こわれゆく世界 9
方向性は定まった。
家畜のエサになっているという大豆や芋を、まずは人間の食べ物として普及させる。
大豆は枝豆に、芋はフライドポテトにでもすれば、さすがに家畜のエサには見えないだろう。
さしあたりはこれで凌ぐ。
一方でギャグドを狩って、この肉を恒常的に食べさせるようにする。
幸い、肉食に忌避感がないようなので、美味ければ食うのではないかと推測している。
人間は、平和の使者だろうと海のギャングだろうと、美味しかったら食べちゃうのである。
「まずは枝豆でも作ろうか。さすがにこれくらいなら私でも調理できる」
「私は大豆を用意すればよろしいですか?」
ミエロンが申し出てくれる。
市場にでも行って仕入れようと思っていたから、これはありがたい。
「お願いできますか? 成熟していない青いやつで、殻ごと。枝ごとでもかまいません。それから塩と水ですね。あ、もしかして塩は貴重ですか?」
「無料みたいなもの、というわけにはいきませんね。大豆の方は安価です」
それなりの値段はする、ということだ。
まあ、現代日本の塩が安すぎるのである。
普通はもっと高いし、その権益を巡って戦争が起きたことだってあるのだ。
しかし、塩ゆでにするのに塩がなくてははじまらない。
多少の出費はやむを得ないだろう。
「かまいません。ある程度の量を確保してください。具体的には、豆三百グラムに対して塩が四十グラム必要です」
この世界の度量衡はメートル法ではないため、実際にミエロンに伝えた数字と単位は異なる。
「その程度の量であればまったく問題ありません。むしろウチの厨房から出せますよ」
笑いながら言ってくれた。
将来的な生産ベースを考えれば、きちんと仕入れをおこなった方が良いのだろうが、今回はあくまでも試作である。
好意に甘えることにする。
やがて、ミエロンの意を受けた店員が、枝ごと枝豆を持ってきてくれた。
来店時に対応してくれたあの女の子である。
「お父さん! 持ってきたよ!」
「お客様の前では商会長と呼びなさい。いつも言っているだろう。ミレア」
「ごめんなさーい!」
心温まる会話である。
つまり、彼女はミエロン氏のご息女らしい。
「やれやれ。粗忽者で手を焼いておりましてな。もう十六になるというのに、嫁の貰い手もない。困った娘ですよ」
恐縮したように苦笑するミエロン氏であったが、溺愛しているのは丸判りだ。
ミレア嬢が嫁ぐときには大泣きすること請け合いだろう。
「せっかくですから、娘さんもやってみませんか? とても簡単な料理ですよ」
「料理なのですか? 薬では?」
「良薬口に苦しというのは、神仙流ではないのですよ」
ミエロン氏の質問に、私は適当なことを答えた。
さすがに枝豆を薬と称するのは無理があるだろう。
厨房に移動する三人と一頭。
まあ見学といっても、本当にたいした料理をするわけではない。
よほどのことがない限り一発で憶えられる。
しかも私のやり方を忠実に再現する必要もないのだ。何年か前に公共放送の裏技紹介番組でやっていたのを私も憶えただけ。
こういう茹で方をしたらぷりっと美味しいというだけで、とくに何も考えずに茹でても、枝豆はけっこう美味しい。
枝から外した枝豆のさや、この両端を切り落として塩もみする。
鍋に入れた水を沸騰させて塩を入れ、枝豆を投入して三分から五分。
このときの水は一リットル。
塩もみするときに十グラムの塩。お湯に入れる塩は三十グラム。
茹であがったらざるにあけ、団扇とかであおいで冷ます。
これだけである。
「簡単じゃのう。これで料理だとエイジは主張するのかや?」
「まあぶっちゃけ、分量はもっと適当でも大丈夫さ」
呆れるティアマトに、より呆れるようなことを言ってあげる。
家畜のエサだったはずの大豆を、不思議そうに見つめるミエロン父娘。
まだ成熟しておらず若いため、鮮やかなまでの緑色だ。
「さやは食べられないんで、こうやって指で豆を押し出して食べてみてください」
皿の上にいくつかの豆を出し、まずは私が食べてみせる。
うん。悪くない。
初夏という季節も良かった。
ちょうど枝豆の収穫時期だ。
もう少し季節が進めばシーズンオフである。
逆にいうと、最も脚気患者が増える夏に、ぎりぎり間に合ったということだ。
ティアマトが豪快に口に運ぶ。
さやごと。
「だから、さやは食べられないって」
「大丈夫じゃ。普通に食えるぞ」
「これだからドラゴンはっ」
「んむ。うまい。良い塩加減じゃ」
「さいですか……」
本当に味がわかっているのだろうか。
あやしいものである。
私たちの漫才を見ていたミエロン父娘が、おそるおそるといった感じで枝豆に手を伸ばす。
家畜だって食べているのだから、べつに人間が食べても毒ではない。
障害となるのは、家畜のエサなんか食えるか! という思いこみだ。
案外、食べたら美味しいものはけっこうあるのだが。
「ほほう! これはなかなか!」
「美味しい!」
父娘が目を丸くする。
味付けは塩だけなので、むしろ単純な味だ。
だからこそ受け入れやすい。
複雑玄妙な美味というのは、舌が肥えてないと判らないものである。
フォアグラもトリュフもべつに美味しいと思わなかった、やっすい舌の私がいうのだから間違いない。
「本当は、枝豆で食べるための大豆というのもあるのですよ。そのための品種改良をして」
「そちらの方が美味しいということですかな?」
ひょいぱくひょいぱくと豆を口に放り込みながら、興味津々でミエロンが訊ねてくる。
まあ、マナーを必要とするメニューではないので、目くじらを立てるような話ではない。
「たぶんそうなのでしょうね」
私は農学者でも食通でもないので、詳しくは判らない。
「売り物になりそうだね! お父さん!」
にこにこと笑うミレア嬢。
うん。ちょっと落ち着こうか。
新商品の試食会ではない。
「さしあたり、この枝豆をたくさん食べて欲しいのですが、どうでしょう?」
こほんと咳払いをし、私は本題を切り出した。
「これがだるさの治療薬なのですか?」
「そういうことです。本当は一日に五百グラムくらい食べていただきたいのですが」
ビタミンB1の推奨摂取量は一.四ミリグラムくらい。
枝豆百グラムには〇.三ミリグラムくらい含まれてるはずだから、これだけでクリアしようとしたらけっこうな量になってしまうのだ。
ちなみに玄米の含有量は枝豆の半分くらいだが、ご飯というのは、とにかく毎日食べるものなので自然と摂取することができる。
枝豆五百グラムを毎日食べ続けるというのはわりと大変だろう。
「少しばかり多いですな。美味いので一回二回なら苦にもなりませんが」
「ですよね」
私のプランの弱点は、まさにそこなのである。
豆でも芋でもいいが、そんなに毎日食べられるわけがない。
「そこは、調理法次第でどうとでもなるのではないかの?」
横から口を挟むティアマト。
もっしゃもっしゃと、さやごと咀嚼している。
言っていることはもっともなのに、説得力が皆無である。
彼女なら、五百グラムでも一キロでも食べられるだろう。
「そうなんだけどさ。私はこれしか調理法を知らないんだよ」
実家住まいの独身男なのだ。
料理など数えるほどしかやったことがない。
女子力が低くて申し訳ありません。
「使えないやつじゃのう。今に始まったことではないが」
「悪うござんしたねっ」
「料理法なら、これから考えれば良いんですよ! 柔らかいし、何とでもなります!」
どんと胸を叩くミレア嬢。
女子力の高い人がいた。
「エイジさま! これウチで売って良いんですよね!」
爛々と目を輝かせている。
高かったのは女子力ではなく、商魂だったらしい。
「あんまり阿漕な商売はしないでくださいよ。あくまで脚気に苦しむ人の治療のためなんですから」
「任せてください! 採算度外視でいきますよ!」
きっぱり言っちゃってるが、本当だろうか。
まあ、疑ったところで私に何かできるわけではないのだが。
販路も持っていないし宣伝方法もない。
このあたりは商家の力を借りるしかないのである。
「ほどほどにお願いしますよ」
苦笑する私だった。