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こわれゆく世界 8


 立派な店構えは、冒険者ギルドと比較してもそう遜色(そんしょく)ない。

 大店(おおだな)である。

「予想通りだね」

 頷きながら呟く。

 腕時計を買い取った商人の店だ。

 金貨百枚(百万円)の取引をぽんと決めちゃうのだから、そこから経済規模を逆算できる。

 ぶっちゃけ私なら、十万円の買い物だってかなりためらうぞ。

 ともあれ、豪商ならそれに超したことはない。

 街における影響力も大きいだろうから。

 来店を告げる挨拶をしながら店内に入る。

 すぐに丁稚(でっち)手代(てだい)が出迎えてくれた。

「いらっしゃいませ! なにかお探しですか!」

 元気な声。

 女の子のものである。

 茶色い髪と同色の瞳。小さな身体が詰め込んだ元気ではち切れそう。

 年の頃なら十五、六か。

 日本で考えれば高校生くらいという感じだが、なにしろこの世界の人々の年齢を外見から推理するのは難しい。

 侮れないのである。

「私はエイジと申します。先ほど店主さんと取引をした者なのですが、ご主人は戻っておいででしょうか」

「はい! 伺っております! こちらへどうぞ!」

 にこやかに案内してくれる。

 ちゃんと話は通っていたようだ。

 後に続く私とティアマト。

 店内は広く、幾人かの客もいて、展示品を眺めながら店員と商談を交わしたり説明を受けたりしている。

 なかなかに繁盛しているようだ。

「おお。エイジさま。お待ちしておりました」

 店主のミエロンが迎えてくれた。

 冒険者ギルドのガリシュのように恰幅の良い中年男性である。

 商談用のテーブルセットへと(いざな)ってくれる。

「はやすぎませんでしたか?」

「とんでもない。お二人がくるのを今か今かと待っておりました、と、失礼」

 談笑しながら歩いていると、ミエロン氏がつまづいた。

 何もないところで。

 とっさに手をテーブルに置いて身体を支える。

「…………」

 爪先が上がらなくなってきているのだ。

 この人もか。

 そりゃそうか。裕福で食べるに困っておらず、働き者で良く動く人っぽい。

 かかる(・・・)要素は充分だ。

「ミエロンさん。体の調子はどうですか? だるさとかないですか?」

 テーブルに着きながら質問する。

 どうでも良いが、ティアマトも器用に椅子に座った。

 尻尾が邪魔じゃないんだろうか?

 むしろ彼女の重量を椅子は支えられるのだろうか?

「なんぞ?」

「いや別に……」

「ああ。だるいですなぁ。店に籠もってばかりいないで運動しろと医者にも言われ、けっこう歩いているんですが。いっこうに良くなりません」

 だが、街を歩いてるおかげで私たちに会え、良い商売ができたから怪我の功名だと締めくくる。

 社交辞令はともかくとして、おい医者。

 ビタミンB1は光合成じゃ増えないぞ。運動させてどうする。

「ふむ。これは深刻じゃの。悪い方を勧めておるのか」

 ティアマトが首をかしげる。

 ぎし、と、椅子が軋んだ。

 頼むから壊さないでくれよ。

「知らないんだから仕方がないよ。たしかこういうケースも多かったはず」

「いかがなさいました? エイジさま。ティアマトさま」

 ぼそぼそと会話を交わす私たちを不審に思ったのか、ミエロンが訊ねてくる。

「じつは、ガリシュ氏もだるさに悩まされておりました。私たちは、それを何とかしようと動き始めたところだったのですよ」

「ほほう。それは有り難いですな。ぜひ私の気怠さも取ってもらいたいところです」

「ええ。それはもちろん」

 微笑を返す。

 ここが踏み込みどころだ。

「ちなみに、似たような症状が出ている方は、他にもいらっしゃいますか?」

「はい。かなりの数」

 ミエロンが表情を改めた。

 にこやかさが消え、うそ寒そうなものになっている。

「最後には歩けなくなり、亡くなってしまった方も少なくないとか」

 心なしか声も潜めて続ける。

 そこまで進んでいたか。

 急がないといけない。

「リシュアを離れたら快方に向かった、という話はききませんか?」

「いえ? そういう話は」

「そうですか」

 OK。

 江戸時代に流行した脚気ではないということだ。

 明治から大正期にかけての、精米技術が進歩して庶民が普通に白米を食べるようになったことで大流行した、国民病としての脚気である。

 結核と並んで、二大国民病として怖れられた方だ。

 事態はより深刻さを増した。

 江戸患いは、地方に行くことである程度まで解決した。

 白米ばかりを食べなくなる、というのに加えて、ソバや豆、芋などが頻繁に口に入るようになるからだ。

 経済格差というのも、もちろんあるのだろうが、経験則として脚気の予防法が判っていたのではないか。

 俗にいうおばあちゃんの知恵袋である。

 案外こういうのが侮れない。科学技術の粋を集めて作り出されたスーパーコンピューターの弾き出した津波予測と、漁師たちに代々語り継がれてきた津波の前触れが奇妙な符合を示すというのも、そう珍しいことではないのだ。

 この世界の文化を塗り替えた勇者(くそやろう)様は、経験則による逃げ道までご丁寧に塞いでくれたらしい。

 ありがたくて、拝むしかないほどだ。

 どうかこれ以上(たた)らないでください、と。

「エイジさま?」

 黙り込んだ私にミエロンが声をかける。

 小さく息を吐いて陰性の思考を追いだした。

「ミエロンさん。そのだるさは病です。放置すれば死に至ります」

「なんと……」

「治療します。あなたやガリシュさんだけでなく、かかっている人をすべて」

神仙(ハミット)さま……」

「ミエロンさんの協力が必要です」

「何なりと」

 どんと胸を叩くミエロン氏。

 豪商の彼は、その経済力を期待されていると思ったのだろうか。

 もちろんそれはいずれ必要になるものだが、残念ながら事態はもっとずっと手前だ。

「まずは食生活を知らなくては何もできません。あなたたちはブタを食べますか?」

「※※でございますか? それはどういうものなのでしょう?」

 聞き取れない単語が返ってきた。

 ちらりとティアマトをみれば、軽く頷いている。

「この世界にない単語だったので変換されなかったということじゃな。当然、ミエロンにも理解できておらぬ」

「なるほど」

 豚というのは、地球でももともと自然界にいたわけではない。

 原種はイノシシだ。

 これを紀元前のメソポタミア文明の時代から、気の遠くなるような年月をかけて家畜化していったのである。

 世界が違えば、築いてきた文明だって異なる。

 当然のことだ。

「では、イノシシなら判りますか?」

ギャグド(イノシシ)のことですかな? 魔獣の」

 今度はちゃんと理解されたようである。単語が変わるのはやむを得ないだろう。

 いることさえ判れば充分だ。

「食べることはないですか?」

「そもそも、食べられるのですか? あるいは猟師(ハンター)ならば食べることもあるのでしょうが、街で売られているのは見たことがありません」

「ふむ」

 口にしたことはなくても、肉食自体に忌避感はないようだ。

 これは収穫である。

 同じ要領で、私の知識にあるビタミンB1含有量の多い食品について質問してゆく。

 結果、ウナギはダメだった。そもそもどういうイキモノかすら理解されなかった。

 大豆や芋はあるが、あまり食べる習慣はないという。

 おもに家畜のエサで、家畜というのは、ダチョウやエミューみたいなやつっぽい。

 あれ食べるらしい。

 美味しいんだろうか?

 ただ、味はともかく、それらのビタミンB1含有量について私の知識にはないし、調べる方法もない。

 除外して考えるべきだろう。

 あとは玄米というか胚芽であるが、これは不可能だった。

 というのも、この世界に稲作米食を広めた勇者(くそやろう)様が、最初から脱穀や精米の技術を伝えたからだ。

 ゆえに、アズールの人々は、「ご飯というのは白いもの」と思っている。

 いまさら玄米でも食べられるし栄養満点だよーんといったところで、何十年にも渡って培われた固定観念をひっくり返すことはできないだろう。

 いや、時間をかけて啓蒙(けいもう)活動をおこなえば不可能ではないかもしれないが、それまでにどれほどの人が死ぬことか。

 流行の始まった明治初頭から、第二次大戦で食糧事情が悪化する昭和十年代までの約七十年間、だいたい一万から二万人くらいが死に続けた。

 ざっとの計算で百万人以上である。

 判ってるかい? 勇者(くそやろう)様。

 あんた、魔王なんかより、ずっとたくさんの人を殺そうとしてるんだぞ?


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