが、この程度の数字を間違えて覚えるほど記憶力は悪くはない。


 他にもあるが本当に些細なことだ。

 小学校時代の友人の名前が微妙に変わっていたり、教室の位置が違っていたりで記憶違いと言われれば言い返せないほど些細なことがいくつもあった。


 そんな違和感は五年もすれば完全になくなった。


 しかし、二度目の手術で決定的な違いを見つけてしまったのだ。


 私の両親は共に健在だった。父は既に八十五歳になったが、病気になることもなく元気にグランドゴルフを楽しんでいた。母も同様に健康で二人で実家に住んでいたはずだ。

 しかし、私が目覚めた世界では父は既に他界していた。それも七年も前に。


 母が手術の翌日に見舞いに来た時、一人だったことからおかしいとは思っていた。歳を取り多少足腰が弱っていたが、電車を乗り継げばそれほど難しい場所ではなく、父が来ないことに違和感を抱いた。

 それとなく話をすると、父が他界していると知り、愕然とした。

 病気で入院していたことや葬式のことが一切記憶になく、その時は話を適当に誤魔化したが、母が帰った後、自分が“この世界”の住人ではなく、別の世界に住んでいたことを思い知らされた。

 数日経ってもその違和感は消えず、妻と話をしても噛み合わないことが多かった。妻は痛み止めの影響だと思っているようだが。



 そして今、更なる恐怖を感じている。

 私はすべての知り合いを失ったのだと。

 その上でどう生きていけばいいのか。

 “この世界”に順応するしかないのか。


 私は今、インターネットで情報を検索することに恐怖を感じている。

 自分の記憶と“この世界”がどれほど違うのか。それを知ることにより、“この世界”が全く知らない世界だと再認識させられることが恐ろしい。


 この話は誰にもしていない。

 こんなことを話せば間違いなく、精神科を受診させられ、記憶障害等の精神障害を疑われるだろう。


 この文章を読んだ方に知って頂きたいことがある。

 単なる記憶障害だと思われていることが、実は障害でも何でもなく、魂が入れ替わった結果かもしれないということを。

 もし、親しい方でそんな方がいるならば、その方を否定しないでほしい。その人は間違いなく事実を言っているのだから。


■■■


 魂の死とは何か。

 それ以前に魂とは何か、私には分からない。

 脳の中で起きている電気信号が魂という人もいる。

 しかし、本当にそうなのだろうか。

 私には分からない。


 ただ私は少なくとも“二度”死んだと思っている。そして、“二度”復活した。

 それもそれまでの“世界”とは異なる、並行世界パラレルワールドに。

 本作品はフィクションです。

 最初の手術の時に自分の魂はどうなったのかという根源的な恐怖を感じ、そして、今回の手術でも同じように恐怖を感じました。

 それは本文中にも書きましたが、「手術中に死んだら自分は死を認識することなく消滅する」というものです。

 死の恐怖というのは人それぞれだと思います。私の場合、自らの存在が消え去ることが一番の恐怖です。そして、それを自らが認識できないことも恐ろしいと感じています。

 全身麻酔はある種の“臨死体験”というのが私の率直な感想です。


 ちなみに前回も今回も“今のところ”記憶違いは起きていません。弘田と長崎の話は完全に作り話です(笑)。未だに新ダイナマイト打線の時の選手はきちんと覚えています。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 意識の完全な断絶は死と同じであるという話を聞いたことがありますが、それを思い出しました。
[良い点] もう出ないと思った人物が出て良かったです [一言] お返事ありがとうございます。私は自分に起こった事柄を架空の人物に任せて精神って何か?と考え着いた先は過去を含めて精神の生長の援助を過去か…
[一言] ただ私は少なくとも“二度”死んだと思っている。そして、“二度”復活した。私が救急搬送為れて居る時に死ぬって是?と思い搬入中翌朝の思考の中で復活ではなく人生の回帰巻き戻り生きて居る時空間の躰に…
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