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エピローグ


 児玉理緒(こだま りお)という少女は不幸であった。

 過去形である。

 母親と、その再婚相手である血の繋がらない父親から虐待を受けていた少女は、ある日を境に変貌した。

 なんてことのない普通の日だった。

 寝床から這い出した理緒は、暴行の痕の残る身体を引きずって交番に駆け込んだ。

 大騒ぎになった。

 すぐに児童相談所が動き、彼女は保護された。

 ただじっと耐えていた少女は、まず自分の身の安全を確保した。

 その上で、彼女は事態の改善を図るべく、幾度か母親と面会する。

 もちろん相談員の立会のもと。

 暴力に怯え、心を閉ざしていた少女の表情では、もうなくなっていた。

 それは、おそらくは日本の人々には理解できないであろう表情。

 十万にものぼるモンスター軍団を指揮統率し、大陸に巍然(ぎぜん)とたつ王国を建国し、ふたつの大国の王を向こうにまわして交渉を推し進める魔王の顔だ。

 自信と風格があり、大人に気圧されることもない。

 理路整然として落ち着いた話しぶりに、相談員などは感心したほどである。

 だが、だからこそ母親との面会は不調に終わった。

 少女の母は、どこまでも感情の人間であり、それを適切に統御できなかった。

 理緒がどれほど情理を尽くそうとも、まったく彼女のことを理解しようともしなかったのである。

「仕方のないことだと思います。母はまず自分が可愛いし、自分が一番可哀想なのです。あたしのために自分が不幸になるのを(がえ)んじることはないでしょう」

 結果について語る理緒に、相談員は声を詰まらせた。

 親元へ戻せないとなれば児童福祉施設で保護するしかない。日本という社会において、それがハンディキャップになることを相談員は知っていたからである。

「ご心配なく。もうすぐ王子様が迎えにきてくれる手筈になっていますから」

 意味不明な言葉であった。

 気でも触れたのか、と思うよりもはやく、少女の言葉は現実になる。

 本当に王子様が現れたのだ。

 整えない前髪が爽やかな印象の少年。

 彼は六条燕(ろくじょう えん)と名乗り、理緒を迎えにきたと告げた。

 まるっきり謎の状況である。

 もちろんそれだけならば子供のやること。

 相談員が首肯することはなかっただろう。

 しかし燕はちゃんと両親を伴っていた。そしてその両親から養育家庭制度を使って理緒を引き取りたいという申し出があった。

「すまねえ理緒(リオン)。ちっとばかり待たせちまったか。親の説得に時間がかかってな」

「想定の範囲内だよ。(エン)

 笑みを交わす二人は、まるで長年連れ添ったパートナーのように自然体で、違和感がなかった。

 少女はかつて不幸であった。

 だが、いまはそうではない。

 すべてを受け入れ、命を賭けてでも自分を守ってくれる存在がいる人間を、不幸とはいわないだろうから。




 羽田から新千歳まで。

 一時間ほどの空の旅だ。

 距離にすればざっと八百二十キロ。

「あっちだったら一ヶ月くらいかかるよな」

 燕が笑う。

「そもそも津軽海峡を越える方法がない。ブラキストンラインは強敵」

 真顔で理緒が返した。

「超強そうなんですけどっ!」

 残念ながら、勇者といえども戦える相手ではない。

 津軽海峡に棲息する怪獣の名前とかではないので。

 別名は津軽海峡線。

 トーマス・ライト・ブラキストンが提唱した動植物の分布境界線である。

 この線を境に住んでいる動物ががらりと変わる。

 すごく簡単にいうと、ツキノワグマは北海道にはいないし、ヒグマは本州には存在しないということだ。

 ゴキブリなんかもかつてそういわれていたが、あれは北海道にもごくわずかに存在する。

 北の大地に降り立った若者ふたり。

 観光旅行ではない。

 もちろん婚前旅行でもない。

 一応はカップルで、将来は結婚を約束しているのだが、なんというか若者らしい無軌道さとは無縁で、燕の両親も二人が通う学校の教師も奇妙な安心感をもって見守っている。

 知人の結婚式に出席するため北海道に行くと告げたときも、とくに心配もされなかった。

「それはそれで張り合いがないんだけどなっ」

 とは、燕少年の勝手な言い分である。

 親子は一世(いっせ)、夫婦は二世(ふたせ)、などという言葉もあるが、それを地でゆく二人だ。

 互いの良いところも悪いところも全部知っている。

 いまさら間違いなど起きようもない。

 むこうではひ孫までいたのだから。

「やあ。ひさしぶり。おふたりさん」

 突如として声がかかる。

 振り向いた燕と理緒。

 立っていたのは、知らない人だった。

 小太りで血色の良い中年女性。

 どれだけ記憶層を探ろうとも、まったく心当たりがない。

 首をかしげる二人に女性が笑う。

「つれないなぁ。一緒に戦った仲なのに」

「まさか……エミルなの……?」

「リオン正解。魔法少女のエミルちゃんだよ」

「うわぁぁぁぁぁ!?」

 頭を抱えて燕がうずくまった。

 空港ロビーの一角で。

 なかなかに迷惑な少年である。

 一応、知ってはいたのだ。リオンよりも幼かったエミルが見た目通りの年齢ではないと。

 むこうの世界に行くときに姿を変えたのだと。

 判ってはいた。

 しかし、

「あんまりだぁぁぁぁぁっ!」

 理解は拒否したようである。

「それはそれで失礼なヤツね」

 腰に手を当てて憤慨する女性。

 五人のなかで、もっとも早く帰還したのは彼女である。

 自身が観光と言明していたとおり、世界に深く関わることもなく、好きなようにふらふらと旅をして、二、三年のうちに去っていった。

 去り際に、挨拶程度はしていったが。

「エミルも結婚式に?」

 恋人の惨状をとくに気にした風もなく、理緒が問いかける。

「そ。毎年お歳暮ももらってるしね。イクラの醤油漬け。うちの子らにも評判いいんだわ」

 ちなみにエミルの子供たちというのは、理緒や燕よりも年長である。

 どうでも良い情報だ。

「持つべきものは北海道在住の友人ね」

 くすりと笑い、理緒が恋人を起こしてやる。

 勇者はうろたえない、などと声をかけながら。

 ほほえましい光景であった。

 彼女は、札幌で執り行われる友人の結婚式に参列するため、本州から馳せ参じた。

「リオンたちもなんでしょ?」

「そう。それと少し相談事があって」

「ほほう?」

「基金を作りたいんだよね」

「なるなる。ふたりもあのお金をもてあましちゃってるクチね」

 豪快に女性が笑う。

 三人とも、じつは宝くじの高額当選者である。

 一生、働かないで食べていけるだけの貯蓄があったりするのだ。

 恥じらいなんて言葉は知らないよ、とでもいうような態度に、燕はげっそりした。

 おかしい。

 リオンもむこうで子供を産んだし、子育ての経験だってしているが、こんな歳の取り方はしなかった。

「……べつにもてあましてるわけじゃねえよ。目的があるからとっといてるんだ。お……エミルさん」

 直前で何かに気付いて言い直す。

 野生の勘である。

 勇者の称号は伊達ではないのだ。

 きっと。

 たぶん。

「それが基金? なにをするつもりよ」

 出口へと歩を進めながらエミルが質問する。

「オレンジリボンって知ってる? エミル」

 理緒が質問で返した。

 小さく頷く中年女性。

 児童虐待防止運動のシンボルである。

 起源は二〇〇四年。栃木県で起きた幼い兄弟の虐待殺人事件だ。

 一度は保護されたにもかかわらず、諸機関の対応が適切ではなかったため、殺人事件にまで発展してしまった。

 すべての関係者が忸怩(じくじ)たる思いを抱き、もう二度と悲劇を繰り返さぬために立ち上げたのがオレンジリボン運動である。

 立派な志だし、尊いもの。

「でも、人もお金も足りてないの」

「デリケートな問題だしねぇ」

「でも、ティアとエイジなら、あたしたちの持っているお金を使って何かできる。絶対」

 静かな信頼を込めた言葉。

 大きく燕も頷いた。

 エミルは、彼らがどのような信頼関係を築いてきたかを知らない。

 しかし、それは盲信だと笑う気にはならなかった。

 神の思惑をひっくり返し、ついには神まで打倒できるような男なのだ。

 何の力も与えられていなかったのに。

 悩むのではなく考えることで、俯くのではなく行動することで、疑うのではなく信じることで、不可能を可能にした男。

 若者たちが信頼を寄せるに足る人物であるように、彼女には思えた。

 きっと、そういう人物のことをヒーローというのだろうと。

 照れくさいので口には出さないが。

 三人の視線の先。

 かつての仲間を迎えにきたヒーローが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。

 頼もしいパートナーとともに。


ここまで読んでくださりありがとうございました。

またいつか、文の間にてお目にかかりましょう。

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