神殺し! 10
ルタラナシア大陸の歴史は、驚くほど特筆すべき点がない。
あまりに戦争が少ないゆえに。
大陸暦という、わけのわからない各国共通の暦が用いられるようになってからおおよそ千年の間、史書に記載された戦争の数はゼロである。
大小百近い国がひしめくこの大陸では、武力による問題解決という手段は一度として採られなかった。
折衝、交渉、話し合い、談合、取引。
とにもかくにも、軍事力以外のすべてを使って相互殺戮だけは避ける。
そうやって、平和と安寧を築き上げていった。
中心となったのは、三華国とも呼ばれる三つの大国である。
アズール、ノルーア、そしてエリオン。
大陸暦の制定に多大な貢献をした彼の国々は、世界に冠たる武力を持ちながらも、それを行使することを非常に嫌った。
もちろん軍隊を派遣して敵国を包囲し、補給路を断っておいて交渉を迫る、などという局面は幾度もあったが。
一戦も辞さずという考えを貫きながらも、容易に剣を抜かない。
ぎりぎりまで妥協できるラインを探る。
病や事故で死ぬものがいても、戦で死ぬものはいない。
他の大陸からみればあまりにも奇妙な姿勢が生まれたのは、大陸暦が運用されるより少し前のことだという。
アズール王国とノルーア王国の間に、一触即発の緊張があった。
交易品の利益を巡る摩擦が原因である。
その危機を回避せしめた人物がいた。
両国の王とも親好があった神仙であると史書は伝えている。
彼は幾度も両国を往復して王たちと折衝し、妥結点を探し、果ては第三国たるエリオン王国の武力まで背景にして、開戦を未然に防いでのけた。
どうすれば納得できるのか、どうすれば解決できるのか。
ひたすら真摯に、愚直に模索する姿に王たちは感じ入り、軍事力による決着をついに断念したという。
人々は歓喜し、神仙の知恵を称えた。
以来、この三国では交渉を途中で断念するのは、最も恥ずべきこととされるようになる。
「神仙の知恵に習え」などという警句が使われるようになったのも、この時期であるとされている。
地上から戦は遠ざかり、かわって平和と安寧、発展と文化が闊歩するようになった。
血の流れない時代。
それは千年に渡って続く。
民は泰平を楽しみ、後に神仙の時代と呼ばれるようになった。
これは、神仙の名がエイジであると伝えられていることから、時代とエイジをかけた呼称である。
「とまあ、これがきみの為したことの結果だよ。風間エイジくん」
ぱたんと本を閉じ、絶世の美女が言った。
何もない空間ではなく、やたらとシックな書斎のような場所だ。
肘掛け椅子に足を組んで座った美女は恒星間国家連盟の監察官。
私にとっては三度目の邂逅である。
体感的には四十年ぶりくらいだが、久闊を叙す前に、
「なんで本を閉じる動作をしたんですか? あと、ここどこですか?」
つっこんでおかないといけないだろう。
「演出だよ。せっかくのゴールなのだから、イベントめいたものがあった方が盛り上がるだろう?」
書斎で本を読む美女というのが何かのイベントだというのか。
高度すぎて私には判らないよ。
「内心ツッコミも健在のようだね。安心したよ」
「息をするように心を読むのはやめていただきたいのですがね……」
「いやいや。つい先ほどまでの死にかけた老人のような精神状態だったら、今後の生活にも困ると思ってね。きみの心が賦活するようなシチュエーションにしてみたのだよ」
「格別のご高配、ありがとうございます」
ようなっていうかさ。
死にかけの老人だったんだよ。正真正銘ね。
私はあの世界で、七十二歳まで生きた。
晩年はエリオン王国の王都であるエリンで過ごすことになった。
なんというか、知己が次々と亡くなっていくのに耐えられなかったのだ。
とくに私より年少の人たちが。
とてもとても根性のないことで恐縮だが、私より長く生きる人たちの元へ身を寄せたのである。
いわゆる隠居だ。
これが三年ほど前のこと。
そしてつい先ほど、ずっと連れ添った愛妻と、エンやリオン、その子や孫たちに看取られて息を引き取った。
私の旅は終わったのである。
そしてゴール地点で待ちかまえていた監察官さまが、親切丁寧に私の治績を解説してくれたというわけだ。
しみじみと、たいしたことしてないなぁ。
「本来の目的であったはずの脚気の治療について、なにひとつ触れられなかったくらいですしねぇ」
「そうだね。風間エイジくん。きみの功績はどこの国の公式記録にも見出すことはできない。私が読み上げたように、市井に流布する伝説がせいぜいだろう」
肩をすくめる監察官。
「だからこそ、きみは成し遂げたのだと私は思うよ」
付け加えた後に、優しく微笑する。
「だといいのですが」
脚気の特効薬となった神仙漬け。あれを広めたのはミエロン氏やラインハルト王、ライザー王の功績だ。
両国の戦争が回避できたのだって、二人が聡明だったのと、なによりリオンが練り上げてくれた妥協案が大きいだろう。
私がやったことなんて、草案を抱え、ティアマトの背に乗って飛び回っただけだ。
一日でリシュアとノルンを往復できちゃう移動力はたしかにすごいけど、かなりの勢いでティアマトの功績ですよね。
うーん。
しみじみと脇役だな。私。
くすりと監察官が笑う。
「それでもきみたちは世界を救い、千年の平和を手に入れたよ。誇りなさい。きみは歴史の主役ではなかったかもしれないけれど、助演男優賞くらいはもらえるだろうからね」
「そう思うことにします」
私も笑みを返した。
チートもなんもない一般人にしては良くやった方だよね?
きっと。
「ところで、その後の歴史もきくかね?」
膝に置いた本に手をかける監察官。
いかにもそれに記載されてるんだよって雰囲気を出してますけど、それただの小道具ですよね。
実際はあなたの頭の中に、ぜんぶ入ってますよね。
「……やめときます。きけば気になりますから」
内心のツッコミは口にせず、私は答える。
旅は終わったのだ。
もともとたいした役割を果たしたわけではないが、ここから先のシナリオに私の出番はない。
「そうか。では報酬の話に移ろうかな」
「報酬がでるんですか?」
「なにか不思議かな? 労働には対価が伴うものだろう?」
「や。そーなんですけど。監察官からお金をもらった場合、申告とかどうしようかな、と」
公務員なもんで、副業は認められてないんですよ。
あと、異世界を救った報酬ですといって確定申告できるかどうか、けっこう疑問だと思うんすよね。
認めてくれるかなぁ。税務署さん。
「なんの心配をしているのやら。まず考えるのが税金対策というのは、小市民ぶりも度が過ぎるというものではないかね?」
「大事なことじゃないですか」
異世界を救ったけど脱税で捕まりました。
なんて結末は、ちょっと笑えないのよ?
「心配せずとも税金のかからない渡し方を考えているよ。サマージャンボ宝くじを買いなさい。できれば連番でね」
うわぁ。
そーゆー渡し方なの?
そりゃたしかに宝くじに税金はかからないけどさ。
でもそっちの方が生々しくない?
微妙な顔をする私に、くすくすと笑う監察官。
「気に入らなければ買わなくても良いし、換金しなくても良い。きみ次第だよ。風間エイジくん」
「最後まで私に選ばせるのですね。あなたは」
「人生は選択の連続さ。さて、そろそろお別れの時だよ。きみの活躍はとても興味深かった」
「楽しんでいただけたら幸いです」
肩をすくめる私に、美女がやや表情をあらためる。
「最後に一言だけ。きみはヒーローだよ。エイジ。誰が認めなくても私が認める」
はじめて私の名を呼び捨てにしての微笑。
「さらばだ。どうか壮健で」
雑踏。雑踏。雑踏。
いつもの人熱れ。
札幌駅南口コンコースの日常だ。休日ともなれば、どっからこんなに湧いてきたんだよって人間でごったがえす。
私もそのひとりなんだけどね!
美唄市出身の彫刻家安田侃氏の手になるオブジェを眺めながら、くだらないことを考える。
とん、と肩を叩かれた。
振り返ると、立っていたのは人間だった。
当たり前である。
染めていない黒い髪をストレートにした女性。
一重の瞳は切れ長で、可愛らしさよりも凛としたシャープさを感じる顔立ち。
私より頭ひとつ分くらい低い身長。
あまり凹凸のないスレンダーな肢体。
見慣れているはずなのに、もっのすごく違和感があるよ!
「や。さっきぶり」
女性が口を開く。
どっちの方面から考えてもおかしげなことを。
「三日ぶりじゃないかと思うよ? アヤノ」
私が応える。
日本では、三日前の夕食をともにしている。
「なにいってんの。さっきまでよぼよぼのじっちゃんだったくせに」
「そっちだともっとおかしいだろ。私はついさっき死んだばかりだけどさ」
ドラゴンさんは、きっともっと長生きだと思うんですけどね。
「エイジがいない世界で生きていても仕方ないでしょ。察しなさいよ」
その愛情はちょっと過激すぎるって。
「あのなぁ……」
「エンにはやな仕事やらせちゃったけどね」
私が死んだ直後に、勇者によって送られたのだと説明してくれる。
そのつもりで根回しもしていたのだと。
なんでそういうことするんでしょうね。
エリオン王国にも、まだまだ人材は必要でしょうに。
「わたしだけじゃ力をどう活用して良いかわからないしね。それはリオンも一緒でしょうし。最強の種族でしかもチート持ちなんて、むしろいない方が良いのよ」
「そういうもんかね……て、言葉遣いの違和感もハンパないなぁ」
「んむ。我もじゃよ。なにしろ四十年もこれで通しておったからの」
おお。
ティアマトがもどってきたよ。
我が麗しの竜姫よー。
「なににやにやしてんのよ。気色悪い」
「それはひどい。せめて気持ち悪いにしてくれ」
「どーちがうのよ?」
「言われたときのダメージが、ちょびっとだけ違う」
親指と人差し指で示してみせる。
具体的には三ミリくらいだ。
無言のまま、恋人がバッグで私の頭を叩く。
なんてこった。
人間に戻っても凶暴性は失われていなかったとは。
「では姫。今日はどちらに行きますかね」
痛くもない頭をさすりながら、私は問いかける。
「とくに考えてない。ていうか忘れちゃったよ。もう四十年前のことだよ?」
「ですよねー」
笑いながら歩き出す。
懐かしの札幌市街地へと。
「でもまあ、まずは宝くじ売り場にでもいこうか」
「……ブルータス……おまえもか……」
ジュリアス・シーザーよろしく呟き、おおげさに空を仰いだ。
見上げる蒼穹。
成層圏まで透かすように。
北辺の大地にも、もう夏が訪れる。